反重力と殺意

文字数 3,122文字

 空に人が浮いている。いや、飛んでいる。
 ただっぴろい敷地。学校のグラウンドが10個ぐらい入りそう。平らにならされて、土が露出している。周囲には、腰ぐらいの高さの雑草がぼさぼさと生え広がっている。
 その敷地の上を、無数の人が、びゅんびゅんとすごい速さで飛び交っている。赤や黄色の蛍光色の特殊なスーツに身を包み、縦横無尽に空を舞っている。ときどき、互いにぶつかり合っていたけれど、特に怪我をするわけでもないようだった。少し止まって、互いに謝るような素振りをした後に、再び複雑な飛行を始めている。
 青い空に浮かぶ彼らは、すこし奇妙な感じを受けたけれど、とても楽しそうでわたしは少しうらやましかった。
 そんなわたしを見つけた白衣の男が、事情を教えてくれた。これは、地球規模の重力反転実験であり、その実験をしているのだと。今日は、この実験の規模の拡大のために、外部にデモンストレーションを行っているところ。脇に見える200メートル四方に網で仕切られた場が、以前まで使っていた実験場で、2キロメートル四方に設備を拡張したのだと教えてくれた。そんな広大な設備など見当たらないと思っていたが、今まで見えていた200メートル四方の網がいつの間にか2キロぐらいの大きさに変わっていた。なるほど、わたしが見落としていただけだった。
 どうせですからと、白衣の男は実験に参加することを薦めてきた。少し怖い気もしたが、好奇心には勝てなかった。
 いつのまにか合流した友人二人とともに、バスとも電車の車両ともつかない奇妙な乗り物に乗せられた。スペースシャトルのようにも思える。
 席に着いた瞬間に乗り物は浮遊を始める。ぐんぐんと上昇していき、窓を除いてみると、どんどん地上の建物が小さくなっていった。すごいスピードだ。少し怖くなってきた。ふいに身体がふわりと起き上がるような感じがする。おなかのあたりがぞわぞわとする。そして、急に空と地上とが反転した。上が下に、下が上に。頭が地上にあるような、空に足をつけているような落ち着かない感じ。でも、外をみれば依然として下に大地が、上に空がある。その感覚にそこはかとない感動と恐れとが、同時に湧き上がってくる。なにこれ、すごい……。頭の中がふわふわする……。こんどは寒気を感じてくる。のどのあたりが気持ち悪い。わたしはせきこんだ。胸のあたりが落ち着かない。胃の中のものを戻してしまいそうだ。酔ってしまったのかな……。
 そんなわたしの様子を見たからなのか、ちょうど気分が悪くなってきた当たりで、船は地上に戻った。
 くらくらしながら船を降りて、付属の研究施設に向かった。そこで少し休憩できるのだという。研究施設の外見は、学校の校舎そのものだった。たぶん、以前は学校として使われていたんだと思う。
 玄関の近くで、わたしはSを見かけた。ミニバンに荷物を積む作業員に向かって何かを訴えている。ただならぬ様子だった。何かあったのだろうか。
「どうして!どうして、おしえてくれなかったんです!おしえてくれていたら、こうはならなかったのに!」
 男はそんなSには気も留めず、段ボールを積む作業を進めている。まったく反応がない。Sはそれでも、しきりになぜ教えなかったのかとしきりに訴えている。何を教えなかったのだろう?
「どうして!!!」
 Sは叫ぶ。
「えっ」
 わたしは驚いた。おかしい。こんなのありえない……。
 さっきまで雲一つない晴天だった。それが、Sが叫んで、一気に暗くなった。日が暮れたでもない、雲が空を覆ったのでもない。依然として太陽は空にある。なのに、暗い。そして寒い。周囲がすべてモノトーンに沈む。その中で、Sだけがくっきりと色を保っていた。スポットライトを当てられた役者のように、ただ一人だけが際立っていた。
「ああこれで惨劇は止められない。運命は確定してしまったっ!!!」
 Sはうなるように低い声でそう叫んだ。叫ぶと同時に身を反らせて天を仰ぐ。
 そして、頭を俊敏に巡らせてわたしをにらんだ。見開いた目、白く輝く歯は暴力的で、美しく歪んだ微笑みをわたしに投げかける。
「もうどうすることもできませんよ。覚悟してくださいね」
 わたしは、情けない声を漏らして、身を竦ませた。反射的に身を翻す。そして玄関にダッシュした。逃げられるはずもないのに。そんなわたしを追いかけるつもりはないのか、後ろから追いかける音は聞こえず、かすかにふつふつと笑う声だけが耳に残った。

