異郷の軽食

文字数 1,638文字

 気が付くとそこは知らない街だった。その知らない街を私は歩いている。しかし、どういうわけか、その街の構造は私の自宅の付近のものと同等だった。家々や街灯の配置、通りの形状、それからマンホールの位置まで、すべてが同じ位置にある。が、そこに書かれている文字はアルファベットで日本語は見当たらず、建物も見慣れた瓦屋根やらは見当たらず、皆赤茶けた色をしている。さらには、道行く人は皆、西洋人のような彫の深い出で立ちで、何となく、スペイン語かポルトガル語か、そういったラテン系の言語が話されているように聞こえる。私にその方面の含蓄は無いので、あくまでも雰囲気から感じ取った印象である。
 私は1人で歩いているわけではなかった。もう随分と会っていない友人二人が連れ添っている。二人は先頭を行く私の後ろで、とりとめもないことを話している。それほど距離は離れていないのだが、道行く人の話し声や車の通る音で、かき消されてしまって聞き取ることが出来ない。
 少し歩いていくと、奇妙な店を見つけた。そこは、私の街の対応する位置では、私がよく行く定食屋があるところである。店先に恰幅のいいおばさんが立っていて、トルティーヤのような生地に、野菜と何かを焼いた肉を挟んだサンドを売っている。それだけであれば、何の変哲もない店だろう。しかし、奇妙なのは、その店のおばさんが立っている横の部分の庇の部分が黒く固いもので覆われていることである。夏の暑い日差しにきらめくそれは、何かの鉱石のように見える。その下に一人の男が立っている。坊主頭で、口元はふさふさと黒い髭で覆われており、そしてよく日に焼けていて細身ながらしっかりとした体つきの男だった。男は大きなスコップを持っている。男はたばこをふかしながらぼんやりと宙を眺めていたが、私たちの存在に気付くと、足でタバコをもみ消して、スコップを掲げた。そして、庇を覆う黒い鉱石のようなものをスコップで削り、器用にそれをスコップに受けると、足元の家屋に備え付けられた炉に放った。石炭なのだろうか。
 男はどういうわけか、私の方を見て、親指を立ててほほ笑んだ。
 どういう仕組みかは分からないが、その炉の熱はおばさんの目の前の調理台にまで伝わっているらしく、男が石炭を放り込むのを見ておばさんは何かの肉を1枚焼き始めた。肉の焼ける小気味いい音がする。私は空腹を覚えた。
 私が店の佇まいに気を取られている間に、友人たちはサンドを購入していた。おばさんに代金を払い、そのまま道を進んでいく。きっと自分の分も買ってくれているだろうと、私もあとに続いた。彼ら二人の横にならんで、顔を覗き込む。買ったばかりのサンドをほおばるのに夢中なようだ。焼いたばかりの肉からは肉汁があふれ、様々な香辛料を配合したソースの匂いが食欲をそそる。私の視線に気づいた友人は、迷惑そうな顔をした。そして私の意図に気づいたのか「自分の分は自分で買いなよ」と不機嫌に答えた。それもそうだ、なぜ私は自分の分があるだなんて思いこんでいたのだろう。私は大急ぎで道を引き返して、先ほどの店に戻った。が、いったい何語が通じるのだろう。英語だっておぼつかない。結局、あたふたしながら、日本語で手ぶり身振りを交えて、おばさんにサンドを一つ注文した。おばさんはにっこりと笑ってOKと言い、出来立てのサンドを一つ置き、肉をもう一枚焼き始めた。どういうわけか、その出来立ての方は私には売らないらしい。それから肉を焼く様子があまりにも緩慢だったので私は焦った。このままでは二人に置いてけぼりにされる。
 しかし、よくよく考えるとそれすらも些細なことだった。私はパスポートを持っていない。いや、財布すら持っていない。だから、実はこのサンドの料金を払うことすらできない。そういう事情を細やかに言葉にすることもできない。そんな状況で、私はどうやって日本に帰ればいいのだろう。そんな不安な気持ちのままに、私は従順に肉が焼きあがるのをひたすら待った。
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