第4話
文字数 2,262文字
レナの横に腰を下ろしたルイスは、慰めるように肩を抱き寄せた。
「正直に言えば父さんとレナのことを考えると、今でも胸の中がモヤモヤして落ち着かなくなる。だけど、それとこの一連の事件は別物だと頭ではわかっていたことなのに、あの、古いコートをみつけたとき一瞬で事件のことが飛んでしまった。考えられなくなったんだ。そんな幼稚な自分を棚に上げてレナを責めるようなことを言うなんて、我ながらほんとうに情けなくなる。――犯人を突き止めなければいつ、その殺意がレナに向けられるかわからないっていうのにな」
ルイスが大きく息を吐き、
「犯人の動機がレナへの執着で、それが元でカミルが狙われたのだとしたらこれからはもっと近しい人間が標的になるかもしれないしな」
「それを知るための盗聴器ってことね。だからあんなに慌ててたわけか」
得心がいったレナは自分を落ち着かせるように深く息を吸い込み、「そういうことは最初に言っておいてよ」と唇を尖らせた。
わざとらしくルイスの首筋に顔を擦り寄せて、目を閉じた。
「……もう平気か?」
ルイスがぼそりと呟く。
「あたしはお姉ちゃんなので簡単には泣きません。ベッドの上では別だけど」
「不謹慎だぞ」
レナの軽口に言い返しながらルイスの表情は和らいでいた。
落ち着いてくれたのは嬉しいが、もう少し弱みを見せてくれてもいい気がした。勝手な人間だな、俺はとルイスは小さく嘆息する。
レナは緊張を和らげる術に長けていて、それはいつだってルイスを救ってくれた。
どんなに自分が弱っていても、けして隙は見せないのがレナだ。ほんとうは声を出して泣き叫びたいくらい悲しいはずなのだ。伏せた銀色のまつ毛が細く震えているのがその証だった。
「ねえ、ルイス」
「なんだ」
「こういう時だから、やっぱり渡しておかないといけない気がするのよね」
「なんだ?」
「ちょっと待ってて」
レナは寝室に行き、例の小箱を手にして戻ってきた。
今はまだ早いと思っていた指輪を渡すことにしたのだ。箱の中身を知らないルイスは虚を突かれたような表情で、小箱とレナの顔を交互に見ていた。
蓋をそっと開けてふたつ並んだ指輪を見せた。金とプラチナが小さな光を返して輝いている。
「これは?」
見せられた指輪の意味が理解できず、ルイスは目を瞬かせた。
レナは白銀の指輪を箱から取り出し、
「こっちがアンタのよ」
ルイスの目の前に差し出した。
そして指輪の内側を見せて『レナ』の刻印を見せた。
「指を貸して、ほら、早く」
「でもレナ」
「ぐだぐだ言ってんじゃないの。ちゃんとアンタのサイズで作ってあるから……ね? ちゃんと嵌ったでしょ」
ルイスの右手の薬指にきれいに収まったプラチナの指輪は、小箱の中よりも遥かに輝いて見えた。
「今度はあたしの番ね。こっちのゴールドがあたしのなの。ちゃんと裏にはルイスって彫ってあるのよ、見てみる?」
「……」
唐突に指輪を嵌められて思考が追いついていないルイスだったが、自分がレナの指へリングを嵌める段になってようやく状況が把握できた。
「こういうことは、きちんとした、段取りというものが、あ、あ、ある、だろ……それを、なにもこんないきなり、唐突に」
「なによ。あたしの指に指輪を嵌めるのがイヤなの?」
「そういうことじゃなくてだな」
「じゃあ、嵌めて」
ほらほら、とレナは右手をいたずらっ子のように笑いながらルイスの頬に押しつける。
今がどういう状況なのかはよく理解しているつもりだ。
最悪かもしれない今が指輪を渡すチャンスなのだと思った。
「ほら早く嵌めてってば」
レナは急かすようにルイスの目の前で右手をちらつかせた。
