絡め取る糸
文字数 2,366文字
レイライムは走っていた。
ただひたすらに走り続けていた。
つい先ほどまで、前線で兵を率いていた彼は、アスティーナと入れ替わるように、今は大切な妹の元へ走っていた。
戦いが始まる直前、レイルーナは不安を感じていた。
それは生まれて初めての戦場への恐怖かと、最初は思った。
しかし彼女の感じていた不安は、もっと違うモノのようだった。
レイルーナ自体が上手く言語化できない、そう言っていたがもっと悪意のようなモノが町を覆い尽くすような感覚なのだと、それがとても怖く感じると言っていた。
もちろんレイライムもアスティーナも、そんな感覚は感じていない。
他の者が口にした感想であれば、一笑に付していたかもしれない。
しかしレイライムは妹の、ある種の直感を信じていたし、この数日で目の当たりにもしてきた。
だからこそ、アスティーナにレイルーナの護衛を任せていたし、アスティーナが前線に出てきたなら、必然自分がレイルーナの元に戻らねばならないと感じていた。
だが不意にレイライムの足は止まった。
家が……燃えていた。
か弱い月明かりのみが照らす、暗い夜の世界で、彼らが暮らしていた家が赤い炎に包まれていた。
レイルーナは、彼女はどうしたのかと不安に胸が締め付けられる。
レイルーナは幼い頃に落馬して、足を痛めてしまい、それ以降杖なしでは満足に歩けなくなっていた。
このような炎に包まれて、無事に逃げ出せたのか。
「おっと……変な動きをしないでくださいね」
燃えさかる家を呆然とみていたレイライムに向けて、声が放たれる。
何事なのかと、声のした方へ視線を向けると見慣れない男が立っていた。
枯れ木のようと感じるほどに、貧相に痩せ衰えた顔。
そして薄汚い灰色のローブを身に纏った、髭も髪も真っ白な老人のような男であった。
「初めてお目にかかりますな。拙者は軍目付にして参謀の任を受けているグローザーと申します。以後お見知りおきくだされ」
慇懃な物言いをしているが、どこか人の神経を逆なでするような、嫌味のこもった声音だ。
「まさかあの狂犬が、あっさりと倒されるとは思っておりませんでしてな。余興のために用意していた演目を、実行に移さねばならなくなりました。いやはや困ったものですな」
大げさに頭を抱えるポーズを取りながら、グローザーは左手を軽く挙げた。
すると彼の後ろから、数名の男達が姿を現した。
その中の二人の男の間にレイルーナが立っていた。
肩をがっしりと押さえつけられて、身動きが封じられているようだ。
ぱっと見には怪我などはしていないようだが、猿ぐつわをかまされており、手首をロープで縛られている。
ただでさえ白い肌は、血色を失い蒼白となり、普段は愛らしささえ感じさせる瞳は、不安と恐怖で揺れていた。
更にレイライムを混乱させたのは、グローザーの後ろに控えていた男達は、全員グルップルの民だということ。
何人かは名前まで知っているし、残りの男も顔くらいは見たことがある。
「おまえら……妹をどうするつもりだ」
怒りを露わにしてレイライムが吠える。
露骨に露わになったレイライムの怒りを、しかしグローザーは何でも無いことのように受け流して、チラリとレイルーナを一瞥したあと、再びレイライムに視線を戻して口を開く。
「ここに居る方々は、平和を愛する方々でしてな。無駄にグルップルを戦渦に巻き込むことをよしとしておりませぬ。よって最初から我々に対して、恭順を意志を示してこのように手引きまでしてくださった。我々も別に手荒なことはしたく有りません。統合されればみな帝国の民ですからな。ですので急先鋒である貴方が……我々に恭順を誓うか、あるいは……解りますね」
グローザーは己の右手を喉元に当てる仕草をしたあと、その手をゆっくりと横に動かした。
