第五十五話
文字数 10,620文字
他と比べ平凡な自分に、出来ることはあるのだろうか。将来、大したことを成せなかった自分は、その時満足に笑えるのだろうか。そう考え、学園長に直談判したのだ。自身が、『教会』のスパイとして潜入することを認めてほしい、と。
その際、信一郎はちゃんとした見返り、明確にするとしたら、安定した将来の確約を保証することを約束し、口惜しくもその提案を飲んだ。
最初に述べておくが、河本は自分が劣っていると錯覚しているが、そんなことはなかった。武器科のトップである人間や、下の学年のトップであるエヴァと比べると劣っているだけで、ずっとトップクラスであったのだ。
トップを目指し続ける、そんな愚直な性格であったため。現状に常に不満を持っていたのだ。だからこその、工作員≪スパイ≫としての戦い。それを望んだのだ。
実際、工作員として幾多もの痛苦を味わった。あることないことを疑われ、まるで昔あったような踏み絵を体験させられる、キリスト教信者の気持ちであった。
故に、いつか勘違いされ、殺されたとしても、何の文句も言えない。自ら望んで戦地に赴いているのにも拘らず、テロ組織に捕まって自分が危険な目に遭ったからと言って、「助けてほしい」と叫ぶような、中途半端なジャーナリズムを持った、そんなみっともない人間にはなりたくないと。
『教会』に潜入している中で、明確に殺しなどの汚れ仕事は行わなかったものの、事務作業を中心として行った結果、戦闘員よりも圧倒的に層の薄い、競争率の低い場所で輝いたのだ。その実直な性格から、その時は京都支部の支部長であった、待田の側近として配属が決定したのだ。待田との付き合いは、そこから始まったのだった。
しかし、何と待田はすぐに河本の裏切り……もとい、スパイ行為に感づいたのだ。それにより、河本は死を覚悟したものの、それを許した。
(――別に、知られたからと言って殺すほどのことじゃあねえ。俺ァそこまで器の小せェ男じゃあねえからよ。その代わり……茶、良いの淹れてくれ。それでチャラ、ってことにしておくさ)
たった、その一言。力と度量の差を知ったのと同時に、河本は待田を信頼するきっかけとなった。どんなことがあろうと、待田を傷つけたくはないと。
そこからは、怒涛の日々であった。待田の仕事人としての殺しの数々を裏でサポートし、『罪人殺し』の待田をサポートした。表の舞台で裁けない悪を、待田と協力し裁いていった。
その行為を善とは絶対に捉えはしなかったが、悪とも捉えずにいた。工作員とはいえ、自分のやっている行いはいつだってグレー。そう思いながら、罪悪感に心を痛めながら日々を過ごしていった。
そして、茨城支部の新興により、待田は興味本位で河本と共に茨城支部へ出向。昨日から始まった合同演習会の『教会』サイドの一員として、戦いを見守っていた。
そして、礼安と出会ったのだ。英雄サイドで、最も常軌を逸した存在。多くの英雄が戦わずに切り抜ける方法を探すほどの猛者である待田に、食って掛かった唯一の存在。そんな彼女の底なしの勇気に、報いるべきだと考えて独断で動いたのだ。
待田もきっと、このタイミングこそ、河本が古巣に戻るべきタイミングだと考えたのだろう。特に何を言うでもなく、あの小瓶に全ての思いを乗せたのだ。
河本は、最後は英雄として、武器として死にたい。そう考えていたがために、嬉しかったのだ。しかるべきタイミングで戻れた、今の自分を褒め称えたのだ。
大して何かを成したわけでもなく、『教会』側の情報をある程度流していた、まるで映画のような、スパイとして生きた一年間。その間の濃密な思い出と、英雄や武器たちと接した二年間。それらを天秤にかけたら、恐らく均衡状態となる。
