第二十八話
文字数 10,114文字
階層の構造としては、最高三階で構成された迷路と表現するのが正しいだろう。主な構造意図としては、盗人や邪な目的を持った人物を逃がさないため。そのためこの銀行に勤める人間でない限り、最短ともいえる経路≪ルート≫を頭に叩き込めない。秘匿領域にある銀行のマップを取得していない限り。
しかし、最初からエヴァはあらゆるガジェットを用いてすでにマップを把握済みかつ共有済み。その共有内容が、まさにあの各種資料内に添付されているのだ。
一階が出入口兼一般銀行フロア、二階は融資相談フロア、三階は埼玉に訪れる重役接待および『話』をする場。それぞれ、丙良の代わりを担いつつ最も腕の立つ信一郎が入り口を塞ぎ、次点で戦闘経験者である院が二階を担当、そして残った面子かつ更なる情報取得のためにエヴァが三階を担当する。
「院さん……ご武運を」
「ありがとうございますわ、エヴァ先輩」
女の子二人の間に入り込む、なんて野暮なことは考えなかったが、なんとも蚊帳の外感が強い信一郎は、年甲斐もなく落ち込んでいた。
「ほら……なんか激励の言葉とか……無いの!? 学園長泣くよ!? 大人の本気の駄々こねっての見せてやるぞ!?」
「もしそれ行ったら礼安にチクりますわよ」
その院の一言で良きパパモードのスイッチが入った信一郎は、何も語らなかった。だいぶ悲しそうな顔をしていたが。
信一郎は、上階に向かう二人を満面の笑顔で見送ると、また一瞬にして表情を変える。『原初の英雄』たる真剣な表情そのものであった。
「――ねえ、それで隠れてるつもりかい? 出てきなよ、私と面と向かって喋ることを『許す』よ」
信一郎がフロア中心に向き直ると、そこにいたのはこの銀行の影の権力者たる存在、「副支店長」。
二メートルを超える長身に、圧倒的筋肉。頭脳を常に働かせる仕事であるはずの金融業界者でありながら、当人だけで融資から厄介者の排除まで出来てしまう実力者であることは間違いないだろう。カイゼル髭をたくわえ、モノクルをかけた、圧倒的筋肉の圧さえなかったら模範的な英国紳士とも思える風貌であった。
「失敬……まさかあの英雄界のトップともいえる存在が、こんな場所にまで出張るとは……恐悦至極でございます」
「いやはや、今回は少々事情があって欠員が生まれちゃってね。今回特別で馳せ参じたってわけよ。私の姿、今はもうだいぶレアだから網膜にまで焼き付けといたほうがいいよ??」
実に軽妙な口調で大人のやり取りを演出してはいるものの、信一郎は実にリラックスしていたのだ。体の各所どこを取っても、無駄な力が一切入っていない状態。未熟な相手によっては、手を抜いていると思われるほど。
「では自己紹介を……私はこの『教会』埼玉支部所属、そしてこの壇之浦銀行副支店長を務めています、齢六十の丸善 富雄≪マルゼン トミヲ≫と申します」
「へえ、ご丁寧にどうも。私は英雄学園学園長兼世界を股にかけるトレジャーハンター……そして、この現代日本における『原初の英雄』、齢五十三の滝本信一郎。以後――お見知りおきを」
丸善は、相手の力量を知っているが故、加減など無粋であることは理解していた。しかし、当の本人である信一郎は一向にドライバーを構えない。
「――変身は、しないので?」
「逆に聞くけど――いると思ってる??」
その相手の精神を逆なでするような振る舞いに、敢えて乗せられてやろうとインスタントライセンスを装填、チーティングドライバーを起動する。
『Crunch The Story――――Game Start』
「変、身ッ」
一瞬にして、怪人体へ姿を変える丸善。
元の恵まれた肉体を存分に生かすように、より歪んだ魔力によるドーピングを施した肉体。パワーだけの筋肉ダルマにならないように、しっかり脚部にも常時魔力を供給。さらに曲がったことを嫌う丸善の性格が表れているために、刀と言えるものは携帯しておらず、己の肉体だけで全てをこなす高次元のバランス型と言えるだろう。
