第五十六話
文字数 6,983文字
「何も。その辺で高みの見物していただけだ。『本来のもの』含め、俺の目的はこの試合に勝利することじゃあねえ、『血沸き肉躍る闘争』を経験してェだけさ」
紫の片手剣をひらひらと軽快に動かしながらも、軽妙な口調で相手の動向を窺う百喰。ライセンスを見せたり、変身したりする素振りは一切ないのにも拘らず、生身でこの場にやってきたのだ。
「――一時バディ組んでたよしみだ、助太刀に来たぜ。支部長さんよ」
「……変身はしないのか」
「そっちに行った人間に手の内を明かすには……まだタイミングとしては早いかな? って訳でそいそい、っと」
飄々としていた百喰は慣れた手さばきで、信之の手枷足枷を壊した。障害となるもの全てを破壊し、この場を支配していたはずのアドバンテージが、完全に消え失せた瞬間だった。
「――んじゃ、借りは返したぜ。俺はまた高みの見物タイムと洒落こむわ」
あくまで戦わないだけ。今回は干渉する程度。本来の約束を半ば破ってはしまったが、一度した約束は律儀に守る。いくら敵と結んだものとはいえ、百喰はある程度義理堅い人間であるのだ。
「――一つだけ言わせてくれ。……何を考えているかは分からないが……ありがとう、百喰」
その信之の言葉を聞いた後、肩に軽く手を置くとそのまま背を向け、手をひらひらと振るだけで答えた。少し距離が開いただけで、まるで霧のように消えてしまった。
「ふざけんじゃあねえ……俺は優れているんだ! こんなところでいなくなったら世界の損失だ!!」
再起不能となった成田を酷く睨みつけながら、チーティングドライバーを起動させる。しかし、下屋の矮小な力では制御することなどできず、次第にドライバーから歪んだ魔力が溢れ出していった。
「……おい、これはどういうことだ!? 俺はこれで強くなったはずだ!!」
「――違うな、チーティングドライバーでも人は選ぶ」
信之が、下屋を酷く冷徹な目で見やる。路傍のゴミを見る目よりも、数段上を行く。一定の『趣味』を持った人間が、酷く興奮するほどの目つきであった。
「……俺は精神汚染の危険性を孕んだ、それを主に扱うことはしなかったけどよ、ある一定の下地が無ければ、両ドライバーも満足に扱うことはできねえ。兄貴から聞いたよ。しかし……その最低限の下地、ってのはよほどでない限り満たせるほど、低いハードルなんだ。それすら満たしていないクソみたいな無能は……英雄になる資格などなかった」
金で全てを解決できる、訳がないのだ。本人の技量、本人の我慢強さに関わる『努力』は、金などでは買えないのだ。どれほど金にものを言わせ筋トレ器具を買おうと、有名大学の参考書を買おうと。トレーニングをしなければ筋肉は強靭にはならないし、その参考書を手に勉学に励まなければ頭脳は育たない。
確かに金は、人生を大いに豊かにさせてくれる。未知の経験も、ある程度の金が無かったら話が始まらない。しかし、それを補うためのほんの少しの頑張りは、その者の人生を面白くしてくれる、最高のスパイスになりうるのだ。
下屋は、言わば下味の付いていない、調理可能なレベルまですら捌かれていない料理食材。成田は、下処理を十全に整えられ、ある程度の下味を打たれてすぐさま調理可能だった状態。どこかの無能な料理長が、自分の欠片もない腕を振るった結果、目も当てられないほどに腐り果ててしまった。
「故に、お前はチーティングドライバーに嫌われた。デバイスより、チーティングの方が一般人も着用するからハードルが低いはずなんだが……お前はただ因子があるだけの一般人以下のクソ野郎だった」
歪んだ魔力は、下屋を容赦なく包み込む。彼のみっともない悲鳴が二区の間にこだまする中、信之には一切の同情などなかった。
「――そこの女を救いたいだとか、大した正義感を持ち合わせているわけじゃあねえが。成田……とか言ったか。アンタを呪縛から解放してやる。難しいことは言わねえ、アイツをワンパンチでぶっ殺す」
自我が無くなり、力なく駆け出す下屋だったモノ。歪んだ魔力が無尽蔵に溢れ出してはいるものの、信之にとって大した脅威ではなかった。成田と先に相対した結果、見劣りして仕方がない。月と鼈ほどの差があった。
