謎の男

文字数 1,797文字

「いや、この情報は本当らしいぞ、かなりやばいという噂だぜ。まぁ命の代わりに金をって言うなら止めないがな」

 昼間だというのに人であふれかえっている酒場。
 かなり年季の入った店のようで、壁や床は薄汚れて黒ずんでいる部分が目につく。
 お世辞にも綺麗とは言いがたい店ではあるが、美味い酒と美味い料理が出ると評判は良いらしい。
 そのため店内は、空席が見当たらないほど混雑している。
 カウンターもテーブル席も埋まっている中、数人の給仕娘が忙しそうに走り回っている。

 混雑した店内で、今話題に上がっているネタが今最も話題性のある話らしく、席が違えど殆どがその話題で持ちきりである。

 グルップルで一悶着起きそうな気配がある。

 それが話題の内容だった。
 昼間から酒場に入り浸っているような連中である、荒事好きな者や傭兵がその主流である。
 戦争、紛争、内乱、そして金儲け。
 この類いの話には興味もあるし、食いつきも良い。
 結果としてグルップルがきな臭いという話が、店内のあちこちで語られることとなる。

 だが大半は話題にはするものの、関わり合いにはなりたくないという空気を醸し出していた。
 グルップルともめ事を起こしているのは、最近カザード地方を接収した新人領主の軍勢だという噂で、本格的な帝国軍相手にたかが自治領、それも平民合議制のグルップルが対抗できると思えないからだろう。
 
「長年にわたりカザードの後ろ盾で自治を貫いてきたグルップルもカザードがなくなり、その商業都市としての価値を狙う功績がほしくてたまらない新人領主様にとって見逃す手はないって事だな」

 酒が入り上機嫌になった男が大きな声でそういい、周りの男達も確かになと頷く。
 大陸を統一し、長きにわたって栄えている帝国も、盤石というわけではない。
 長きにわたる平和で、危機意識を欠落させた貴族達は、その攻撃の矛先を政治と権力へ向けることに腐心し、その過程で没落貴族や領地の小競り合いなどを起こし、それが小規模ではあるものの内乱や反乱を引き起こしている。
 結果として皇帝はその乱を平定するために、軍を派遣したり傭兵を雇用したりする必要が出てくるため、外面で受ける印象よりは遙かに内情は火の車なのである。
 また現皇帝は文化人的な性質を持っており、また見栄っ張りな性格でもあるため、貴族よりも豪奢な暮らしを行っており財政もかなり厳しいという噂もある。

 そう言った諸々の事情を鑑みても、財貨を生み出す金の卵であるグルップルを直轄地とする価値はあると言う事だろう。
 そしてそれを成し遂げることで、大きな功績を得たいという野心が、その新人領主には有ると言うことなのだろう。

 そういった話題で酒場の中が賑わっているのだが、隅の方の二人がけのテーブル席にいる人物は、若干の興味を示しつつも話題に参加することもなく、ちびちびと手酌で酒を飲んでいた。
 フードを目深に被っており、その容姿をうかがい知ることは出来ない。
 だが椅子に座っていても解るほどのかなりの長身の持ち主だった。
 席の横には大きな背負い袋と、柄の長い幅広剣(ブロードソード)が無造作に立てかけてあった。
 傭兵崩れなのだろうか。
 
「グルップルか……」

 フードの奥でぼそりと呟く声は、張りのあるまだ若い男の声だった。
 その声音には何か複雑な思いがこもっているようでもあったが、しかし男はそれ以上は何も語らず、酒瓶に残っていた酒を一息であおると席を立った。

「もうお帰りですか?」

 男の動きをめざとく見つけた給仕娘が声をかける。
 男は小さく頷いて、テーブルの上に銀貨3枚をおいて、代金はこれだとばかりに指を指して示す。

「え、いくら何でも多過ぎですよ……お客様の飲み代ですとせいぜい銀貨1枚銅貨8枚です」

 テーブルの上の銀貨を素早く確認した給仕がそう言うと、男はチップだと短く答えて、背負い袋と幅広剣を手に、振り返ることなく店を出て行く。

 給仕の大きな声に最初は興味を示した酔客達も、それ以上何か起こるわけでもないと知ると再び雑談に興じ始めた。

「チップ……ね、ものは言い様。つまり仕事ってことですか……相変わらず人使いの荒い」

 テーブルの上の銀貨を素早くエプロンドレスのポケットに押し込むと、給仕娘は先ほどのにこやかで愛らしい表情を一変させて呟く。
 その表情は、1分の隙も無い暗殺者のような、見るモノをぞっとさせる冷たい表情であった。
 
 
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