第三十話
文字数 7,361文字
しかし、その道中で、幻聴と思える声がそこかしこから聞こえてきたのだ。最初は敵襲化と感じた院は、その場で戦闘態勢を取るも、一向に敵はやってこない。若干の薄気味悪さを感じながらも、その建物内を下っていく。
聞こえる声は、実に楽しそうな子供の声だったり、両親と思える人物の笑い声だったり。院にとって、幻聴に近い状態で聞こえてくる意味が理解できなかったのだ。
(――この世界の成り立ちと、何か関係があるのでしょうか)
歩を早める院の前に現れる、数多くの写真風の絵画。通路や部屋中に、多くのそれが飾られていたのだ。
それら一つ一つをじっくりと見ると、楽しさの中に悲しさを感じ取れたのだ。いつか、この平穏な生活が崩れ去っていくのか、という、未来が見えているかのような絵画のタッチ。
「――これって」
院が言葉を失った、一枚の絵画。それは……今は無き埼玉郊外に存在していた、スラム街。それを高所から表した絵画であった。
「何で、スラム街が……?」
その疑問を解消していく、残虐な絵画たち。そこには、多くのものに虐げられているスラムの住人達の絵画。女子供一切関係なく、抵抗する者も無抵抗の者も、一切の感情の乱れなく平等に殺戮していく。
「ここまで鮮明に描かれているのは、なぜ……?」
次第に、小窓から見える空は下層に近づいていた。ワイヤーガンでかなりの距離を上ったはずなのに、建物内から下層に向かう場合は、実に体感として早いもの。速度は圧倒的にワイヤーガンの方が早かったはずなのに、絵画に秘められた感情を読み取りながら歩いているだけで、スタート地点近辺まで下りていたのだ。
これが、東仙がかなりの距離を落ちた院を、簡単に追跡できた理由だろう。
細かく納得していきながら、徐々に歩を早めていく。その理由は、先ほどから目に映る絵画と幻聴が、その惨劇のもの由来ばかりであったのだ。
肉を割かれ、爪を剥がれ。髪の毛など平気で毟り取り、犯してから見るも無残に惨殺。それが男女問わず、果てには子供である免罪符などあるはずもなく、等しく大人と同じ被害を受ける。ただただ気分が悪くなっていった。
その渦中に叩き込まれたかのような、不の感情ばかりが溢れ出してきそうだったのだ。
ただ生まれた場所が少し異なっていただけで、ここまで残酷になれる人間の醜さが、院の不快感を増幅させていた。
あまりにもの、血肉のオンパレード。涙など流れ落ちる前に、それぞれの肉体から実に温かい『いのち』が濁流のごとく流れ落ちていく。
そんな絵画や幻聴に苛まれながら歩を進めていくと、絵画や幻聴の雰囲気ががらりと変わっていった。それと同時にかなりの下層まで迫っていたのだ。遠くに感じていた東仙の魔力がそこまで距離を開けず、さらなる下層に、確かに存在しているのを感じるのだ。
触れていく絵画群に描かれているのは、今まさに存在する埼玉支部。そして多くの埼玉支部所属の『教会』メンバーたち。それぞれ、作者紹介かのように略歴が記されていたのだ。
しかし、その中で唯一、恨めしそうに。高尚な芸術作品をぶち壊すかのように、建物用の赤いペンキと巨大な刷毛でバツ印を付けていたのは、他でもないグラトニー。自分の所属する支部の頂点を、ここまで恨めしそうに考える理由は、そう多くはない。
一つの仮説に辿り着こうとする院の目の前に、急にルール説明のホログラムが現れる。理路整然と説明画面の役割を果たしていたはずの画面が、唐突に乱れ始める。まるでバグでも起こったかのように、ルール画面をもてあそんでいくノイズ。いくつかの文字だけが残り、その後アナグラムとして組み変わっていく。やがて出来上がった文章は、『どちらか一人しか脱出は出来ない』。
(実に――趣味の悪い。まだ入学前丙良先輩に叩き込まれた、あのゲーム空間の方が数百倍マシですわよ)
だんだんと、院はこの空間の正体に気付いていた。そして、この空間の持つ悪質性も。
『誰か』の意思とは真逆に進み続ける、それ以外に生き残る道のない最悪の世界。
「――この空間に取り残された者は……死ぬ。体のいい、自殺のフィールドということですわ」
階段を降り切ったその先には、当初の明るい雰囲気など微塵も感じさせない、陰鬱な表情の東仙であった。
「全て……俺が招いたこと。それに巻き込んだこと……非常に悪く思うよ」
この別世界、通称『アマノジャクフィールド』。全て思ったことと真逆の事柄が起こりうる、実に何でもありの世界。
