第最終話

文字数 3,306文字

 元刑事だった理由から閉鎖処遇とされたローランだったが、纏う雰囲気は逮捕される以前と変わらないままだと、面会に訪れたラファエルは感じた。
 面会室も開放的で閉塞感を感じない。敷地内でみかけた帝国時代の建造物はいかにもドイツらしい重く湿った空気を醸していた。
「誰かと思ったらおまえか」
 洒落た彼らしく、オフホワイトの綿シャツは皺ひとつなく丁寧にアイロンがかかっていた。袖口の折り返しも洒落ている。
「ここはほんとうに刑務所なのか? 想像していたのとは雰囲気が違って驚いた」
 ラファエルは笑いながら面会室の中を見渡した。
 ローランが腰を落ち着かせているソファへ、1人分の感覚を開けてラファエルも腰かけた。開いた空間にちらりと視線を向けたローランの表情が、ほんのわずか動いた。
「残念だったな、捕まって」
「ほんとうにな。うまく騙せるかと思ったんだけど、やっぱりあいつらさすがに仕事できるわ」
「俺に罪を着せようなんてするから罰があたったんじゃないか?」
「……」
 ローランが少し唇を尖らせた。そして、
「そこは一応黙秘してるんだけど」
 といたずらっぽく笑った。
「ここは録音されていないんだろ。それなら俺にだけ教えろよ。一応俺も当事者だからな」
 部屋の脇でのんびりと立っている警備スタッフを尻目にラファエルが顔を寄せる。声を潜め、
「なんにも心配することはない。2人のことは俺に任せたらいい」
 にわかに表情を険しくさせたローランに、ラファエルは今度は身体を近づけた。互いの間には少しの空間も開いていなかった。
 忌々しげに鼻にしわを寄せたローランが唸るように応じる。
「ベンノはおまえだろ」
 否定も肯定もしないラファエルは薄ら笑いを浮かべると、ゆっくりと口を開き囁くように言葉を紡いだ。
「レナは一度懐に入れた相手にはとことん甘いよな。まるで愛してくれてるって錯覚してしまうくらいに距離を縮めてくれる。でもな、俺はその辺ちゃんとわかっているから。レナはルイスのことが大切で愛してる。だけどさ、傍から見ていて気づいたんだよ。レナの愛情ってガラスみたいだって。強い力を加えたらポキッて壊れてしまうような脆さ」
「ルイスが許すはずがないだろ。付き合いが浅いおまえには理解できないだろうけど」
「そりゃ今すぐは無理だけどな。それくらいは織り込み済み。おまえと違って俺には時間があるからな。よく考えてみろよ、俺はこの先ずっと2人の傍にいられるんだ。ルイスの悩みもレナの悩みもぜんぶこの俺が聞くんだよ――ローラン、おまえじゃない」
 話は終わったというようにラファエルが立ち上がる。
「レナの心を開かせたことは正直驚いてる。他人とは必要以上に親しくなろうとしないレナだから安心していたけど……こんなことなら真っ先におまえを殺しておくべきだったと後悔してるよ。だけどルイスを甘くみてると痛い目を見るぞ。あいつはけしてバカじゃない。かならずおまえの本性に気づく、きっとだ」
「忠告をどうも。じゃ、身体に気をつけて」
 太陽へ向かって咲くひまわりのようないつもの笑顔でラファエルは面会室を去った。
 空調の風に揺れる観葉植物の緑の葉がローランの視界の端に映る。爪が肉に食い込むほどに指を握り込んだローランは、呪うように呻いた。

