第21話:「最終章」浜松センターが稼働開始

文字数 3,879文字

 もっと必要とならば、後日、大量に送りますと言い、関係する必要と考える資料をすべて、近日中に医師会館に送りますと約束した。我々は、それを患者さんに渡して説明すればそれで良いのですねと言うので、そう言う事ですと言い、是非、ご協力お願いしますと頭を下げると、こっちの方こそ、そんな素晴らしい施設をありがたく利用させていただきますと頭を下げくれた。これで、医師会の了解が無事、得られた。

その後、4月20日、佐藤さんが浜松医師会館に行き、名古屋医師会で協力依頼を取り付け、浜松の静岡高度臨床検査センター開設の利用をお願いして了解してもらったと告げると喜んでくれた。そして医者が開業する時に、いつもお世話になってる不動産屋があるので、そこに電話しますから、相手の都合が良ければ、一緒に行きましょうと言ってくれた。

 不動産屋に到着すると土地じゃなくて事務所を捜しているというと広さはと言うの100坪というとそりゃでかいと言い2室で行き来できるところでも良いですかと聞かれ、見取り図を見て良ければと答えると、3つの図面を見せてくれたが難しいと言い、大きな100坪の部屋の中に6~70坪程度の広さの大きな部屋が欲しいと言うと、なかなかないかも知れないと言い、出れば直ぐ資料を送るのでメールアドレスと教えてと言われて、教えた。

 A4のコピー用紙に鉛筆で想像図を書くと、5枚コピーして下さいと言い、1枚を渡した。そして、浜松医師会に帰り、コピーを15部とり、浜松の不動産屋に配っておきますと四宮先生が言ってくれた。今日は、これで帰りますが、また、空いた時間ができたときに連絡しますと言って、帰って行った。その後、3枚ほどマンションの間取り図が送られてきたがどれも小さく形も悪いので使えそうになかった。やがてゴールデンウイークとなりあけた5月7日に、また7枚ほどの間取り図が送られてきたが、その中の1つが目に入った。

 繁華街で小さな6階てマンションの3階で102坪で書籍とレンタルビデオだったところが仕事を辞めて空いた場所で間仕切りが少なく後から好きなように間取りが取れると書いてあり、トイレも2ケ所、男女用があった。これなら、好きな間取りが取れると思い、浜松医師会の四宮先生に不動産に抑えて欲しいと連絡してもらった。

 5月7日、昼過ぎに浜松に到着して待ち合わせた四宮先生と不動産屋と物件を見に行くと、多少古いが駐車場完備で浜松駅から徒歩5分に以内の場所にあった。エレベーターで3階に上がり商品が撤去されて受付以外は空っぽだった。間仕切りは自由にできますので良いじゃないですかと言われ賃料を聞くと1室に56万円だったと言ったが、部屋の改装など全部、そちらでやってくれるなら2室、一括賃貸で月に100万円、敷金が600万円と言った。1ヶ月抑えていて欲しいと言うと、わかりましたと言った。

 丹沢先生に話し浜松医師会で静岡県高度臨床検査センター設立のためのプレゼンテーションをうちたいので協力して欲しいというと了解したと言ってくれ、5月15日、夜20時から浜松医師会館で30分ずつ、最初に丹沢先生が次に佐藤さんがプレゼンテーションすることに決まり、ソーシャルレンディング会社の山根社長も連れて行くことにし、その他、泉田夫妻と静岡医師会からも10人が出席する事になった。

 当日、19時に浜松医師会に到着して、スライド、OHPで試してみた。スライド係は以前と同じ泉田鈴江さんに、お願いした。やがて、浜松医師会の浜田会長が来て挨拶した。その後20時から最初の丹沢先生のプレゼンが始まり首都圏の多くの高度臨床検査センターが映し出されると、おーと言う感嘆の声があがった。次に実際にCT、MRI検査の模様が映し出されて、その後、画像がクロネコヤマト便で依頼した医療機関の先生の手元まで届くシーンも映し出され、その医療機関に患者さんが受診して、画像を説明する先生からの話を聞く所で終了した。

 直ぐに佐藤さんに代わり、今度はOHP中心に福岡高度臨床検査センター開設時の事前資料と開業後2ケ月したときに患者さんの数と患者さんの要請により検査依頼した医療機関の場所を記した資料が映し出され、以前の予想と全く異なった結果になった事を説明した。次に、数年間に企画した静岡市高度臨床検査センター設立準備委員会の資料と今後、計画している浜松市の静岡高度臨床検査センターの予想する患者さんの範囲と、その予想人口が700万人以上と出ると、わーっと完成があがり、名古屋市がすっぽりと入っているのを見て、安心したようだった。

