小銭を煮る

文字数 1,012文字

 夜、数多の星が輝く空の下、独り、木々に囲まれたごくごくわずかな空き地にてテントを張り、携帯椅子に深々と腰を落としている。盛夏はとうに過ぎて、夜半の風は心地よい。家より携えたいくつかの酒は、既に空にして、主人を待たずにしとげない様子で付近に横になって寝入っている。黙して語らぬその着色瓶は、ガスバーナーの火の光をにぶく受けて、目にはいびきのごとく五月蠅く映る。
 酔いに覚束ない手で、ガス―バーナーの上に据え付けられた小鍋の中身を菜箸で探る。鍋の中には、透明な油がふつふつと煮えている。透き通った綺麗な油だった。見た目で見る限りは、油というよりは、水に近いかもしれない。粘度は少なく、さらさらとしている。ただ、自分で調達してきたはずなのに、それが何の油かは全くなぜだかわからなかった。
 その油の中には、大小の日本円硬貨が投じられている。1円硬貨、5円硬貨、10円硬貨、50円硬貨、100円硬貨、500円硬貨。アルミニウム、黄銅、白銅、ニッケル黄銅で作られた小銭がそれぞれ数枚。煮えたぎる油の中に沈んでいる。
 状況からして明らかに、自分で投じたとしか考えられない。だが、自分が投じた記憶はまるで無い。だからこの状況に大して責任は持っていないはずだった。かといって、火を勝手に消してしまうのも悪い気がして、困惑しながらも、菜箸で小銭をつついて、その煮え具合(?)を確かめている。
 軽い1円玉や5円玉は油の中でくるくると踊っていた。500円玉は微動だにしない。そんな様子を眺めながら、何とかしてこの行為に意味を見つけようとしたが、考えれば考えるほどに不可解だった。自分は酔っぱらっていたのだろうか。それとも、誰かに頼まれてやっているのだろうか。小銭を油で煮ることで、何かいいことが起きるのだろうか。あるいは、これは何らかの呪術なのだろうか。手がかりがなさすぎる謎に疲れてしまって、考えることもなしに菜箸で鍋の中をぐるぐるとかき混ぜている。そうしているうちに、だんだんと腹が減ってきて、ほんの思い付きで小鍋の中から1円玉をつまみ出して、油の滴るままに口の中に放り込んでみた。
 熱さはなく、意外にも冷たさを口内に感じる。思い切って咀嚼してみると、さしたる抵抗もなくしゃくしゃくと崩れていく。氷砂糖を食べているような感触だったが、味と匂いはチョコレートそのものだった。貨幣を潰す罪の味とは、このようなものなのだなと、しみじみと感じ入った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み