第18話:博多センター設立、開業へ

文字数 2,232文字

 翌日、泉田誠一が静岡の佐藤さんに電話を入れると医師会の方で1億円集めてくれば、行けそうだなと言った。具体的に設置の場所とかビルの候補地と賃料も調べ始めようかと聞くので、その方が良いと思いますと言った。了解、できるだけ早い時期に博多医師会の中堅若手に今後の行動計画を話してくると言い電話を切った。

 6月18日、博多の博多高度臨床検査センター設立委員会の会長が白戸圭介、副会長が城島早苗さんに面会して今後の具体的な計画を相談しようと言うと了解してくれメンバーを夜20時に医師会館の会議室に集合させると言ってくれた。2018年6月18日、佐藤さんが博多医師会館会議室に若手20人集まり佐藤さんが資金のめどが立ちそうになったので今度は場所をどこにするか、やはり中心街の天神近くのビルが便利で良いと言う事になった。

しかし捜してみると家賃が高く首都圏とほぼ変わらない事が判明したが流入人口が以前予想していた。北九州と博多だけでなく直方、太宰府、鳥栖、久留米、佐賀がすべて90分以内で対象人口が多い事が判明。そこで多少家賃が高くても広めの部屋を借りる事にした。そして総予算5億円で首都圏の部屋の広さの倍の部屋が用意できスタッフの寝室も十分に用意できるとが判明。

 そして、最近になり、CT、MRIの中古市場の値段が流通量が増えてきたお陰で安くなってきた。ただ荷物が大きくと船便で博多港へ運び込みトラックでビル内に搬入するので、そのリース料の減った分運搬費で相殺された。天神に近い事務所を借りるための手付金を払い確保した。泉田誠一が1億円、博多医師会で1億円、残り3億円をソーシャルレンディングで公募することにして6月30日にインターネットのソーシャルレンディング・サイトに日本全国で公募を開始した。

 すると20日間で公募金額に達して終了となった。その知らせを聞いて丹沢先生が防磁気、防放射線の作業をお願いしている企業に連絡して福岡支店でも首都圏手やっている工事と同じ工事を発注し、工事が開始しされ、10日間で内装工事も含めて工事に着手し7月1日から使える様にしてくれた。その後、7月に丹沢先生と、佐藤さんと、泉田誠一がリース商品を探しに首都圏を車で回り7月10にリースのCT2台、MRIを1台、決めてきた。

 輸送の手続きも取り7月15日に搬入となり丹沢先生と佐藤さん泉田夫妻が現地に飛んだ。7月15日には博多高度臨床検査センター設立委員会の若手10人と泉田鈴江さんのお父さんの田丸徳一さんと博多医師会・会長の石動昇平先生にも来ていただいて完成を祝ってくれた。そして丹沢、田丸、石動先生と佐藤さんと泉田夫妻が記念写真に収まった。その後、博多医師会・会長の石動昇平先生の祝辞をいただき、万歳三唱をして簡単な完成式典を終えた。

 そして佐藤さんが博多高度臨床検査センター設立委員会の会長が白戸圭介、副会長が城島早苗さん他、事務担当の人達と最初は月、水、金、土、日で試験的に検査を始めて、患者さんが集まってきたら、前日検査として、それでも混むようになれば、混んだ日だけ、営業時間を夜21時までとして対応すれば良いと言い臨床放射線技師が集まりにくい筈だから、月4回以上のパートでも雇う様に、事務員も含めてパート形式で8時間で上手にローテーションを組んでやっていけと指示した。

 そして、わからない事があれば佐藤のスマホに電話またはメールを送れと言った。これを聞いて博多高度臨床検査センター設立委員会の若手が頼りにしてますので宜しくお願いしますと力強く言った。博多医師会の方でも積極的に博多高度臨床検査センターの場所と営業時間、設立意義を書いた小冊子と各病院、開業医、役所、院外薬局に置いてくれ広く知られるようになった。

 予約が入り8月には月、水、金、土、日の9時から17時の営業時間に収まりきれなくなり土日を21時までとして毎日のフル稼働をする事になった。そして泉田鈴江さんの発案で門司、小倉から博多までの新幹線と高速バスの回数券、主要都市、直方、太宰府、鳥栖、久留米、佐賀、門司、下関、小倉を受付窓口において一枚ずつ販売した。すると患者さんに喜ばれ感謝された。

 そして12月にはフル稼働になった。ただ酒臭い人の中にいたので窓口に飲酒の方はご遠慮下さい、禁煙の文字を赤文字で大きくでとはっきり書いた。待つ患者さんが増えないように、検査科開始予定時間を5分単位で書き込み30分前に、お越し下さいと、申込用紙に書き込むようにした所、待つ患者が5人未満となり予想通り効率よく検査が行えるようになった。

 しかし一番の問題点は臨床放射線技師の人数集めで福岡、佐賀県内の医療機関で幅広く募集した。また臨床放射線技師さんの学校にもパンフレットを送った。12月は患者さんが増えて21時では終了しない日が数日あり23時まで延長する日が週に数回あった。それでも2段ベッド2台の4人部屋が2つできた。お陰で泊まる事もできて勤めているスタッフには大好評だった。

 そして九州の北半分からスタッフを集めることができた。また九州全域、山口、島根県の一部の医療機関からも検査依頼書が来るようになり文字通りフル回転の忙しさだった。特に一番大変なのが月単位に作るスタッフのローテション表で台風、大雨、大雪の時には検査を順延せざるを得ない日も現実には出て来た。やがて2019年があけた。
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