あぶくを連ねて息を継ぐ

文字数 5,119文字

 ぼくは着替えていた。体に巻くタイプのタオルに身を包んで着替えている。ここは体育館の中。みんなが見ている目の前ですっぱだかになるわけにはいかない。
 すると、見知らぬ男がやってきた。そいつもタオルを体に巻いていた。ぼくの目の前に立つと、「タオルで隠すな」と言ってくる。ぼくは「恥ずかしいからいやだ」といった。だが許してくれない。重ねて「タオルで隠すな」というと、自分のタオルを取り払った。そこにはボディビルダー顔負けの筋肉質の体があった。布面積の少ないビキニをつけている。その身体をひとしきり見せつけた後、ぼくのタオルに手をかけて脱がせようとしてくる。やめろといって僕は抵抗する。抵抗しながら、周囲の視線に気づく。やばい、注目を集めてしまっている。これは脱がされてはならない。脱がされたならば、汚いものを見せることになってしまう。だれでも身体に自信があるわけじゃないんだ。
お前と一緒にするな———

 ———レストランにいる。私はご馳走を振舞われることになった。知り合いのKが私を席に案内する。回転テーブルに赤と黒と金色を基調とした内装。青い釉で山水の風景を描いた陶磁器が飾られている。中華料理が出てくるのだろうか。
 回転テーブルの向かいでKはにたにたと笑っている。何がおかしいのだろう。私は彼女に問いかけようとも思ったが、そんなこともわからないのかと馬鹿にされるような気がしたので、やめておいた。無言のまま料理が運ばれてくるのを待つ。
 それほど待たずして、給仕が料理を運んでくる。銀のトレンチに運ばれてきたそれを「前菜です」と料理名も告げずにテーブルに置いた。
サーモンとマグロの寿司が二貫———

———登校途中だった。俺は自転車で学校へと向かっている。少々早い時間帯のせいか、俺の他には登下校中の生徒はいない。理由は忘れてしまったが、今日は用があって早めに登校する必要があったのだ。
 ふと、俺は不安になる。何か忘れ物をしているのではないかと。早く着いたところで忘れ物をしていたら意味がない。俺は自転車を道路脇に止めて、背中にしょっているカバンの中を漁った。教科書はそろっている。筆箱もあった。自転車の中に入れたバッグの中身を調べる。今日は体育があった。体操着の準備もぬかりない。それでも俺は心配だった。何かを忘れているような気がする。
 そういえば、今日は何の授業があっただろうか。俺はカバンの中から時刻表を出そうとする。しかし何かに引っかかっていて取り出すことができない。
どうしたものか、これでは間違いなく忘れ物がない、という確証を得ることができない。
俺は焦った。忘れ物をしたならば、対処のしようがない。友人の少ない俺では隣のクラスに行って借りるなんてこともできない。
 しばらくそうして悩んでいたが、俺は悩む必要がないことに気づく。
 そうだ。今日は忘れ物なんて出ようがない。
 なんたって、今日は———