怪人化の特徴と言える、一部が常人と異なる歪んだ状態であるのだが、それは顔部分に表れている。両目、口が痛々しく縫い付けられているようなビジュアルであった。
「すぐに、『変身しなければ』と危機感を持たせてあげましょう」
「へえ、それは僥倖。久々のまともな戦いだ、同じくらいの年齢層の相手に向かって言うのも違うかもしれないが……結構体がジジイでね、なまってるんだ――――ウォームアップくらいはさせてくれよ??」
埼玉支部のミドルと英雄サイドのミドル。平均年齢高めな戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
丸善の解放した魔力により空間が引き延ばされ、無限ともいえるロビーへと進化。どれだけ逃げようと画策しようとも、出入り口など存在しない。どちらかがくたばるか、それによってこの空間は解放される。
「――へえ、少しでも私のやる気を上げようと頑張って。結構好感高いよ」
「銀行のロビーとはいえ、お互い満足に戦うには……狭すぎるのでね!」
繰り出されるのは、プロボクサーの拳など鼻で笑えてしまうほどの亜音速ジャブの嵐。
信一郎はそれらを未来が見えているかのように、すべて美しく軽やかに避け、自身に被害がいかないように捌きたおす。
緩急を付け、意表を突くためにジャブ以外にフック、ストレートなど様々織交え一気呵成に攻め立てる。
「すっごいね、通常六十でそこまで動けないって。ボクシングフィットネスのインストラクターとか、セカンドキャリアとしてお勧めするけど?」
「それは――興味深い提案ですね!」
丸善の繰り出す拳が、不可解にも次第に速度を上げていく。
(――何か、裏があるな?)
信一郎はとっさにガードを解き、隙を作り出す。丸善の拳が顔面へと迫る中、さらに急加速。その瞬間に、スウェイで回り込む。
「タネを見破ろうとしているなら、無駄ですよ」
すると、丸善の側面にスウェイしたはずの信一郎の体が、『なぜか』丸善の拳の前に瞬間的に移動されられる。
信一郎の顔面に、丸善の亜音速の拳が突き刺さる。骨を砕くような不快音こそならなかったものの、衝撃の瞬間に分厚い鉄塊に風穴を開けた時のような、耳をつんざく爆音が響き渡る。
「何か考えがあったのでしょうが……全ては無駄なことなのです」
満足している様子であったが、しかし。巨大な拳の向こう側から信一郎の快活な声。ダメージなど一切負っている様子など感じさせない、否、『感じていない』ような。
「いやはや、これは結構面白い。君ほどの地位にあると、まあまあな能力を貰えるんだねえ」
その瞬間、後方へ退避する丸善。これはある意味生物的本能のようなものかもしれない。生命を守るための、戦略的撤退であった。
その場に立っていたのは、無傷の信一郎。あれだけの爆音を生じさせるほどの一撃を受けておきながら、一切の些細な傷なく、そして攻め立てる意思など感じさせることなくへらへらと笑っていた。
「君の能力について。ざっと答え合わせ……しちゃっていいかな??」
静寂に包まれるロビー。それを肯定の意ととらえた信一郎は、静かに語り始めた。
「――考え付いたのは、二つ。単純な『肉体強化』か、ほんの少しの空間を『削り取る』能力か。まあ後者の可能性の方が高いかな。起点となる瞬間は興味ないから特に考えてなかったけど……面白い能力≪オモチャ≫貰ったねぇ」
瞬時に判断する力、そして理解する力。総じて『見る力』が尋常ではなかった。
あれだけの速度感で殴られていれば、拳が衝突するインパクトの一瞬、その間に加速している、なんて理解できないだろう。
「お互い年の問題もあるし、魔力でのアシスト、ってのも考えたが……そうなると瞬間移動の謎は解けない。どちらにせよ、自分の自慢の拳を叩きこみたい、ってこだわりを成し遂げるために大ヒント与えちゃあダメでしょ」
「――なるほど」
通常、あの拳こそ丸善の決まり手。それを『ヒントを与えている』と認識しているあたり、この眼前に立つ男の異常性を際立たせていた。
