労使闘争の末路

文字数 3,523文字

 とあるテーマパークで住み込みバイトを行うことになった。レストランの厨房勤務である。仕事をクビになったのだ。それはちょうどよいころ合いだった。常日頃からもっと稼ぎたいと思っていた矢先のこのチャンス。活かさぬわけにはいかない。
 メルヘンを売りにしているはずのこのテーマパーク。バックヤードは驚くほどに古めかしい。畳に襖。それから豆電球。四畳半の一間が私に割り当てられた。私物の持ち込みは許されなかったので、それ以外には何もない。ひどく殺風景だ。
 初日は何もすることがなくて、ただ横になって天井の染みを眺めていた。うつらうつらとうたた寝を。そうしていると、知り合いのBが不意に現れた。何の前触れもなく襖を引いて現われた。引いた姿のままで、だらしなく寝転がる私を見下ろして無表情に無言でいる。私は私で彼の視線に応えつつも、同様に無言のまま睨み返した。奴は微動だにしない。顔の皺一本すら動かさない。なんでこうも執拗に私を見るのか。だんだんと私は嫌気がさしてきた。
 もういい加減帰ってほしい。そう思ったあたりで、やはり無言のまま一歩足を引き、襖を閉じて姿を消した。いったい何がしたかったのだろう。
あいまいにまどろんでいたら翌日になっていた。今日から初仕事。しかしはて、どこへ向かえばよいのやら。この狭い自室に案内されたあと、特に何も連絡がない。洗面台もなければ顔も洗やしない。
 仕方なしに昨日Bが空けた襖を開けてみる。すると驚いたことにただっぴろい食堂につながっていて、従業員たちいや今日からは同僚か、同僚たちがせわしくあちらこちらで動いている。初日から遅刻はまずいな、と、私は寝ぐせのついた頭をなでながら、困った顔して食堂に並べられたテーブルの間をふらふら歩く。さて、どうしたものか。誰に声をかければよいのやら。
 やい、てめえなにを見てやがるんだ。ある職人が果物の盛り付けをしているところをぼおと眺めていたら、そう怒鳴られた。てめえのしごとをしやがれってんだバカタレ、なんていうものだから、私も少し頭にきて、すんませんねえ勝手がわからんもので、と茶化すようにへらへら返事をしてみる。するとその親父はそっぽを向いて、黙って自分の作業に戻った。おやと思う。もう少し応酬が続くかと思ったのに。きょとんとしている自分を背に、知って知らずかおやじは言う。ノルマががあるんだ、てめえと話している暇なんざねえ、さっさと上役見つけて仕事をもらってこい、と。
 はあノルマかそれは大変だ。早いこと上司を見つけなければ。しかしそれにしても腹が減った。腹ごしらえが必要だ。私は、近くを通りかかったウェイターにローストビーフとワインをオーダーした。するとまもなく、皿に盛られたローストビーフとワインが一瓶運ばれてくる。仕事が早くて助かる。
 フォークを手に今まさに肉を刺そうとしたちょうどその時、皿が取り上げられてしまった。むっとして上を見上げると、そこには先輩がいて、私をにらみつけている。ローストビーフなんぞ新人のくせに生意気だ。ここでは職人のランクというものがある。新人はランク1。この肉はランク3。よってお前にこれを食す権利はない。
 そう冷ややかに告げて先輩は立ち去ってしまった。なるほどそんな制度があるのだなと私は妙に納得した。ワインは残されていた。つまりワインはランク1なのだろう。職人の世界は見て盗む世界。そんな言説もあったし、そういうことなのだろう。しかしあの先輩、私の指導係じゃなかっただろうか。
 それはさておき、まずはこの一杯。ボトルを開けてグラスになみなみと注ぐ。景気よく一気に呷った。むしろこれ見よがしに。仕事場のど真ん中で煽る酒。
 口にして、すぐさま後悔した。なんだこれはほこりの味。そしてやたらめったらに異様に甘い。口いっぱいに広がる不快な灰色の味。まずいってもんじゃない。そもそもこれは飲み物なのだろうか。口からグラスを離した後に目にした赤い液体に浮く委細不明な脂が浮いているのを見て、吐き気すら催した。ランク1の食事はこんなにひどいのだろうか。顔に痕が残るんじゃないかというぐらいに、顔をしかめている。
 さっきの先輩が再び現れた。こんなところにいたのか探したんだぞ、と、私の腕を掴んで連れていく。そうだった、そういえばこの先輩とは今あったばかりだった。さっきのは他人の空似だったのだろう。そんな思いで食堂を見やると、だれもこれも同じような顔をしていた。これでは見分けはつくまいよ。
