暗躍するもの
文字数 2,294文字
レイライムはグルップルで一番大きいと言われた自家に急遽増築した楼台に上り、闇を見つめていた。
平民は人ではない、そういった態度がありありと窺える、交渉人という名の使者はレイライム達の要求に一切耳を傾けることなく、自分たちの要求~無条件に降伏し資財を献上せよ~だけを伝えてきた。
そしてそのまま会談は決裂し、その直後からレイライムはずっと哨戒を続けていた。
(今夜来るとは限らないが、こないとも言い切れない。ともかく油断だけは出来ない)
彼我の戦力が拮抗している戦ではない。
相手は正規軍で、こちらはただの民間人である。
多少は戦えるようにしたとは言え、質・量共に遙かに劣っている。
それを補うために、いくつかの罠は仕掛けたとは言え、楽観できる状況ではない。
その状況故か、レイライムは自分が思っている以上に緊張をしていることに気づいた。
(まだだ、クレバーに事を運ぶんだ、俺。冷静に……)
大きく息を吐いて何度も言い聞かせる。
「なぁに、緊張してるのあんた。ガチガチに固まっちゃって。それで戦えるの?」
家のベランダから楼台に繋がるハシゴのからアスティーナの声が聞こえて、レイライムは少し緊張が解けたように感じた。
長らく共に戦場を渡り歩いた仲間の声は、彼に安心感を与えるに十分だった。
しばらくしって、ギィギィと音を立てながらハシゴを登ってきたアスティーナの姿が視界に入る。
「状況は楽観視できない。いつ戦闘が始まるかも相手さん次第。緊張というよりは気が抜けない状況なのは仕方ないだろ」
「そうね……、さっきちょっと見てきたけど、敵さんはざっと200くらいかしらね。あくまでも天幕と炊事の煙の数からの概算だけど」
何度も実践を重ねてきたアスティーナの偵察だ、大きく数にズレはないだろう。
(正規兵200か、こちらとほぼ同数とはいえ、質は大きく差があるな……上手く罠に誘導できればいいが、それも上手くいかなかった場合は最悪の事態も考えられる)
冷静に状況を分析していく。
そして脳裏によぎるのは妹の安否だった。
もう少し前に妹だけでも避難させておくべきだったと後悔する。
足が不自由な妹は戦場になるかもしれないこの街に置いておくのは危険であると、何度も彼は忠告したのだが、罠の設営に深く関与している彼女をギリギリまで残してしまった結果、もう逃げることも叶わない状態になってしまったことが、最大の懸念として彼の中にはあった。
「大丈夫よ、いざとなったらレイルーナは私が守る。あんたは目の前の戦いに集中して。いまここで状況に合わせて人を動かせるのは、あんただけなんだから」
アスティーナは少し乱暴に、レイライムの背中を叩くと、片目をつぶって小さく笑った。
戦うことだけ、正しくは敵兵と切り結ぶことだけを考えれば、アスティーナはレイライムに劣らないという自負があった。
劣らないどころか、寧ろ勝っているとさえ思っている。
だが兵を指揮して戦うことに関しては、自分はレイライムの足下にも及ばないと解っている。
だから最大の懸念であるレイルーナは自分が守るから、指示出しに集中しろと言ったのだ。
「わかってる。絶対に負けるわけにはいかないからな。」
レイライムは奥歯をぎゅっとかみしめると、闇の中を凝視した。
空には細い月が浮かんでいて、かすかな光しか届いていない中、少しでも動きがあれば即対応しないといけないと、レイライムは力を込めて闇を見つめるのだった。
----------------------------------------------------------
「私がで着るのはここまでよ、剣匠さま無理だけはしないでね……」
黒装束の女は、オルガの肩を軽く叩くと、潜めた声でそう言った。
「済まなかったな、料金外の仕事まで……」
馬から下りて、その手綱を女に握らせると、オルガは礼を言った。
「ね、ここまでしたあたしに、もう1つだけサービスしてくれる気は無いかしら」
すぐに立ち去ると思った女は、しかし何故かためらうような仕草を見せ、少しの後そう言った。
「俺に出来る事なら、構わない」
女が何を要求するのかと一抹の不安を抱きながら、しかしオルガは快諾の意を示す。
料金に見合った仕事をこなし、後のことには責任を持たないというのが、裏ギルドのルールだ。
危険な仕事や、違法な仕事を請け負う立場にある彼らの自分の身を守るためのルール。
それを曲げてまで、わざわざ馬を調達し、ここまでの最短ルートを案内してくれた彼女に対し、可能な限りの誠意を示したいと思ったからだ。
「ね、ほんの少しの間だけで良い。抱きしめて……それ以上は何も望まないから。」
女の声が震えていた。
オルガは一瞬ためらいを見せたが、黙って両手を広げた。
女は歓喜の表情を浮かべその腕に飛び込んだ。
オルガはその身体を優しく抱きしめた。
感謝の気持ちと、ここまで尽くしてくれた女の情に対しての礼を込めて。
「ありがとう、もう良いわ。ね……貴方なら大丈夫だって信じているけど、それでも言わせて。絶対に無理しないで、無事でいてね。そしていつかまた会いに来て」
女は震える声でそれだけを言うと、オルガの返辞を待たず馬に飛び乗った。
そのまま振り返ることなく、器用に2頭の馬を操って闇の中へと消えていく。
すぐにその姿は闇と同化して、馬蹄の響きだけが遠ざかっていく女の様子を伝えた。
「すまない……ミレイル。お前の助力、俺は忘れない」
闇に消えた女に向かい、オルガは小さな声で届くはずのない礼を告げた。
