もどりもどって

文字数 6,282文字

 長いこと待った。ついにやり直せるのだ。
 PCに届いた1通のメール。そこにすべての希望が詰まっていた。あの日以来、万事に対してまったくの無感動だった自分の心に、熱く滾るものが宿る。
 知人のMから届いたそのメールには、ある装置の開発に成功したとの報告があった。その装置とは、過去に見た夢を再現する機械である。さらには、ある程度の制限はあるものの、多少はその夢の内容を改変することができるのだ。私はこの機械を長いこと待っていた。
 過去に途方もなく良い夢を見たことがあって、それをまた体験したい、ということではない。そんなつまらない理由で待ち望んでいたわけではない。
 私には、為すべき使命がある。仲間たちが待っているのだ。ある夢の続きを見、そして救わなければならない。そのような類の夢を見てしまったのだ。
 もちろん、客観的に見てあまり正気な思考とはいえない、ということは重々承知している。夢など所詮夢、そのメカニズムは解明されていないとはいえ、脳の働きによって見せられた幻惑であり、現実世界とは全く交わることの無い光景である。そんな幻想に心をとらわれるなど常軌を逸している。世間はそのように捉えるだろう。
 しかし、果たして本当にそうといいきれるだろうか。この焦燥感が、あの光景が、まったくのでたらめだなんて、全くそうは思えない。そこには、何かしら一抹の真実があるはずなのだ。私はあの夢をもう一度見なくてはならない。そうしなければ、すべてが進まないのだ。
 私はメールを返信して、今すぐに装置を使わせてくれと懇願した。返事はすぐに帰ってきた。さっそく明日、私の家まで出向くのだという。
 翌日、私は今か今かと知人の到着を待っていた。心が落ち着かず、屋内を行ったり来たり、意味もなく水を飲んだり、ドアを開けて回ったりなどしていた。
 約束の時間になると、その時間きっかりにインターフォンが鳴る。その音で、私は玄関に飛んで行った。
「こんにちは」
「……なぜ君が?」
 玄関に現れた白衣の娘。それは知人のMではなく、Kだった。Kは私の遠い親戚である。
「あれ?言っていませんでしたっけ?Mさんのところで助手をしているんですよ」
 まったく初耳だ。しかし、今はそんな些細なことを気にしている場合ではない。
「特に聞いた覚えはないな。とにかく、君が例のものを持ってきてくれたのだね?」
「はい、持ってきてますよ」
 Kはそう言うが、手ぶらである。
「特に何も持っていないように見えるが…?」
「まあ、細かいことは気にしないで、準備に入ってください」
 はぐらかされてしまった。隠すようなことでもないだろうに。
 いまいち腑に落ちない感じがしたが、私は素直に指示にしたがった。
 特にKを屋内に招くこともなく、1人でリビングへと向かう。そしてそこあるソファーに身を横たえた。装置を動かすには、自分は横になる必要があるのだ。と、ふと疑問に思う。なぜ、横になる必要があることを私は把握しているのか。そんな説明は今までに受けたことはなかったはずだ。
少し間を置いてKがリビングに入ってきた。今度は手ぶらではなかった。が、それはなんらかの装置や器具ではなく、私の家にあった毛布だった。
「それでは始めます。まず目をつむってください」
 言われた通り目を瞑った。
「はい。次に腕を胸の前でクロスさせてください。ちょうど、両手で反対側の肩のあたりを掴む感じです」 
 言われた通りにする。ウォータースライダーを滑る時のような状態だ。
「はい、それで大丈夫です。次に、時間の指定です。何時まで潜りますか?」
「……じゃあ、16時50分まで」
「了解です」
 言ってしまってから、さすがに短すぎただろうかと不安になる。
「十分な時間だと思います」
 Kは私の心を読んだかのように付け加えた。