首を切れというゼスチャーだ。
「貴方が協力的な姿勢を示してくださるなら、大切な妹御は五体満足で解放します。それはお約束しましょう。ですが貴方が中々に聞き分けが悪い方であれば……、妹御はここにおられる方々全員に兄の代わりにお詫びをすることになりますな。その意味はもちろんおわかりでございましょう?」
レイライムがあくまでも帝国に楯突くならば、レイルーナは自身の「女」の部分を使って、帝国に協力した者達への褒美を支払うことになる。
グローザーの言いたいことはそういうことなのだろうとレイライムは理解した。
散々議論を重ね、帝国と対立する道を選んだ時、賛同してくれた者達の顔がレイライムの脳裏に浮かんだ。
そして先ほどの戦いで、狂犬の暴風に巻き込まれ命を落とした者、大けがを負った者達の顔も浮かんだ。
それほどの犠牲を強いてでも、帝国に従属しないという選択をしたのに、ここで俺が折れても良いのかと自問する。
レイルーナは大切だ、大切な妹だし、今となっては唯一の家族だ。
その妹を危険に晒すわけには行かないという思いがこみ上げる。
義理と情の板挟みになり、レイライムは苦悶のうめきを漏らす。
「重要な事柄なので、じっくりと考えて最善の答えを出していただきたいのは山々ですが、状況が状況ですのでね、残念ながら早めに答えを頂きたく……」
グローザーの声。
続いて布が破れるような音が辺りに響き、レイルーナのくぐもった声が上がった。
慌ててレイライムがそちらを見ると、浅くではあったがレイルーナの衣服の胸元が破られていた。
丸見えというわけではないが、胸元の上の辺りが露わになっている。
「あまり悠長にされておられますと、妹御には更なる辱めを受けて頂くことになりますな。グルップルでも有名な美女の、誰も見たことのない柔肌を晒すのは心苦しいですが」
言葉とは裏腹に残忍な笑みを浮かべてグローザーはレイライムに決断を迫るのだった。
ただひたすらに走り続けていた。
つい先ほどまで、前線で兵を率いていた彼は、アスティーナと入れ替わるように、今は大切な妹の元へ走っていた。
戦いが始まる直前、レイルーナは不安を感じていた。
それは生まれて初めての戦場への恐怖かと、最初は思った。
しかし彼女の感じていた不安は、もっと違うモノのようだった。
レイルーナ自体が上手く言語化できない、そう言っていたがもっと悪意のようなモノが町を覆い尽くすような感覚なのだと、それがとても怖く感じると言っていた。
もちろんレイライムもアスティーナも、そんな感覚は感じていない。
他の者が口にした感想であれば、一笑に付していたかもしれない。
しかしレイライムは妹の、ある種の直感を信じていたし、この数日で目の当たりにもしてきた。
だからこそ、アスティーナにレイルーナの護衛を任せていたし、アスティーナが前線に出てきたなら、必然自分がレイルーナの元に戻らねばならないと感じていた。
だが不意にレイライムの足は止まった。
家が……燃えていた。
か弱い月明かりのみが照らす、暗い夜の世界で、彼らが暮らしていた家が赤い炎に包まれていた。
レイルーナは、彼女はどうしたのかと不安に胸が締め付けられる。
レイルーナは幼い頃に落馬して、足を痛めてしまい、それ以降杖なしでは満足に歩けなくなっていた。
このような炎に包まれて、無事に逃げ出せたのか。
「おっと……変な動きをしないでくださいね」
燃えさかる家を呆然とみていたレイライムに向けて、声が放たれる。
何事なのかと、声のした方へ視線を向けると見慣れない男が立っていた。
枯れ木のようと感じるほどに、貧相に痩せ衰えた顔。
そして薄汚い灰色のローブを身に纏った、髭も髪も真っ白な老人のような男であった。
「初めてお目にかかりますな。拙者は軍目付にして参謀の任を受けているグローザーと申します。以後お見知りおきくだされ」
