第六十七話
文字数 4,990文字
「あ、森ししょー! さっきぶりだね、いらっしゃい!」
たくさんの管が付いているため、そこまで豪快に手を振ることは出来なかったものの、まるで数日ぶりに主人が帰ってきたポメラニアンのような、そんな愛嬌のオーラが辺りに一瞬で満ちた。
検査入院、という名目で学園都市内の病院に入院していた。実際は、学園長自身がそう騙るよう各所に口合わせをしておいたのだ。
ただでさえ、待田との戦いの中で、四肢が粉砕骨折以上の状態にまで陥った。カルマが動きやすくする目的のために治療したとはいえ、魔力の残滓による悪影響が無いわけではない。大きな個人病室内でたった一人きり。ある程度の贅沢は出来るようになっているが、ベッドの上からは降りることのできない生活であった。
実際、先ほど学園長室にいたのも特例中の特例。普通だったら医者に怒られてしまうが、せっかく顔を合わせて話をしたい、礼安たっての希望であったからだ。
そんな味気の無い入院生活の中で、少しでも人との接点を作ってやりたい、その一心で信玄は花束とフルーツバスケットを持って見舞いに来たのだ。
傍の花瓶に自身の持ってきた花束を優しく挿入すると、礼安はその生き生きとした花に目を奪われる。傍に置かれたフルーツバスケットの中から、リンゴとペティナイフを取り出し、慣れた手つきで捌き始めたのだった。
なぜか礼安から、ニンニクとその他もろもろの、並大抵の女子からはにおわない、火力の高すぎる二郎めいた香りが漂っていることに疑問符を浮かべながら。
「入院生活、大したもん食えないだろ。だからフルーツ持ってきたよん。俺っちもフルーツ好きだし」
「甘いの基本的に苦手だけど、フルーツはまだイケるよ! 後、ベッドの上から出られないこと以外、不自由は無いよ? ご飯美味しいし! 昨日は麺量一キログラムの二郎系ラーメン全マシマシ食べた! お肉はやっぱり正義だよ!」
「入院中にそんな野郎でも食わないような火力全開なもん食うなよ!! だから滅茶苦茶ニンニク臭いのか!?」
「えへへー」
「いやえへへーじゃあねえし! 俺っちもそんな量食えねえって!? 胃袋ブラックホールかよ!!」
礼安の天然さに気圧されながらも、綺麗な兎の形をした林檎を作り上げ、皿の上に乗せる。
「んな脂っこいものばっか食べてると胃袋死ぬぜ?」
「?? 胃袋は死なないよ??」
「――もういいや、ツッコむの疲れた……」
日頃彼女の世話をしている、院たちの凄さを実感した信玄であった。
二人で一玉の林檎を食べあい、一通り談笑していると、不思議と話題の流れは合同演習会の話に。信玄は最後まで食らいついていたものの、礼安は様々な事情が折り重なって後半の記憶を完全に無くしていた。
「……何をしたかも、待田さん相手にどこまでやれたのかも、何もかも忘れちゃったんだ。せっかく、丙良ししょー達がお膳立てしてくれたのに」
そう悲観することはない、と言いかけたものの、自責の念が強い礼安にとって、その言葉ほど彼女を苦しめるものはない。気を遣われている、きっと彼女はそう思う事だろう。
「……掻い摘んで説明するとな。礼安っち……バケモンみてえな強さになって待田をボコボコにしちまったんだ。俺っちたちが敵わなかった、手配書で一億円の首を取ったんだ」
嘘は言ってなかった。ただ大切な部分をぼやかしていただけ。そのため、礼安の第六感に引っかかることはなかった。
実際のことを話してしまったら、きっと彼女はより自責の念に駆られることだろう。自分の体が、あろうことか『教会』トップにいいようにされてしまった事実。そんなこと、英雄としてあってはならない、どころか、通常ならそんな可能性すらあり得ない。
(一体、この子に何があるって言うんだ……?)
