企みと謀と
文字数 2,156文字
「ええい!一体どういうことなのだ!」
イライラとした声を上げて、その若い男は手にした銀杯を床に叩き付ける。
銀杯は床の上で1度大きく跳ね返ると、そのまま乾いた音を立てて床の上を転がっていく。
「先ずは落ち着いてくだされ。大筋でこちらの思うように進んでおります故」
若い男を宥めるように、やんわりとした口調で話しかける男がいた。
年齢は40を超えたくらいか。
白髪とも銀髪ともとれるような色の髪を無造作に流しており、細い目には琥珀色の瞳が暗い色を称えて浮かんでいる。
頬は病的とも思えるくらいに痩けており、血色の悪そうな真っ白な肌をしている。
全身を真っ黒な官服で包んでおり、服の色と肌の色の組み合わせは、ますます暗い印象を与える。
「だがなコルマートよ、いつになったらあの蛮族どもはこの私に服従するのだ。いつになれば私の功績を華々しく帝都に知らせることが出来るというのだ」
若い男は、コルマートと呼ばれた文官男の言葉に、聞く耳を持たない様子で、感情を爆発させ続ける。
(さてさて、御しやすい駒かと思いきや、これはこれで存外に手間のかかる御仁だな)
薄く開いた三白眼で、若い男を値踏みするように見ているが、表面上は恭しく頭を下げてみせる。
「こちらの準備も、そう遠くないうちに整いましょう。その間は交渉を続けて、こちらは誠意を示したという形を作るのでございます。こちらは最大限の礼を尽くしたが、文化を知らぬ蛮族どもはそれを理解せず逆らおうとしたため、これを討伐した。そういう筋書きでございます。そうすれば、カザードを見事接収したお手並みに加え、武勲もご報告できて閣下の名声は天下に鳴り響きましょう」
コルマートはまるで舞台俳優かのような、大げさな身振り手振りを交えながらこの若き主君のご機嫌を取ろうとする。
とにかく若い主君は短慮に走りがちである。
生半可に強大な武力を持っているせいで、時間をかけた地味な交渉より、圧倒的武力で制圧し屈服させることを好む傾向があり、また見栄っ張りな貴族らしい側面をふんだんに取り入れたこの男は、上手く制御しなければすぐにでも軍を派遣しようと動くであろうと見抜いていた。
カザード領を新たに統括することになった新領主、中央貴族の傍流で子爵の階級を持つ男。
オルフレアを裏切りってまで担ぎ上げることを望んだ主君。
それが今目の前で荒い息を吐いて、感情を露わにしているティライス・ウェルナンドであった。
短絡的で扱いやすく、貴族らしく政治の重要性を理解している人物。
少なくとも武力に傾倒しがちな、カザードの人間よりは良い。
コルマートは心中でそう考えていた。
だから一門の長である、同族であるオルフレアを罠にかけた。
全ては長きにわたるデ・バルザードル家の屈辱を晴らすため、評価されない自分の政治力を知らしめるため。
本音を言えば、彼はオルフレア個人に対しては恨みは抱いていなかった。
寧ろある程度の敬意すら抱いていた。
だが家門の隆盛と、おのれの才覚を世に示したいという欲を押さえることはできなかった。
それが今回の一件の切っ掛けであり、本人すら予想もしていなかった歴史の転換点にもなるのである。
「してその交渉とやらが、全く進んでおらんのはそうするつもりなのだ」
未だに収まらぬ興奮そのままにティライスが詰問する。
「先ほども申しましたように、交渉はあくまでも体裁にございます。それでまとまれば良し、まとまらずとも構わない。その程度のものでございます。仁を示したうえで、なお抗うものに武をもって当たる。これは後々に主君の名誉を高めるための布石でございますぞ。苛立ちはごもっともですが、今しばらくお任せ願いたいと思います」
心中いろいろと思うところはありながらも、それをおくびにも出さず、あくまでも主君に忠実な文官という仮面を被ったままでコルマートは答えた。
コルマートのその回答に、ティライスはしばし眉根を寄せて思案をしていたが、やがて顔を上げてそのように取り計らえとだけ告げてコルマートに退室を促した。
(これで当面、大人しくしてくれれば良いのだがな……)
内心でそう考えながら、コルマートは最敬礼を行い、部屋から出て行った。
「最初から恭順の姿勢を貫いては居る。確かになかなか手際良く物事を運ぶ才覚もある。だがしかし、本当に信じて良いのだろうか、あの男を」
コルマートが去った後、新しいグラスにワインを注ぎ、それをひとくち飲んで、ぽつりとティライスが漏らす。
自分を見つめてくる琥珀色の三白眼を思いだし、ため息を吐く。
(あの男は、完全に私に従っているわけでは無い。どう扱うのかを見定めるつもりで居る。)
その事実が、無意識にティライスを苛つかせた。
自分の一門をあっさりと見限り、自分に従う誓いを口にして、そして見事にカザードを接収ための策謀を立案して実行して成功を収めた。
その才覚は得がたいものだと、ティライス自身も認めている
だからこそ、その男が大人しく自分に従うと思えないし、隙を見せれば自分もかみ殺されるのでは無いかと、本能的に畏れているのだが、その事実を認めることが出来ない。
その葛藤が、彼を苛立たせてそして追い詰めて言っていることに、その時は誰も気づいては居なかった。