身体の上に、何か柔らかなものが乗るのを感じる。これは、先ほどKが手にしていた毛布だろう。とてもやさしいかけ方だった。まるで寝てしまった子どもを慈しむかのような、柔らかい置き方だった。
「では、いってらっしゃい」
 そう言葉を残すとKは私から離れたようだった。
 ほどなくして、かすかな機械音が聞こえてくる。妙に思って薄っすら目を開けた。すると、ちょうど入口からリビングに入ってこようとする3体の白い筒の形をしたロボットがいた。筒の下に取り付けられた大きな円盤につけたキャスターをころころと転がして、自律走行している。頭に当たる部分にはそれより小さい円盤が取り付けられていて。中央部分にセンサーが取り付けられていた。それらは、私の姿を確認すると、静かなサイレン音を出して近づいてきた。私はあわてて目を閉じる。
 閉じた視界の中で、先ほどの3体のロボットが近くに来ていることを感じる。ロボットたちは、ピポピポと古臭い電子音を立てるばかりで何もしない。それがしばらく続いたので、さすがに不安に思ったころ、その音が鳴りやんで、不意に口と鼻とに何かをあてがわれた。人工呼吸器のようなものだろうか。そして間もなく、ぷしゅう、と音が漏れるような音が聞こえてきて、生暖かい空気が口元にあたった。
 これを吸えばよいのだろうか。吸えば夢がみられるのか。
 ようやくかねてからの願望が果たせると、期待が膨らむ。だが、そのせいで帰って緊張してしまい、うまく呼吸をすることができなかった。それでも、次第に意識が遠のくのを感じる。噴霧された薬剤が身体に回り始めてきたのだ。言葉が意識が像を結ばなくなっていく……。
 ……自分が全く真っ暗な空間にいることに気づいた。一方で、相変わらずソファに身を横たえているような感覚もある。私は、どうやら半覚醒の状態にあるらしい。これではまずいと、私は必死に心を落ち着けて眠ろうと試みた。だが、うまくいかない。寝よう寝ようとするほどに、かえって目がさえてくるような気持がする。
 夢と現実のはざまでもがいていたところ、誰かが近づいてくるのを感じる。現実側にわずかに意識を向けると、1人の看護師が自分の近くにいることに気づいた。そして、私の脱力した左腕の袖をまくると、手にしていた注射器を私の腕に刺した。
「安心してください。どうやら糖分が足りなかったようです。もう少しの辛抱です」
 看護師は優しい声音でそう告げた。確かに、少し空腹を感じていた。これが、夢の世界へと潜るにあたっての障壁だったのか。少し時間がたって腹がくちくなるのを感じる。気分が落ち着いてきた。今度こそは、たどり着ける、だろう……。

「だめだっ!もう水没する……っ!」
 大量の水で満たされた狭い空間。天井に残された数センチのわずかな空間に顔を出して、あえぐ。勢いよく水をほとばしらせていた注水口は既に水面下に沈んでしまっている。だから水面は静かに、しかし着実にせりあがってくる。もうあと数分もすれば、この部屋は完全に水没し、私たちは窒息して果てるだろう。
「……くそっ、OTRのやつらめ、呪ってやる……」
 Tはもう限界だった。もう立ち泳ぐ力が残っていない。ここに来る前にもずいぶん消耗していたのだ。最後に呪詛を吐き残して、水の中に沈んでいった。
 残ったのは、Sと私だった。
「ここまで、か……し、て、やられたな」
 Sは苦しそうにつぶやく。今まで懸命に手足を動かして、なんとか身体を浮かせていたが、Tに同じく、Sも限界が近いらしい。私もおそらくもう長くはもたないだろう。
「しかし、我々、に、は、やり直す、チャンスがある、……そうだ、ろう?」
「……ええ、まだ、挽回の、機会、が」
 Sの表情は、さらに苦痛にゆがむ。必死に全身に力を込めている。最後の思いをなんとか残そうとしているのだ。一言も聞き漏らすまい。この胸に刻み込むのだ。
「つ、ぎ、こそは、必ず、やる……やる、ぞ、ぜったい、に、だ!、たのんだ、ぞ!」