「でも批判ばかりじゃあない、評価点もあるよ。あのラッシュ中の削り取りはうまいと思ったよ。ああいうやり方だったら、あと二分ほどは能力理解を遅らせられただろうね。それこそ……学生諸君には少々荷が重い相手となっただろうねえ」
笑いかける信一郎に対し、丸善はと言うと。喜びに打ち震えていたのだ。
自分の自慢の拳を封じられたことによって精神がおかしくなったわけではない、相手している存在がどれほどの存在かは、重々承知していたためである。
丸善は、こうして信一郎と戦えていることに、何より喜んでいたのだ。
たとえ、明確なダメージはおろか、かすり傷すら与えられなくとも。こうして立ちはだかれていることに、うれし涙すら浮かべてしまうほど。
「――ああ、やはり貴方は素晴らしい。現役時代からずっとそうだった」
「……まさか、現役時代からのファンだとか? だとしたらお宅の神様涙目だねえ、信仰対象が敵の親玉だとは」
そう、丸善にとって信一郎は……『原初の英雄』の存在は、何より『誇り』であった。
『原初の英雄』として日本各地で悪事を働く輩を成敗し、あらゆるメディアに取り上げられた信一郎。丸善もまた、そうなりたかったのだ。
丸善は、当時新卒新入社員として、現代の荒波に立ち向かっていこうとしていた。しかし、結局は酷い上司にこき使われ、精神と肉体を摩耗していった。人生に絶望し自殺を図ろうとしていた時に、その上司が怪人として目の前に現れた際に咄嗟に現れ、圧倒的力により退治。
冷徹、冷静、冷血であった彼の姿を見て、まさに憧れの対象であった。
その後、信一郎が全世界に発表した情報の一つ、『因子』について気になっていた丸善は、即座に専門機関に受診、自身も信一郎と肩を並べたいと思ったが故の行動であった。
しかし、結果はハズレ。英雄として活躍することはおろか、英雄を志すことすら許されてはいなかったのだ。
(何とか、何とかなりませんか!?)
(我々に、『法を破れ』と? ……せめて、法外なことを求めるなら、法外な金額くらい用意して当然でしょうに。これだから貧乏人の相手は反吐が出る)
どれほど志高かろうと、世間の誰もが『持たざる者』に冷たい。結果、丸善は世間への不信感を募らせ、どん底へと落ちていった。
やがて借金まみれとなっていく丸善は、あるタイミングで宝くじを拾う。しかもその宝くじは、今自分にある借金を全てチャラにできるほどの当たりくじ。それゆえに、金に救われた丸善は、徐々に金に対して執着するようになっていった。
『教会』へと入信し、金欲に執着していた丸善は、埼玉支部へ配属される。あらゆる辛酸を飲み干してきた丸善にとって、汚れ仕事など些細なこと。どんなことでもやってきた。
その貪欲さから鰻上りに役職を昇進させ、グラトニーの側近ともいえる存在にまで相成った。
しかし、それは本当に金に対する執着だけだったのか、と言われたら無論違っていた。
英雄を志していた彼にとって、信一郎の存在は光そのもの。そんな存在にどんな方法を用いたとしても近づき、やがて自分が殺す。どれほど敗北を喫しようとも、いつかは力をつけ憧れを超える。
その歪んだ欲が、丸善の心を支配していった結果。丸善はその場にいた英雄の卵をあの『ホロコースト事件』により捕縛。多額の金と英雄の卵の命を以って、因子の脱法移植を行った。自分を『貧乏人』と罵った医者のもとで。
(――こ、これで因子は移植した。満足か)
(――ええ。実にいい気分ですよ)
秀でた力を得た丸善は、移植を担当した医者と、その手術にかかわった医者を全員殺害。報復はそれで完遂した。世間への長年の恨みはそこで少しばかり晴れた。
それこそが、丸善がここまで人生と言う戦場で戦えた理由であった。
「――私は、英雄になりたかった。貴方と共に、背中を預けあいながら戦いたかった。それこそが、人生の最大目標だった」
「…………」
眼前の歪んだ憧れを抱いた存在に、憐みの目を向ける信一郎。そう成り果てるまでに、どれほど泥水を啜ったか、容易に理解が出来るために、特段責め立てることはなかった。
