第17話:博多センター設立委員会発足

文字数 2,374文字

 中州の広い居酒屋に総勢12名が参加し個室を借りて、まず佐藤さんが博多高度臨床検査センター設立委員会発足おめでとうと言い乾杯の音頭を取った。すると若手が頑張ろうと言って、博多高度臨床検査センター設立委員会発足して、ご当地ソングを歌いますと言いマイクを持った。チューリップの「心の旅」「博多っ子純情」を歌い出すと大きな歓声があがり、この曲、聴いたことあるとか、ふるーとか声が飛んだ。

 次の曲が2017年の五木ひろし「博多ア・ラ・モード」井上陽水「少年時代」海援隊「思えば遠くへもんだ」若手でこの歌を聞いたことがない人がカラオケで、この曲を聴いて涙を流して聞いているのを見て佐藤さんは博多の人達の純粋さ、おおらかさ、大きさを感じ、東日本にはないラテン系の乗りがあると感じ、スケールが大きい、自由だ、ここは居心地が良いと感じた。

 その後、盛り上がり若手の1人が何故、佐藤さんは静岡に高度臨床検査センターを作ろうと考えたのですかと言う質問を受けた。それに対して静岡って皆さんはどう感じるかわかりませんが
「地元では富士山があり徳川家康の墓がある由緒ある土地」であり
「東京もんにできる事が静岡で出来ない訳はない」と思ったからと言うと大きな拍手が湧いた。

 すると質問した人が、そう言う意味じゃ
「博多は昔から防人の里」、つまり
「日本とアジア大陸・朝鮮、蒙古、中国との戦いの前線基地」であり一番東南アジアに近い場所で多くの文化が土地でもあり博多出身の有名人は星の数ほどいる。

 「邪馬台国の時代から日本の中心だった」訳で、そこに
「最先端の一翼を担う高度臨床検査センターがないのはおかしい」と言い、、いや悔しいと言うと泣き出した。それを聞いていた若手も。そうだ、これから
「俺たちの時代は博多から最先端の情報を流そう」と一致団結したようで、最後に乾杯をして、23時過ぎになり解散となった。

 しかし帰り際に律儀に若手全員が一人一人、佐藤さんに握手を求める姿を見て佐藤さんも熱いものを感じ絶対成功させてやると心に誓った。そしてホテルに戻り爆睡し、翌朝8時の新幹線で静岡に帰った。その後、佐藤さんが2018年4月2日に新横浜で丹沢先生と泉田と泉田の奥さんに先日の博多医師会の中堅若手に呼ばれた話をすると言い、集合をかけた。

 夜20時に行きつけの焼き鳥屋に集まった。そして佐藤さんが博多高度臨床検査センター
設立委員会発足の総決起集会に参加した時の話をすると、そりゃ良かったと言い、泉田の奥さんが博多の人は、
「博多っ子純情といって、一途なのですよ」と言った。それなら父や博多医師会の重鎮の先生にも出資に参加してもらう様に、うちの旦那と一緒に交渉しに行きましょうかねと言った。

 すると佐藤さんが是非そうしてくれと言った。じゃーその時、僕も行こうかと丹沢先生が言うと是非、そうして下さい。医師会の重鎮の出資が決まれば博多高度臨床検査センターはできたも同然だと笑った。じゃー我々もそれを祝して乾杯しましょうかと言うと、佐藤さん、随分と博多っ子純情に影響されましたねと笑いながら泉田鈴江さんが言った。

 その後、丹沢先生から博多医師会へ電話を入れてもらい博多高度臨床検査センターについての話合いをしたいと言った所、了解してくれゴールデンウイークの連休後の2018年5月8日、夜、19時半に博多医師会の会議室に集まる事になった。すると泉田誠一が僕が2億円出資しても良いですと言った。

 驚いた様に丹沢先生が随分羽振りが良いねと聞かれ、実は株の方で儲けたのでと笑いながら言った。そして泉田鈴江が、その気になれば全額出資することもできますが、それじゃ、医師会の重鎮先生の面子が立たないでしょうし、また、この考えに賛同してもらえる人の協力も欲しいので今迄の方式でいきましょうと言った。

 佐藤さんが、つまり予備費ねと言うと大笑いとなった。その後、これで博多にできるとして、関西は、どうしますかと、丹沢先生に佐藤さんが聞くと挑戦する価値は十分にあると思うので大阪、神戸、京都をあたって見ようと言い、これからは関西高度臨床検査センターをめざして見ようと言うことになった。

 ところで佐藤さんと丹沢先生には大阪圏でお知り合いは言ますかと聞くと丹沢先生が一応、私は大阪出身ですけどと言うと、なんで、それを先に言わないのですからと佐藤さんが言うと、でも育った所と言うだけで神戸の実家も地震で壊れて怖いからと横浜の郊外に引っ越してますがと言った。いや、それでも関西に縁があるかどうかが一番重要なんですと大きな声でいた。

 以前も話しましたが大阪人は東京者に強烈なライバル心を持っていて、まず言うことを聞かないというか聞く耳を持たないと考えた方が良い。その点で関西出身の人がいるのが実に心強いと言い、何とか付け焼き刃でも良いから数人、関西の知り合いを作って下さいと佐藤さんが丹沢先生に言うと、わかった帰ったら直ぐに昔の友人関係で調べ直して、できるようであれば会ってくると言った。

 じゃー次回は丹沢先生の関西コネクションができた頃、再び、ここの4人で会って話し合いを持つ事になった。その晩は健全に22時には、みんな帰って行った。その直後、泉田鈴江さんが、お父さんに博多高度臨床検査センター設立された事とその設立資金が4から5億円であり医師会として1から2億円の拠出について、できるかどうか調べて置いて欲しいとお願いした。

 6月1日に泉田鈴江さんのお父さんから電話が入り、色々調べたが1億円は工面できそうだが、それ以上は厳しいと言うので、わかりましたと言い、調査のお礼を言った。その話を旦那さんの泉田誠一に伝えると、明日、佐藤さんに連絡しておくと言った。
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