 先輩は食堂を出て、そのそばの小さな部屋に私を押し込んだ。小麦粉か砂糖かが大きな麻袋に入れられてずっしりと、大量に積まれている。
 まあ座れと小さな踏み台を促された。先輩は手頃な高さの麻袋に腰を下ろす。
 狭い室内で先輩は煙草に火をつけた。ちょっと、よそでやってくださいよと私は抗議した。先輩はそんな私にはおかまいなく、盛大に煙を吐いた。真正面にいる私はもろにその煙を受けてむせた。このどちくしょうがっ!と、心の中で悪態をつく。先輩に歯向かうつもりは微塵はない。だって先輩は雲の上の存在だから。よくわからないが、そういうことになっている。
 ほどなくして、もう一人が部屋の中に入ってくる。よれたスーツを身につけた、やせぎすでメガネの神経質そうな中年男。無言で地べたに腰を下ろした。ああ、スーツが汚れてしまう、などと私は余計な心配をした。先輩は何も言わない。何も言わないが、これで人が揃ったとばかりに立ち上がった。さて、それでは入社説明を行おうか。入社おめでとう。君には今日からここで働いてもらうことになる。まずは、社長の挨拶から。そう言って先輩は地べたに座る男に促した。中年男は無表情のまま右手を軽く挙げて、先輩に合図する。それは何のサインなんだろう、「待て」なのか、「わかった」なのか、「やめろ」なのか。私にはまったくわからない。が先輩は、貴重なお言葉ありがとうございますと軽く会釈をした。まあ確かに、ありがたい話だった。ような気もする。
 知っての通り、と先輩は続けた。が、残念なことに私は何も存じ上げない。恐縮するばかりである。曰く、我が社は危急存亡の秋を迎えている。昨年の労使闘争で極悪非道の経営陣を打倒し、自由と平等とを勝ち得たところまではよかった。しかし、その後の業績の悪化、それに伴う待遇面の後退は、かつてないモラルの低下をもたらした。本末転倒なことに料理の味も悪くなった。我々のようなど素人が経営に携わるべきではなかったのだ。かといって、いまさら大政奉還するわけにもいかない。当面は自分達で何とかやっていく必要がある。と。なるほど。腑に落ちた。だからあんな柄の悪い連中が厨房にのさばっていて、空気もまた劣悪なのだ。余計なことをせずに、目の前の仕事に従事すればよかったろうに。自分で自分の首をしめるとはまさにこのことだな。
 とんでもないところに来てしまった。想定外だ。こんなところで働くつもりはない。そういえばまだ提出していなかった報告書があった。進捗状況を上司に伝えねば。クビになったとはいえ、報告は必要だろう。
 先輩の話のきりのいいところで、タイミングを見計らって、私は不意に立ち上がり部屋の外に出た。逃亡だ。咄嗟の行動に、あの二人はあっけにとられているだろう。そのうちに遠くまで逃げてしまうのだ。
 表玄関から外に出る。外の光がまぶしく感じた。その次に異様な光景に驚く。玄関に面した通りに、たくさんの人、たくさんののぼりが上がっている。種々様々なスローガンをはためかせながら、デモ隊の一群が声高らかに通りの右から左へと行進しているのだった。ああ、今日も闘争か、と私は合点した。そんなことにうつつを抜かさずに仕事に精を出せよ。やれやれといった体でため息をつく。
 次の瞬間身体を拘束されていた。先ほどのメガネのやせぎすの男、つまりは社長が私を羽交い絞めにしている。何をするんだ、と暴れてみたが、びくともしない。社長は私を拘束したままやはり無言でいる。そうしているうちに、なぜか不思議と会社のために尽くしたい気持ちが湧きあがってきた。抵抗をやめると、社長は拘束を解いてくれた。そしていつの間にか手にしていたのぼりと鉢巻を私に無言で差し出して、くるりと背を向けてどこかへ行ってしまった。ああ、これで私も貢献ができる。鉢巻を頭に占めて、登りを高らかに掲げて、私はデモの一行に加わった。声を張り上げてお仕着せのスローガンを連呼する。1回1回叫ぶたびに、どんどん自分の地位が向上しているように感じた。しまいには社長まで上り詰めてやろう。ああそうしよう。本気でそう思っていた。
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