それは、彼の内面を表現したものであるのだ。
彼が公平な勝負を望めば望むほど、院に分の悪いものになる。
彼が少しでも応援したくなるほど、その攻撃は苛烈なものに。
彼が私情に巻き込みたくないと考えるほど、院はこの空間に飲み込まれていく。
彼の真なる願いである「自死」を願えば願うほど、彼の思いとは裏腹に世界が院を攻め立てる。
スラム生まれで親を早くに亡くし、天邪鬼となってしまった東仙の願いを阻むための、グラトニーの最悪の嫌がらせであった。
「――どう足掻いても、この世界の常識は覆らない。奴に逆らおうなんて考えたのが……俺の失敗だったんだ」
本心から漏れ出る、東仙の悲痛な叫び。
あの『ホロコースト事件』で多くの存在を失ってから、長年恨みをため込み、それをひた隠しにしながら生きてきた東仙。それがこの世界を生み出す要因となっている。グラトニーという性悪を叩き潰すためになら、いくらでも自分を殺して見せる、そう覚悟を決めたが故の『天邪鬼』であったのだ。
自分を取るか、少しでも奴を討ち取れる存在を取るか。二つに一つしかない。
それゆえに、ルール改変など……彼の望んだことではないのだろう。しかし、この世界の性質上、仕方のないこと。できるなら、二人でここを抜け出してグラトニーに一発でも拳を叩きこみたいのだろう。でも、それは不可能なのだ。
「――だから……どれだけ腕っぷしがなかろうと……立ち向かって死んだ方が――――君の罪悪感を軽減する助けになるかな」
「……それ以上は、やめなさい」
正直、ここに至るまでの道のりで、院は戦闘意欲を失っていた。あの凄惨な絵画や幻聴……すなわち、東仙の見てきた世界や実際の幻聴が本人の意思とは真逆に現れた結果、牙を抜かれたのだ。そんな被害者同然の復讐者≪アヴェンジャー≫に対し、殺してやろうとか、この世界から自分が一刻も早く出たいだとか、そういった気持ちは微塵も無かった。
「――貴方は、今までどれだけのつらい経験をしてきたのだか。正直、他人の私には分かりきれない部分があります。だからせめて……救いになりたいのです」
礼安が、一切の濁りなきお人よしなら、院もまたそのお人よしになってしまう。礼安を一番大事に思う気持ちはあるが、それでいて困った存在を助けたいと思うのもまた本音。
しかし、東仙はそれでいて戦意喪失状態にあった。自分だけにどうこうできるほど、この眼前に立つ存在は甘くない、と。東仙の向かう先には、この世界の出口の扉があった。しかし、その先に足を運ぶ意思がなかったのだ。
だが、院は変身を解除し、そんな東仙の頬を平手打ちする。
「――生きることを、諦めないでくださいまし。いくら自分に自信がなかろうとも、私がその復讐する対象でなくとも。少しくらいは、形だけでも敵対しているのなら、泥臭くしがみ付きなさい!! 打ち負かしてやる、って……少しくらいは復讐心をばねに、私たち英雄に立ち向かって見せなさい!!」
力が弱いから、素質がないから。それは戦わない理由にはならない。どれだけ差があろうとも、誰かを守るために戦う存在こそ、英雄。東仙はそうでなくとも、素養は確かなもの。魔力性質とその扱い方は並より圧倒的に上。だからこそ、戦わずに命を擲とうとする消極的な姿勢が、院の癪に障ったのだ。
東仙は、チーティングドライバーを手にするも、未だ表情は暗いままであった。
「――俺は、君を傷つけたくはない。君たち英雄サイドがこの先の世界で、うちのトップを蹴落としてくれた方が……正直確実だ。俺は復讐心ばかりで……きっとアイツを殺せない。スラムの人たちの願いも――果たせない」
口にしているのは、間違いなく本心。しかし、世界はそんな東仙の意思を感じ取り、東仙の思考を、脳内を汚染していく。本心から傷つけたくないのなら、無理やり傷つけさせる心持にさせる。
激痛を伴った洗脳は、苦悶の叫びを上げさせるには充分であった。しかし、駆け寄って気にかけようとした院を、「来るな」と苦しそうではあったが制止する東仙。
「――だから、俺を倒せ英雄≪ヒーロー≫!! スラム上がりの俺の意思を、『ホロコースト事件』で犠牲になったスラムの人々の意志を、無駄にしないでくれ!!」
チーティングドライバーから延びる複数の管。それが東仙の下腹部に取り付き、強制的に変身。東仙は激痛を負いながら体が異形化していくのであった。
『Crunch The Story――――Game Start』
