第3話

文字数 2,480文字

 ルイスは通行の邪魔にならないよう路肩に自分の車を停めた。そこで捜索令状が届くのを待つ。
 ラファエルの花屋は、ちょうど道路を挟んだ向かい側にあり、サイドミラーを通して様子を窺うことができた。
 店の前にはバスケットに入った花がいくつも置かれていた。店内を動く影が窓越しに確認でき、それはおそらくラファエルだ。
 彼がどこかへ出かけてしまわない内に踏み込みたい。ルイスは苛々とハンドルを指で弾いた。
「ミュレルはどうした」
 声をかけてきたのはローランと同期の刑事だった。空の助手席を一瞥するなり眉を顰める。
「少し遅れてくる。それで令状は?」
 急くように車を下りたルイスは、煙草臭い先輩刑事エックハルト・トストマンと距離を取りながら花屋へと向かった。
「ちゃんと懐にあるよ」
 そう言いながらくたびれたトレンチコートの胸を叩いた。その肩越しには応援に駆けつけた仲間の姿が見える。
 花屋のドアを開けるとラファエルの威勢のいい声が出迎えた。意外に花の匂いがしないことにルイスは驚いた。レナの家のリビングは甘い花の匂いがきつく、胸が悪くなりそうだったからだ。
「あれ? ルイスじゃないか。どうしたんだよ。……そっちの人は」
 とぼけた顔で首を傾げさせるラファエルに、エックハルトは捜索令状を差し出すと、
「これから店舗と自宅の捜索を行う」
 と事務的に告げた。
「どういうこと?」
 ラファエルはエックハルトではなく、ルイスに訊いた。
 ルイスの左眉がぴくりと上がる。自分の胸に聞いてみろ、そう口走りそうになるのをぐっと堪えた。
「ズーザン・ハイネン、ギーゼラ・ベレント、テクラ・ショーダー」
 被害者の名前を挙げていると、ラファエルはあきらかに憮然とした顔になった。
「だからなんで? って訊いてるだろ。その名前には聞き覚えはあるさ。殺人事件の被害者だろ。それがなんで俺が調べられる理由になるのか説明してほしいね」
「まだ容疑者だ。証拠が出ればそこで逮捕、連行する」
「なんだよ、それ。なんで俺が容疑者なんだよ」
「後ろ暗いところがなければ協力すればいいだけの話だ。それとも調べられたら困ることでもあるのか」
「そんなものあるか。好きなだけ探せばいいんじゃないですか、刑事さん」
 エックハルトの指示で店内に数人の警察官が入ってきた。
「自宅はこの奥?」
 警察官が訊ねると、ラファエルは頷き作業用のエプロンを乱暴に脱ぎ捨てた。
「客と写真を撮るのが趣味か?」
 壁に飾られたスナップ写真を一枚ずつ指差しながらルイスが訊く。そしてある一枚に行き着くと、歪んだ微笑を口元に浮かべた。
「それともこの一枚をごまかす為か?」
 笑顔のラファエルと最愛のレナが写っている写真だった。レナの手には矢車菊が握られている。
「そんなわけないだろ。どの写真の客もみんな大事だ。おまえ、レナが好きすぎて周りがほんとうにみえなくなっているんだな。それは俺じゃなくてほかの客を馬鹿にした発言だからな」
 ラファエルの指摘はもっともで、ルイスは唇を噛み視線を落とした。
「……花言葉」
「花言葉がどうした」
「花屋は花言葉にも精通しているんだろ?」
「まあ、それなりに? そうだけど世界中の花言葉なんかは知らないよ。ひとつの花でもいろいろ意味があるからな」
「花言葉から連想する花を贈っているんじゃないのか?」
 ルイスの質問の意図が掴めないラファエルが怪訝な顔を向けた。
「プレゼントで花を贈るのに花言葉を意識したことなんかないよ。それよりも贈る相手の好みを考えるんだ。あと体調もだな。見舞いに持っていくのにキツい匂いの花束なんか非常識だろ。――そういうことだ」
 仮にラファエルの言っていることが正しいとすれば、レナに花を贈ったのはいったい誰なのか。
 ラファエルをみつめたままルイスは思案する。
 おい、とエックハルトに声をかけられ、ルイスとラファエルは同時に振り返った。
「鋏はここにあるだけか?」
 ガチャガチャと音を立てながら無造作に花鋏をカウンターに乗せる。
「あれはなにをやってるんだ」
「指紋の照合だ」
「俺の仕事道具だぞ。俺の指紋しか出るわけないじゃないか。おまえら犯人捕まえたいからって無茶してるって思わないのかよ。これで俺が逮捕されたら冤罪だからな」
 ラファエルは呆れたように言い放った。
「レナに……花を贈ったことはあるか」
「レナにならこの店の花ぜんぶ贈ってもいいくらいだな」
「俺は真面目に聞いているんだから、ちゃんと答えろ」
 思い詰めたような声で訊くルイスに、ラファエルも茶化すのをやめた。
「……ある。回数なんかは覚えてないけど。レナ、ときどきふさぎ込んだりしていたから励ましてやろうって思ってさ。俺も訊いていいか? もちろん捜査に関わることだったら答えなくてもかまわないから気にしなくていいからな。例の連続殺人事件……置かれた花に犯人のメッセージが込められてるって思ってるのか」
「……」
「レナに贈られた花。どんな花だったか覚えてるか?」
「アネモネ、ジャスミン、カノコソウ」
 ルイスはローランが教えてくれた花の名前を口にした。
「そんな花、知らん」
「は? だけどレナはおまえに贈られた花だって言っていたぞ」
「自分がどんな花を贈ったかくらい覚えてるわ。だけど、俺はそんな花は贈ってない」
「この花の花言葉は?」
 ルイスは手近な花を指した。
「いきなり訊かれてもわかるわけないだろ。調べるから待ってろ」
「おい」
 スマートホンで検索しようとしたラファエルの腕をルイスが掴む。
 それと同時に声を荒げるエックハルトの怒声が響いた。スマートホンを耳にあて、相手の話に聞き入っている。そしてゆっくりと視線をルイスへ向け、人差し指と中指をくいと動かしてこちらへ来いと手招きした。
 ルイスはラファエルをその場に留まらせ、尋常ではない様子のエックハルトの傍へ急いだ。
「さっきの電話は鑑識なのか?」
「いくつかの部分指紋が出てきた……ラファエルとは別の人物のものだった」
 エックハルトの視線がわずかに泳ぎ、そして息を長く吐くようにその名前を告げた。
「ローラン・ミュレルの指紋だった」

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