第六十六話
文字数 6,182文字
親として死に目に会えなかったこと。そして運命のいたずらによって殺された子供たちに泣きじゃくり、学校を批判する者が現れたものの。結局はそれ以外の『覚悟』をしていた親たちに諫められ、間を置かずに鎮静化する結果となった。
そして、生き残った裏切り者への処遇は、メディアで実名を出し報道、警察に突き出すことだった。どれほど自分たちが危険行為の片棒を担いでいたか、それをわからせるための処遇であったが、それを否定する者は裏切り者内にはいなかった。
今回の大騒動の結果、裏切り者たちも圧倒的な世界を垣間見てしまったがために、それ以上裏切り続ける強固な意志を保つことが出来なかったのだ。
その後押しをしたのは、待田と礼安、あるいはカルマの激闘。大した努力をすることも無く、今ある地位に文句を繕い続ける、そんな自分がどれほど愚かな存在かというのを思い知ったのだ。
どんな天才も、努力者には敵わない。ならば、その天才が今の地位に甘んじることなく努力を重ね続けたら。それこそ、まさに最強格と称された存在達。たった数人ではあるものの、彼ら、彼女らの偉大さを感じ取ったのだ。
「――本当、成り行きで始まったことだけど。結果的に……ギリギリ成功の範囲内かな?」
学園長室で、今回の最たる功労者の礼安と信玄、そして『教会』の裏切り者である信之が集まっていた。信一郎はコーヒーを啜りながら柔らかな笑みを湛えるも、その場の空気は些か重苦しかった。ちなみに、礼安は病院から特別に抜け出している、病院服かつ車いす姿であった。
「……ごめんね、パパ。私……待田さんと戦っていた中で……ふと意識を失っちゃって」
この場の全員、礼安が何者かによって操られ、挙句の果てに自分の体で待田を殺した――なんて、そんなこと言えるはずも無く。ただ何も出来なかったと勘違いをしている礼安を宥める以外にやれることはなかった。
きっと、礼安の第六感である、胸中の嘘の色を感じ取る力によって、この場の全員が何か隠していることは理解していることだろう。しかし、それを特に追求しない彼女は、誰かを想う嘘が絡んでいるのだろう、そう考えていたのだ。
「――そうだ、信之君。これから……君はどうするつもりだい」
「……俺は、警察に出頭しようと思います。今まで……犯した罪は消えないわけですし」
そんな信之の苦しそうな表情を見た信一郎は、引き出しから白紙の便箋とインクボトル、亡き妻からのプレゼントであり宝物の万年筆を取り出し、筆を取った。
その場の全員が信一郎の行動の末が理解できなかったものの、それが理解できるのはものの数秒後。とんでもない速筆ぶりに驚きながらも、齎された結果に言葉を失うこととなる。
「これ、警察に行く際に持っていきな、こちら側として多少なりとも頑張ってくれた、そのお礼だよ」
その便箋に記された内容は、減刑の嘆願状であった。
信玄や信一郎の情報網から、ある程度信之の身の上は理解していた。信玄と信之、その兄弟間にあった格差、それによってもたらされた酷い虐待。それがきっかけとなり、結局は両親を殺害した。そこから多くの殺しを経験したものの、小学生高学年から中学生の頃に受けた心的外傷を加味して、情状酌量の余地があると考えたのだ。
「警察とか司法の人間に、ある程度マブがいるからね、犯した罪の重さからして減らされるのは、甘く見積もってもたかだか数年だろうが……君の頑張りのおかげで礼安は満足に戦えた。その戦いに敬意を表しようと思ってね。そんな頑張ってくれた人間を、死刑になんてさせるもんか」
信之が受けた兄以外からの施しは、今までの人生をひっくるめてもただの一つもない。だからこそ、信之の目からは涙が溢れだしていたのだ。
「――無期懲役に近いものになるだろうが……それでもきっちり、刑期全うして。もしその時に英雄を目指したい、そう思えたら。ここに来るといいさ。その時になったら……英雄学園東京本校学園長として、君を迎え入れようじゃあないか」
「助けて」の一言すら出せなかった、そんな信之の不器用な心。それは信一郎の優しさによって完全に融解された瞬間だった。礼安の働き掛けで防御壁は崩れ、父親である信一郎がそれを包み込む。蛙の子は蛙である。
「ありがとう――ございます……!!」
泣き崩れる信之を、信玄が傍に寄って肩を抱き寄せる。亀裂が走り、一時期修復不可能なまで関係が崩壊していた二人が、再び『兄弟』に戻った瞬間であった。
学生たちが、思い思いの活動を行う放課後。あの合同演習会を経験し、生き残った一年次は自主トレーニングにより精が出る。しかし、二年次の大体の生徒が死亡するか裏切ったか、そんな状況なため、二年次生徒の人数が著しく減少していた。
どうしようか、と学園長室で一人きり思案している中。ドアを二度ほどノックする子気味良い音が聞こえてきた。「どうぞ」とだけ呟くと、入室する生徒。
