募る不安

文字数 2,642文字

 レイライムは焦れていた。
 アスティーナに任せていた、民兵の訓練が思うように進んでいないことに。
 計画していた防護柵の制作に遅延が生じていることに。
 そしてこの期に及んでもまだ、降伏を論ずる者達がいることを。

「こういうときだからこそ、一致団結しないとならないって、何で解らないんだよ」

 苛立ちと共に吐き捨てて、目の前のテーブルに思い切り手をたたきつける。
 鉄の小手(スチールガントレット)で保護されているから、手を怪我することはないが、その衝撃で 木製のテーブルに大きくへこむ。

「あんたが苛立っても仕方ないでしょ。こういう時こそクレバーにがあんたの口癖じゃなかったっけ」

 傍らで刀身を磨いていたアスティーナが顔を上げ、呆れたような口調で言う。
 
 彼女の手にしている剣は少し変わった形をしていた。
 長剣(ロングソード)幅広剣(ブロードソード)と呼ばれる剣が一般的なサイズなのだが、それに比べると刀身が少し短い。
 そういっても小剣(ショートソード)程は短くない。
 そして通常の剣より刀身が細身に作られている。
 もちろん切り結ぶことも出来そうだが、刺突にも使えそうな造りになっているようだ。
 そして彼女の剣は二振り有った。

 そう、アスティーナはそれぞれの手に剣を持って戦う、双剣使いなのだ。
 そのために1本当たりの重量とサイズを調整し、振り回しやすいように改良したのだろう。
 女性とは思えぬ膂力ゆえになせる戦い方ではあるのだが、それ故にレイライムから筋肉お化けと密かに呼ばれていることが、彼女の心を幾分傷つけていることを彼は知らない。

「そうですわよ、お兄様。アスティーナさんの言うとおり、こういうときこそ冷静に状況を判断しませんと……」

 二人が座っている場所の正反対、部屋の入り口から別の声が上がった。
 しばらくして1人の女性が姿を現す。
 
 レイライムに似た見事な金髪は腰の辺りまでの長さ、上質な金糸のように細くキラキラと輝いてそのまま空気に溶けていきそうである。
 快晴の日の空のように明るいスカイブルーの瞳と、人なつっこそうな大きくて目尻の下がった目が女性の年齢を判別させづらくしている。
 敬虔な神官のような純白の寛衣(ローブ)を身に纏い清楚な雰囲気を醸しだしている。
 そしてもう1つ彼女が目を引くのは、右手に持たれた杖であろう。
 足が悪いのか、杖に体重を預けながらゆっくりと2人の方へと歩いてくる。
 彼女の後ろには女中服を着た年配の女性が、手にカップや皿を乗せたお盆を持ち、付き従っている。

「レイルーナ、こんな所まで来るなんて、何か用でもあったのか」

 慌ててソファーから立ち上がるとレイライムは女性の元へとかけより、杖を持っていない方の手を握って歩きやすいようにと軽く手を引く。

「お兄様とアスティーナさんにお逢いしたくて、来てしまいました。お邪魔でしたか?」

 一瞬にして表情が暗くなった顔で、レイライムを見つめてレイルーナは問うた。
 彼女の名はレイルーナ・フェルディール。
 レイライムの妹で、家出をした兄に変わりレイナードの死後、議会の安定と掌握に奔走した人物だ。
 そして自分ではどうしようもないと悟ると、迷うことなく兄を呼び寄せた人物でもある。

「さぁ、兄様もアスティーナさんも、そんな難しい顔をしないで、お茶にしませんか。良いハーブが手に入ったんですよ。」

 レイライムに導かれ、ソファへとたどり着いたレイルーナは、ゆっくりと腰を下ろして、女中に目配せをする。
 女中の方もよく心得ていて、手際よくお茶を入れる準備を整え始める。

「そういえばお兄様、先日なにやら怪しい人がこの街を探っていたようですよ」
 
 昨日裏庭に猫がいたんですよとでも言うかのように、何でも無いことのようにレイルーナは言う。

「なんだって、それは帝国の?」
「んーどうなんでしょう、あからさまな敵意というのは持ってなかったみたいですよ。どちらかというと純粋にこの街の様子を見に来たっていう感じかもしれませんね」

 話の内容に似つかわしくない、のんびりとした口調でレイルーナは言う。
 昔からレイライムは妹に一目を置いていた。
 人からはおっとりとしすぎていて、少し他の人とは違うと笑われることもある妹だが、ときおり誰も考えつかないような発想をしたり、誰も気がつかないことに気がついたりするのだ。
 だからレイライムは妹を軽視しないし、ある意味では尊敬に近い念も抱いている。
 自身が商人になりたくないという気持ちがあったことは事実だが、家を出た本当の理由は、自分よりも才能が豊かであり、そして足に問題を抱えている妹に商家を継がせたいという気持ちがあったからだ。

 そのレイルーナが敵意を持っているように見えなかったということは、帝国側の間者ではないとみて良いのだと思う。
 レイライムがレイルーナに対して絶対の信用を持っていることを、アスティーナは知っていたし、彼女の直感的な部分もレイルーナは信用して良いと告げていたため、異論を唱えるつもりもない。

 貴族の子女らしく優雅にカップを傾けて、カップから立ち上る清涼なハーブの香りを堪能しながら、アスティーナは仲の良い兄妹をぼんやりと眺める。

「ねぇお兄様、私考えたのですけれど、作業が進まない防護柵は今出来ているところだけでもうやめてしまって、あちこちに落とし穴を掘るのはいかがです?」

 カップを両手で挟んでもち、火傷をしないように慎重にお茶を飲んでいる時、不意に思いついたと言いたげな顔でレイルーナが言った。
 確かに強固な柵を作成しようとすると、人手がかかる割に作業が思ったように進まない。
 その作戦は一理あるなとレイライムが頷きかけると、アスティーナがレイルーナの意見に便乗する。

「そもそもさ、民兵達は基礎体力がなさ過ぎるのよ。だから武器を振り回しても身体が泳いで全然役に立たない。でも落とし穴を作るなら、それは良いトレーニングになるかもしれないわ。」
「成る程な……それほど時間に余裕があるわけじゃ無い、いまから下手に剣の練習をさせるくらいなら、すぐにバテて戦えなくなる事を防ぐためにも体力を付ける方が良いかもしれないな」

 2人は良い考えだと言わんばかりに、先ほどとは打って変わって晴れ晴れとした表情になる。
 そんな2人を微笑みながら見つめるレイルーナは、しかし隠しきれない不安を抱えていたのだった。
(私は何かを見落としているような気がします……でもそれが何か解らない)

 レイルーナの持つカップが小刻みに揺れていることに、その場に居合わせた誰も気がつかずにいた。

 

 
 
 
 
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