第六十一話
文字数 6,215文字
足立区新田から侵入し、堀之内方面に進むだけで、目的の人物と相対する。
「よお、多分ここに直接来んじゃあねえかって――指折り数えて待ってたぜ、瀧本礼安」
純白のローブから、『教会』支部長を示すバッジが付けられた、漆黒のスーツへと変わっていた。
「こっちの方が雰囲気出るだろ。いつものローブも悪かないんだが……気が引き締まるのはこっちなんだよ」
長く伸びた白髪は、前髪ごと全て後ろで乱雑にまとめられ、今まであまり窺い知ることのできなかった紅の瞳が覗く。煙草を燻らせながら、礼安と向かい合う待田。
「――んで、俺に一度こっ酷く負けて……何か対策立てたのかい?」
「……よく分からないけど……私は負けないよ」
「そうかい」とだけ呟くと、待田は片手で簡単な印を組み、高速で礼安に『圧』を仕向ける。しかし、礼安は、それをただの反射神経だけで横に飛び退き、避けて見せた。
「――相変わらず、野生児のような反射神経だな、お前さん。何で……不意打ちで攻撃されてんのに避けられんだよ」
「感情の、色が見えるから」
嘘を見抜く以外に、何かを企む悪心もぼんやりながら判別できるようになった。これは、他でもない『教会』とのやり取りを経験してきたからこそ。
「まるで俺たちのようだな、エスパーかよ」
快活に笑う待田であったが、笑いながらも無情に印を組み、彼女に迫らせる無数の『圧』。しかし、以前とは異なり全てを回避。後方に飛び退き、そして身を捻り。さながらプロアスリート。
敗北の経験が、彼女のあらゆる能力を向上させていた。
「……今の『圧』の軌道は、前回と完全に一緒とはいえ、全部避けられんのかよ」
「頑張ればできる!」
「頑張る頑張らねえの話じゃあねえ、それがおかしいってんだ!」
バック転を繰り返し、何とか『圧』を回避する礼安。変身する以前から、明らかに身体能力が向上している礼安。待田はそんな彼女に違和感を抱いていた。
(――本当、どこぞの少年漫画かってくらいに、短い間に成長してやがる。犯した失敗を反省し次に活かす、そして実際にパワーアップ……なんて賢しい真似が出来んのか、この嬢ちゃんに)
それでも、それ以上礼安に強くなることを禁じるよう、『圧』を飛ばすも、無自覚か裏拳で破壊。
既に装着し、変身準備が整った状態の礼安は咄嗟にドライバーを起動させる。
「変身!!」
『GAME START! Im a SUPER HERO!!』
その場に落雷、瞬時に乱気流が渦巻きつつ、装甲を身に纏う礼安。すぐさまエクスカリバーを手にし、待田に斬りかかるも、障壁を張り何とか防ぐ。
「クッソ、地味に『圧』を攻略されてんの腹が立つな」
「正直まだよく分かってないけど?!」
「ならこれはどうだよ、『削≪コルター≫』!!」
何となく。それで攻撃を殺されたことに苛立ち、複数の『圧』を圧縮、この世には存在しない新たな空間を生成、近距離に迫る礼安自体を削りにかかる。
スペイン語自体を理解してはいなかったものの、その攻撃が放つ死の気配を感じ取ったのか、その場から跳躍。空気を蹴り飛ばしつつ、梅島の方まで一旦退こうとしていたのだ。
「馬鹿野郎、そう簡単に逃がすかよ――ってんだ!!」
礼安の逃げる方へ『削』を小さなメスへ形状変化、空間をそのまま乱暴に切り裂き削ると、空中にいたはずの礼安は待田の傍へ。
しかし礼安は、無自覚ながら発達した戦闘のセンスが爆発していた。その削られた勢いを利用し、待田に対し飛び蹴りを放ったのだ。
何とか防御態勢を整えるも、人間の姿である待田には、装甲のサポート込みである飛び蹴りの威力を殺しきるには、膂力が足りなかった。故に、生身のまま弾き飛ばされ地面に叩きつけられる。