不思議と笑む河本。倒れ伏すほんの数秒の間に、これまでの人生の走馬灯が過る中、不思議と「楽しかった」という感想が脳内に浮かぶほどに、満足していたのだった。
胸に巨大な風穴を開けた、瀕死の河本を乱暴に蹴り飛ばし、信之の元へ転がす成田。
「あと残るは貴方だけです! 降伏を提案しますが、如何でしょう? そこの裏切り者に別れを告げるくらいの時間は差し上げますので、その間に考えて下さい!」
信之は、深紅に染まった河本を抱き抱える。
「河本さん!! 河本さん!! しっかりしてください!!」
揺さぶる信之であったが、目の輝きも消えうせ、喀血し消え入りそうな呼吸音が聞こえるばかり。先ほどまで笑いあっていた彼女が、数秒後突然として息を引き取る。運命や人生のいたずら、というのを、ここまで恨んだことはなかった。
「――のぶ、ゆき――――く、ん」
ノイズがかかる視界一杯に広がる、信之の顔面。涙と絶望でぐじゃぐじゃになった、様々な事象が折り重なり、多くの血縁関係者を手にかけた悲しき存在が、少し前まで赤の他人だったはずの人間の死に目に遭い、涙を流すことに成長を覚えた。
血がとめどなく溢れていく中で、急激に寒気を覚えていた。今までは、ちゃんとした人間の体温を保っていたのにも拘らず、とめどなく命の温かさが溢れていく。辺りに零れ満ちていく無常さが、とても寂しく思えた。これが、この世から離脱していく感覚なのか、と。
これが、裏切り者だと錯覚された人間の惨めな最期か、と。
河本は、体温が消えうせ、弱弱しくなってしまった血だらけの手で、信之の頬を撫でる。
信之の頬に、多量の血が付着しようと。本人は何も言わない。ただ、その命の結末を悲しみながらも見守るのみ。
「――わた、し、さ。――――き、みなら……がんば――れる、って……しんじ――てる、から……さ。――わ――たしなんか、のた……めに、なか……ないで」
「何バカなこと言ってるんスか!! 生きてここを出るんスよ!!」
信之自身も、そんなこと出来っこない、叶いっこないと思っていた。しかし、少しでも生きることに希望を持たせるために、どれほど叶わない願いであろうと、口にすることで少しでも実現できそうな雰囲気を持たせたかったのだ。
しかし、河本は緩慢に首を横に振る。自分のことは自分がよく理解している、そう言いたげに、笑って見せたのだ。笑えないほどの痛み、恐怖が体中を汚染しているのにも拘らず、終始信之のことを気にかけていたのだ。
「――――ぁ、おく、り――もの」
まるで死ぬ直前とは思えないほどに、河本最後の全力を振り絞り、信之の顔を引き寄せた。そこでしたのは、信之へのキス。頬や額ではなく、口へのもの。河本自身のファースト・キスを、死に際で信之へと捧げたのだ。
そこに温かみは無く、嬉しさも無く。ただ血の味が広がるキス。しかし、マイナスなものは一切感じさせず。死にゆく人間が残す、最後の願い。それがそのキスに現れていたのだ。
「――――この、たた……かいに――――かっ、てよ――――の……ぶゆき、くん」
その言葉を最期に、河本の手は力なく落ち。静かな笑みを湛えた相好のまま。河本美浦は命を落としたのだ。
実に優しく、甘い呪い。死にゆく人間が残した、最後の願いがキスに乗せられ、信之へと伝えられた。まだこの先の人生を死ぬほど生きたかっただろうに、その生きたかった今を、信之に呪いとしてすべて託したのだ。
大粒の涙を流しながら、絶望する信之。どれほど涙の雫が死人に落ちようと、死んだ本人は生き返らない。そんな甘い演出などありはしない、信之の眼前に広がるこの光景こそ、現実そのもの。万人を絶望のどん底へ無慈悲に叩き落す、無邪気な悪意による汚染であった。