変身しきった東仙は、叫び声一つ上げない、静かな武士となった。腕が刀の刃となっており、体の各所に触れるものすべて傷つけてしまいそうなほどの、鋭利な棘を生やしていた。彼の精神性が伺える、周りの教会関係者全てを敵対視してきた敵意が現れていたのだ。
「何てこと……それほどにこの世界の強制力は強かった、と」
襲い掛かる、意思なき傀儡と化した東仙の攻撃を避けつつ、一瞬の思考の後ドライバーを下腹部に装着。院もまた、東仙のために彼と戦う覚悟を決めたのだ。
「――――変身!!」
焔が院を覆い、やがて攻撃を受け止めながら生まれるは新装装甲。
元々の炎の意匠が施された装甲から、さらにグレードアップ。あの時はあくまで仮契約のまま戦場に飛び込んだものの、さらに防御力や各部出力が向上。それぞれのカラーリングも明暗のメリハリがつき、戦士としての鎧として磨きがかかった。
「――どれほどに戦うこと自体が辛くとも。立ち向かってくる以上は容赦しません。まだ……私の願いは果たされないままなのですから!!」
脳裏に浮かぶ、優しい笑顔の礼安。どれだけの窮地ですら、あの子のためだったら限界を超えて戦い続けられる。それこそが、彼女の誇りであり、限界を越えられる存在であった。
「――王の御前よ、道を開けなさい!!」
炎の弓で刀の攻撃を荒々しく捌きながら、隙を見て何度も射撃。
しかし、その炎の矢は刀で切り飛ばされ、易々と防がれる。
このままでは平行線上のまま、とメインの武器を三点バースト型短銃≪ピストル≫へ即座に切り替える。
その切り替えの隙を突くべく、即座に近づく東仙。それを回し蹴りで制すると、無防備となった腹部に三発叩き込む。しかし、明確なダメージを与えることは叶わず、その場で暴れ院を退かせる。
「……やはり、遠距離メインの私の武器……いや、王の武器では心許ないかもしれませんわ」
『何だ、余の武器に文句か!』
「ええ明確な文句ですとも。少なくとも、現状の弓矢や短銃では限界があります」
ぶつくさ文句を言いながらも、新たな武器を生成。それは、明確に弓でありながらも分割すると一対の斧になる、礼安の武器のような完全新型武器であった。
「……名付けるとならば、『炎斧弓≪ホムラフキュウ≫バビロニア』。ギルガメッシュ王、いい武器を作りましたね」
『フンババ分からせた時みたいな、余のパワフルさをぶち込んだわ!』
王の自慢話を適当に流しつつ、即座にアローモードのバビロニアを分割、一対のアックスモードへと変形。片手斧の中でもかなりの大きさを誇っているため、パワーだけは両手斧に近しいものがある。
刀の攻撃に合わせ、強力無比な攻撃を叩きこみ、圧倒的パワーで仰け反らせる。
東仙も、その攻撃に負けないよう、だんだんと刀を振るう力が強くなっていく。
しかし、先ほどとは異なり、完全遠距離用の武器を用いているわけではないため、次第に刀の攻撃を読み、痛快な一撃を叩きこんでいく。
押されつつある状況に雄叫びを上げ、ドライバー上部を二度押し込み眼前の英雄を殺そうと画策する、東仙だったもの。
『Killing Engine Re/Ignition』
「ならば……今目を覚まさせてあげましょう――今の私の、全力を以って!!」
ドライバー内からギルガメッシュのライセンスを取り出し、バビロニアのライセンスホルダーに認証、装填しなおす。
『炎斧弓、必殺承認!! 守護者を超えし双撃≪ダイナミック・ダブルストラッシュ≫!!』
歪んだ魔力を纏った刀の一撃を、斧の防御によって破砕。完全に無防備となった胴体部分を、交差する二撃でぶった切る。
圧倒的火力に力なく倒れ伏す怪人化東仙。しかし、その数秒後には魔力自身が東仙の意思関係なしに蠢きだしていた。
「――どういうこと……!? 命を奪うまではいかなくとも……確実に倒したはずなのに……!!」
しかし、ギルガメッシュは何となく理解していたのだ。チーティングドライバーの汚染力と、この世界の持つ危険性に。
『――これは、宿主が生きていようが死んでいようが関係ない。この世界の特性上……この対象者が我々を生かして帰らせたいか考える限り……宿主が抱く感情によって全てが逆転する』
「――――つまり、無限に立ち上がってくる……そう言いたいのですね」
ふらふらと、立ち上がるもまた苦しそうにもがきだした。心配する院を、何とか絞り出した声で制止するのは、東仙自身であった。