「それゆえに……私は貴方の子供……特に滝本礼安が許せなかった。現役時代の貴方を彷彿とさせる、まっすぐな正義感……しかし、あの普段の馬鹿な立ち居振る舞い。英雄を志すには、本当に甘すぎる思考。非常に……腹立たしい」
資格すら与えられなかった者と、資格を自覚することなく半ば成り行きで入学した者。
運命のいたずらとはいえ、丸善にとって礼安のことは殺したいほど憎たらしかったのだ。あの入学式の一件で、よりそれが顕著に。たかだか大した高尚な意識も無い七光りが入学しているように見えて。たまらなく不快で、憎たらしい。
人間のマイナスの感情をソートし、それら全てを大鍋でごった煮。それが礼安への感情であった。信一郎には『憧れ』を、礼安には時を経るごとに肥大化していく『殺意』を。
「存在が憎たらしい、さらに現役時代の貴方と重なる部分が、非常に多い部分も憎たらしい。蛙の子は蛙、と表現するべきでしょうね。もし叶うなら……あの礼安とか言う小娘ではなく私があなたの子供として生まれたかった」
そんな酷い感情を吐露する丸善に対し、信一郎は『笑った』のだ。怒るでも悲しむでもなく、ただ高らかに笑ったのだ。
「そこまで思ってくれんのは結構! うちの子に対して殺意抱いてんのも結構だ! それこそ私たちと君たちの関係性だからな、実に健全だ!」
そんな信一郎が、一瞬にして豹変した。今まで微塵も感じさせなかった殺気で、ロビーフロアの広々とした空間を圧し潰していく。今まで満面の笑みだったはずなのに、怒りをむき出しにしていたのだ。
まるで、今まで笑顔の好々爺といえる面をつけていたはずが、一瞬にして面が切り替わって般若の形相となったように。
「――――で?? 部外者であるお前が、我が子の在り方に文句がある、と??」
信一郎にとって、自分を褒め称えられたり、貶されたりすることは別に構わない。それによって普段の立ち居振る舞いを変えることは一切ない。ただ笑い飛ばすだけで、すべてが片付く。
しかし、これが自分の愛する存在に向いたとしたら。親として、一人の男として黙っていられるほど、信一郎は大人ではなかった。
だからこそ親子なのだ。礼安や院の怒りの沸点と、信一郎の沸点。鏡合わせのごとく同一なのだ。
「お前が、あの子の身にどんなことがあったか、そういうことは一切知らないだろうね。それは十分に理解した。まあたかが他人だし、理解してもしなくとも変わらないが……だとして、親の目の前で我が子を侮辱するとか――――どういう了見だ??」
先ほどよりも、圧倒的に語気が強くなっている信一郎。殺気で並の構成員なら殺せてしまいそうなほど、場を圧し潰していく。現に、丸善の屈強な肉体は、圧に屈して既に跪いている。その場に超重力でも渦巻いているかのように、少しでも気を緩めればひれ伏してしまいそうであった。
「――もし、この侮辱で私に全力で戦ってほしいなら、それはお前の予想通り。今ならある程度の力を以って交戦することも、やぶさかではないよ」
「――ああ、貴方を目の前にした瞬間の圧。あの糞野郎も……こういう気持ちだったんでしょうね。底知れない絶望感、まるで死刑執行を間近に控えた死刑囚のような心地ですよ」
だからと言って、丸善は抗戦する意思を無くしたわけではない。そう、恍惚そのものであった。殺意を向けられているこの状況こそ、彼自身が望んだこと、臨んだ状況そのものであるのだ。
ファイティングポーズをとり、薄気味悪く笑んで見せる丸善。その瞬間に、その場に満ちていた殺気が霧消する。信一郎は理解してしまったのだ、この男の策略に乗せられたことを。
決して、丸善が口にした感情に嘘偽りはないのだろう。礼安を憎たらしく思う気持ちも、信一郎に対して強い憧れの感情を抱いているのも。
「――面白いな、お前。自己満感情MAX状態で、私怒らせてダイナミック自殺を考えるとは。私の気持ちを完全に利用してなんて……銀行勤務と汚れ仕事で人心掌握術でも学んだのかい?」
「……かも、しれませんね」
回りくどい、と思われてもいい。この対立構造こそ、第一希望の夢が叶わなかった者の第二希望の未来。
「――ご希望通り、久々に変身してあげよう。そうして……」