 水面に沈む前に、泳ぐのをやめた右手でこぶしを作り、水面を強くたたく。そして、深く燃える二つの双眸で、一瞬私の目を射貫いた。そこですべての力が果てたのだろう、その一瞬のこわばりのあとに、ずるずると暗い水の中に沈んでいった。
 その姿を見届けた後、私は右手で身体をどうにか支えながら、左手で腰のあたりに手を伸ばして、腰のベルトにひもで結んだ小さな袋を手に握った。紐を解き、その中身を取り出した。それを強く握る。すると、握った手の内が即座に熱を持つのを感じた。それは、ぼうっと小さな光を指の間から光線となってあふれた。そして、一瞬のうちに、白い光に部屋全体が包まれた。光の圧倒的な奔流。私は全身に強い圧力がかかるのを感じた。焼き尽くされるのではないかという焦熱感。強烈な衝撃に、私はほどなくして気を失った。

——て、おきて——————
——————もう、つぎが—————————
———んどは、おねが——————

————頭がぼんやりしている。一体自分は何をしていただろうか。ここはどこだろう。
周囲を見渡す。六畳のほどの白い部屋。ドアが一つ。窓が一つ。そして人が二人掛けのソファーが一つ。殺風景な部屋だった。その部屋の中には、私のほかに男が二人。TとSだった。
 TとSがいる。なぜだ、彼らがいるのは当然のはず。だというのに、強烈な違和感を感じる。
 声をかけようと口を開きかけたその時、Sがこちらを見た。
「いつまで寝ぼけてるんだ。戻ってきたぞ。今度こそは、やるんだ」
 その一言で私は目が覚めた。
 そうだった、私たちは戻ってきたのだ。あの娘の力で。
「あらかじめ天井に穴をあけるんだ。そうすれば、部屋の水没は対処できる。Tが作業に取り掛かる。俺たちは、外を見張っていよう」
 私とSは部屋の外に出た。私たちがいた部屋は、高く白い外壁に囲まれていて、ちょうどその中心にある小さな家屋の一室だった。外壁までの距離はだいたい500メートルほどである。外壁のほかには、茶色い地面と青い空が見えるばかり。どこまでも殺風景な光景だった。私は扉から出てすぐのところで待機した。Sは家屋の反対側に向かう。
 「1度目」は、不意打ちを食らってこの白い家屋の中に追い込まれてしまった。そして、この白い家屋が罠で、一度扉を閉めると二度と開けられない構造になっていた。狭い空間に押し込められたまま、白い外壁の内を大量の水で埋められて、果てたのである。
 今度は同じ手は食わない。OTRの連中が見えたら、即座に撃ち抜いてやる。
 風がかすかに吹いている。雲が穏やかに流れている。そのほかには、何も変化はない。OTRの姿も現れない。きっと彼らは、我々は部屋の中に閉じこもるのを待っているのだろう。しかし、もうその手は食わない。
 さらに待つ。わずかな変化も見逃すまい。
 次第に雲が多くなってきた。少し陽も傾いて、空の色に赤みがかかる。
 いっこうにやつらは現れない。
 不意に嫌な予感がした。理由はわからないが、またはめられているのではないかという疑念が湧いてくる。こうしているうちに敵に術中にはまっていたとしたら?もし、そうだとしたら、敵はどのようにして出し抜こうと考えるだろうか。
———そういえば、Tはいつまで作業をしているのだろう。
 周囲を検める。やはり何も異変はない。少しの逡巡の後、再び部屋の中に入った。
「おい、T、まだ作業は……、っ!」
 私は咄嗟に銃を構えた。
 中にいたのはTだけではなかった。
 Tのほかに、二人の男がいる。
 その腕には正方形を不規則に3つ重ねたシンボルがある。
———OTRだ
 私は困惑した。
そして、それは、いるはずのない敵がこの場にいるからだけではなかった。
 あろうことか、Tと二人の男は親しげに言葉を交わしていたのである。
