第六十五話
文字数 3,443文字
しかし、百喰以外の皆、女に向ける目は、瀧本礼安に向ける優しさの籠った瞳では無かった。女に向けられたのは、敵対心がむき出しとなった、歪かつ刻刻≪ぎざぎざ≫としたものであった。
「やだなあ、何で皆してそんな目を向けるのさ? 私は礼安だよ?」
「嘘を吐かないでくださいまし。礼安じゃあないことくらい、誰でも理解できますわ」
全員の先頭に立つのは、礼安の一番の理解者である院。魔力を吸収されたとしても、その目は一切死んでいなかった。変身など、待田の影響で出来ないはずなのに、眼前の異物を排除しようと動いていたのだ。
「――第一さ、何か証拠でもあるの? 私が私じゃあないこと」
「そりゃああるさ、出会ったらする行為ってのあったろ。俺っちたちの間で決めた取り決め、まさか忘れてる訳ねーっしょ」
お互いが一定時間離れていた場合、出会ったらすぐにデバイスのアプリを開き、丙良の変顔が映るだけの画面を見せ合う。その取り決めを忘れた、あるいはデバイスの画面を何かしらの理由で映せなかった場合、あの紙を見せること。
女は、一切の行為無く味方であることを示していた。それだけで、偽物であることは明らかであった。
「……全く、何だよもー。少しくらい騙されてくれても良くない? つまんないな本当、冗談の通じない人ってのは嫌われるよ?」
「ついていい冗談とついちゃあ駄目な冗談ってのはあんだろうがよ、――――……!?」
信之が女を名指しで罵倒しようとしたとき、信之は声が出せなくなっていたのだ。局所的に、『その名前』を発することだけを許さないように。
正体を知るのは、この場においては信之と百喰だけ。故に影響は名前を出そうとした彼だけ。悪ふざけをしているわけではないが、不信感が漂い始めた。
「――特にこれと言った物的証拠がある訳でもないのに、皆酷いなあ。私は、『礼安』だよ」
その言葉と共に、狂気的な笑みを浮かべる。場を包み込むのは、女の放つ尋常でない殺意と歪んだ膨大な魔力。それらにあてられた面子は、百喰以外の完全に劣っている全員、嘔吐と酷い幻覚が見えるほどにまで弱体。皆膝をつくか倒れ伏すかであった。
元々、待田によって東京二十三区全範囲を網羅するほどの、魔力吸収エリアが展開されていた中で、この場のほぼ全員魔力が底をついていたのだ。抵抗力などほぼゼロの状態に拍車をかける、感覚を完全に壊すほどの濃密な魔力。
濃度が高すぎる酸素が人に毒であるように、許容量以上の魔力が満ちるこの場は、英雄の卵である皆にとって毒でしかなかったのだ。
「――本当、やることがえげついな……アンタ」
「? ああ、百喰君か。もう任務も終わりかけだし……戻ってきていいよ」
百喰は、女の傍に立つと瞬時に女から魔力を分け与えられ、体調不良状態から回復。片手剣を担ぎ、女からの号令を待つ。
「そうだ、裏切り者である信之君。君、殺すけどいいね?」
「!! やめろ!! 信之を殺すな!!」
「信玄君、君には聞いてないんだよ。黙っていてくれる??」
信玄に向けられるのは、周りにあてられる魔力より、圧倒的なもの。目や口から血が溢れ出し、思考が完全に鈍り始め、獣のような叫びをあげるのみであった。
「――よし。順番は前後しちゃったけど。サクッと終わらせようか?」
その場の誰もが、死を覚悟したその時であった。
女の顔面に直撃する、光速の右ストレート。こんな空間内で自由かつハイスピードで動ける存在は数が限られている。それこそ、これら英雄の卵を纏め上げる、『学園長』でない限り。
「――ウチの娘の体使って、何してくれてるんだ、このドグサレ野郎」
英雄陣営のうち、誰もが待ち望んだ存在は、ただ静かに怒り狂っていた。
その場の英雄陣営の誰もが、彼が到来することを待ち望んだ。その期待、その要望に応えるベストタイミングで、彼は表れたのだ。
拳がクリーンヒットした瞬間と同時に、場に満ちていた魔力が霧散。毒気も抜け、今まで空っぽだった皆の魔力がフル充填された。