その生徒は、他でもない信玄と丙良であった。
「不破学園長、一つお聞きしたいことが」
「何だい丙良くん、改まっちゃって。この間私のこと電話口でさんざ罵ったこと謝りに来たとか?」
「いやそんな下らない話題じゃあないです」
自身の尊厳にかかわる話題を生徒に「下らない」と一蹴されたことに心を痛めながらも、二人を高級なソファに座るよう促す。二人の表情は、信一郎のふざけた表情とは真逆の、真剣な表情であった。
「――それで、こんな放課後に一体どうしたんだい? 何か悩み事かな」
「ある意味そうかもしれませんね」
その言葉と共に、提示されたのはとあるデータベース。そこに記されていたのは、あるプログラムを信一郎名義で不正に書き換えたとされる証拠。さらに、消去されたデータのゴミ山の中に見つかった、音声通話記録であった。
「回りくどいの苦手だから、俺っち単刀直入に聞くよ、慎ちゃん。学園長……今回の合同演習会、全て学園長自身が仕組んだもんだろ」
「一体何のことだか分からないなあ、私の名義使った誰かがやったかもしれないじゃあないか」
「信玄が提示したこれらの証拠以外にも、れっきとした証拠はあります」
それは、内通者たちのメール。この合同演習会が始まってすぐに、学園長が目を付けた生徒たちに送られた、洗脳を無効化できる簡易バリアを展開できる、そんなインスタントアプリも添えて。
それは、間違いなくその後の『展開』が分かり切っているからこそ、送られたもの。
さらに、丙良が示した証拠は、学園長名義で送られた届き先不明のショートメール、そして電話の履歴。敢えて残した、そんなあからさまな履歴であったのだ。
それらのデータを強調表示すると、提示された日付。それらのアリバイは、きっちり裏取り済みであった。
「貴方とあろう者が、学園内で仕事をしていた時間帯に、おめおめとハッキングなんてされるはずがない。それほどにセキュリティがしっかりしていなきゃあ、最高責任者たる貴方の責任問題になります」
「しかも発信元は、いずれもこの学園長室だった。メールも、電話も。言い逃れは出来ないはずだぜ」
状況証拠と物的証拠。それらが揃っている中、信一郎に言い逃れは許されなかった。これらが見つからなかったら、のらりくらりと躱すかやり過ごすか、どちらかを選ぶ予定だった信一郎は、困ったように笑いながら白状し始めた。
始まりは、一生徒からの目安箱への投書であった。最初はとりわけ疚しい考えは無かったものの、一つの妙案を思いついたのだ。
それが、ただの合同演習会ではなく、『演出』を加えること。
ただのくじ引きにも、ある程度の幅を持たせたい。しかし、素行不良の生徒と最強格が組んだところで底が知れている。この時から裏切りの可能性を思考していたがために、英雄・武器サイドのタッグはあらかじめ決めておいた。
それぞれがシナジーを生みだせる組み合わせであったが、しかし。その中身もイカサマ上等のものであった。
確実に裏切らない面子と、素行の問題で確実に裏切りそうな面子の二つに分けた。さらに、裏切った面子との戦いで確実に戦力になりそうなメンバーを固めた。それこそが、最強格のタッグ三組。裏切りばかりの疑心暗鬼ゲームとなった中でも、互いを確実に信じあえるような構成にした。
そして何より、裏切り者を凌駕する戦力を持った存在をタッグにすることで、多くの戦力が相手方に回っても、その戦いを収めることができる。組分けに関しては、主に『事後処理』を優先したが故の、アンバランスな組分け方であった。
そこについて回るのは、両方二年次の組み合わせであった鍾馗と加賀美の組み合わせ。信一郎自身、鍾馗の底の知れなさは他生徒よりも上であることを認識していた。さらに、そこに信一郎の第六感、というよりはただのヤマ勘が働き、あてがわれたのは加賀美であった。
組分けられた際、加賀美のデバイスにのみ信一郎はメッセージを送り、「困ったら丙良くんたちを頼ってくれたまえ」とだけ残していた。それは万が一、有象無象たちが裏切りを画策し、英雄陣営を襲撃した際のことを考えていたのだ。
そして、原点の問題である「なぜ屋内実習場に『教会』が紛れ込み、あれほどの惨劇を生みだしたか」。
その答えは至極単純、信一郎自身がおびき寄せたのだ。
「――あ、もしもし?? アンタに匿名でタレこみたいって言うか……」
電話の応答主は、他でもない待田本人であった。
『匿名の人間が、この電話番号を知っている訳ァねェと思うんだがよ』
「まあまあ、そこは穏便に。誰から電話番号を教えられたかは……分かると思うなあ」
『……ウチの教祖か』
その通り、とだけ笑って見せると、今現在企画している合同演習会の詳細を語り始めた。最初、待田は何のことか、そして電話の向こう側で楽しそうにしている、信一郎の底が知れなかった。しかし、次第に理解し始めたのだ。なぜルールを事細かに説明しつつ、ルールの穴を放置しているのかを。