「――ッたく。ジジイには優しくしろって、ガキの頃教わんなかったのかよ」
「ごめんね、でも貴方に優しくしたら、多分私は死ぬから駄目だよ」
待田の戦闘力は、優に礼安を超越している。それは彼女自身が重々理解している。だからこそ、加減は死に直結すると自覚していたのだ。
「……そうかい、なら……少しはその手助けをしてやるか」
待田はおもむろに立ち上がると、礼安の脳内に念能力で多くの映像≪ヴィジョン≫を流し込む。ただの映像は、次第に現実にリンクしていく。多くの情報量を流し込まれることに抵抗はないが、その情報が問題であった。
多くの死体。
多くの歪み。
多くの紅。
多くの絶望。
視界全てが、最悪の映像。
老若男女関わらず、等しく皆殺してきた。
待田の異名は、『罪人殺し』。礼安にはその文言しか、大田区を襲撃された際に伝えられなかった。実際の映像など、あるはずもなく。それこそ、当の本人が目の当たりにしてきた『最悪』を、そっくりそのまま流し込む。まるで水を飲まされ続ける拷問であった。
「――ッッ!?」
「俺は、神の名のもとに多くの犯罪者を殺してきた。『教会』に仇なす存在をはじめとして、複数の女を犯し、性欲を満たしたら殺した……そんな死刑確実と言われたボンボンが、金に物言わせて罪をチャラにした際も……全て俺の念能力で殺してきた」
辺り一面の紅。いつの間にか、礼安は待田の作り出す幻覚、その術中に嵌っていた。
多くの血に、多くの死体に塗れる礼安は、母親が死んだときの記憶がフラッシュバック。最悪の絶望が、礼安の脳を侵食していく。
耐えきれず、礼安は頭部装甲を消し去り、その場で嘔吐。吐くモノが一切ないため、自ずと胃液を吐き出す羽目に。さらにストレスがオーバーフロ―状態となり、胃に穴が開き多量の血が混じり始めたのだ。
「こんなもんじゃあねえ、俺は多くの殺しを請け負ってきた。お前さんが相対した、コードネーム『フォルニカ』……神奈川支部支部長、桃田煩丈≪モモタ ハンジョウ≫と共にな」
二人とも、いわゆる掃除人≪スイーパー≫。殺し、その後の処理。何から何まで、その人物が存在した証を消し去る、プロそのもの。桃田は『当人に嫌われる』ことで絶対に被弾しない、最強の回避盾。待田はあらゆる攻撃が隔絶され、多種多様な念能力で容赦なく殺害できる、最強の念能力者。
多くの殺しをしてきた二人にとって、殺人やその後の掃除は些事。息をするのと同じ感覚で、淡々と仕事をこなしてきた。桃田が己の弱点に気付ききれなかった結果、同じ最悪の境遇を味わった礼安に、心をほだされる形で決着がついたが、本来なら礼安は敵わない存在であった。
底力、あるいはド根性。礼安の力の原動力はそればかりだが、それが格差すら乗り越える大いなる鍵となったのだ。
「――正直、お前さんが桃田を打ち倒した、と聞いて。どんな超人かと思ったら。ただのド根性と、底なしの善性で切り抜けた。――正直よ、俺はお前さんが気になって仕方がねえ。その異常性に触れてみたくなってな。だから俺は『支部長』の肩書すら捨てて、あの信之とか言うガキに付き従った」
全ては、礼安の異常性をこの目で見たいがため。礼安の闇から生まれる、底なし沼。主目的だったはずだが、英雄・武器サイドに礼安ほどではないにしても、だれも信用していない上昇志向の塊であった異常者を見つけたため、一先ずはその存在を育成することで欲を発散。
しかし、人間の欲というものは末恐ろしいもので。鍾馗を相手にするのと、礼安を相手にするのとでは話が違ったのだ。
鍾馗の闇を否定したいわけではない。しかし、それ以上に礼安の隠している闇が、英雄のそれとは違う。それを第六感で感じ取っていたのだ。