 きらきらと太陽の光を反射させる新緑の眩しさに目を細める季節が訪れた。
 相変わらずレナの古書店は常連がふらりと立ち寄る程度ののんびりさで営業をしている。
 カミルが亡くなってからしばらくはコーヒーを淹れる気力が湧かず、ティーバッグをばしゃばしゃとマグカップに漬けて飲んだりしていた。
 ぼんやりと窓の外を眺めることも増えた。なにより笑い方が変わった。
「やはり寂しいか」
 ルイスはレナの肩を抱き寄せて訊ねた。シャワーから出たばかりのレナの髪からは自分と同じおそろいの香りがする。
「まあね。美味しいコーヒーが飲めなくなったのはとても残念よ」
「カミルの話じゃなくてローランのことだ」
 レナの口元があきらかに引き攣った。
「だって、それだけのことをしたんだから寂しいとか言えないでしょ」
 眉尻を下げて無理に笑おうとしている。
「レナ。そんな風に無理に笑う必要はないと思う。いったい俺にどんな気を使っているのか知らないが、なにか言いたいことがあるならなんでも話してほしい。もう……ローランは傍にいないんだからな」
 レナの視線が不安そうに揺らいだ。
「あたしはずっとローランに甘えてきた。アイツの優しさにあぐらをかいていた。あたしの話はなんでも聞いてくれて、もちろん叱ってくれることもあったし。アンタとのことでも、なんでも話せていて。それなのにあたしはローランのことをちっともわかっていなかった。あたしが一番つらかったときに傍にいてくれた大切な存在なのに」
「レナが自分を責める必要はない。ローランが自分で決めた行動の結果だ」
「それでもあたしは……ローランの一番の親友で家族なんだよ」
 つんと沁みた鼻を手の甲で擦りながら、レナは視線を落とした。
 鮮やかに思い出すのはローランの笑顔だ。呆れたように笑う顔、困ったようにため息交じりで笑う顔、昔から変わらない屈託のない笑顔。
「これからは俺がずっと傍にいる。いっしょに暮らすんだからとうぜん喧嘩も増えると思う。大抵間違っているのはレナだけどな」
「そんなことないでしょ」
「でもレナ。忘れないでほしいんだ。どんなに喧嘩をしても俺は心の底からレナを愛してることに変わりないってことを」
「喧嘩前提なんだ」
 レナはようやく緊張を解いた顔で微笑むと、ルイスの腰へ腕を回した。首を傾けて体重を預ける。
「これからは俺だけに甘えてほしい」
 ローランが自分たちの家族だということは永遠に変わらないけれど、とレナにキスをしながらルイスは呟いた。
 しかし複雑な思いが2人の中から消えることはない。
 レナにとってのローランはそれだけ重要な存在だったことを互いに知っているからだ。
 その場所を誰かが取って代わることなどできやしないのだから。

「おっと、お邪魔だったかな」
 わざとらしい声をあげたのはラファエルだった。
 真っ赤な顔のルイスが怒鳴り出す前に、
「ちゃんとブザー鳴らしたからな」
 と釈明したが、それでも返事がないのに入ってくるなとやはり怒鳴られてしまった。
「そうやってすぐ揉めるんだから、で? 今日はなんの用?」
「2人に見てもらいたいものがあるんだよ。今度うちの店で扱おうかと思ってる商品なんだけど」
 持っていた紙袋から取り出したのはサンドフラワーだった。透明な容器に美しい波模様をカラフルな砂が描き、その上には華やかな生花が飾られていた。
「変わってるわね。こんなきれいな砂があるんだ」
「崩れたりしないように細工してあるから上の花が枯れても、こうやって差し替えることもできるし、あえて季節の花とかグリーンを飾るのもいいだろ?」
「へぇ、すごいな。砂の花、か」
「土台になる砂の部分はお気に入りのままで花だけは都度変えられる、っていいでしょ。これは2人の新生活へのプレゼント。どこか適当なところにでも飾ってよ」
「ラファエルにはほんと、もらってばかりよね。今度うちの本で気になるのがあったら何冊か持って行ってもいいからね」
 砂の花を気に入ったらしいレナは上気した顔で言った。
「なにか企んでるのか?」
「怖い顔はやめろよ、ルイス。そんなはずないだろ。これはほんとうにただのプレゼント。花が枯れそうな頃にまたくるよ。新鮮な花を持って、取り換えに」
「……」
 笑顔で帰っていくラファエルをルイスはじっとみつめた。
 土台はそのままで花だけを挿げ替える――。
 胸になにかつかえた感じがしたが、それがなにかはっきりとしない。ただ嫌なやつだと本能が感じ取っているだけなのだろうか。
「ラファエル、帰ったの?」
 花を飾り終えて戻ってきたレナが残念そうに言う。
「花が枯れたらまた来るそうだ」
「そう。花は何度でも挿げ替えることできるけど」
 ローランのことを思い出したらしいレナの様子がまた沈んだ。
 だいじょうぶ、俺がいるからとルイスは何度も囁いた。レナが納得するまで、何度でも――。

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