第49話 静子は静かに

文字数 2,842文字

 新しくなった「Calme」は内装も自然の木の形を活かしたカウンターでグレーの壁に間接照明が当たっている。カウンターには若い女性が並んで、おしゃべりをしている。一樹はそれがセキセイインコみたいに見えた。お酒を飲んで明るい声でおしゃべりをしている。
「いらっしゃいませ」と確かに美しい男性が挨拶してくれた。
「あ、ママいる?」
「どうぞ、奥へ」と奥にはボックス席も一つだけ用意されていた。
 奥に行くと、落ち着いたダークブラウンのソファに天板が皮のテーブルがあった。
「いらっしゃい」とママもちょっと大人しめの化粧をして、笑いかけた。
「久しぶり。桜木さんも連れてきたよ」
「あら、お久しぶりね。座って。水割り?」と言って、ママはカウンターに行った。
 少し店の雰囲気に合わしているらしく、上品ぶっている。水割りの準備をすると、手早く作ってくれて、二人に出す。
「桜木さん、ご結婚されたのね? あのハムスターちゃんと」
「…そうです」
「おめでとう。私、失敗しちゃったの」
「あ、聞きました」
「口軽いわね」と山崎を睨む。
「どうせ分かるんだから、遅かれ、早かれ」
「そうね。やっぱりあの人、銀行員だけあって、しっかりしてたわ。人生設計も。何もかも。悪い人じゃなかったんだけど…、合わなかったみたい。お互いにね。最後は大げんか。もう顔も見たくないって。凄かったわ。久しぶりに。やっちゃった…って思ったけど。でもよかった」
「…大げんか?」
「私が暴れるのは想像できるでしょうけど、あの人も暴れるから、最後はおかしくなってね。店でよ? だから改装もしたの。あの人、出してくれたわ。手切金だか、慰謝料だか、迷惑料だか、全部だか…。お店、全部壊したの」
「え?」
「最後は二人で。『この店があるから、だめなんだ』って、向こうは言って、私は『何よ、この店はあたしそのものよ。それが気に入らないんだったらお終いでしょ』って壁の照明から何から何まで粉々。グラスも、あの重たい灰皿も…全部。ちょっと血も出たけど。そんな大騒ぎだったから、警察が来たのよ。でもそん時は二人ともおかしくなってて、笑ってたのよ。笑いながら、店のものを壊してた」と肩を竦めた。
 それで結局は綺麗にせざるを得なかったらしい。
「で、従兄弟の子が、バーをしたいって言ってたから、その子に内装を頼んだら、こんなにオシャレになってしまってさ」とさらに肩を竦める。
「しかも禁煙タイムがあるのよ」
「禁煙タイム?」
「そう。若い女の子は終電までに帰るから、大体十時までは禁煙で、そこからは喫煙OKにしてるの。なじみのお客さんにも我慢してもらってね」
 どうやら親戚の子が色々考えて、ママは言われるようにしているらしい。
「なんだか面倒臭くなって。何もかも。男も…店も。もうあの子に譲ろうかなって思ったり。でもそうしたら、私の居場所がないでしょ? だからこの一角。ボックス席だけは作ってねって。私の居場所だからって」
 ずっと黙って山崎は聞いていた。
「店名もスナック『静子』から、静かって言う意味の「カルム」だなんてフランス語だって。だから静かにしてるの」と笑った。
「まぁ、それも十時までだけどね」と水わりを自分にも勝手に作る。
「ママは良かったの? それで」と一樹は聞いた。
「良いも悪いも…別に。私はここで気楽に常連さんとお酒飲んでたらいいんだから」と息を吐く。
「まぁ、ある意味、別れて、店を閉めなかったんだから、それは常連としたら良かったなって」
「山崎さん、最近、飲んでくれないから…私、飲んでるわよ」
「知ってるよ。来るたび、ボトル入れさせられるの明らか、おかしいだろ?」
「そうね? でもそれくらいご無沙汰なんだから、私に飲まれる前に来なさいよ」
「じゃあ、今日も入れるの?」と一樹が聞くと「そうね? 入れてもいいわよ」とママが押し売りを始めた。
「やれやれ。ほんと、毎回だな。だから足が遠のくんだよ」
「まぁ、山崎さんは頻繁に来ても来なくても一定価格だから」
「ぼったくりバーよりひどい」と山崎は吐き捨てる。
 この言い合いがさっきタクシーで聞いていた話の後だと、随分、違って聞こえる。山崎の電話がなる。チラッと画面を見て「しつこいなぁ。さっきのおじさん。ちょっと電話してくる」と言って、店から出ていった。

 しばらく二人きりになった。
「結婚、どう? 楽しいでしょ?」
「お陰様で…」
「あー。私も結婚したかった。後、もう少しだったのに…」と口を尖らせて言う。
「ママは…山崎さんのこと」と言った時、余計なこと言ってるな、と一樹は思った。
「あー。戦友って言うやつでしょ? 俺たちは戦友だからな? あのバブル期の狂った時代を必死に生きてたって。浮かれた時代だって言われてるけど、全然違うの。お金は眼の前をビュンビュン飛んでたわよ。確かに。でもだからこそ、人間関係に気を遣って、嫌いな人にも頭下げて、プライドも何も捨てて、生き抜いてきたの」
 一樹はバブル期はテレビでしか知らない。
「だからね…。いつも最後は二人で、放電してたの。『やってられるかー』って。でも仕事は本当に真面目にやってて。私も山崎も。そう言うところは尊敬してるわ」
「そっか。戦友っていう意味が分かった」
 バブルはいい時代だったって言うけれど、歯を食いしばって働いてる人もいた。山崎は鬱になりかけるくらい、必死に働いていたんだ、と一樹は思った。
「だから…特別なのよ。いつまでも私のこと心配してくれて。安心させるためにも結婚したかったな」
「え?」
「きっと、ずっと、心配してくれてるから、こんなとこまで通ってくれて。ありがたいけど。本当はもういいのに…って半分はそう思ってる」
「…心配。でも…会うのも楽しみなんじゃないかな」
「そうかしら? まぁ、来てくれる分にはいいけど」と笑う。
 いつもタバコを吸っていたのに、吸わないママは変な感じがする。ママも変な気がするのか、手持ち無沙汰なのか水割を作って飲むピッチが早い。
「この年になると、何もかもがありがたく感じちゃうわよ。だから桜木さんも来てくれてありがとうね」
「山崎さんは分かってたんだ」
「ボトルのこと? それは分かってるわよ。…でもね。内緒よ」と、耳のそばで言われる。
 ママは山崎が結婚すると報告された日、山崎が帰った後、一人で泣いた、と言った。
「顔では笑ってたわよ。完璧に。元銀座の女だから」
「…もし」と言いかけて、一樹は言葉を飲んだ。
 そんな一樹を見て、何を言いたいのか分かったような表情で首を横に振る。
「今は立派な家族の父親…。素敵だと思うわ。別の意味で」と言って、かつて一流ホステスだったと言う笑顔を見せた。
「…まあ」
「前の店、壊して、ちょっとすっきりした。だって山崎がいた場所だから」
「え?」
 銀座ホステスを独立して、店を持つと言った時、山崎が探してくれた物件で、内装も相談して決めたと言っていた。
「内緒よ? 全部」と口に指を立てて笑う。
「あ、帰ってきた」と入り口に向かって、手を振った。
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