———私は、学校の応接室にいた。ソファーが3つ、背の低いテーブルを囲んでいる。下座に私が座り、その横には私の上司が座っていた。
相対する先には、二人の男女。どちらもスーツに身を包んでいる。
 そういえば、今日は現行プロジェクトの要員調達のための面談だった。私はチームのメンバにするべき要員の開発スキルを見定めなくてはならない。相手の営業担当と思しき年配の女性から、履歴書が配られる。私はそれにさっと目を通し、その女性の隣に座る男をちらと見た。20代前半ぐらい。細身でメガネをかけている。緊張しているのか、手を膝に置いたまま履歴書をじっと見つめて微動だにしない。第一印象は、どうにも頼りない印象を受けた。あまり期待はできなさそうだった。
 上司が横で話を始める。興味を失ってしまった私は、膝に置いたPCを開いて仕事の続きを進めていた。本来は自分の仕事ではなかったが、ちょっとしたプログラムを書いていた。普段の業務の調査を効率化するデータ調査用のプログラムである。一通り組んで、実行してみると、一発で自分の思うように動作した。思わず小さくガッツポーズをする。
「あら、よくできてるじゃない」
 対面に座っていたはずの営業の女性が、いつのまにか私のすぐ横にいた。私のPCの画面を見て、感心したように微笑んでいる。
「いえ、それほどでもありません。これは調査用なので、開発資材としてはあげられませんし」
 と、表面では否定しつつも内心満更でもなかった。少し照れてしまう。
「じゃあ、こんなのはつくれるかしら」
 営業の人はそういうと、次から次へと要望を述べていく。簡単な定例事務の集計の自動化、ちょっとしたWebページの作成、若干独特なカスタマイズの入ったアラーム機能。よっぽど日ごろの細かいことを煩わしく思っているのか、それとも場当たり的に次から次にと思いついたままに発現できるほど頭が柔らかいのか、そのあたりはよくわからないが、とにかくぽんぽんと要望が出てくる。しかしよくもまあこれだけ要望が出るものだ。ただ、一つ一つの難易度は私でも対応できそうなくらいに簡単だった。
「まあ、出来るかもしれませんね、そのぐらいでしたら。……ちょっと時間かかってしまうかもしれませんが」
 自分でも思った以上に自信たっぷりな声が出たので、とっさに留保をつけた。そんな私の返事に、相手は満面の笑みを浮かべる。
 しかし、上司はそれを見咎めた。
「適当なことを言わない。自分の首を絞めることになるぞ」
 存外に強い口調で言われて、私はすっかり委縮した。
 気づくと先ほどまで自分の横にいた営業の人は、再び対面の席に戻っている。
 その後、細身のメガネにいくつか経歴とスキルについて質問して、その日の面談は終わった。この後面談する候補者次第だが、彼はたぶん不採用だろう。内心そんなことを思いながら、笑顔で部屋の外まで二人を見送って、私と上司だけが残った。
 少しの無言の後、ところで、と上司が話を切り出す
「A案件は本当に大丈夫なのか」
 A案件。5人月規模の機能改修。特段の懸念はなかったはずだが、何を気にしているのだろう。
「特段問題無いと思います。要件見えてから再見積しましたが、工数収まるはずです」
「いや、問題無いはずがない。見えてない要件があるはずだ。もう一度見直すように」
 上司にそう言われて、少し思考をめぐらしたが、やはり何も思いつくものがない。しかし途端に不安に思えてきた。私は言い返すこともできず黙ってしまう。
 するとソファーに座っていたKさんが、さっとたちあがり、クリアボードにマーカーで線を引き始める。Kさんは、別のチームの開発者である。普段は話すことすらない。よれよれのワイシャツに短く刈り上げた頭にメガネ。背は高い。
 なぜ、ここに関係のないはずのKさんが?私は疑問に思いながら、Kさんが描くものを見つめた。
 Kさんは、赤いマーカーで短い縦線を引く。その上部に横線を、次いで、右側に縦線を書いた。下に開けた赤いコの字の形が現われる。最後に、そのコの字の開けている部分に青字の横線を書いて、四角形を完成させた。その最後の青い辺をたたきながら、私の方に振り返ってにらみ、こういった。
「ここの部分が見えていないんだ。よく考えなさい」
 なんだ、その四角形は。そしてその青は———