「――話に聞いたぜ。お前さんは、人の道を大きく踏み外した外道を、尽く許さない傾向にあるらしいな。白状してやるぜ、俺こそが……お前さんにとっての『真の外道』だ。俺が鍾馗同様、大勢の二年次生徒を殺害した。俺らに逆らう異分子は皆殺した。英雄側の損害の大体は、俺と鍾馗によるものだ」
皆が礼安の感情の暴走を止めるべく、敢えて明かしてこなかった、待田のヘドロ。
両腕を仰々しく広げ、礼安の眼前に見下すべく立つ待田。しかし、礼安は待田に対して殴り掛かるでもなく、ただ俯くのみ。しかしそれは、自分の向き合うべき外道から視線を外しているようにも思えた。
「だがよ、これだけは間違っちゃあならねえ、そう俺は考えるからこそ先に言っておく。俺は『正しい』と思って殺してきている。犯罪者なんぞ、この世に放っておいても一利もねえ。お前さんの生温ィ解決法だけじゃあ、人は救えねェんだ」
罪人の心を解放し、罪の意識を芽生えさせ牢獄に入れる。英雄として、実に理想的な流れだろう。一切の血が流れないのであれば、多くの人は喜ぶだろう。あくまで、多くの人は。
しかし、仮に犯罪に手を染めた者が、不当な判決を受け軽い罪状となったら。仮にその事件で、大切な人を一人や二人失っていたとしたら。遺族はとてもではないがいたたまれない。
実際、待田が殺してきた英雄科、武器科の生徒は全て酷い行いやいじめを行う、人でなしばかり。いじめは立派な傷害罪であるため、皆罪人として裁いたのだ。
英雄の生温い解決法を望むより、そういった遺族は犯人への『然るべき報い』を与えたいと願う。だが、自分は非力な一般人。なら、願う先も縋る先も一つ。『教会』である。
「――いいか? 結局は、『残された奴』の意志を真の意味で汲み取れんのは、俺らだ。俺らこそが正義なんだよ! ただの善意の押し付けで、ただのお節介で!! 手前が気持ちよくなりてェんだか知らねェが、それで救われない人間のことを考えたことがあんのかよ!?」
死刑制度を廃止したがる声の言い分は、十分理解できる。犯罪者には、刑期を全うして牢獄内で反省してもらうために、その人の善性に訴えかけるにはうってつけだろう。
しかし。死の痛みによる理解も必要であると考える者は、少なくとも存在する。大勢の命を奪っておきながら、自分は懲役〇〇年――逆に言い換えてしまえば、その〇〇年を耐えてしまえば、その者への罪は一般的に清算されてしまう。それを、多くを失った遺族が望むかどうか。
「……でも、生きて罪を償うことで見える道もあるよ。更生のチャンスが無いなんて、バカげてる! お節介だろうとなんだろうと、私はその人に罪を償いながら生きていってほしい!!」
「じゃあそれは、お前自身をただ己が快感を得るためだけに暴力行為を重ねて、あまつさえお前の母親を殺し、隠蔽しようとした屑に対しても言えんのか!?」
その一言に、礼安は嘔気がぶり返す。どれほど聖人であろうと、礼安にとって思い返したくもない過去は存在するし、思い返したくない犯人も存在する。
「……甘ェ、甘ェ甘ェ甘ェ!! 脆弱な見栄で手前≪テメェ≫の負の感情を隠そうとするなよ!!」
礼安の顔面を蹴り飛ばし、壁に激突させる。顔面だけは装甲のサポートがかかっていない今、待田にとって最も狙うべき弱点≪ウィークポイント≫。
口の端を切るのみであったが、礼安にとって心の痛みは深刻であった。
「お前の『正義』を否定なんぞしねェ、だがそのくどすぎる甘さが気に食わねェ!! お人よしなんぞ関係ねえ、俺たちの犯罪者を世間への見せしめとして殺していく、その考えこそ『正義』だろ!!」