胸元に、現役時代から長く使い続けてきた、旧型のデバイスドライバーを構える。力強い勢いのままに、下腹部に装着するとヒーローライセンスを構える。
「その夢が叶った、人生史上最高の喜びを噛み締める暇≪いとま≫なく、叩き潰すか――じっくりしっかり夢を味合わせてやるか……嫌な方選ばせてあげよう、古参ファンよ」
「嫌な方は――――無論、前者でしょう」
信一郎が認証し、手にするライセンスには、緑と黄色の飛蝗二匹と、紅の鍬形一匹がデザインされたもの。
『認証、原点≪ゼロ≫に至る物語! 皆の心に宿る英雄たち≪イマジナリー・ヒーローズ≫よ、集え!!』
荒々しく装填すると、信一郎の周りに現れる、実体をもった昆虫たちの巨大な鋼鉄のビジョン。飛蝗二匹は地面を破砕しながら跳ね回り、鍬形は辺りに寄り付かせないよう超高速で飛び回る。
「――変身」
『GAME START! You Are SUPER HERO!!』
不敵に笑んで、ドライバーの両側を荒々しく押し込むと、それぞれのビジョンが信一郎と機械的に融合、やがて現れるのはスマートな装甲≪アーマー≫に身を包んだ信一郎であった。
「過激かつイカれたファン。そんな残念な奴の願いを残酷に叶えてやれるのは、私の――いや、『俺』の役目かな」
紅、深い水色、黄色の三色を首元のマフラー型装甲の色とし、赤色の複眼じみた装甲と拳部分を作り上げる深い水色の攻撃装甲、そして背に複数備えた、飛蝗の後ろ足のように脚部を折りたたんだかのような形状の、くすんだ黄色の加速機構。それ以外を白銀の装甲で覆った、原点の英雄の立ち姿。悪人は、その姿を見ただけで死を覚悟するという。
「『俺』がこの姿になったら名前が変わる。それは、理解しているよね」
「――『アーマード・ダブルオー』!! 待ちわびていましたよ、貴方のことを!!」
憧れの存在が眼前に立つことが、信じられなかった。随喜の涙を浮かべながら、チーティングドライバーの上部を二度押し込む。
『Killing Engine Re/Ignition』
「只今より、怪人・丸善富雄の『処刑』を執行する」
処刑の執行、それ即ち『アーマード・ダブルオー』の怪人に対しての、現役時代からのルーティン。彼の信条として、絶対に殺しはしない。怪人としての一生を終わらせるために、どれほど相手が憎たらしくとも一撃で終わらせる、有情の証である。
「ああ――これで良かった!! ようやく……念願叶う!!」
実に嬉しそうに、無防備に『ダブルオー』へ駆けていく。自慢の拳に込めた歪んだ魔力を、必殺技として撃ち放つため。
最後まで、ファンでありながら敵であり続ける。そんな強固な覚悟を抱く者に、敬意を表する信一郎は、両側を再び深く押し込む。
『超必殺承認!! 究極の一撃≪アルティメット・インパクト≫!!』
丸善の必殺の拳を真正面から受け止め、宙へ勢いよく蹴り飛ばす。
残像によって、信一郎が数十名に増えて見えるほどの超スピードで迫り、さながら集団リンチかのように、目で追う事すら許さない乱打を叩きこむ。
次第に、丸善の胸部に、光指すことすら許さないほどの漆黒の球体が現れる。
「お前の罪を、俺が裁いてやる」
残像が一点に集まり、稲妻迸る飛び蹴りが、その球体を易々と砕く。それと共に丸善の肉体を捉える。圧倒的衝撃により、骨は豆腐のごとく崩壊する。
地面もまた、衝撃を一切殺すことを許されることはなく、地盤がひっくり返るほどの衝撃を食らった結果、開ききった蓮の花のように超広範囲に渡り完全崩壊。
銀行の煌びやかかつ落ち着いた雰囲気のあるロビーが、たった一撃により廃墟以上の荒廃した大地と化したのだ。
「ファンミーティングってのは現役時代経験してなかったが……悪くなかったかもな」
わずか、一分足らず。信一郎が変身し交戦した時間はその程度。超必殺技待機状態からこの崩壊を生み出すまで、たった五秒。
旧型デバイスドライバー・『デバイスドライバー・シン』には『GAME CLEAR!』の文字。変身を解除しながらぼやく信一郎は、困ったように笑って見せた。