怪訝そうな表情の信玄であったが、心配そうな礼安の表情を見やると、黒サングラスを動かして一瞬でいつもの飄々とした表情へ戻る。
「礼安っちはさ、あの戦いで何を学んだ?」
「――血の繋がりは何よりも大切な関係であること、そして『嫉妬』にまつわる知識かな」
「……俺はさ、努力し続けることの重要性っての、知れたよ。自覚こそしてないけど……きっと礼安っちも一緒だと思う」
努力し続けるにも、才能がいる。故に世の中には『努力の天才』と言われる概念が存在する。礼安は元からある程度の才能があるはずなのに、徹底的に死地に赴いて多くの研鑽を重ねていた。実戦こそが自分を強くしてくれる、最高のトレーニングジム。
生まれ育ったそばで、父親の大きな背中を見続けてきた礼安にとって、今まさに重ねている研鑽も、本人にとっては実に大したことのない、最低限の積み重ねなのだろう。学生が日ごろの授業内容を、懇切丁寧にノートに纏めていくように。
もし、これらの努力を怠っていたとしたら。きっと、待田に見初められて生存する、なんてことはなく。大田区での攻防において命を落としていただろう。
信玄もそう。本当なら、彼の性格上面倒くさがり屋の気が強い。弟に全ての道を譲り、自分の道を自分で閉ざしていたとしたら。弟にも見限られた結果、不良としてどんどん道を誤っていったことだろう。
通常なら、マイナスの感情である『嫉妬心』。それは二人を大きく成長させたのだ。
「……どう足掻いても、一般人≪パンピー≫ってのは他責感情が強い。だからこそ誰かを憎み、誰かに嫉妬しなきゃあ自分を保っていられない。運命のいたずらで……周りよりちょっと優れているだけなんだ、俺っちたちは。だからこそ風当たりが望まないほどに強くなっちまう」
礼安や信玄などを、酷く嫉妬していた裏切り者たちを擁護するわけではない。
裏切り者たちは皆、たまたま『周りよりも頭一つ優れていた』だけの、凄い力を持つ一般人なのだ。感性も何も、とりわけ芸術家のように秀でているわけではない、年齢が頭抜けて伸びているわけでもない。
故に悩み、故に染まり。少し境遇が違ったら、自分たちもああなっていた可能性があった。どれだけ努力しようと、芽が出なかったことによりそうなる可能性があった。
故に、努力し続けることはリスクを伴うのだ。自分を高めるとともに傷つけ続ける、最悪の地獄車。そこを抜け出し成功した人間を嫉妬するのは、当然である。
「私……まだこんなマイナスの感情は分からないけど、嫉妬は……良い感情なの、悪い感情なの?」
「正直――それは俺っちも分かんね。そこまで豊富な人生経験しているわけじゃあねえからさ……でも、これは言える。嫉妬されてる分、自分は優れているんだって。気負うことはせず、より皆を嫉妬させるくらいに伸びてやるのが、皆の成長のためにもなるんじゃあねえかな、って」
嫉妬。上昇志向になりうるかどうかは、当の本人のこれからにしか分からない。しかし現在進行形でされている場合、それは自分が他よりも優れている証でしかないのだ。
ここで日和って、委縮してしまったらその嫉妬は怒りへと変わる。その例がまさに過去の信玄と信之の関係性であった。中途半端に道を譲ることは、持たざる者への怒りを買う。恵まれたからには、その道を征くのみである。
「……だから、断言は出来ねえんだ。嫉妬心がマイナスの感情である、なんてことは」
「――そっか、難しいね」
これより先は、ある種の哲学。その道の学問を学んでいるわけではないため、ただの持論である。しかし、並の高校生以上には辛い人生を歩んでいる存在なため、その含蓄はかなりのものであった。
「……難しいこと考えていたらお腹減っちゃった、森ししょーも何か食べようよ?」
「今さっき林檎食ったろ?? というか匂いの真新しさからして、二郎系ラーメン食ったのも俺の来る一時間以内の話だろ??」
「うん、来てくれる十分前くらいだよ!」
「トンデモねェスピード感だな全く提供されるのも食うのも!! この病院二郎系ラーメン屋か?!」