 わたしに割り当てられた部屋に向かった。やっぱり薄暗い。夕暮れ時ぐらいの明るさだ。わたしはベッドに身を投げた。Sの言う通り、もう逃げられない。もうただ最期を待つばかり。すぐにアイツがやってきて、わたしをひどくむごたらしく殺すのだろう。胸がぎゅうと締め付けられるように苦しい。怖い。
 くらやみに無防備に身体を晒すのが怖くなって、電気を点けることにした。重くてだるい身を起こして、天井からつるされた紐を引く。じらすようにワンテンポ遅れて、数回の点滅の後、電気が灯った。
 その時、わたしは気づいてしまった。
 部屋の片隅にたたずむ人影に。
 それはわたしを責め立てる影。
 わたしは驚きに凍って動けないでいる。
 そんなわたしをひどく冷たい笑顔で見据えている。
 それは知っている顔だった。Rだ。
 右手のあたりが鈍く光っている。無造作に握られた包丁がそこにあった。
「よく気がつきましたね」
 Rはそういってニヤリと笑った。
 だけど、Rは手にした包丁で襲うつもりはないらしく、
「どのようにされるのがお好みか、考えておいてください」
 とだけ言い残して、その場を去って行った。裸足でぺたぺたと廊下を歩いて出ていく。わたしはその姿が見えなくなるまで全く動けないでいた。
 わたしはその場に崩れた。ふるえがとまらない。自分で自分の体を固く抱きしめた。心臓は馬鹿みたいに早く打っている。悪寒を激しく感じる。
 殺されるのは嫌だ。
 殺されるのは嫌だ。
 でも、どうせ殺されるのなら。
 楽に死にたい。
 わたしはふるえる全身を抑え込んで、必死の思いで顔を上げた。部屋の外の廊下を見る。そこにはすでに歩き去ってしまったはずのRがいて、こちらを見ていた。
 視線があって、わたしはまた恐怖で身をすくませる。まだ監視されていたんだ。でも、距離がある。これなら……。
 わたしは、ひとおもいに立ち上がり、Rに背を向けた。そしてそのまま、向かいの窓に突進した。窓の下の机に乗っかって、その勢いのまま、窓を開け、そこから飛び降りた。
 ここは10階だったはず。思いっきり飛び降りて、頭でも打てば、そのまま死ぬことができるだろう。それだってつらいけど、なぶり殺しにされるよりはマシだ。
 だけれど、わたしは勘違いをしていた。わたしの部屋は10階ではなく、3階だった。しかも、地面が異様に柔らかくなっていた。だから、わたしは飛び降りて間もなく地面に何事もなく着陸してしまった。死ぬどころか怪我もなく、さらには痛みすら感じない。
 どうしよう。これでは何も変わらない……。
 後ろからは、Rの怒りの声が聞こえてきた。すぐにSに伝えて、二人で追ってくるだろう。なんとか逃げないと……。
 わたしは走り出した。すぐそばの門から往来に出る。
 往来に出たとたんに、わたしはうまく走れなくなった。まるで水中の中にいるかのようだ。足と腕が粘性をおびた空気に絡み取られてしまう。両腕で空気を平泳ぎのようにかいて、少しずつ進んでいくしかない。
 だめだ、これじゃ追いつかれる……。
 殺されるのは嫌だ。
 殺されるのは嫌だ。
 せめて楽に死なせてほしい
 おねがいだから、おねがいだから……。
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