信之が気付いた時には、自動で回復していったとは思えないほどに魔力が充実していた。
(――あの時か、百喰)
肩に手を置いたあの一瞬。信之に、眼前の男を満足に仕留められるほどの魔力が譲渡されていたのだ。
静かに笑むと、左拳に魔力をふんだんに込める。変身もしない、武器も扱わない。それこそが、自分を『天才』と宣う凡人への、最大級の『侮辱』になると分かってしまったからこそ。
それに、せっかくの英雄の装甲を、殺しの目的では扱いたくはなかった。その名誉が、装甲が、この畜生を殺すことによって物理的にも名誉的にも穢れてしまうと思ったのだ。
呻きながら、意思すら感じさせず近づく駄肉の塊。
「男の風上にも置けねえ、ドグサレ野郎がァァァァァァッ!!」
格闘技の基本など、一切かなぐり捨てた、暴力一辺倒の拳。たった一撃であったが、その一撃はコンクリートを破砕どころか、辺り数メートルを凹ませるほどの圧倒的な一撃。張りぼての天才は、その拳を顔面、その頬で十二分に受け止める以外にできることは無いだろう。
魔力の許容範囲内を超えた力の込め方をしたら、その分腕が壊れてしまうのは自明の理。しかし、その怒りを叩きつけるにはうってつけ。丁度こちらにサンドバッグが歩いてきたからこそ、拳を打ち込んだだけ。感覚としてはそれに近いだろう。
その結果、下屋は完全に死亡、沈黙。世界の損失は、大したことは無いらしい。今も何の支障も無く、無情に歯車は動き続けている。
左腕の出血がかなりの勢いであったが、それでも向かうべき場所はあった。
それこそ、今もなお河本が眠る、とあるビルの屋上。残った魔力を足に込め、全力で跳躍。上手い着地が出来ず、屋上で無様に転がってしまったものの、何とか辿り着いた。
紅の世界の中で、横たわる彼女を、右腕だけでしかと抱きかかえる信之。
「――終わったっスよ、河本さん。アンタのお呪い通り……俺は勝てました」
その瞬間、どこからともなく優しい風が吹いた。信之はその風に対し、静かに笑んで返すのだった。現在進行形で涙が溢れていることもまた、彼女への手向けであった。
これにより、『教会』茨城支部支部長、エンヴィーこと森信玄と、『教会』茨城支部副支部長元秘書兼英雄学園武器科三年二組所属、河本美浦。そして英雄学園英雄科二年二組所属兼、『教会』茨城支部内通者、成田環奈と、英雄学園武器科二年五組元所属裏切り者、下屋衆合の戦いは、信之・河本タッグの勝利であった。
戦いの中で、死んでしまった存在はいるものの、元々『教会』側の存在とはいえ、『正義』とは何たるかを理解し、英雄の因子の力を戦いの中で引き出した信之の、完全勝利であった。
教会の一部面子は、大田区自体に進攻しようとしていた。無論、待田ではない。ある程度の有象無象を引き連れた、有力な裏切り者たちである。
しかし、多くの有象無象たちは目を疑った。
それは、大田区から外界に渡っていくうえで越えなければならない関門、隔壁の扉が全て開け放たれていたのだ。
通常、これを閉めっぱなしにでもすれば、部外者立ち入り禁止、無理やり入り込もうとすれば横に添えられた機銃二つでハチの巣に。それはどれほどの実力者であろうと、防ぎようのない事実。仮にその機銃を無理やり壊そうとしても、結局は警報が響き渡り敵襲がバレバレに。
しかし、それらアドバンテージをかなぐり捨てた現状況は、不可解極まりない状況であったのだ。
「――『空城の計』です」
その有象無象たちの中で、最も腕の立つ裏切り者である英雄科二年二組所属、和多田将涛≪ワタダ マサナミ≫。白のメッシュが入った茶髪のショート。少々引っ込み思案な気こそあれど、頭脳と膂力はかなりのもの。ある程度の筋力と美貌を兼ね備えた存在であり、男子生徒の中でも人気が高かった。
「おそらく……私たちをこの先に招こうとしています。『誰もいないだろう』という心理を突き、ある程度ここで戦力を減らすつもりなのでしょうね。かつて諸葛孔明が行った策とされています」
自分の城を空っぽの状態にして見せ、敵の警戒心を誘う兵法三十六計の一つ。主に心理戦がメインとなる。