「――ゴミみたいに死んじゃいましたね! 別に敵さんの内、女は殺さなくてもいい、とは先輩に話されたのですが……まあ仕方ないですね!」
「……何が、何が仕方ねェだと。お前は――今まさに人一人の命を奪った……それに対する罪悪感は無ェのか」
「さんざ人殺しを重ねてきた、そんな貴方に言われる筋合いはありません! 『教会』は、どんな事情があろうと等しく悪です! 多くの一般人の命を弄んだ、英雄が『殺す』べき悪そのものです!!」
その結論は正しいものである。この世に害をもたらすものは、等しく排除するべきである、一見非常に暴力的かつ平和的解決には思えないが、結局はどちらがこの世からいなくならない限り、争いの流転≪ループ≫は止まらない。悪意は伝染し、多くの人を巻き込みながら破滅への道を歩んでいくのだ。
実際、信之は数多の殺しをしてきた。血縁関係者、無関係な人間、凶悪犯罪者問わず、多くの殺しをしてきた。信之の関係者がいくら殺されようと、一切の文句が言えないほどに汚れた仕事を請け負ってきた。
しかし。この怒りは、誰にも阻害することのできない、悪意の伝染結果。初めて、信之は義憤を覚えた。いくら悪人の関係者が殺されようと、一切の文句は言わない。しかし、何も悪事を行っていない人間すら殺す道理が、そんな横暴が。暴走した英雄に許される行為だろうか。
「――俺が殺されるなら。まだ良かったよ。お前の言う通り、俺は多くの殺しをしてきた、それはまごう事なき事実であるし、今更それを隠そうだなんてしねェ」
『森蘭丸』のライセンスを認証し、刃とグリップ部を分割し荒々しく装填する。兄とは異なる、念剣・行光を、静かに構えた。
『認証、薄幸の美少年、森蘭丸見参! 燃え盛る大舞台にて、蘭丸の一大ショータイムが始まろうとしていた!』
「……でもよ、無実の人間を殺す免罪符が、お前如きにあると思うか? 無ェよな、お前は正義のために戦う英雄様なんだからよ。それ以上の行為は、世間からは『私刑』として、世間から忌み嫌われる行為となるだろ」
「? 何が言いたいんですか? あの人は無実ではありません、『教会』に与していた、まごう事なき裏切り者です! いくら殺人行為を行っていなかろうと、裏切りは事実です!」
学園長公認、そんな当人のバックボーンも知らず。自分のやった殺しを無邪気に正当化しようとする、その傲岸不遜の態度に、怒りが頂点に達した信之。無邪気に振るわれる、善意や正義を装った最悪の悪意こそ、信之の怒りを買ったのだ。
「お前如きが!! 私刑で裁く権利が!! どこにあるんだよ!!!!」
急激な血圧の上昇により、そして魔力の奔流により、血管が何本か切れた。しかし、そんなことお構いなし。信之の怒りは、その程度の痛みでは収まらない。
念剣のトリガーを引き、乱暴に振るう信之。斬撃に割れた空間から出でたのは、怪人体ではなく、英雄としての装甲を纏った信之であった。
信長をモチーフとする信玄の装甲とは完全に違い、腰には森蘭丸の愛刀である、短刀『不動行光』を佩刀、信長のものよりもその時代の武士の鎧らしい、具足モチーフの装甲。顔を覆う頭部装甲も、目元のみクリアパーツとなっており、それ以外はオレンジラインの入った漆黒の兜。
漆黒をベースに、オレンジのラインが入ったアンダースーツは兄弟共通で、まるで炎が静かに揺らめいているような、そんな意匠が所々に施されている。本能寺で焼死した、とされる彼らしい胴具足であった。
