第12話:新施設開設で行動開始と泉田の結婚

文字数 2,784文字

 東京のソーシャルレンディングの会社に連絡して資金集めのための写真をとりパンフレットを作らせた。そして10月15日から主にインターネット経由で資金集めを募ると10月30日までに4億円集まった。その時、泉田と佐藤が5千万円ずつと丹沢先生が1億円ずつ合計2億円個人名で資金を拠出し公募は2億円だったので短期間に集まったと思われた。

 そしてソーシャルレンディングで4億円が集まり必要な備品購入、土地の賃貸契約などの費用に充てた。その他、ソーシャルレンディングの会社の人達も最初の案件なので手伝ってくれることになった。最初にソーシャルレンディングの会社と丹沢先生が役所で新横浜駅の篠原口近くの田畑、無指定地域の地主をしらみつぶしにあたった。

すると田畑、無指定地域の地主で50年間の貸借権の取引をしたがっている人が入る事がわかった。ソーシャルレンディングの会社と丹沢先生が、彼らと交渉して月15万円、年180万円で借りる契約を取りつけた。そして11月中に土地の改修工事を始められる事になった。その後2015年12月1日からブルドーザーら重機が入り12月7日には更地になり、電気設備、水道の管を再点検をし交換する必要のある部品は交換した。

 丹沢先生の知り合いの設計事務所で以前作った、港北ニュータウン高度臨床検査センターの部屋の見取り図と防磁気、X線の設備などの資料を見せて、同じ様に設計してもらい駐車場も平置きで12台と自転車、バイクも10台おける広さにした。ビルは地上3階建てで1階が機械置き場と男女別の当直室とロッカー、更衣室、休憩所、バストイレ男女2つずつ、風呂2つ。

 2階が患者さん用ロッカー、更衣室、広い高度臨床検査室と事務機材、電話を入れた事務室。患者さん用イケアの大型3人掛けソファー6つと本棚と本。3階が書類、備品など軽い物の倉庫と臨床検査技師用の事務室でパソコン2台と机が6つ、3人掛けソファーベッド3つで非常用に楽に6人が同時に寝られるように考えた。12月8日から新横浜高度臨床検査センター建設工事が始まった。

 その後、CT、MRIの新品、中古のリース品をソーシャルレンディングの会社の山根社長と丹沢が見て回り手に入れ、事務所用品のイス机、雑誌のレンタル、テレビレンタルも探し回ると殆ど全商品が手に入る事がわかり、ソーシャルレンディングの会社の若手4人と引越の専門家2人に日当を払い4tロングボディーのトラックを借りて運んだ。CTのMRIは別の日に移動も全て専門業者にお願いして慎重にビルに搬入した。

 その他の特殊工事が終了し3月20日と大きく早まった。その後、試運転のテストや患者さんが入った時の模擬テストでいくつかの改善点が指摘されて完全に予備試験も完了し4月1日開業できた。その後、泉田が静岡の病院を退職して新横浜高度臨床検査センターに勤務することになった。事務には、医療事務の学校を出たばかりの若い女性2名と簿記の免許を持ち、以前、製薬会社の社長秘書をしていた田丸鈴江さんが入社してきた。

 臨床放射線技師になったばかりの若手の男性技師、山室健吾と藤枝元雅が採用された。そして2016年6月から泉田が土日祭日も仕事をする事になり他3人のアルバイト臨床放射線技師も交代で来た。女性受付2名と大学出たての小清水聡が山室らと同じ学校から入社してきた。2016年11月20日、夕方16時、検査予約の患者さん4人が待っている時、80歳代と思しき男性が、週刊誌を見ながら背もたれに倒れかかるように倒れた。

 事務長の田丸鈴江が異変に気がついて泉田を呼んだ。泉田が脈を取ると微弱になり、まずいと思い救急車と叫びそうになった、いいや車で横浜労災病院へ運ぶから1階へ下ろせと指示して階段を駆け下り病院の救急へ連絡してと田丸さんに指示、猛スピードで倒れた男性を乗せ10分で労災病院救急室に入るとドクター待っていて先生が心臓マッサージを始めた。

 バイタルが落ちてるぞ頑張れ。息を吹き返せと泉田が心の中で叫び続けると、その男子の目が開いた。すると心臓マッサージしていた男性医師が戻ったぞと歓声をあげた。この言うシーンが好きで臨床放射線技師になったのだと思うと目に一杯の涙となって、やがてこぼれ落ちた。すると白い腕が伸びてガーゼのハンカチを手渡してくれた。なんと田丸鈴江さんではないか、心配でたまらずタクシーで来たのと笑顔で言った。

「泉田さんって熱血漢で格好いい、好きになっちゃいそー」と言い、
「恥ずかしそーに向こうを向いた」。落ちつきを取り戻して、泉田が、ありがとう、君の発見が早くて、あの男性は、息を吹き返したと言った。その後、あの男性は心筋梗塞とわかった。

 入院手術して2週間後退院し、お礼に検査センターに来て最初に発見してくれた田丸鈴江さんと車で運んでくれた泉田に、それぞれ感謝の花束を持って来てくれ、お礼を言って帰って行った。その後、泉田と田丸さんは急速に接近し2016年の年末12月28日に田丸鈴江さんの実家のある福岡県博多へ結婚の挨拶に2人で出かけた。

 新横浜、朝一番の新幹線で行くと博多に昼に到着しタクシーで田丸家に到着すると大きな屋敷で田丸家の祖父の代から続く老舗の内科系病院とわかり伯父、叔母、兄弟もその病院に勤め、4年前に前院長の祖父から父に院長が交代したと教えてくれた。なんで教えてくれなかったのと泉田が言うと偉ぶって見えるのが嫌だったのと言った。

 そして、旨い酒と魚、料理をたらふくいただき、床の間でぐっすり寝てしまった。やがて2017年があけて、周りのスタッフが気を使い、泉田と田丸の休みの日を同じ日に調整してくれ、毎週デートを重ねた。2017年2月14日、バレンタインデーの日、田丸からチョコレートを受け取ったときに、結婚しようと言った。

 そして返事を待たず、いつが良いと聞くと6月の花嫁、ジューンブライドどこでと聞くと、ホテルニューグランドと言った。次々と日程と場所が決まり2017年6月11日ホテルニューグランドで12時と決まった。その後の3月14日のホワイトデーの時に泉田が6月7日、センターのみんなに結婚しますというと歓声があがった。事務の女性が、どこで結婚式をすると聞くので山下公園の前のホテルニューグランドと言うと羨ましいと言った。

 新婚旅行はと聞かれ、ローテーションで2日しか休み取れないから、秋に、熱海の温泉にでも1泊2日で行こうかなと田丸鈴江さんが恥ずかしそうに話した。その後、6月11日日曜の12時の結婚式には丹沢先生と静岡から佐藤さんと新横浜検査センターから非番の検査技師と事務の女性が参加してくれた。海が見える素敵な披露宴会場で、おいしい食事と豪華な結婚式だった。
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