第6話

文字数 2,608文字

「共通項がレナの古書店だったっていうだけで、誰も彼女を疑っちゃいないよ。そんな顔で飲んでたら、ここのコーヒーの不味さがバレる」
 ミルクたっぷりのカフェ・クリームを片手にローランが声をかける。リフレッシュメントコーナーにはむっつりした顔のルイスがマグカップに口をつけていた。
 四人の被害者全員が、過去半年に渡りレナの古書店を利用していたことがわかったからだ。
 三人目の被害者、ギーゼラ・ベレントの自宅を再度捜索し、二人目の被害者カール・ハイネンは写真素材としてレナに安価な古書を買い付けてくれるように依頼していたことが、職場の同僚の証言で判明した。
 最初の被害者であるジークリット・アルトナーはクレジットの利用履歴から古書店の利用が判明。
 職業も年齢も住む場所も違う被害者たちの唯一の共通点がレナの古書店というわけだ。
「さっきのあれはまるでレナが容疑者みたいな言い方だったじゃないか」
「それはまあ否定できないね。俺も嫌な感じがしたし」
 ルイスの不機嫌の原因は、捜査本部でレナの名前が挙がっただけではない。彼女の店を被害者たちが利用していたことは事実なのだから、そこは否定しない。スーパーマーケットやコンビニエンスストアのように、不特定多数の人間が出入りする店ではないことが疑わしいらしい。
 むしろそんな環境であえて店の客を標的にする方が無謀ではないか。
 不特定多数が出入りする店のレシートであれば、納入業者や従業員などもっと多くの関係者が捜査対象になっただろう。防犯ビデオをチェックして不審人物を洗い出しているところだ。
「定休日を設けていないってのも痛いね。いつでも自由に動ける」
「定休日はちゃんとある。ただ、客の注文に応じて動くこともあるから、どうしても不定休のようになってしまうだけだ。それが犯罪か?」
「おいおい、俺を責めるなよ」
「買い付けで国内外を走り回るのだって、客のことを思っての行動だ」
 鼻息を荒くさせてまくし立てる。
「俺はちゃんとわかってるって。何年のつきあいだと思ってんだよ」
 宥めるように、ローランはルイスの頭をくしゃりと撫でた。
 ルイスもそれを嫌がらずに受け入れている。複雑な関係のルイスとレナを、誰よりも理解してくれているのがローランだった。兄弟のいないルイスにとって兄のような存在でもある。
「レナのことは容疑者じゃなくて、情報提供者って考える方が妥当でしょ」
「そうだな。それなら納得できる。俺は、テクラのスケジュール帳に貼られたレシート……あれがどうにも引っかかる」
「なにか意味があるって?」
「それは俺にもわからないが、経費の精算とか家計の管理ならほかのレシートが貼ってあるだろう。それなら貼られた日にちに意味があるかもしれないし」
 帰りにレナの店に寄るともメモされていた。
 カップの底に残ったコーヒーをきれいに飲み干して、苦い顔をするルイス。ほんとうに嫌な感じだ。
「なんにしてもレナに話を聞かなきゃいけないけどね」
 コーヒーの後味が不味かったのか、レナへの事情聴取が不満なのか。ルイスの眉間にくっきりした縦じわが入る。
「そんな顔をしない。お前がそんな顔をしてるとレナが気を遣うでしょうが。彼女の気を引いて甘えるための作戦なら成功すると思うけど」
 渋面を崩さない同僚兼弟の頬を、からかうように軽く叩いた。
「レナが警察に呼び出されるなんて若いころの悪さ以来だから、はしゃがないようにちゃんとルイスが見張っとかないとね」
 ルイスの胸に沸いた澱を見透かしたように、ローランはおどけて言った。

 ルイスは、ローランに言われるまでもなくレナのところへ帰るつもりだった。
 ミッテのアパートの方が職場には近い。寒いし疲れているし、自宅に帰って熱めのシャワーを浴び、缶ビールの二、三本でも空けてベッドへ飛び込めば朝までぐっすり熟睡できる自信がある。
 それでもやっぱり足はノイケルンに向かう。疲れていると余計かもしれない。ドアをノックして扉が開き、「おかえり」と顔を出したレナのちょっとはにかんだ笑顔が見られるから。
 いらっしゃい、ではなくおかえりと言ってくれるところもいい。その割に同居には消極的なのだから不満はたまる一方だ。
 
『おかえり』

 聞きなれたレナの声が、青臭いときめきを連れて鮮やかに思い浮かぶ。
 あの笑顔が自分にだけ向けられていることが未だに信じられない。少しでも気を許せば父親に掻っ攫われてしまうようで怖いのに、レナはそんな自分の気持ちを鼻で笑う。
 自分に自信が持てない理由に、過去にルイスは縛られているのだ。家族だったレナを女性として意識して恋に落ちたルイスは、レナから向けられているものが果たして自分と同じなのかわからない。
 男として愛されている自信が湧かない。だから、常にいっしょにいたいと願ってしまう。その欲求は底なしで、自分でも恐ろしい。
 ルイスはぶるりと大きく身震いした。街灯の白い明りが寒々しい。派手な電飾があちらこちらで点灯しているが、それらは少しもルイスの心を躍らせてはくれない。
 俯いて足元を見た。白い息が覆う視界の中を、雪がちらつき始めた。
「遅いから迎えにきてあげたわよ」
 その声にルイスは顔を跳ね上げた。
 目の前に、鼻の頭を真っ赤にさせたレナが部屋着に軽くジャケットを羽織っただけの薄着で立っていた。
「外に出るならもっと厚着しろよ。風邪をひくだろ」
「大げさねぇ。ちょっとそこまでのつもりで出てきたからよ。まさかここまで歩いてくるなんて自分でも驚いてる」
 けらけらとレナは笑う。
「店からここまで三十分はかかるだろう」
 ルイスは自分のマフラーをレナの首に巻いてやりながら、嬉しさで緩む口元を必死に誤魔化した。
「だから、ちょっとそこまでって思いながら歩いていたらここに来ちゃっただけで、べつに目指してたわけじゃないから。そんな嬉しそうな顔しないの」
 誤魔化しきれていなかったようで、レナにはしっかりバレていた。
「迎えにきたって言ったのは聞き逃していないからな」
 広げたコートの中にレナを収め、冷たくなっている手を自分のスラックスのポケットに突っ込ませた。
 雪がほんの少し増えた。家路を急ぐ二人の肩は見る間に雪で白くなったが、楽しげに交わす言葉はとても暖かかった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み