「――この状況を言い表すなら、『変身』って言うべきなんだろうが……今の俺には英雄らしい言葉は似合わねえ。今の俺は……怒りに打ち震えている。とてもじゃあねェが、英雄的≪ヒロイック≫とは言えねえな」
「おかしい……おかしいです! 貴方は英雄では無いはず! 貴方のような社会のゴミが、そうあっていいはずがありません!」
その発言で、再び怒りが頂点に達し。唯一むき出しの顔面を、風の守りだとか女であるだとか、そういったことを一切関係なしに、雄叫びを上げながらフルパワーで殴り飛ばす。数棟のビルを倒壊させる勢いで、派手に吹き飛んだ成田は、状況が飲み込めずにいた。
(――必ず、アンタは地上に連れて帰る。その時まで……待っていてくれ)
静かに河本の亡骸を抱きしめると、そのビルの屋上に死体を置いたまま成田の方へ跳躍し、高速移動。彼女が倒れているその場近くで仁王立ちしていた。
「お前のような、一方の利のために一方をこき下ろすってクソな考え……かつての自分を見ているようで腹が立つ。俺が、テメェの腐りきった性根……叩きなおしてやるよ!!」
「そんなことはありません! 英雄がどの物語においても、完全なる正義であることはゆるぎない事実です! やり過ぎなんて概念は存在しません! 悪は、滅ぼすまで潰し続けるのみです!!」
英雄としての装甲を纏い、怒りによって覚醒した信之と、正義のためなら何をやっても許されると考える成田の、真なる正義を見つけるための第二ラウンドが始まったのだった。
今まで静まり返った文京区と千代田区が、たった二人のせめぎ合いによって、今までにないほどに騒々しくなっていた。
ぶつかり合う拳、そして蹴り。成田が纏う風の鎧によって、小さく切り刻まれるものの、それは怪人化をしている際にはデメリットになりうる。しかし、英雄の装甲を纏った存在――今の信之には関係がない。こまごまとした回復に時間と魔力を割かれ、細やかな魔力のコントロールが出来づらくなるのだが、ただの小細工に意味はない。
念剣・行光以外に佩刀している、不動行光を鞘から音も無く抜き、文字通りの二刀流。怪人体の肉体にも攻撃が通る、オリジナルよりも強度も切れ味も段違いに上昇した、最高クラスの短刀と化していた。
風の鎧すら容易にぶった切る、驚異的な鋭さ。これにはさすがに常時笑顔の成田怪人体も冷汗をかくほどであった。
『――面倒くさいですね、本当に!』
「立場が逆転したな、クソッタレ!!」
信之にとって、河本は愛する存在ではない。しかし、自分を一人の人として見てくれた、数少ない理解者の一人であった。
それに、自身の死をきっかけに、信之に勝利のお呪い≪おまじない≫を掛けた。勝たなければならない理由など、単純であればいい。小難しいとそれを考える労力がかかる。
願われたから、勝つ。少しでも受けた恩に報いるために。『らしく』格好つける理由もまた、単純であればあるほどいいものだ。
少し距離を離し、圧倒的な暴風の力で、目には見えない風の刃を無数に飛ばす。
しかし、信之はそれらの刃を、目を閉じ感じ取るだけで。一対の刀たちで切り刻む。
その中でも暴風が勢いを増していく中、咄嗟に掌を前に出す信之。すると、断絶された新たな空間が生まれたのだ。信之もまた、ベース能力のうち、念力を真の意味で開花させた瞬間であった。
「……オッケー、借り物じゃあない、真にこの能力を今理解した!」
兄譲りの理解力、判断力、身体能力。全て、兄よりほんの少し劣っているだけで、その能力全ては常人よりはるか上。どころか、同い年の礼安に匹敵するほどのポテンシャルや潜在能力の高さを有するのだ。
その新たに生成した空間を扁平させ、その減らした分の空間を棒状に伸長させつつ、無数かつ新たに高速で打ち出す。壁は薄くも風の刃より遥かに強靭であり、ただ避けるしかない。