 ———教壇を前にして階段状に席が並んだ大教室にはたくさんの学生が座っている。そのほとんどが見知った顔だった。中学や高校の同級生、大学時代の知り合い、そして会社の同僚。私は後ろの方の席で、ぼおっと黒板の方を眺めていた。講義は今しがた終わったところ。めいめい帰り支度を始めていた。
 そろそろ自分も帰ろうかな。そう思って机を片付けようとしたところ、教授が帰った後の壇上に誰かが登壇する。細身の身体。白いシャツに黒いスラックス。よく見るとそれは、勤め先のお客さんだった。嫌な予感がした。
 ほかの学生たちも「お客さん」の姿に気づき、何かあるらしいと大半が席に着いた。
「みなさん、少々お待ちください。これから特別講義を始めようと思います。テーマは『中規模PJにおける効果的なバージョン管理について』です」
 そう聞くや否や歓声があがる。待ってましたとばかりの大歓声である。おかしい。そんなに需要のあるテーマとは思えない。これは何かが変だ。
「今回は、そのために特別講師をお呼びしています。それは……」
 この言葉に直感した。すぐにこの場を立ち去るべきだ。
 急いで荷物をまとめて席を立とうとする。しかし、思ったようにはいかなかった。
 いつの間にか暗転していた教室の中、今まさに教室を出ようとした私にまぶしい光が当たる。スポットライトだ。その強烈な光に体がその場に縫い留められる。
「Iさんです!!!どうぞこちらへ!!!」
 再び上がる大歓声。耳がおかしくなりそうだ。
 しらばっくれて立ち去ってしまおうか。そう少し迷ったが、観念して私は檀上に上った。教壇に置かれたPCには資料のスライドが映っている。どうやら発表用の資料は既に作成してあるらしい。あとは、スクリーンに投じるだけ。なんて勝手なことだ。私の許可も得ずに。さらにあろうことにかざっと資料を確認したところ、まったくテーマと内容があっていない。これをどうしろというのだ。
「資料の必要なところを抜き取って、あとは、実際にツールを動かしながら見せるといいと思います」
 いつのまにか現れたプログラマのPさんがそんなことを言う。そう簡単にできるだろうか。しかし、やるしかない。
 いつのまにかまんざらでもない気分になっていた私は、聴衆を前にして、マイクを手に取った———

 ———SNSで手作りのハンコを作ってさびれた寺社仏閣を救おうというムーブメントが興っていた。そのハンコにはオリジナルの創作漢字を入れなければならないとのこと。私は支援対象の神社に関連する漢字をベースにして、なんとか「心」の文字を入れようとあれこれ考えていたが、うまいことはまらない。
 体育館の中で、教室から持ってきた机と椅子に座って作業をしている。すぐ横ではバスケ部が練習をしていた。なぜそのような珍妙な作業場選びをしたのかは覚えてない。インスピレーションを得るにしても、もうちょっといい方法があるだろう。と、私は自分自身に突っ込んだ。
 すると上司がやってきて、
「なんで、机の上に牛乳パックを置いているんだ」
 と笑顔で問いかけてきた。確かに、空の牛乳パックが机に置かれている。しかし、私はなぜ置かれているのかは知らない。それが、私が置いたものなのか否かもわからない。ただ、話がこじれるから私が置いたものということにしておこう。
「いえ、これといった理由はなく、なんとなくです」
「そうか、わかった」
 上司は笑顔のままうなずく。そしてそのまま去ってしまうかに見えた。しかし、半身を翻すその途中で、再度私の方を向く。そこには、先ほどまでの笑顔はなかった。
「ふざけるな」
 低い声で怒鳴られて、私は身を縮ませる。
 そして、いつの間にか手にしていたコテ板とコテのようなもので、左官よろしく茶色い泥のようなものを私に塗りたくってくる。訳が分からず私はなされるがままにしている。その泥がついた部分が塩を摺りこまれたようにひりひりした。
「推薦してやろうというのに、そんな調子ではいけない。もっと精進するように。ちゃんと立ち回ってほしい。あのNさんに対するメールはなんだ。そんなことでは、やはり推薦を取りやめるぞ」
 上司は私の机をゆっくりと、私を睨みつけながら一週して歩きながら、私の顔をえぐるように覗き込んで、そんなようなことを言った。実際はもっと長かったような気もするが、要約すればこんな感じである。至近距離でのお説教に。私はただ「はい」とうなずくほかなかった———

———もうすぐ8時半だ。次の授業のために体育館を明け渡さねばならない。クラスメート達は、思い思いに備品を片付けて教室に戻ろうとする。俺は、何かを体育館に置き忘れたままになっていることを危惧したが、それは杞憂だった。そもそも体育館にはなく、教室に置いたままになっていたのである。ひとまず胸をなでおろしていたところで、俺はKに呼び止められた。そして、「子ども扱いがひどいよな、まったく」などと言った。俺も同感だと告げた。
 体育館の隅に女子が10人ほど集まって何やら話している。移動しなければならないというのに会話に花が咲いてしまったらしく。楽し気な笑い声が聞こえてくる。何の話をしているのだろう。なにがそんなに楽しいのだろう。楽しいことなんか、何もありはしないはずなのに———
 
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