 講演を終えて質疑応答になると、お金はどうしてるのかと言う質問が出ると、丹沢先生が手を上げて、今迄の事例で申し上げると、首都圏で最初に始まった頃は医師会と開業医、製薬企業、医療機械業者、医薬品卸が全額負担していたが、そのうち金額が大きいので数施設の分を束ねて60億円ほど投資案件として大手銀行が窓口になって、信託銀行、地方銀行、保険会社、外国のファンドなどに投資してもらったと言った。

 最近の事例では、事業費が5億円の案件でその地区の医師会で1億円、医療関係者が2億円、その他をソーシャルレンディング会社を通じて1口100万円以下に分けて、公募して個人投資家に投資してもらったと言い、これは株ではないので売買はできませんが、配当は最低3%で、年数経って、資金の返却が進めば配当も上げってきて、現在一番の高配当で10%と言うとどよめきが起きた。

 基本的に満期は50年で配当を払い終えて、残存資産価値が下がるので、30年後には価値がゼロ、つまり投資家への返却品はゼロとなる。しかし、最低でも30年持っていれば平均配当4%で30年で120%をもらっているので投資金額の1.2倍の金額を得たことになる。今迄に、終了した事例はあるのですかとの質問にありませんと答え、最初の案件は1995年に東京で始まり2025年に終了予定で、その施設の累計平均配当率が4%で104%ですから1億円の出資者なら、既に10400万円が配当として支払われており、既に400万円のプラスになっていると答えた。

2019年5月16日に浜松医師会から電話が入り浜松医師会として1億円の投資をすることを決めたと言い送金を聞いてきたのでお知らせした。その後、泉田誠一が1億円の投資を決め、残り3億円分をソーシャルレンディング会社の山根社長にお願いして1口300万円で100口の公募募集をインターネットのサイトにのせてくれ、5月30日には全部埋まった。

 その後、丹沢先生と泉田と浜松医師会の四宮先生の4人で中古のCT、MRIを東京都内の中古リースセンターに探しにいき、CT2台とMRI1台のリース契約をして直ぐに浜松の貸しビルに6月5日の午後3時に到着するように手配した。5月16日に佐藤さんが、以前から内装、防磁、防放射線工事をしてくれる会社に電話して工事を開始してもらい5月20日には施設を使える様にしてもらった。これで資金ができたので支払先に資金を送金して終了した。

 その他、必要な、机、椅子、二段ベッド、事務機名をも揃えて搬入が終了したのが6月6日だった。その後、6月7日に佐藤さんが事務の女性10人の採用面接をし、泉田が浜松の臨床放射線技師を募集し20人集まり面接したが、全く人数が足らないので、6月10日にも静岡と名古屋でも応募してきた臨床放射線技師30人と面接してパートでも働ける人を合計26人揃えた。

 その後、7月1日オープンと宣伝して回ると、続々と予約が入りだした。 臨床放射線技師のローテーションを組み始めて8月末迄は決め終わった。オープン前日の6月30日には検査希望の人の日程が7月末迄一杯になった。そして7月1日浜松高度臨床検査センターオープンの日には、丹沢先生、泉田夫妻、鈴木さん、浜松医師会の四宮先生と待合室の患者さん5人に対して、関係5人とスタッフ6人の11人で対応して冷たい水の飲める設備が欲しいと言われ、業者に用意させた。

 その他、必要な品物は、スタッフが購入しに行った。そして佐藤さんは午後から週に2回、浜松医師会の四宮先生は空いてる時間は、いつも浜松高度臨床検査センターの受付でスタンバイしていた。そして、大きなトラブルもなく7月を終えて暑い夏を迎えて8月になり検査を待っているときに気分が悪くなった高齢者がいた時には、時間を他の人とずらして検査するように臨機応変な対応ができる様になった。

 そして8月12日台風が上陸して大雨となり、やむを得ず、四宮先生が自分の持っていた7人乗りのワゴン車を持って来て、土砂降りの時には、高齢の患者さんを駅まで送ったり配慮してくれた。その話が地方の放送局のニュースになり、評判となったようだ。そうして10月を終えて順調に仕事が運んで12月に舘山寺温泉で忘年会を開いた。

 丹沢先生、泉田夫妻、佐藤先生、四宮先生や地元浜松医師会の若い先生6人が集まり、盛大に、みんなで乾杯して浜松高度臨床検査センターの成功を祝った。翌日、10時過ぎに泉田夫妻は丹沢先生を乗せて、車で東名高速道路から新横浜へ向かう時、前方に真白き富士の荘厳な姿を見ながら泉田鈴江さんは今迄の高度臨床検査センター開設の道を思い出し思わず胸が熱くなり、涙を流した。(終了)

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