しかし、それら打ち出した空間の棒は、成田たちを縛り付ける新たな空間となりうる。
それらの空間を新調した棒は、周りと隔絶した新たな手広い空間の壁となり、二人きりの決戦場へと姿を変える。
まるで袋の鼠だ、と言わんばかりに成田は一層に笑むと、信之がその空間に入り込んだ瞬間に、アスカロンの一撃を合わせる。しかし、信之にその一撃は届かない。
それもそのはず、成田と信之の間に新たな空間を生みだし、簡易防御壁としていた。さらに、成田は徐々に異変を感じる。それは、思ったよりもアスカロンを振るう速度が出なかったことにある。
「――気付いたかよ、お前の異変に」
『か、風が弱い……?』
「そんなこったろうと思ったよ、ベース能力のうち、レアリティの高い念、光、闇は場所をあまり選ばない能力だが……それ以外は媒体となるものが無いと満足な力を出すことはできない」
火なら、最低限の酸素。水なら、大気中の湿度。雷なら、通常それらが起こりうる条件、あるいは静電気や体中の電気信号。風は、空気そのもの。
それらが限られている状況下だと、能力をフルに活かすことはよほどでない限り不可能。
空気の残量が決められた、この空間内だと、風の力は半分死んだようなもの。いくら怪人化とて、呼吸はする。装甲を纏った英雄は呼吸の心配はないため、一方的に有利な空間を作り出したのだ。
『出せ、出せ!! 卑怯者!!』
「馬鹿か、だったら少しくらい危機感を感じ取って、逃げたらよかったんじゃあねえの?」
精神汚染状態にある今の成田にとって、敵の排除が完全優先事項。自分がどうなろうと関係のない、礼安よりは下回る自己犠牲の心である。
相手を徹底的に正義の名のもとに殺戮する。そんな大層な正義感を掲げている割には、能力が発動できないだけで焦りだす、実に未熟な精神そのもの。信之は、自身の近くで『無限の策を編み出しつつ、確実な勝利をもたらしてきた』、そんな兄の背中を見てきたからこそ、眼前の存在がとにかく醜く思えて仕方が無かったのだ。
言い表すならば、英雄の卵もどき。卵にもなり切れていない甘ちゃんである。
「お前の中にある『正義』って、何なんだよ。正義の武器を振りかざして、悪人を徹底的に痛めつける、ネット上でしか『いきる』ことのできないクソパンピー共が、死ぬほどやってきたようなことなのか? それとも弱きを助け、強きを挫く……そんな英雄的≪ヒロイック≫思考に基づくものなのか」
「わ、私は……私は『正義』だ!! 貴様ら悪人には屈しない、正義そのものさ!!」
「――薄っぺらい。操った人間がよほどの無能だな。自身の信ずる正義の形くらい、欲の根源くらい、自身で言い表せるようにしておけ――――『下屋≪ブーデー≫』」
その一言で、成田は酷く苦しみだし、自身の身を隙として曝け出した。数少なく残った、成田の自我がそうさせたのだろう。自身の信じるものを、ずっと踏みにじり続けられた苦しみが、そうさせたのだ。
「――やっと、アンタの本質が見えたぜ」
念剣のトリガーを三度引き、二つの『行光』に爆発的な魔力量を帯びさせていく。念力による不可視の刃が、短刀を大太刀以上のリーチまで伸ばす。
「出会い方は最悪かもしれねえけど……俺の償いに、共に命張ってくれ、『森蘭丸』!!」
『――超必殺承認!! ご照覧あれ、無数の蘭は絢爛に乱れ咲く≪オーキッズ・ブルーム・プロフューズリー≫!!』
信之の背後には、念力によって生成した、無数の不動行光レプリカ。まるで嵐のように成田を切り刻みながら、まるで舞うように念剣・行光と不動行光でぶった斬りまくる。