これにより、「『教会』埼玉支部兼壇之浦銀行副支店長」丸善富雄と、「英雄学園学園長兼『原初の英雄』」滝本信一郎の戦いは、過激なファンのヘドロのような感情を受け切り、あまつさえ夢を叶えて見せた信一郎の完全勝利と相成ったのだった。
旧型デバイスドライバーを懐にしまい込み、怪人化が解除され無力状態にある、丸善の隣に腰掛ける。
まるで爆心地の中心のような場所で、二人佇むその状態は、丸善にとって夢同然の状態であった。
「――まだ、夢見心地状態かい? 今ぱっと見一張羅のスーツ全部おじゃんになって人生どん底、みたいなもんだけど」
紳士然としていた丸善は、髪も服も肉体も、全てがズタボロとなった状態にあった。実際問題、信一郎がある程度応急手当を施さなかったら、死亡もあり得る状態であった。
それでも、どれほど傷を負った状態であったとしても、丸善にとっては夢が叶った状態であるため、どうでもよかったのだ。今多量の札束を何千本も用意されたとしても、一切靡かないだろう。
「……ええ、気持ちのいいものです。全てを失って、普通なら絶望に打ちひしがれるでしょうに――――貴方と拳を交えられたことが何よりもの歓びです。……とはいえ、貴方はある一件を除いて全力なんて出したことないでしょうが」
「ご名答、今回も全力を百としたら……一、出していればいい方じゃあないかな?」
丸善は瀕死、信一郎はスーツのほつれ一つすらない無傷そのもの。対照的な二人であった。
「……君、本当不思議なもんだよ。『憧れ』と『憎しみ』をしっかり同居させた面倒くさい感情持っておきながら、それに準じながら生きはするが、願いのために命投げ捨てようとする危うさを孕んでいる。感覚が青い……と言うか、若いね」
「六十年……内四十五年ほど。貴方のために人生を棒に振ってきたのです。今更どうということはありませんよ」
六十歳であるものの、心は英雄志望の若さを保っていた。結果歪んでしまったものの、その願いはこの場を以って達せられた。
「――君の心は実に厄介だけど……憧れられるのは悪くない。もしお前に因子があったら……本当に私の隣で戦う存在になったかもね」
信一郎は何事もなかったかのようにすっくと立ちあがり、この場を立ち去ろうとする。顔を実際窺ったわけではないが、どこか名残惜しそうな雰囲気を感じ取った信一郎は、名刺ケースから自分の名刺を一枚、丸善へと渡す。
そこには信一郎の連絡先が記されていたものの、そこに追加して彼は胸元からサインペンを取り出し、速記で自慢のサインを記す。この場で、世界で一つの名刺を作り上げたのだ。
「この案件が片付いたら、君ら埼玉支部は全員ブタ箱行きだろう。でも……もし獄中できっちり刑期を全う、さらに模範囚として頑張っていたら、ここに電話しな」
サインを貰えたうれしさと、語られていることの謎が相まって、複雑な表情をしていた丸善。そんな彼にも分かりやすいように、柔らかな笑みを湛え握手を提示する。
「もし、まだ気持ちがあるんなら。私が少しくらい英雄としての稽古をつけてあげよう。それが頑張ったファンへ、私ができる数少ない返礼だ」
現行の法だと、絶対にちゃんとした英雄にはなれない立場にある丸善。そんな彼を少しでも救うには、何よりもの得策であった、
「あ、模範囚であるって嘘ついたらこの約束はナシね。全国の看守長たちと私マブだから、嘘ついたら一瞬でバレるよ」
涙が溢れる丸善。どれだけ道を踏み外しても、受け入れようとする信一郎の心意気に惚れていた。
「確かに、脱法移植したことや多く人殺害している点は駄目の極みだけど……その憧れを芯にした心まで否定できる奴はいやしない。曲がったことは清算しきれないだろうが……それでも全うに生きたいって意志があるなら、私がドロップアウトした人の受け皿になってあげよう」
「ああ……ありがとう……ございます……!!」
年甲斐もなく、子供のように泣きじゃくる丸善。そしてそんな子供を優しく宥める信一郎。
英雄サイドと『教会』サイドの、奇妙な繋がりが生まれた瞬間であった。