第26話 プロローグ

文字数 639文字

私がオサムさんと初めて会ったのは、横浜寿町のドヤ街の名残りを取材していた時だった。
文筆家の卵だった私は、とりあえず興味をひきやすいノンフィクションを書いてみようと思っていた。

しかし、なかなか良い取材対象に出会えずにいた。
みんな、身勝手に落ちぶれている様に思えて、お涙頂戴なエピソードは陳腐にしか感じられなかった。

オサムさんは、笑わなかった。
怒らなかった。
ただ、どうする事も出来ないような、無力感と言うよりは、なんだかいつもぽかん、いや、キョトンとした佇まいが印象に残っていた。

潜入取材を気取っていた僕は、いつしかオサムさんが常宿としている簡易宿所の常連になっていた。
世間話をする様になっても、オサムさんは身の上には口を閉ざした。
ある日、オサムさんが家系ラーメン、殊に寿々喜家が好きだと聞いて、寿々喜家のおごりを餌に少し突っ込んだ話をした。

私が文筆家を志し、面白い人生を歩んだ人と出会いたくてあそこに出入りしてる事。
しかし、出てくるのは、ギャンブルや事業の失敗。
他の人たちと、何の変わりもなかった。
ならばこの得も知れぬ佇まいは何だろう?
ただ、頭が悪いだけなのだろうか?
私に人を見る目がないのだろうか?

翌日、オサムさんは一冊の古ぼけたノートを
「昨日はごちそうさま、やっぱり寿々喜家うまかった。これ、読んでみて」
「役に立たなかったら、燃やしていいから。もう、要らないんだ」
と言って、渡して来た。

長々書き連ねられた手記に
「ナカジマ ハル様へ」と書かれた茶封筒が未開封のまま挟まれていた。
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