「いつの間に準備していたんだよ」
小箱から金色の指輪を手に取り、ルイスは深呼吸する。その口元は確かに緩んでいた。
聞きたいことは山ほどあるが、それでもこみ上げてくる嬉しさは喩えようがないくらいに大きいとルイスはレナの気持ちに浸った。
レナのサイズで仕立てられた指輪は、そこがあるべき場所のようにぴたりと嵌まる。
名前以外の彫金も宝石もないシンプルなデザイン。
「いろいろ型外れなあたしらだから順序が逆になったっていいんじゃない? あたしはいつでもルイスの傍にいるって証だからさ」
「ああ、そうだな」
複雑な笑みを口元に浮かべたルイスが、自分の指に嵌った指輪をなぞりながら答える。
だから早く犯人を捕まえて――――レナは声に出さず、胸の奥で叫んだ。
夕焼け色の双眸の奥には、カミルを殺されたことへの怒りがふつふつと燃え滾っていた。
警察署に向かうルイスを見送り、リビングの掃除を簡単に済ませたレナがコーヒー片手にソファで一息つく。
リモコンに手を伸ばしてテレビをつける。くるくる変わるCMをぼんやり見ているとニュース番組が始まった。
『先日、解体工事中の廃ビルから発見された、白骨遺体の身元が判明したことが警察の発表により明らかになりました。被害者はロルフ・ベフォートさんで……』
レナはその名前を聞いて狼狽した。
ニュースキャスターは手元の原稿を淡々と読み上げていく。
遺体の死亡推定年齢だという30歳は、ちょうどレナがロルフに襲われた頃と符合する。しかも殺され方がレナにまつわる今の事件とも類似していた。
PTSDの発作のように、痙攣するように全身を震わせ浅い呼吸を繰り返しながらレナはその場に蹲った。
ロルフ・ベフォート。母イェシカの恋人でレナを暴行した忌まわしい男の名前は、10年経った今でもレナを当時に引き戻し恐怖のどん底へと突き落とした。
「正直に言えば父さんとレナのことを考えると、今でも胸の中がモヤモヤして落ち着かなくなる。だけど、それとこの一連の事件は別物だと頭ではわかっていたことなのに、あの、古いコートをみつけたとき一瞬で事件のことが飛んでしまった。考えられなくなったんだ。そんな幼稚な自分を棚に上げてレナを責めるようなことを言うなんて、我ながらほんとうに情けなくなる。――犯人を突き止めなければいつ、その殺意がレナに向けられるかわからないっていうのにな」
ルイスが大きく息を吐き、
「犯人の動機がレナへの執着で、それが元でカミルが狙われたのだとしたらこれからはもっと近しい人間が標的になるかもしれないしな」
「それを知るための盗聴器ってことね。だからあんなに慌ててたわけか」
得心がいったレナは自分を落ち着かせるように深く息を吸い込み、「そういうことは最初に言っておいてよ」と唇を尖らせた。
わざとらしくルイスの首筋に顔を擦り寄せて、目を閉じた。
「……もう平気か?」
ルイスがぼそりと呟く。
「あたしはお姉ちゃんなので簡単には泣きません。ベッドの上では別だけど」
「不謹慎だぞ」
レナの軽口に言い返しながらルイスの表情は和らいでいた。
落ち着いてくれたのは嬉しいが、もう少し弱みを見せてくれてもいい気がした。勝手な人間だな、俺はとルイスは小さく嘆息する。
レナは緊張を和らげる術に長けていて、それはいつだってルイスを救ってくれた。
どんなに自分が弱っていても、けして隙は見せないのがレナだ。ほんとうは声を出して泣き叫びたいくらい悲しいはずなのだ。伏せた銀色のまつ毛が細く震えているのがその証だった。
「ねえ、ルイス」
「なんだ」
「こういう時だから、やっぱり渡しておかないといけない気がするのよね」