慇懃な物言いをしているが、どこか人の神経を逆なでするような、嫌味のこもった声音だ。
「まさかあの狂犬が、あっさりと倒されるとは思っておりませんでしてな。余興のために用意していた演目を、実行に移さねばならなくなりました。いやはや困ったものですな」
大げさに頭を抱えるポーズを取りながら、グローザーは左手を軽く挙げた。
すると彼の後ろから、数名の男達が姿を現した。
その中の二人の男の間にレイルーナが立っていた。
肩をがっしりと押さえつけられて、身動きが封じられているようだ。
ぱっと見には怪我などはしていないようだが、猿ぐつわをかまされており、手首をロープで縛られている。
ただでさえ白い肌は、血色を失い蒼白となり、普段は愛らしささえ感じさせる瞳は、不安と恐怖で揺れていた。
更にレイライムを混乱させたのは、グローザーの後ろに控えていた男達は、全員グルップルの民だということ。
何人かは名前まで知っているし、残りの男も顔くらいは見たことがある。
「おまえら……妹をどうするつもりだ」
怒りを露わにしてレイライムが吠える。
露骨に露わになったレイライムの怒りを、しかしグローザーは何でも無いことのように受け流して、チラリとレイルーナを一瞥したあと、再びレイライムに視線を戻して口を開く。
「ここに居る方々は、平和を愛する方々でしてな。無駄にグルップルを戦渦に巻き込むことをよしとしておりませぬ。よって最初から我々に対して、恭順を意志を示してこのように手引きまでしてくださった。我々も別に手荒なことはしたく有りません。統合されればみな帝国の民ですからな。ですので急先鋒である貴方が……我々に恭順を誓うか、あるいは……解りますね」
グローザーは己の右手を喉元に当てる仕草をしたあと、その手をゆっくりと横に動かした。
首を切れというゼスチャーだ。
「貴方が協力的な姿勢を示してくださるなら、大切な妹御は五体満足で解放します。それはお約束しましょう。ですが貴方が中々に聞き分けが悪い方であれば……、妹御はここにおられる方々全員に兄の代わりにお詫びをすることになりますな。その意味はもちろんおわかりでございましょう?」
レイライムがあくまでも帝国に楯突くならば、レイルーナは自身の「女」の部分を使って、帝国に協力した者達への褒美を支払うことになる。
グローザーの言いたいことはそういうことなのだろうとレイライムは理解した。
散々議論を重ね、帝国と対立する道を選んだ時、賛同してくれた者達の顔がレイライムの脳裏に浮かんだ。
そして先ほどの戦いで、狂犬の暴風に巻き込まれ命を落とした者、大けがを負った者達の顔も浮かんだ。
それほどの犠牲を強いてでも、帝国に従属しないという選択をしたのに、ここで俺が折れても良いのかと自問する。
レイルーナは大切だ、大切な妹だし、今となっては唯一の家族だ。
その妹を危険に晒すわけには行かないという思いがこみ上げる。
義理と情の板挟みになり、レイライムは苦悶のうめきを漏らす。
「重要な事柄なので、じっくりと考えて最善の答えを出していただきたいのは山々ですが、状況が状況ですのでね、残念ながら早めに答えを頂きたく……」
グローザーの声。
続いて布が破れるような音が辺りに響き、レイルーナのくぐもった声が上がった。
慌ててレイライムがそちらを見ると、浅くではあったがレイルーナの衣服の胸元が破られていた。
丸見えというわけではないが、胸元の上の辺りが露わになっている。
「あまり悠長にされておられますと、妹御には更なる辱めを受けて頂くことになりますな。グルップルでも有名な美女の、誰も見たことのない柔肌を晒すのは心苦しいですが」
言葉とは裏腹に残忍な笑みを浮かべてグローザーはレイライムに決断を迫るのだった。