怪人としての肉体を徹底的に切り刻み、内から現れるのは浸食によって犯されていない、本来の成田の肉体。歪んだ魔力から成田を斬り放し、残るのは歪んだ魔力が具現化したものだけ。それが宙へと投げ出されるも、成田へと再び定着しようと醜く足掻く。
雄叫びを上げ、力いっぱい宙へと跳躍。無数のレプリカたちと共に斬り刻み、集中力を研ぎ澄まし全ての斬撃が一点に集中したその瞬間に、空間や時空すらぶった斬る、至高の一刀を振り下ろす。
空が、新たに作り上げた空間が、魔力塊が、チーティングドライバーが。全て等しく一刀両断。念剣を念力によって伸長したこともあるが、千代田区から文京区にかけて、現実ではありえないほどの斬撃による一刀の跡が残った。
「――これが、本来の強さか。今まで……正しく扱ってやれなくて申し訳ない、森蘭丸。そして――」
天へと掲げる、一つの拳。意識を失っている成田を瞬時に抱えながらも、その拳は力強いものであった。
「――――勝ったぜ、河本さん」
静かに涙を流しながら、空に笑いかけたのだった。
しかし、まだ終わりではなかった。
地に降り立った信之は、既に魔力をフルで扱ったためにガス欠状態、そんな中で変身解除した瞬間、信之の後頭部に突き付けられるのは、自動式拳銃≪オートマティックピストル≫であった。
「……そうだった、お前の処理があった」
「寄越せよ、俺の奴隷」
あれほど勝利のために戦っていたはずの成田を待っていたのは、どこからかくすねたターキーレッグを貪る下屋。
「……英雄の武器に、そこまで近代の武器は存在しないはずだが?」
「うるせえよ、早くそこの奴隷を寄こせ」
信之は静かに両手を上げると、下屋はせこせこと彼に手枷足枷を付け、成田の体を抱えて遠ざかった。途中詰めが甘く、銃口を信之の方へ向けていなかった瞬間があったものの、魔力が底をついた状態で出来ることは少ないため、余計な抵抗は一切しなかった。
回復でもするのか、そう考えた信之は目を疑った。
下屋は、まるで屋敷の主人がメイドや使用人に暴力を振るうように、信之に負けた成田を足蹴にしだしたのだ。
「何負けてくれてんだ!! 天才である俺様が出張らなきゃいけなくなっただろうが!!」
戦闘中も、恐らく千代田区内で散策していたのだろう。他に味方を連れていない理由は、手柄を全て自分のものにしたい薄汚い自尊心と、『教会』の中にも多少はある規律を守らなくてもいい、怠惰な心が働いたためだろう。実際、怠惰は体中の駄肉から見て取れる。
「本当にお前は使えないな!! 簡単な使い走り以外まともなことができないのか!? えぇ!?」
「――英雄学園に所属していたとは思えないほど、根っからの外道だな。力があるんならそれなりの女でも周りからアテンドしてもらうか、それか年齢偽ってソープ行くかしろよブーデー」
「やかましいぞクソが!! この奴隷の命がどうなっても良いのか!?」
敵でありながら、初めて眼前の存在を畜生以下だと思った瞬間であった。今現在意識不明の状態で眠りについている、成田の蟀谷に銃口を突き付け、信之の罵倒を打ち消した。
自身の力の用い方が分からないのか、あるいは力の使い方に慣れていないのか。銃を構える照準はブレブレ、自分の身勝手で命を奪う覚悟すらない、まさに小物であった。
「俺は、お前らなんかよりも遥かに上の存在だ! 上級国民だ!! 『教会』なんぞ目じゃあない、財界にもコネがある!! 俺こそが正義だ!!」
なぜここまでの真正の外道と、純朴な英雄科の少女がつるんでいるのか。それには事情があった。
成田は、元からある程度恵まれた因子と身体能力を持ち合わせていたため、礼安のように周りから疎まれることが多かった。しかもこれが一と百、あるいは一と千。それほどにずば抜けたものならある程度諦めはつき、長いものに巻かれるようになるだろう。
