第六十話
文字数 2,552文字
今まで行方が知れなかった礼安は、単独で行動していた。トップクラスの索敵能力である待田以外を切り捨て、単独で敵本拠地に乗り込む作戦であった。ただ、何も無謀な賭けに出ているわけではない。表立って前線に立つ五人は、ただの陽動。大勢の敵戦力を戦力が拮抗するであろう中央地点で消耗させ、全てが削がれた敵本拠地に乗り込む。
その作戦を立案したのは、他でもない河本と信之の策であった。
「――大将格が、そんなおいそれと最前線にいるはずがない。そんな固定観念を覆す為の策です。そのために、それ以外のメンバーで『偽りの前線』を作り出します」
「――見つからないよう、保護色に染まるか海を渡るか。どっちがいい」
「……いや信之、海からは駄目だ」
電流の性質として、ある一点に通すのは可能ではあるが、海水などの広い設置面積を持つ電気伝導体の場合、一点に集中するのではなく分散してしまう。万が一そこで襲われた場合、礼安の雷の力が活かせるとは思えない。さらに、そこを高速で移動するにはモーターボートの一つでも必要かもしれないが、確実にバレる。
さらに、悲しい事実がここで明らかとなってしまう。
「――あの、私……泳げないんだ」
基本的に何でもできる礼安であるが、弱点がある。それは水。極度のカナヅチで、小学生時代プールの授業は何もこなせなかった。風呂も浴槽内で満足に体を動かせないため、永いことシャワーオンリー。院がかれこれ長いこと話題にしている、礼安七不思議のひとつである。
流石にカナヅチに泳がせる、あるいは港を船で渡れ、だなんて鬼畜な考えはこの場の全員には存在せず。一行は、礼安を陸路で歩ませることを決意したのだ。
しかし、英雄の面子内には迷彩柄の服を着用している人物はいない。かといって迷彩のカラーリングを整えるには少々骨が折れる。まず着色可能なほど、美術方面に才のある人物は誰一人いない。
そのため、丙良が多少力を見せる必要があった。
丙良が今まで行方知れずだった中、隠密行動を行っている間、各所に作っておいた隠し通路。それを有効活用することにしたのだ。
区の境目から程離れた場所の数々に、さながら蟻の巣のように無数に張り巡らされた隠し通路は、通常なら迷子常連の礼安であるが、丙良の温かい心遣いにより目印が記されていた。
(丙良ししょー、優しいな)
ところどころに記されていたのは、ヘンゼルとグレーテルのような光る道しるべ。間違いなく「道なりに〇キロメートル」だの東西南北だので示したところで、分かりづらいことこの上ない。
信玄を助けた際、信玄と共に大田区付近から、敵本拠地付近の足立区まで繋がる道しるべを設置。この作戦を見越した、先輩からの心遣いであった。
走っていく中で、唐突な頭痛が礼安を襲う。
通常人間が感じるものを一と仮定するなら、今礼安を襲うものは十を優に超える。まるで脳味噌を直に引っ掻き回されるような、痛みに耐性のない人間ならば、即失神してしまうほど。
たまらずその場に、血が大量に混じった、多量の胃液を吐き出す礼安。頭を力強く抑えるなど、何とかして痛みを殺そうとするも、痛みはより強まる一方。
頭ではなく、脳の痛みと共に訪れるのは、何者かの声。
(礼安――力が欲しい??)
その場に蹲りながら、その声の正体を探る礼安。しかしどれほど考えようとしても、脳がそれ以上の思考を止めてしまう。
「力……!?」
(簡単だよ、英雄のシステムを使い続けると、いずれ限界を知る。貴女の欲を満たしたいなら、『私』を求めるはずよ)
何者か分からない、女性の声。礼安の脳を弄りまわし、言いなりにしようとしていた。
「やだ……やだ!! そんな力……いらないぃぃぃぃあああァああああああぁあああッ!!」
(――まあ、強情ね。じゃあもっと尋問のレベル強めようかな)
その一言と共に、脳味噌全体が実際に磨り潰されるほどの痛みが礼安を襲う。
実際の肉体に影響こそないものの、涙も涎も悲鳴も、全てが垂れ流しの状態。日頃痛みを何とも思わない礼安であったが、肉体ではなく内部の痛みとなると、ベクトルの違う酷さを伴ってくる。内部の痛みほど怖いものはない。
(本当、この子「痛い」って全く言わないのね。叫ぶばっかり。正直つまらないし、気持ち悪いわ)
「ああ、あああああああああッ!! 痛ああああああッグなイ……痛ぐナい!! 皆が感じる痛みよりぃぃい……痛くなんがない!!」
(強情なのは勝手だけど……私が飽きるまで続くよ? それでいいの?)
真っ赤に充血する瞳。額に浮き出る血管と脂汗。脳を直に弄繰り回される痛みをこらえるために握りしめ、とうにかなり出血している握り拳。小鹿のように震える両足。しかしそうまでやっても足は目的地へ向かっていたのだ。
(――そこまでして。自分が何を得するわけでもないのに。随分頭がイカレているのね、礼安)
「勝だなぎゃ、いげないんだ……皆のだめにぃぃいいあああああぃぁああああああっ!!」
強情極まった礼安を目の当たりにして、呆れ果てた何者かは、礼安の脳を弄繰り回すことを唐突に止めた。苦痛から解放された礼安は、その場に倒れこむ。
(クソみたいなヒロイックで結構。いじめるのもちょっと飽きちゃったから……とりあえずは解放してあげる)
何とかえずいて、食道内の残留した血を吐き出そうとしていた礼安。レスポンスを返す余裕は一切なかった。
(でも……これだけは伝えてあげるけど――そう間を置かないうちに、礼安は力を求めることになる。そしてその時に……貴女は必ず『後悔』する)
何者かは、それ以上礼安の脳内に語り掛けることはなかった。
(誰……なんだろう……でも、女の人……だった)
礼安にとって、一切の聞き覚えのない声。少なくとも、礼安はこれまで出会ったことのない人物であった。
「急がなきゃ……急がなきゃ……みんな頑張ってくれているんだ、私もそれ以上に頑張らなきゃ……!!」
痛みの余韻残る頭を庇いながら、何とか走り出した礼安。その間も、気にかかっていた事柄を想起しながら。
(そう間も置かないうちに、礼安は力を求めることになる)
(その時に……貴女は必ず『後悔』する)
思わせぶりな何者かの言葉は、礼安の胸中に引っかかったままであった。