第3話:父の投資話と誠二の医者研修

文字数 2,467文字

 その後、大学に入り学生アパートに引っ越した。今年の夏休みに父に、そこら辺のいきさつも父に聞いて見ようと考えた。夏休みになり八王子の家に帰るとビールを飲んでる父に最初のぼろアパートから広い市営団地、大きなクリスマスケーキと自家用車を買えたいきさつを聞いた。それは株で儲けて金ができたからだと言った。

 小さい時、男は金だ、と言った事をよく覚えていたなと笑った。ボロ・アパートから3DLDKの市営住宅に引っ越した頃は、株の利益が100万円を越えた頃だったと話してくれた。2000年、ソニー株で成功して利益が300万円を越えたので自家用車を買ったと言った。お前が生まれた1982年工業高校を出て工場で働いて給料は8万円位で、とても貧乏だった。

 そして、その年の会社の忘年会の席で、新しく入ってきた大学卒の技術屋が、男は金だと言い、金を稼ぐには、頭だと偉そうに言ったので、酒も入っていて、なんだか無性に、そいつが嫌な奴に見えて、ぶん殴った。すると、頭が悪くて、金の取れない貧乏人は、直ぐ手を出すと馬鹿にしたよう言ったのを聞いて、絶対に大学を卒業しようと思い立ったと話した。

 そして中央大学の夜学に入り必死に勉強した。母ちゃんには洋服の1枚も買ってやれないので夜学に行ったのだと言うと目に涙を浮かべているのがわかった。でも、いつか見返してやるぞ、とにかく眠い目をこすりながら勉強して大学を出た。今の半導体の関連の大会社に入社でき給料は夜学時代の2倍、年収に至っては3倍になった。

 そして会社の仲間が今、日本の景気が良いから株で儲けて車を買おうと話してるのを聞いて、株の勉強を始めたわけさと教えてくれた。でも2001年以降、その反動で株は下がり今、株を持っていないと言った。お前も株の勉強したら余録の銭ができて海外旅行にも行けるぞと肩をたたいた。良かったら俺の勉強したノートを貸すよと言い手渡してくれた。

 それには標準偏差とチャートグラフが、銘柄別にきちっと書いてあり買いゾーンと売りゾーンに直線が引いてあり非常にわかりやすかった。1ケ月、借りるよと言うと今は使わないから、この本も読むといいと3冊の文庫盆の本を借してくれた。その話を母に聞くと、そーだね、確かに、結婚当初は、2人の給料、会わせてやっと食える状態でだった。

 2人の子供ができた時は一番厳しかったと言い下着は透けて見えるくらい薄くなって実家に帰ると、余りにみすぼらしいので母がだまって下着や普段着の洋服を買ってくれたのさ、その時は、うれしくて、ほんとに涙が出たよと、思い出しながら涙を流した。でも、おとうさんが頑張り屋で働きながら夜学に1日も休まず通って卒業して転職できた。

 それだから年間の給料が3倍になり自分達で洋服や下着も十分に買えるようになった言った。お前達には、もっと頑張ってもらい海外旅行にでも連れて行って欲しいよと笑いながら言った。その前に、お前達が結婚し可愛い孫の顔を見たいよと、うれしそうに言った。いい人ができたら、直ぐ、うちに連れてくるんだよと母は、誠一の肩をたたいた。

 そして実家に2005年8月15日、1晩泊まって再び病院の独身寮に帰った。その後、病院では忙しく勤務時間も長く月のうち休みが4日という月もあった。お金を使う暇もなく、順調に貯金が増えた。2005年終わりに50万円、2006年中に140万円と貯金が貯まった。2007年7月17日に丸紅を8千株1200円で売り税引き後利益が770万円となった。

 残金が780万円となり父に借りた100万円を送金し借金を返し残金が680万円。やがて2007年3月になり次男の泉田誠二は橫浜市立大学医学部を無事8年で卒業した。2008年の医師国家試験は2008年2月2日の土曜と2月3日の日曜と決まり医師国家試験の問題集を参考に最後の仕上げの勉強を継続していた。

 模擬試験を受けに行ったりして万全の体制で夏が過ぎ、秋、冬、やがて2008年を迎えた。その頃、泉田誠二は体調管理に気をつけ風邪を引かない様に注意して試験日を迎えて合格した。その後、2年かけて外科、整形外科、内科、小児科、皮膚科の研修が待っていた。2008年4月に外科に入局し手術見学した。しかし手術時の出血を見て顔が青ざめ貧血を起こした。

 その後、外科の医長と面接し外科系は難しいと言われ、その後の整形外科、脳神経外科の授業は中止となり5月から内科の研修に移った。その時、注射、検温、触診の勉強をしている時、内科医長が注射が上手なのを見て内科に向いてるかも知れないと言い話し方も優しくわかりやすいと誉めてくれた。次に6月から小児科へ行っても評判が良かった。

 次に皮膚科でも好評価だった。最後は選択で放射線科、精神科、心療内科、神経内科、泌尿器科のなかで2つ選択することになり放射線科と泌尿器科を選んだ。放射線科ではレントゲン写真、CT、MRI画像診断と患者さんに対する説明方法、話し方の勉強をしたが誠一は、自分に向いてるかも知れないと思った。

 その理由は、これからの時代、何と言っても病気の早期診断が一番重要だと思ったからだ。最後に泌尿器科を研修したが手術研修でやはり気分を悪くして途中で研修を中止した。そして泉田誠二の指導医から君は放射線科の方が向いてると言われた。自分でも納得して残り1年は、放射線科の勉強に費やし画像診断の勉強をした。その後、橫浜市大放射線科、研修医として早朝のカンファレンスから夜遅くまで研修した。

 そのため寝る時間は削られた。月に1、2日の休みで画像診断の勉強をしていると飲み込みが早いとかセンスが良いと言われて上機嫌で更に勉強に熱が入った。そして2009年1月から橫浜市内の大病院の放射線科に週5日、アルバイトに出て放射線科の部長の下で画像診断の勉強や内科医との会合に参加して、意見を言ったりした当直のアルバイトの仕事もはいり、毎月20万円の給料をもらえるようになった。
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