主に相手が格上か、圧倒的に戦力量が多い場合に用いられるため、今の英雄陣営の状態にはうってつけ。まともに戦える面子が六人しかおらず、敗走の危機に陥る可能性が生まれたときに、真価を発揮する。もしこれ以上進んだら、メリットが少ないか害を被るか。
優れた指揮官であれば、罠を警戒しやみくもには進まないものだ。
「だからこれは進まない方が――」
そう和多田が警戒を促すものの、感情に身を任せた存在である有象無象たちは一切気にしない。分隊を引き受けたことを後悔しながらも、呆れた和多田も無人の大田区に入り込む。
その時であった。
空から飛来する無数の炎の矢が、有象無象たちを貫く。
それぞれ、人体の急所たる部位を貫かれているものの、命をいたずらに奪うことはせず。ただ無力化を図るのみで止めていた。
「――話には聞いていましたが……やっぱり今年の一年生は凄いですね。伊達に支部を二つ崩壊させてません」
建物の陰から現れたのは、院ただ一人。変身前から、紅斧弓のみを顕現させていた。
「――貴方が、俗にいう裏切り者、という存在ですか。失礼ですが、あまりそんな突飛なことを考えるようには思えませんが」
「……まあそうだね、皆戦闘不能だし……言ってもいいか」
デバイスを操作し、院に見せた画面は、衝撃のものであった。
そこに書かれていたのは、『英雄陣営所属』の文字。チーティングドライバーを所有しているわけでもなく、何なら精神汚染の証拠足りうる、歪な魔力反応は有象無象以外感じ取れず。
「――まさか、貴方は」
「……ご明察、私は学園長の言っていた裏切り者内の裏切り者、内通者その一人だよ」
有象無象たちを二人がかりで捕縛し、瓦礫積もる羽田空港跡地で軟禁。一仕事終えた二人は、大田区中央で一休みしていた。
その間、語られた事実は衝撃の連続であった。
自分以外の数人、学園長が直々に指名した内通者が存在すること。
その内通者たちは、巨大になり過ぎた『教会』陣営を内部崩壊させる役割を持つこと。
しかし一部生徒は、内通者であることを察されたのち待田によって脅されていること。
ルールの都合上、表立って英雄陣営として動くことはできないものの、戦うことが目的ではないこと。
「――なるほど、理解しました。お教えいただき有難うございますわ」
「……この合同演習会が開かれたときから、学園長はこうなることを見越していたのかな、って言えるくらいに手回しが早かった。ルール変更に関しても、まるで追い込み漁をしているようだったんです」
全ての流れが、出来過ぎている。あくまで和多田の考えであったが、院自身も合点がいってしまった。
「――私は、時折思うんです。学園長は学生である我々を、皆平等に愛してくれる存在ではありますが……それと同時に進級ごとのシステムが厳しくなっているように思うんです。まるで何かに急かされているように」
皆の競争心を煽り、高め合う環境づくり。それに関しては何ら違和感のない調整である。しかし、礼安たちが英雄学園に入学してから、位が上がる基準が高まったように感じていたのだ。
思えば、院と礼安にだけ当初話されていた、『厄災』について。今はまだその詳細を聞いてはいなかったが、それが関わっているとしか思えなかった。
相対する『教会』。それと『厄災』に何の因果関係があるのかは理解できなかったが、自分たちの範疇を超えた、何かしらの考えが学園長自身にあるのだろう。
考え事を重ねる院に対し、悲しそうな笑みを向ける和多田。そこに秘められたものは、院たち精鋭には絶対届かないであろう、ある種の諦めであった。
「――その様子だと、君は学園長の意図が何となく分かっているようだ。娘さんでもあるらしいからね」
「……私からは、詳しいことは話せませんが。お父様と私たちが主となって、私たちには詳細を知らされていない『計画』を行う事……それだけはお答えできますわ」
和多田は、皆ほど野心にあふれた存在ではない。因子元は程々の知名度ではあったが、学園長や礼安たち『最強格』ほどの知名度はない。ある程度の頭脳は持ち合わせてはいるものの、頂点を取るほどではない。戦力に関しても言わずもがな。英雄たちの力の源たる欲の根源も、『今まで育ててくれた両親に、良い思いをさせてあげたい』こと。
言ってしまえば、全てが並。ただ他以上の努力で二組をキープし続けているだけ。最も感性が一般人に近い存在と言っていい。