しかし、成田は努力によって力を伸ばしてきた。故に、他の生徒と比べると差は近かった。だからこそ、食って掛かる人間は多かった。無益な争いを望まない、心の優しい成田は、自分へのいじめを許容したのだ。
結果、隷属する考えこそ崇高なものと考え、下屋にいいように扱われてきたのだ。下屋が上であり偽りの先輩、成田が下であり、偽りの後輩。
最初は実に軽いものであった。使い走り行為を主に行っていたが、下屋は真性の下衆であった。何も抵抗しないことをいいことに、その要求はエスカレート。カンニングをサポートさせたり、金銭をたかったり。果てには、成田の体を求めたのだ。
しかし、成田はそこで思いとどまった。自分の体を捧げるまでに至るほどには、精神が摩耗してなかったのだ。だが、下屋は徹底的な快楽主義者であり、先ほども述べたように真正の下衆である。
成田に対し、酷い暴力を振るうようになったのだ。本来なら彼女の方が強いはずなのに、彼女はただ耐えたのだ。その後に反撃することを考えつつ、次第にその暴力に憔悴していったのだ。
そしてついに、彼女は暴力の恐怖に負けたのだ。戦闘訓練や座学中にも、時たま暴力のフラッシュバックが起こるほどに、脳が耐えることを嫌がったのだ。
犯人探しが行われたが、成田が下屋の名前を出すことはしなかった。もしここでバラしたら。どうなるかは自明の理。英雄が最悪の暴力に屈服したのだ。
結果、成田は下屋と一夜を共にした。大切なものを、好意など無しに。無理やり欲のままに奪ったのだ。ただ、己が気持ちよくなりたいがために。
それからもこの最悪の関係は続いていたのだが、この合同演習会内で再びタッグとなった。学園長や教師陣からも、何度も心配のメッセージは飛ばしているものの、全て下屋の手によって消去されており、洗脳をあるがままに受け入れてしまった。
全ては、下屋という真正の下衆が、己が保身のために隠蔽し続けた。中途半端に金持ちであるために、金が無かったら大した人間にもなれなかったはずの小物が、英雄や武器という概念を腐らせているのだ。
「――俺は、こいつがどうなろうが、どうだっていいんだよ! 金さえあれば……どうとでもできるんだ!! 飽きたらポイするでも、何とでもできる! 金さえあればこの学園に居座ることもできる、ある程度大成することもできる! 結局、人は金とブランドさえあればどうとでも靡く……それを全て、こいつが中途半端に壊しやがるからそうなる!!」
子宮の辺りをサッカーボールキックで思い切り蹴り飛ばし、意識を失っている成田は咳き込みながら転がる。さらに弄ぶように、下腹部を思い切り踏みにじる下屋。成田自身を人質に取られているため、信之は迂闊に動けなかったのだ。
「英雄というブランドも金で買えた。地頭が悪かろうと、結局は金、結局は権力だ! 俺こそがこの学年の真なるトップなんだよ愚民共!!」
高らかに嗤う下屋。間違いなく、この場の主導権は下屋にあった。どこまで好き勝手しようと、成田の命が危険にさらされる。
八方塞がり。まさにそんな状況であった。
「悪いね、瀧本礼安。流石に、こればっかりは見過ごせねえわ」
片手剣の一閃。それが成田から下屋を遠ざけた。その場に現れた人物こそ、礼安との約束を今まで守っていた男。
「何でお前がここにいる……百喰ゥッ……!!」
「一応自分の陣営だろうと……クソ下衆野郎は俺の趣味に合わない。この剣を血で濡らすのには値しねえほどの小物だろうが……俺、推参だぜ」
今まで英雄陣営と不戦協定を結んでいた、百喰の登場であった。