細い月が祓いきれない闇がそこには広がっていた。
平民は人ではない、そういった態度がありありと窺える、交渉人という名の使者はレイライム達の要求に一切耳を傾けることなく、自分たちの要求~無条件に降伏し資財を献上せよ~だけを伝えてきた。
そしてそのまま会談は決裂し、その直後からレイライムはずっと哨戒を続けていた。
(今夜来るとは限らないが、こないとも言い切れない。ともかく油断だけは出来ない)
彼我の戦力が拮抗している戦ではない。
相手は正規軍で、こちらはただの民間人である。
多少は戦えるようにしたとは言え、質・量共に遙かに劣っている。
それを補うために、いくつかの罠は仕掛けたとは言え、楽観できる状況ではない。
その状況故か、レイライムは自分が思っている以上に緊張をしていることに気づいた。
(まだだ、クレバーに事を運ぶんだ、俺。冷静に……)
大きく息を吐いて何度も言い聞かせる。
「なぁに、緊張してるのあんた。ガチガチに固まっちゃって。それで戦えるの?」
家のベランダから楼台に繋がるハシゴのからアスティーナの声が聞こえて、レイライムは少し緊張が解けたように感じた。
長らく共に戦場を渡り歩いた仲間の声は、彼に安心感を与えるに十分だった。
しばらくしって、ギィギィと音を立てながらハシゴを登ってきたアスティーナの姿が視界に入る。
「状況は楽観視できない。いつ戦闘が始まるかも相手さん次第。緊張というよりは気が抜けない状況なのは仕方ないだろ」
「そうね……、さっきちょっと見てきたけど、敵さんはざっと200くらいかしらね。あくまでも天幕と炊事の煙の数からの概算だけど」
何度も実践を重ねてきたアスティーナの偵察だ、大きく数にズレはないだろう。
(正規兵200か、こちらとほぼ同数とはいえ、質は大きく差があるな……上手く罠に誘導できればいいが、それも上手くいかなかった場合は最悪の事態も考えられる)
冷静に状況を分析していく。
そして脳裏によぎるのは妹の安否だった。
もう少し前に妹だけでも避難させておくべきだったと後悔する。
足が不自由な妹は戦場になるかもしれないこの街に置いておくのは危険であると、何度も彼は忠告したのだが、罠の設営に深く関与している彼女をギリギリまで残してしまった結果、もう逃げることも叶わない状態になってしまったことが、最大の懸念として彼の中にはあった。
「大丈夫よ、いざとなったらレイルーナは私が守る。あんたは目の前の戦いに集中して。いまここで状況に合わせて人を動かせるのは、あんただけなんだから」
アスティーナは少し乱暴に、レイライムの背中を叩くと、片目をつぶって小さく笑った。
戦うことだけ、正しくは敵兵と切り結ぶことだけを考えれば、アスティーナはレイライムに劣らないという自負があった。
劣らないどころか、寧ろ勝っているとさえ思っている。
だが兵を指揮して戦うことに関しては、自分はレイライムの足下にも及ばないと解っている。
だから最大の懸念であるレイルーナは自分が守るから、指示出しに集中しろと言ったのだ。
「わかってる。絶対に負けるわけにはいかないからな。」
レイライムは奥歯をぎゅっとかみしめると、闇の中を凝視した。
空には細い月が浮かんでいて、かすかな光しか届いていない中、少しでも動きがあれば即対応しないといけないと、レイライムは力を込めて闇を見つめるのだった。
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「私がで着るのはここまでよ、剣匠さま無理だけはしないでね……」
黒装束の女は、オルガの肩を軽く叩くと、潜めた声でそう言った。
「済まなかったな、料金外の仕事まで……」
馬から下りて、その手綱を女に握らせると、オルガは礼を言った。
「ね、ここまでしたあたしに、もう1つだけサービスしてくれる気は無いかしら」
すぐに立ち去ると思った女は、しかし何故かためらうような仕草を見せ、少しの後そう言った。
「俺に出来る事なら、構わない」
女が何を要求するのかと一抹の不安を抱きながら、しかしオルガは快諾の意を示す。
料金に見合った仕事をこなし、後のことには責任を持たないというのが、裏ギルドのルールだ。
危険な仕事や、違法な仕事を請け負う立場にある彼らの自分の身を守るためのルール。
それを曲げてまで、わざわざ馬を調達し、ここまでの最短ルートを案内してくれた彼女に対し、可能な限りの誠意を示したいと思ったからだ。
「ね、ほんの少しの間だけで良い。抱きしめて……それ以上は何も望まないから。」
女の声が震えていた。
オルガは一瞬ためらいを見せたが、黙って両手を広げた。
女は歓喜の表情を浮かべその腕に飛び込んだ。
オルガはその身体を優しく抱きしめた。
感謝の気持ちと、ここまで尽くしてくれた女の情に対しての礼を込めて。
「ありがとう、もう良いわ。ね……貴方なら大丈夫だって信じているけど、それでも言わせて。絶対に無理しないで、無事でいてね。そしていつかまた会いに来て」
女は震える声でそれだけを言うと、オルガの返辞を待たず馬に飛び乗った。
そのまま振り返ることなく、器用に2頭の馬を操って闇の中へと消えていく。
すぐにその姿は闇と同化して、馬蹄の響きだけが遠ざかっていく女の様子を伝えた。
「すまない……ミレイル。お前の助力、俺は忘れない」
闇に消えた女に向かい、オルガは小さな声で届くはずのない礼を告げた。
細い月が祓いきれない闇がそこには広がっていた。