「なんだ?」
「ちょっと待ってて」
レナは寝室に行き、例の小箱を手にして戻ってきた。
今はまだ早いと思っていた指輪を渡すことにしたのだ。箱の中身を知らないルイスは虚を突かれたような表情で、小箱とレナの顔を交互に見ていた。
蓋をそっと開けてふたつ並んだ指輪を見せた。金とプラチナが小さな光を返して輝いている。
「これは?」
見せられた指輪の意味が理解できず、ルイスは目を瞬かせた。
レナは白銀の指輪を箱から取り出し、
「こっちがアンタのよ」
ルイスの目の前に差し出した。
そして指輪の内側を見せて『レナ』の刻印を見せた。
「指を貸して、ほら、早く」
「でもレナ」
「ぐだぐだ言ってんじゃないの。ちゃんとアンタのサイズで作ってあるから……ね? ちゃんと嵌ったでしょ」
ルイスの右手の薬指にきれいに収まったプラチナの指輪は、小箱の中よりも遥かに輝いて見えた。
「今度はあたしの番ね。こっちのゴールドがあたしのなの。ちゃんと裏にはルイスって彫ってあるのよ、見てみる?」
「……」
唐突に指輪を嵌められて思考が追いついていないルイスだったが、自分がレナの指へリングを嵌める段になってようやく状況が把握できた。
「こういうことは、きちんとした、段取りというものが、あ、あ、ある、だろ……それを、なにもこんないきなり、唐突に」
「なによ。あたしの指に指輪を嵌めるのがイヤなの?」
「そういうことじゃなくてだな」
「じゃあ、嵌めて」
ほらほら、とレナは右手をいたずらっ子のように笑いながらルイスの頬に押しつける。
今がどういう状況なのかはよく理解しているつもりだ。
最悪かもしれない今が指輪を渡すチャンスなのだと思った。
「ほら早く嵌めてってば」
レナは急かすようにルイスの目の前で右手をちらつかせた。
「いつの間に準備していたんだよ」
小箱から金色の指輪を手に取り、ルイスは深呼吸する。その口元は確かに緩んでいた。
聞きたいことは山ほどあるが、それでもこみ上げてくる嬉しさは喩えようがないくらいに大きいとルイスはレナの気持ちに浸った。
レナのサイズで仕立てられた指輪は、そこがあるべき場所のようにぴたりと嵌まる。
名前以外の彫金も宝石もないシンプルなデザイン。
「いろいろ型外れなあたしらだから順序が逆になったっていいんじゃない? あたしはいつでもルイスの傍にいるって証だからさ」
「ああ、そうだな」
複雑な笑みを口元に浮かべたルイスが、自分の指に嵌った指輪をなぞりながら答える。
だから早く犯人を捕まえて――――レナは声に出さず、胸の奥で叫んだ。
夕焼け色の双眸の奥には、カミルを殺されたことへの怒りがふつふつと燃え滾っていた。
警察署に向かうルイスを見送り、リビングの掃除を簡単に済ませたレナがコーヒー片手にソファで一息つく。
リモコンに手を伸ばしてテレビをつける。くるくる変わるCMをぼんやり見ているとニュース番組が始まった。
『先日、解体工事中の廃ビルから発見された、白骨遺体の身元が判明したことが警察の発表により明らかになりました。被害者はロルフ・ベフォートさんで……』
レナはその名前を聞いて狼狽した。
ニュースキャスターは手元の原稿を淡々と読み上げていく。
遺体の死亡推定年齢だという30歳は、ちょうどレナがロルフに襲われた頃と符合する。しかも殺され方がレナにまつわる今の事件とも類似していた。
PTSDの発作のように、痙攣するように全身を震わせ浅い呼吸を繰り返しながらレナはその場に蹲った。
ロルフ・ベフォート。母イェシカの恋人でレナを暴行した忌まわしい男の名前は、10年経った今でもレナを当時に引き戻し恐怖のどん底へと突き落とした。