ベッド横のデバイスで、メニューを開いて信玄に見せる礼安。通常なら食券制の店が多いが、まさかのデバイス内で全完結する、トッピングのマシやマシマシを指定できる驚異の便利さ。こんなところで実店舗以上の利便性を上げてどうなるのだろうか。学園長が指示したのだろうか。
そんなことはさておき、礼安は既に慣れた手つきで注文を終えており、横に注文待ちとして聳え立つのは、麺量一キロ五百グラムの全マシマシマシトッピング。マシマシまでしか選択肢は無かったはずなのに、ものの数日の間にデバイス操作をマスターしていたのだ。
「何で裏メニューみたいなの見つけてるわけ……?」
「違うよ、既に何回も頼んでるからってので特別に開放してもらったの!」
「ある意味裏メニューじゃあねえか!!」
信玄は久しぶりの二郎系なため、麺量三百グラムの野菜マシ程度に留めておいた。礼安の病室で食い過ぎによる虹色の逆噴射、なんて情けない姿を晒したくはなかったのだ。
その後、礼安と信玄の夕食が運ばれたのだが、礼安の一杯はどんぶりではなくまさかの巨大すり鉢。
「いやそれ器じゃあねえって!?」
たった一時間程度。礼安と同じ空間にいただけで、ツッコミ力が上昇したような気がする信玄。ツッコミの努力より、戦闘面の努力を重ねたかったのだが。しかし、努力の大切さは身をもって知ることが出来た信玄であった。
信玄に「食後の運動をしたい」と呼び出された丙良。その先で待っていたのは、学園長と信玄の二人きりが立つ校庭であった。
「何なの信玄、急に食後の運動がしたい……って、何で不破学園長がいるんです?」
「いやね、ついちょっと前に君たちよりも下級生が、校則違反の決闘によって反省文と学校窓磨きの罰が執行されたって話……知ってる? 不当な決闘をしないよう見張ってたんだ」
「それ礼安ちゃんと透ちゃんの話じゃあないですか」
何のことやら、と言ったように、下手糞な口笛を吹きとぼける信一郎。そんなふざけた様子の学園長とは異なり、実に真剣な面持ちの信玄。何故かニンニクの臭いが強い。
「信玄……すっごいニンニク臭いよ。吸血鬼退治でもするの?」
「――文句は礼安っちに言ってくれ」
何のことか理解できない様子であったが、真剣な雰囲気を察して信玄に超強力消臭剤だけ撒くと、紙切れ一枚と共に程離れた位置へ移動した信一郎。学園都市内で新たに開発された、一撒きするだけで全ての臭いを消せる、とんでもない代物である。
「……それで、何でこの場に呼び出したのかな? 一緒にトレーニング手伝ってくれ、ってこと?」
しかし、その丙良の表情は、心の底では理解している、そう言いたげな柔らかな笑みを浮かべていたのだ。長いことコンビとして大暴れしていたからこそ、二人の間には見えない繋がりが存在するのだ。
少し間を置きはした。しかし、何も分からなくなっているわけではない。寧ろ、ほんの少し距離を置いたことで、今回の合同演習会でより理解したのだ、本当に相性のいいタッグは別にいると。
それこそが、二人の眼前にいるお互いなのだ。
「――あん時は悪かった、怒鳴ったりして。慎ちゃんの事情も知らずにさ」
「……でも、あの時。久しぶりに信玄をあの渾名で呼んだ時。自分の悩みは……杞憂なんだって知れた。次いつ会えるかも分からない、そんな儚い存在である僕たちは……悩んでいちゃいけないんだ」
失ってしまう可能性を考えて、よそよそしくした翌日。その人物がいなくなってしまうことを考えたら、非常にやりきれない気持ちで満たされてしまうだろう。
丙良の行動は、『喪ってしまう可能性』に慎重になり過ぎた結果、『喪った時』のことを考え切れていなかったのだ。
だからこそ、丙良は信玄に拳を向ける。お互い、今まで生きてきて年齢の割に多くの苦労を経験した。その疲れ、経験、痛み、そしてそれらで得た強靭さが込められた拳を、軽くぶつける。
「そんじゃあ改めて……食後の運動付き合ってくれるか? 『慎ちゃん』」
「……とはいっても、僕はまだ何も食べてないから、腹を減らすのにうってつけなレベルで試合おうじゃあないか――『ノッブ』」
お互い、ロック・バスターと念銃を顕現させ、背を向けて程離れる。さながら荒野の決闘と言わんばかりに。
夜の校庭。たった二人きりの、友情の交わし合いが行われるのであった。
「「変身!!」」