「――ってな感じのゲームなんだよ。どうよ、待田招来君? このゲームなら、お宅の支部長の悶々とした、行き場のない復讐心も満たせるだろうし」
『……アンタ、仮にも英雄学園の学園長なんだろう? こんな性根の悪い催しごと企画して……何が目的だよ』
「簡単なことだよ、私の普段の立ち居振る舞いからして、待田君も理解できると思うなあ」
その時、待田は電話の向こう側でけらけらと笑う不破信一郎……またの名を、瀧本信一郎という男に身震いした。たった一つの簡単な結論に至っただけで、こうも恐怖心を覚えるとは思わなかったのだ。
『――アンタ、まさか自分のところの学生を強くする、ただそれだけの純粋な目標のために……こんな血みどろの戦いを経験させようってのか』
「正解≪イグザクトリー≫! その通りだよ、待田君」
そこに悪意は一切ない。英雄が強くなるには、近道などない。しかし回り道をしていてはいずれ敵にやられてしまう。近道以上の茨道こそ、実戦経験以外にない。
ただ、その実戦経験以外にも、人間の醜悪な面が現れやすくなるルールをセッティングすることにより、裏切りや奇襲を常套手段として提示したのだ。英雄の正々堂々とした戦い方以外に、より幅広い戦い方、あるいは受け方を、身をもって学ぶ。本来の合同演習会の意味をそのままに、学生でありながら一人の英雄として接した結果であった。
「いつだってぬるま湯の中で手ほどきしていたら、いついかなる時も民衆を護る英雄的存在にはなれない。ダブルミーニングで弱い英雄なんて、世の中からはゴミ同然で扱われるだろうね。なら、学生時代から『かわいい子には旅をさせる』べきじゃあないか」
「――純粋な善意ってのは、純粋な悪意と表裏一体だな」
皮肉めいた言葉をぶつけるも、当の本人には一切効いていない様子。待田は、改めて瀧本信一郎という男に恐怖した瞬間であった。
「――とまあ、これが私の白状。全ては君たち卵たちを成長させたい、ある種の親心さ」
話を一通り聞いた二人は、信一郎の異常性を再確認した。それと同時に、信玄は怒りを露わにした。信一郎の胸倉を掴み、青筋を立てる。
「……そのために、茨城支部全体を焚き付けた、ってことかよ。信之を利用していた、ってことかよ」
「私は何も、彼らと違って殺す目的じゃあない、あくまで捕縛だよ。確かに誘い込みはしたが、それは警察と結託して支部を壊滅させていく目的が故だ。じゃあなかったら、信之君を更生させるために、減刑嘆願状なんてしたためないさ」
逆に言うならば、そうでもしないと動かせなかったのだ。学生たち……特に、信玄を餌にしないと、信之は表舞台に出てこない。元々、信玄と信之の家庭環境は知っていた信一郎。信玄を餌にしつつ、普段そこまでやる気のないそぶりを見せる信玄の着火剤となれば、との思いで招致したのだ。
胸倉から手を放す信玄。その表情は複雑そのものであった。
「――結局は、学園長の掌の上だった、ってことですか」
「流石に全部では無いよ、カルマの襲来に関しては、私は想定してなかった。合同演習会に部外者が乱入したなら、私が出る以外に他無い。アイツは前から知っている存在ではあったけど……正直現状だと、私以外に相対することのできる英雄はいない。私を引きずり出して少しでも感情を揺さぶりたかったんじゃあないかな」
椅子に座りながらも、外を見つめる信一郎。今までの学園長としての、凛々しい表情から一変、今まで見たことないほどに、複雑な感情が混じっていた。その奥に隠された過去には、一切理解は及ばない。
しかし、こちらを振り返ると、そんな複雑な表情は消え去り、学園長としての信一郎の顔がそこにあった。
「――もし気分を悪くさせたなら、申し訳なかったよ。でもこれだけは分かっていてほしい、私は君たち学生ファーストで動いている。今回の演習会も、君たちの実戦経験を積むために必要不可欠だったんだ」
頭を下げる学園長に、その言葉に嘘が無いことを見抜いた信玄。それ以上、彼を責めることはやめた。
「……次、何かしらやりたいんなら、まず先に伝えて下さいや。そうじゃあないと……またこういった軋轢を生むことになる。サプライズ精神も悪ィことじゃあねえけど……今回は騙された気分になっちまう」
「善処するよ」とだけ呟くと、申し訳なさそうに笑む信一郎。そしてその場で信玄に言い渡された事柄は、今回の働きを評価した礼として、礼安たちと同様『計画』の一員となることだった。
先に学園長室から去る丙良であったが、信玄だけは残り続けた。
「――君に殴られても仕方はないと思う、一発なら思い切り殴ってもらって構わない。暴行罪でしょっ引く、なんてしないからさ」
「……いや、もうそんなこと望んだところで、結果は変わんねえっスよ。まあ……もやもやはするけど」
信玄が残った理由はただ一つ。合同演習会勝利記念の願い事を聞き届けた。内容は『丙良といつかもう一度手合わせがしたい』とのことだった。