「――正直、羨ましいんです。貴女がた秀でた存在が。力や経験、それらに関しては『嫉妬』していると明言していいでしょう」
「……和多田先輩」
ぼろぼろと零れ落ちる涙を、院はただ眺めるしかできない。かける言葉も見つからない。嫉妬の炎を燃やし、自分たちに襲い掛かる裏切り者たちが、和多田にとって輝かしく思えてしまうほどに、精神がぼろぼろになっていた。
「――このまま英雄を目指しても、大した存在になれない。君たちのような秀でた存在がいるから。でも私にはそれらを力でどかそうだなんて、乱暴な考えは出来ない。洗脳を黙って受けられたら、どれだけ楽になれたかな」
でも、それは出来なかった。学園長自ら送ってきた、洗脳の効果を無効化するアプリケーションを使い、真に『教会』陣営の内通者として動いている現状。
その訳は、裏切る度胸が無かったこともあるが、きっとほんの少しの『誇り』が全て。曲がりなりにも英雄の因子を持って生まれた、自分への心の枷。
マイナスな感情に呑まれてはいけない。
いつだって人々の模範でなければならない。
全てが並であっても、譲れない心がそこにあったのだ。
「私の周りで、多くの下級生徒たちが力を望んだ。どこの誰だか分からない、姿の見えない教祖に縋っていたんです。正直……気持ちは分からなくも無かったんです」
「――でも和多田先輩は、その誘惑を自力で乗り越えられた。それは……並という言葉では片づけられませんわ。自分のことを卑下するのは、もうやめて下さいまし」
欲というものは恐ろしいもので、人をどこまでも狂わせることのできる、人間の力の源であり、神が作り出した最大の失敗作である。
英雄として力を完成させるには、その欲を自分のものにしなければならない。大概が、有象無象のように欲によって腐り果てる中で。
「――辛かったんです、我慢することが。ある程度学園長からリターンが約束されているとはいえ。目の前にご褒美を用意されて、それでも尚自分を律することは……まさに拷問でした」
『教会』のやり口からして、過去辛い経験をした人物以外にも、これからの人生に思い悩んだ、才能が真に開花することのなかった英雄の卵たちが流れ着く先に、『教会』が存在する。手軽に力が得られる中で、泥臭い努力などばかばかしいと、鼻で笑いながら歪んだ力を得る。実に理論だったやり方である。
「……この一件が終わったら、私はどうしたらいいのでしょうね。後輩である院さんに相談するのも……実にばかばかしいように見えるでしょうが」
涙と鼻水で崩れた顔。そこにはどう足掻いても伸びしろが限られた、かといって大した肝っ玉を持ち合わせている訳でもない、そんな和多田の、迷いが現れていた。
院は、仮設住宅からいくつかのティッシュを持ってきて、和多田に手渡す。
「――何も、強いことが英雄の条件ではありませんの。私たちが語っても、正直説得力は微々たるものかもしれませんが……強くても誰かを気にかけられなかったら、正直それは英雄ではなくただの猛者。優しさと強さを両立してこそ、真なる意味で英雄と呼べるのですわ」
現に、埼玉支部とのやり取りを重ねていく中で、透はただの猛者から英雄へと様変わり。殺意や復讐心に支配されていた心が、誰かを思いやりながら戦う、心の優しい英雄へと羽化した。
院の脳裏に浮かぶのは、それ以上のお人よし、礼安。
自分を一切顧みない、そんな危なっかしい部分は在りながらも、根底にあるのは弱者の救済。恵まれた力を活かす先、欲の源こそそこに集約されているため、より純度の高い戦闘力へ変わっていく。
「和多田先輩。貴方は……心優しき英雄だと思いますわ。この世に完璧超人なんて、そんなご都合主義的存在はお父様以外いません。どこかが欠けていれば、誰かと補い合うことで、共に強くなれます。一人で一番になるなんて、そんな寂しいこと……おっしゃらないでくださいまし」
院の言葉は、しかと胸に響いたようで。和多田の涙は一層溢れ出していた。
そのすぐ後、息も絶え絶えな状態で大田区に到着した存在は、まさかの人物であった。
「――院さん!! すぐに……中央区に向かってください!!」
「あ、貴女は……!」