この世に、『正義』と『悪』という概念が存在するものだが。それは一方を『悪』と決めつける、宗教の傲慢さが入り交じった結果。良し悪しなど、たった一人の物差しで測ってはならない、それほどに強大な存在であり、有力な存在なのだ。
地球が生まれてから、多くの争いが勃発した。しかしそれらはいつだって互いの『正義』のぶつかり合い。互いの信じるもののために、幾度も戦ってきた。
決して、戦いは無益なものではない。武力衝突以外にも言論衝突も有り得る。人類の発展のためには『争い』の概念は不可欠である。
死なせたくない。
殺したい。
互いの主張ぶつかり合う、『正義』同士の闘争こそ、この英雄と『教会』の在り方なのだ。
「お前さんが、礼安が信ずるもののために戦うんだろ!? お前さんの物差しで測った、外道に打ち勝つためによ!!」
血だまりの幻覚を撥ね退け、何とか立ち上がる礼安。その瞳には、英雄としての純白さの中に外道への憎しみが宿っていた。ほんの少しの濁り、それが彼女をより高次元へ昇華させるための起爆剤であることを、待田は見抜いていたのだ。
「……私は、それでも貴方を殺さない。そう考えるのは私のエゴだろうけど、ただ『気分が悪い』から」
手にしていたのは、『トリスタン』のライセンス。速攻認証し、ドライバーに装填。左側を押し込み、新たな装甲を高速生成。
『アーサー×トリスタン、マッシュアップ!! アースタンフォーム!!』
「――これが今の私のありったけ。このありったけで……貴方を倒す!!」
握りしめるエクスカリバー。しかしその力は、いつも以上であった。待田の叱咤が伝わったのか、ほんの少しの非情さを兼ね備えていたのだ。
「……まただ、お前さんの魔力が濃くなった。人間じゃあねえほどにイカれたお前さんが、人間に近づくほど。本当に……本当に面白れェ」
手にしていたのは、チーティングドライバー。今まで変身せず戦っていたのは、己にやり過ぎないよう枷を課していたようなものであった。待田がドライバーを誰かに見せた時は、実に数少ない。それほど力をかける存在に、本人が接敵しなかったから、というのは少なからずあった。
「光栄に思えよ、瀧本礼安。俺が変身すんのなんて、滅多にねェんだ」
『気代の大犯罪者、モリアーティ――多くの犯罪の根幹に在り続けた数学教授は、職を追われてもなお犯罪界のネットワークを牛耳り、多くの犯罪者の卵へ教鞭を取る』
下腹部に装着し、握り拳を振り下ろす形でドライバーを起動させる。辺りの景色が次第に歪み始め、待田と外界を完全に隔絶する。
「――変身」
まるで脆い硝子のように砕けた空間から出でたのは、待田本来の高身長はより長身に、より痩躯になった姿。人間体から脆くなる状態変化が起こったのか、否。漆黒のスーツがデザインそのまま形状変化し、ダマスカス鋼の硬度を鼻で笑うほどの超硬質な肌へ変質。腕も足も胴体も尋常でない。四キロメートルほどの長さを担保しているため、どれほどのリーチであっても対応できる。
腰の曲がる高齢者の友である杖は、より長大に、そしてより歪に。触れるもの全てを傷つける茨が幾重にも重なった、凶悪なものと変質した。
待田がそこに存在する限り無限に空間が歪み続け、多くの無関係な建物、『教会』の端役など、多くを巻き込みながら破壊を続ける、まさに『災厄』そのもの。信之を見限り、新たに頂点へと立った男は、常人とは異なり魔力のストッパーが存在しないのだ。常に辺りを破壊し続けるため、安全な場所など存在しない。
『元々はよ、そこまで強かあねェんだ、モリアーティ教授は。それを、俺の念能力による強化作用に、手術で適合しきれなかった英雄の残り香である、土の魔力性質を操る因子……それを合体したんだよ。結果生まれたのは、化け物みたいな破壊力を持つ、化け物たった一人。それが、俺だ』