イライラとした声を上げて、その若い男は手にした銀杯を床に叩き付ける。
銀杯は床の上で1度大きく跳ね返ると、そのまま乾いた音を立てて床の上を転がっていく。
「先ずは落ち着いてくだされ。大筋でこちらの思うように進んでおります故」
若い男を宥めるように、やんわりとした口調で話しかける男がいた。
年齢は40を超えたくらいか。
白髪とも銀髪ともとれるような色の髪を無造作に流しており、細い目には琥珀色の瞳が暗い色を称えて浮かんでいる。
頬は病的とも思えるくらいに痩けており、血色の悪そうな真っ白な肌をしている。
全身を真っ黒な官服で包んでおり、服の色と肌の色の組み合わせは、ますます暗い印象を与える。
「だがなコルマートよ、いつになったらあの蛮族どもはこの私に服従するのだ。いつになれば私の功績を華々しく帝都に知らせることが出来るというのだ」
若い男は、コルマートと呼ばれた文官男の言葉に、聞く耳を持たない様子で、感情を爆発させ続ける。
(さてさて、御しやすい駒かと思いきや、これはこれで存外に手間のかかる御仁だな)
薄く開いた三白眼で、若い男を値踏みするように見ているが、表面上は恭しく頭を下げてみせる。
「こちらの準備も、そう遠くないうちに整いましょう。その間は交渉を続けて、こちらは誠意を示したという形を作るのでございます。こちらは最大限の礼を尽くしたが、文化を知らぬ蛮族どもはそれを理解せず逆らおうとしたため、これを討伐した。そういう筋書きでございます。そうすれば、カザードを見事接収したお手並みに加え、武勲もご報告できて閣下の名声は天下に鳴り響きましょう」
コルマートはまるで舞台俳優かのような、大げさな身振り手振りを交えながらこの若き主君のご機嫌を取ろうとする。
とにかく若い主君は短慮に走りがちである。
生半可に強大な武力を持っているせいで、時間をかけた地味な交渉より、圧倒的武力で制圧し屈服させることを好む傾向があり、また見栄っ張りな貴族らしい側面をふんだんに取り入れたこの男は、上手く制御しなければすぐにでも軍を派遣しようと動くであろうと見抜いていた。
カザード領を新たに統括することになった新領主、中央貴族の傍流で子爵の階級を持つ男。
オルフレアを裏切りってまで担ぎ上げることを望んだ主君。
それが今目の前で荒い息を吐いて、感情を露わにしているティライス・ウェルナンドであった。
短絡的で扱いやすく、貴族らしく政治の重要性を理解している人物。
少なくとも武力に傾倒しがちな、カザードの人間よりは良い。
コルマートは心中でそう考えていた。
だから一門の長である、同族であるオルフレアを罠にかけた。
全ては長きにわたるデ・バルザードル家の屈辱を晴らすため、評価されない自分の政治力を知らしめるため。
本音を言えば、彼はオルフレア個人に対しては恨みは抱いていなかった。
寧ろある程度の敬意すら抱いていた。
だが家門の隆盛と、おのれの才覚を世に示したいという欲を押さえることはできなかった。
それが今回の一件の切っ掛けであり、本人すら予想もしていなかった歴史の転換点にもなるのである。
「してその交渉とやらが、全く進んでおらんのはそうするつもりなのだ」
未だに収まらぬ興奮そのままにティライスが詰問する。
「先ほども申しましたように、交渉はあくまでも体裁にございます。それでまとまれば良し、まとまらずとも構わない。その程度のものでございます。仁を示したうえで、なお抗うものに武をもって当たる。これは後々に主君の名誉を高めるための布石でございますぞ。苛立ちはごもっともですが、今しばらくお任せ願いたいと思います」
心中いろいろと思うところはありながらも、それをおくびにも出さず、あくまでも主君に忠実な文官という仮面を被ったままでコルマートは答えた。
コルマートのその回答に、ティライスはしばし眉根を寄せて思案をしていたが、やがて顔を上げてそのように取り計らえとだけ告げてコルマートに退室を促した。
(これで当面、大人しくしてくれれば良いのだがな……)
内心でそう考えながら、コルマートは最敬礼を行い、部屋から出て行った。
「最初から恭順の姿勢を貫いては居る。確かになかなか手際良く物事を運ぶ才覚もある。だがしかし、本当に信じて良いのだろうか、あの男を」
コルマートが去った後、新しいグラスにワインを注ぎ、それをひとくち飲んで、ぽつりとティライスが漏らす。
自分を見つめてくる琥珀色の三白眼を思いだし、ため息を吐く。
(あの男は、完全に私に従っているわけでは無い。どう扱うのかを見定めるつもりで居る。)
その事実が、無意識にティライスを苛つかせた。
自分の一門をあっさりと見限り、自分に従う誓いを口にして、そして見事にカザードを接収ための策謀を立案して実行して成功を収めた。
その才覚は得がたいものだと、ティライス自身も認めている
だからこそ、その男が大人しく自分に従うと思えないし、隙を見せれば自分もかみ殺されるのでは無いかと、本能的に畏れているのだが、その事実を認めることが出来ない。
その葛藤が、彼を苛立たせてそして追い詰めて言っていることに、その時は誰も気づいては居なかった。