奇妙な軍

文字数 2,814文字

「いよいよ……ですねぇ」

 いつものように、間延びしたレイルーナの何でも無いような口調。
 本来ならものものしく、緊張感溢れるはずの場面でも、それを忘れさせるようなその口調に、みな口元が緩む。

「まったく……ウチの姫は緊張とは無縁のようで」

 レイライムが苦笑交じりに肩をすくめ、その隣でアスティーナも微妙な笑みを浮かべている。

「えっと、皆さん集まってくださって感謝です。これから説明しますねぇ」

 居並ぶ群衆より一段高い位置から、レイルーナが精一杯声を張り上げる姿を、少し離れた場所でオルガとラオルグが見ていた。

「良い女人を迎えられましたな、オルガ様」
「迎え入れたわけではない。まぁ求婚はされているがな」
「左様でございますか、しかしこの老骨にはあの女人こそオルガ様の力になると、そう見えますが」

 ラオルグは目を細めて、壇上で演説をしているレイルーナを見ていた。
 その眼差しは、何処か娘を見守る父親のようでもあった。

「ルーナ嬢は、確かに人を惹きつけそしてその懐にするりと入り込む、天性の才能がある。俺にはないものだ」
「そして為政者たるモノには、その才能を持つ人材は必要かと思いますが」
「その才能を欲するだけであれば、何も婚姻で縛る必要は無いだろう」
「本人がそれを望むのならば、婚姻で縛っても良いのではありませんかな。家柄も状況も全てがそう示しているかと」
「俺にはまだわからんよ、だがそれよりも先にまずはなすべき事がある、全てはそれが終わってからだ」

 オルガは話しは終いだとばかりにそう言いきると、レイルーナの方に向かって歩き始める。
 その後ろ姿を見送りながら、主はまだお若いと苦笑を浮かべるラオルグであった。

 あれから1月ほどの時間をかけて、オルガたちは諸部族の集落を回っていた。
 オルガの名声、かつてのカザードとの関係性、そしていくつかのレイルーナの描いた策略を武器として粘り強く交渉を重ねた結果、彼らはオルガへの協力を約束した。
 見返りはかつてと同じ、自治の存続。

 彼らが望むのは独自の文化と独自の生活の維持だった。
 だからこそそれを危うくさせる、新しいカザード領主からの臣従要請に、勝ち目がないとわかりながら首を縦に振ることが出来なかったのだ。
 そのような中、かつては緊密な関係性を持っていて、武名高い将が率いる軍勢が味方をし、そしてこの状況を覆すだけの策略があり、なおかつこの先も今までと同じ独立自治を認めてくれると言う条件が付帯すれば協力しないという選択肢はあり得ない。

 結果として諸部族連合と、オルガを慕う旧臣たちとその手勢などが続々と集まり、総勢2000程の軍となった。
 オルガを筆頭として前軍をラオルグ、左右をそれぞれレイライムとアスティーナが率いる。
 ラオルグの下には彼と行動を共にしてきたカザードの軍勢。
 レイライムの下には五つ存在する諸部族のうち三つが、アスティーナの下には特に武勇に秀でた、カルカ族とモール族が従うこととなった。
 それぞれの部族は長が直接指揮を執ることになる。
 こうしてたいした混乱もなく指揮系統が確立されて、レイルーナの発案による合同演習が何度か繰り返されて、ある程度の体裁が整ったころ、しびれを切らしたティライスが軍を発したとの知らせが届いた。
 
「ふっ!」

 気合いの入った短い声と共に、アスティーナの右手の剣が空気を切り裂いて目の前の男の肩口に振り下ろされる。
 男はあわてて左手の小盾(バックラー)でそれを受け止めようとするが、力に押され負けて地面に倒される。

「だからね、盾は愚直に受け止めるのではなくて、受け流すの!真正面から受け止めるだけが盾じゃないの」

 倒れて荒い息を吐いている男に向かって、剣を構えたまま息1つ乱していないアスティーナが言う。
 軍としての連携を重視し、そしてその訓練を行うのがレイライム。
 反対に個人の武芸の指導をするのがアスティーナの役目だった。
 最初は初見の、しかも女の指揮下に入れるかと反発する者も多かったが、こうして何度も訓練を受けるうちに武芸の在るものに従うことを旨とする、カルカとモールの戦士たちは、その力を認めて今では一切の不満を持たず彼女を認めていた。

「近頃ますます腕を上げたな。どれ……たまには俺の相手をして貰おうか」

 アスティーナと兵の訓練を見ていたオルガは、その武芸に心を動かされたのか、珍しく木剣を手にそう申し出た。

「……私が閣下を相手に……役不足だとは思いますけど、一太刀お相手お願いします」

 アスティーナは右手の剣を正眼の辺りに構え、左手の件は自由に動かせるようにとやや外向きにだらりと脱力した形で身構える。
 小剣からの攻撃を右手の剣で受け、左手の剣で相手の隙をついて攻撃を仕掛ける、彼女の定番の構えだ。
 
「ふむ……悪くはない構えだな……」

 オルガはアスティーナの構えを見て、そう感想を述べると手にした木剣を二三度軽く振って感触を確かめたあと、おもむろに大きく踏み込んでアスティーナとの間合いを詰め、上段に構えた剣を振り下ろす。

 早いと内心肝を冷やしながらも、正眼に構えていた右の剣でオルガが振り下ろした剣を弾こうとするが、木剣の側面を綺麗に捉えたはずの一撃はオルガの剣筋をずらすことも出来ず、アスティーナは慌てて後ろに飛び下がる。
 
オルガは更に一歩踏み込みながら、振り下ろした剣を逆袈裟に切り上げてくるので、アスティーナは仕方なく左右の両剣をクロスに構えて、オルガの木剣を上から押さえ込もうとする。

「反応は悪くない、だがこの場合は更に一歩踏み込み、剣の柄に近いところで押さえ込む方が確実だ」

 注釈を入れながらオルガが軽く手首を返すと、押さえ込んでいたはずのアスティーナの双剣が彼女の手から弾かれて少し離れたところで地面に落ちる。

「よし、もう一度だ」

 冷静なオルガの声、素早く剣を拾ったアスティーナが今度は自分から攻めてとして斬りかかっていく。

「おいおい、あのアスティーナが赤子の手をひねるみたいに軽くあしらわれているだと……」

 兵たちが連携して動くための教練をしていたレイライムは、遠目にアスティーナとオルガが戦っている姿を見て、思わず声を漏らしてしまった。
 オルガが強いことはわかっている。
 伝説と言っても差し支えないほどの武名が鳴り響いているのだから。
 だがアスティーナも戦場で、一度も後れを取ったことのない女傑なのは共に戦っていた自分はよく知っている。
 そのアスティーナが2合であっさりと打ち負かされているのを見て、レイライムはそら恐ろしい気持ちになっていた。

 上には上がいる、そして自分の腕を奢ったものは命を落とす。
 戦場での不変の理ではあるし、レイライム自身身をもって体験してきたことだ。
 だが剣匠の名は伊達では無かったことを、心の底から思い知ることになった。
 だがそれは、そう遠くない日に行われることになる戦を前に、とても心強くも感じた。
 
 
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