その速度、その威力をある程度殺しながらも、馬鹿力によって生じた勢いそのままに、弾き飛ばされる女。何とか綺麗に着地するも、信一郎のその表情は、今まで見たことないほどにまで冷ややかなものであった。
「何で、お前がここにいる、『カルマ』」
「ありゃ、箝口令≪かんこうれい≫強いていたはずだけど……君には効いてなかったみたいだね」
礼安の体を借りた女……もといカルマ。彼女は信一郎の怒りの鉄拳を食らっておきながら、陥没した頭部に手を当て、『時間を戻すように』再生。すぐに何事も無かったかのように立ち上がる。しかし、待田の全力の攻撃を食らった時よりも、圧倒的に明確なダメージがあったように思えた。しかし、明確に『痛み』を感じているような様子は微塵も無かった。
「『教会』の頂点、教祖として君臨。社会的に恵まれなかった社会的弱者、あるいは英雄の卵を拾い上げ、己が欲望を満たす為だけに利用し……日本を掌握しにかかる、純粋な悪意そのものが……『カルマ』」
桃田や金目、信之など。多くの人間をスカウトし、世を混沌に陥れている存在こそ、カルマであった。実際の姿を目の当たりにした人間はこの世に存在せず、いつも顔を隠すか顔を変えこの世にあり続ける、悪意という概念そのもの。
通常時は魔力性質や魔力濃度でしか判別の付かない、実体を持たない『災厄』であるのだ。
「――お前がどこから侵入したかは知らないが。ウチの娘やウチの生徒に手を出すのはいただけない。何よりルール違反じゃあないか」
「何、じゃあこの体ごと殺すってこと? まさかまさか、『原初の英雄』様が、大衆の正義のために自分の実の子供を殺しちゃう?? そんなシナリオ、ネタが無くなった二十四時間テレビで流せそうなほど、残酷なほどに美しいけどね?」
礼安の体を借り、信一郎を挑発するカルマ。しかし、そんな煽りなど意に介していないように、顔面にフルパワーの拳をもう一発叩きこむ。
「もー、痛くはないけど治すのにも魔力いるんだよ? 君とは違って」
「黙れ」
地面を揺るがすほどの、強烈無比な衝撃。震度五強以上の揺れが、一切の減衰なく辺りに伝播していく。
圧倒的な力が、一人の概念を蹂躙する。その構図は、何も事情を知らなかった場合、ただいじめているようにも思える。
「……何だよもう。少しくらい面白いことして帰ろうかなって思ったのにさあ。これ以上君怒らせたら、東京都が崩壊しちゃうね――百喰君、新入りちゃん、そこのぼろ雑巾みたいになった待田君も一緒に、連れて帰ろうか」
礼安の肉体を捨て、糸を切った人形かのように信一郎に投げ出す。信一郎は優しく抱きかかえるも、その眼前の歪んだ魔力を睨みつけていた。
しかし、そのカルマの呼びかけに難色を示したのは、他でもない百喰であった。
「――一個、やり残したことがあって。ちょっといいスか、教祖サマ」
信一郎に手渡したのは、たった一枚の便箋。礼安宛てのものであり、その中に記されている内容は本人以外に見てほしくない、といった様子だった。受け取ることを拒否することもできただろうが、信一郎にだけ見せた百喰の顔は、まさに真剣そのもの。
「……頼まれてくれますか」
「――ああ」
手渡された手紙を懐にしまうと、百喰はカルマの元へ走り去り、既に死体の元へ待ちぼうけていた二人の元へ。走っていくそのままの勢いで、三人と死体の反応は闇に呑まれ、完全に消失した。
「……思ったよりも、早い登場だった。それを見抜けなかった、私の責任だね」
激しい戦いの末、荒涼とした大地と化した東京二十三区のジオラマ。そこに立つのは最強格の生徒たちと、ほんの一部生き残った裏切り者たち。既に退学処分とした裏切り者たちの適格な処遇をどうするか、それを考えながら、合同演習会は幕を閉じた。
総計ポイントは、待田が大体のポイントを牛耳っていた中、礼安……の肉体を操作したカルマが待田を殺害。結果的にそのポイントを総取りしたため、礼安・信玄タッグが大差で勝利したのであった。
それぞれに、優勝した実感などありはせず。多くの友、多くの知り合いを失った喪失感で胸中が支配されていたのだが。