 天井に穴をあけるために使っていたはずのドリルは、足元に放り出されていて、3人はソファーに腰かけて談笑していたのである。その様子は、昔からの友人たちのようにしか見えなかった。
「……これはどういうつもりだ」
 Tは私を見た。そして朗らかな表情のままに答えた。
「いや、俺は誤解していたようだ。こいつらは決して悪い奴じゃない。話してみればわかる。俺たちは、敵対する必要はなかったんだ」
「なぜそう言える」
「話せば長くなるんだが……」
 そう切り出したTは、二人の男を信頼するに至った経緯を滔々と話した。
 Tは、どういうわけか、この二人の男の身の上話にすっかり共感してしまったらしい。もちろん最初はTも二人を警戒していた。しかし、まったくの丸腰で近づいてきた二人に敵意は全く感じなかったのだという。警戒しながらも交わした言葉は、敵とは思えない人間味にあふれていて、すっかり身の上話をしてしまうまでに至ったのだと。
 もちろん、私はそれを受け入れることはできなかった。
「ふざけるな!こいつらがどれだけの悪さをしてきたと思ってるんだ!」
「確かにOTR自体は許すべきではない。しかし、こいつらはその所属とはいえ、1人の人間なんだ」
「おまえは間違っている。目を覚ませ!」
「いや、間違っているのはお前だ。冷静になれ。そもそも俺たちは」
 Tがその先の言葉をつづけようとした瞬間、一切の動きが止まった。Tはもちろん、OTRの憎き二人の男も。それどころか、この空間に存在する一切の事物が、凍り固まってしまった。色彩は急に失われ、セピアの色調を帯びる。まるで古写真の中に囚われてしまったかのようだ。
「やはり、今回もだめでしたね」
 いつのまにか自分の隣に何者かがいることに気づく。
 くすんだ赤色のサリーを身にまとった、色の浅黒い1人の少女。
「ずいぶん待ったのですよ、あなたが戻ってこないから」
 すまない、でももう大丈夫。戻ってこれたんだ。
 そう言おうとした。だが、声が出なかった。
 そして気づく。彼女の名前が思い出せない。
 どうすることもできずに、彼女の視線に目を合わせて、まばたきすることしかできない。
 しかし、彼女は私の頭の中で発した言葉が分かるようだった。
 彼女は、さみしそうな笑顔を浮かべてうなずいた。
「ええ、わかってます。でももう無駄なのですよ。何度繰り返したところで、何度対策を講じたところで、そこに生じる微細な変化が、運命を大きく変えていってしまう。しかも、運命の変わる方向性だけは変わらないのだから、結局は同じ結末を迎えるしかないんです」
 そんなことわからないだろう?100パーセントそうなるとは限らないはずだ。だから、何度だって試すべきだ。俺だって、TだってSだってそう思っている。
「そうかもしれません。でもあなたの貴重な時間をこのようなことに費やすのはばかげています。私やTさんSさんはともかく、あなたは違う。あなたはこんなところでまどろんでいてはいけないのです」
 しかし……。
「あなたが戻ってこようとしているとわかったから、今の今まで待っていました。でもそれはこのことを告げるためだけです。もう、もとの自分に帰ってください。すべてはこれでおしまいです」
 ちょっとまってくれ私は……っ。
「さようなら。……それと、ありがとう」
 少女は消えた。と同時に、自分が見知らぬ街にいることに気づく。赤茶けた寺院が立ち並んでいる通りにいた。ここは、たしかカトマンズ。少女が暮らしていた街。貧しい生活のさなかにひょんなことから時戻しの力を手に入れて、気ままに暮らしていた街。OTRの連中に付け狙われるまでは……。
———ここに戻ってきた。つまりは、そういうことなのだ。
 私はすべてを諦めて、自分の宿に戻ることにした。明日には、日本に帰らなければならない。
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