「来るな……!! 絶対に……近寄るな!!」
先ほどのバビロニアの必殺技で大量に出血している東仙であった。そのため、出血なのか痛みによる苦痛の涙なのか、判別がつかない状態にあった。
「――この世界は、俺の性格を完全に反映している。だけど……最後にもう一つトラップがあることくらい、この世界の意地悪さを理解している……その扉は……駄目だ」
『アマノジャクフィールド』と称された世界。通常頂点にゴールが存在する競争が、地下へ辿り着くための競争になったり、概念として『遠い』と『近い』が正反対になったり。中々意地の悪い構成をしていたが。
『出口』と称している扉が、正反対の意を持っていることくらい、容易に想像がついたのだ。
「幸い――この世界が最初に構築されてからは不可逆の性質だ……だから……」
苦悶の声を上げながら、扉の前に立つ東仙。ドアを開くと、瞬時に禍々しい魔力が東仙を取り込もうとする。
「だから――この魔力を俺ごと倒せ、英雄!!」
精一杯、東仙は自分の意思を表に出している。それくらいは容易に理解できた。しかし、やっていることは命の取捨選択であった。それゆえに、院は東仙の命を犠牲に先に進むことをためらっていた。
だが、東仙は心の底から絞り出すほどの大声で、院を一喝する。
「――俺を、倒せよ英雄!! 俺はお前らの敵だ!! もし俺を殺さなかったら……お前の仲間を悪逆の限りを尽くして一人残らず殺してやるさ!! お前のせいで、多くの英雄の卵が死ぬんだぞ!!」
本当は、痛く苦しく。自分が死ぬかもしれない恐怖に心を蝕まれながらも、院の背を押していたのだ。自分よりも、その先の未来に生きる存在としてふさわしいのは、彼女であると。
一瞬の逡巡。そして、院は決断する。
「――東仙さん。貴方は……強い人ですわ。恐怖と復讐心に心を蝕まれながらも、誰かを思いやれる、運命のいたずらによって全てがおかしくなってしまった、悲劇の人。だからこそ……せめて手向けとして私が引導を渡します」
彼の覚悟を、少しでも無駄にしないように、ライセンスをドライバーに装填しなおし、両側を力強く押し込んだ。
『超必殺承認!! 巨人打倒す、紅炎の一閃≪グレイトフル・バーニングインパクト≫!!』
その場から飛び上がり、宙で飛び蹴りの体勢を整える院。燃え盛る焔を纏い、暴走の危険性のある東仙と扉をロックオン。
「貴方本当に――いい性格していましたわ」
困ったように微笑すると、死を覚悟したのか涙を一筋流しながらも笑んで見せる東仙。
むき出しの肉体部分にクリーンヒットする一撃。圧倒的な熱量により、血など流す間もなく瞬時に蒸発していく。涙などもってのほか。骨すら残すことなく、東仙はドライバーごと完全消滅した。
ドライバーの画面には、無情にも『GAME CLEAR!』の文字が。
勢いは一切殺すことは出来ず、東仙が確かに存在した場所に爆心地が出来上がる。その中心に立つ院は、頭部装甲内部が曇っていたため良く見えなくなっていたものの、東仙に対し、手向けとして静かに涙を流していた。
覚悟を決めた男を、邪魔などできやしない。この世界のルール上、仕方のないことであった。当人の遺志に関係なく、宿主の精神の機微を読み取り、天邪鬼な世界として成り立っているのだ。
「――私が、私たち英雄が、貴方がたスラム生まれの人たちの思いを背負います。背負い過ぎて、ぎっくり腰になってしまうかもしれませんが……それが理不尽に殺されていった人々のためになるのなら……私はいくらでも背負ってやりますわ」
その場で静かに祈りをささげると、扉から離れ佇む院。それと同時に、この世界からの脱出が始まった。光の粒子に包まれながら、世界が徐々に崩壊していくのを感じていた。
院は、その場で静かに何も語ることなく敬礼をした。院にとって、そこまでしないと気が済まなかったのだ。人一人の命を以って、自分はこの先の未来を生きていく。罪悪感と共に、自分自身に誓約を課したのだ。
「……さようなら。絶対に、絶対に無駄にしませんから」
これにより、「『教会』埼玉支部兼壇之浦銀行次長、そして勇敢なレジスタンスの生き残り」東仙空木と、「真来財閥次期党首兼英雄学園東京本校英雄科一年一組所属」真来院の戦いは、入り込んだ世界のルールに振り回された結果、多くの暗い過去を背負い復讐に生きた人間本人から遺志を継ぐ形で、覚悟を背負いこの先の未来を歩んでいく院の勝利となった。