全ての始まり

文字数 2,596文字

 広い作りの部屋の中、1人の男が所在なげに立っている。
 男は簡素な鉄製の胸当(ブレストプレート)てと、堅皮の小手(ハードレザーガントレット)だけという軽装を短衣(チュニック)の上に着込んでいた。
 身長はかなり高いようだが、力自慢の戦士という雰囲気ではない。
 特別がっしりとした体つきではないが、しかし細く繊細というわけでもない体つき。
 あまり日焼けしていない肌、切れ長で吊り目気味の眼差しに茶褐色の瞳。
 すっと通った鼻筋にきつく結ばれた薄い唇は、意志の強さを現しつつ、どこか貴公子然としている。
 
 武器の類いは身につけていないようである。
 所在なげではあるが、その身のこなしと立ち居振る舞いに一分の隙も無い事から、かなりの使い手であると予想することが出来る。

 男は手持ち無沙汰を(まぎ)らわすかのように、自分の金髪を右手で掻き上げる。
 もとより綺麗に後方へと流されていた短髪は、その程度で崩れることはなかった。
 その見事な金髪が、幾房(いくふさ)か額にかかっているのが少し煩わしいのか、男はそれを何度か指で払うようにしている。

 程なくして重い木の扉が開く音が室内に響いた。
 そこには男より年若い雰囲気の青年が立っていた。
 
 短めの銀髪に紺色の詰め襟の服を着込んでいる青年は、男よりも遙かに高貴な身分であるようで、華美とも言える銀糸で加飾されたマントを身につけている。
 身長は男より僅かばかり低いようだが、それでも十分に高いと言えよう。
 全体的な体つきは男より細いが、それでもやはり華奢というわけでもない。
 女でさえ嫉妬しそうな白い肌に、髪と同じ銀色の瞳をした涼しげな目元。
 まさに貴公子を体現したような容姿であった。

「ずいぶんと待たせてしまったようだな、オルガ卿。色々と立て込んでいてな」

 ゆったりとした優雅な足取りで部屋の中へと歩みを進めながら、青年が言う。
 毛足の長い赤い絨毯の上を、足音もあまり立てないまま歩いてくると、茶褐色の重厚な執務机の前まで来て、同じくしっかりとした作りの椅子に腰を下ろす。

 オルガ卿と呼ばれた金髪の男は、軽く頭を下げて短くいいえとだけ答える。
 その様子を複雑な色を込めた眼差しで見つめると、銀髪の青年は1つため息を吐いた。

「来訪の目的は、予想がついている。私としては卿のような優秀な指導者は手元に残しておきたいと思っているが……、卿はそれを望まないのであろう」
 
 言いながらチラリとオルガ卿の表情を見る。
 だが銀髪の青年の予想に反して、オルガ卿の顔には怒りやそれに類する感情は浮かんでいなかった。

「地方貴族の子に過ぎぬ私に対して、そこまでのお言葉を頂けるとは恐縮です殿下。しかしあのようなことが起こった以上は、私がここに残るという選択肢は、感情的にも状況的にも選べないこともまた、ご理解頂けるかと存じ上げますが……」

 その言葉に銀髪の青年は、大きくため息を吐き、そして頭を抱える。
 オルガ卿……名をオルガ・バルザードルという。
 尚武(しょうぶ)の国カザードの統治者、オルフレア・バルザードル唯一の嫡子であり、カザードにおいても並ぶもの無き武芸の才と評されるほどの実力の持ち主でもある。
 その才能を買われて帝都の近衛師団へと招かれて、武闘会において圧倒的なまでの実力を見せつけて、剣匠(ソードマスター)の称号を与えられたほどの男である。

 だが青年は知っている。
 その実力を買われて皇太子付き武術指南役となった彼を身近で見てきたから解っている。
 剣匠など、オルガの実力の一面しか捉えていないことを。
 本当なら彼のことを闘神(バトルマスター)と呼ぶべき事を。
 
 オルガはけして剣だけの人ではなかった。
 槍でも長柄武器(ポールウェポン)でも、徒手空拳であっても、第一人者と呼ばれる者達を圧倒するほどの実力を持っていることを、青年は知っていた。
 その才能とそれに奢らぬ人柄、そして何事でも成し遂げるという強固な意志を尊敬していた。
 彼が指南役で良かったと、自分は恵まれた人間であると、心の底から思っていた。
 だからこそ、彼を手放さなければならない出来事、いや事件と呼ぶべき事を引き起こしたのが、自分の父とその側近達であることにひどく落胆し、怒りを覚えていた。

 その出来事とは今時点ではカザード内乱、後にカザード消失の変と呼ばれる変事だった。
 起こってからまだそれほどの日数が経過していないため、詳細な情報はわかっていないが、帝都からの使者とカザード領主との間で問題が発生し、結果的に領主は粛正されて独立自治を行っていたカザードが帝国の領地に組み込まれたというものであった。
 
 どのような経緯があったにせよ、カザードの領主と帝国皇帝の間で問題が発生し、結果として粛正劇に発展した以上は、カザードの領主の嫡子であるオルガが帝都に留まることは、良くない事態を引き起こすことになることは、誰の目にも明らかである。

 皇太子付き武術指南役という肩書きと、剣匠の称号のおかげで、今のところオルガ自身に危害を及ぼすようなことは起こっていないが、かといってこの先も安泰とは言えない。
 そしてカザードの領主嫡子という血筋にある以上は、政治的な駆け引きにより皇帝から見れば内憂になりかねない危険性もある。
 だからこそ、オルガは指南役からの解任と帝都からの退去を申し出てきたのだろう。

「……いくら考えようとも、事態がここまで動いた以上は卿の言うようにするしかないだろうな。私としては卿程の逸材を野に放つのは無念でならないが、是非もないことだ。」

 苦しげにそう言い、青年は執務机の卓上に一枚の羊皮紙を置く。

「グレイシオス帝国皇太子、クレオカルザ・グレイシオスの名において、卿が自由に検問所を通れる事を認める書面だ。これをもっていくと良い。あと今までの卿の貢献に対して些少だが」

 青年-クレオカルザ・グレイシオス-はそう言うと金貨の詰まった革袋を羊皮紙の隣に無造作に置く。

「いつの日かまた、お互いの立場を気にすることなく会えることを願っているぞ」

 クレオカルザはそう言い、オルガの顔をじっと見つめた。

「いつの日か、そんな日が来ることを私も願っています。殿下……立派な統治者におなりください」

 それだけ言うとオルガは羊皮紙だけを手にして、一礼をして部屋から出て行った。

「野にあれほどの大才を放つことになるとは……この帝国はどうなっていくのか」

 オルガが去った後、椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げながらクレオカルザは呟くしかなかった。
 
 
 
 
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