髑髏を運ぶ

文字数 5,773文字

 世の中に魑魅魍魎があふれるようになってしばらく経つ。すでに中央政府は異形の軍勢に倒されて機能していない。たくさんの人が死んだ。一方で、都市部から離れた村々には、有形無形の古来よりのまじないが人々を守った。特に強力な守護が働く村は、異形の脅威を寄せ付けない安全地帯として、わずかに栄えることになった。そうした村々の間で営まれる交易や人流が、かろうじて文明の形を維持していた。しかし、その守護から離れれば、異形はたちまちに人間を襲い、喰らった。一時の平穏は得たものの、人類は常にその存在を脅かされることとなったのである。
 と、私は伝え聞いている。詳しいところは分からない。私は、そうした世の中になってから生まれた身。それ以前のことについては、まるで分らない。祖父母の代は、魑魅魍魎が跋扈する以前の世の中を知っているそうだが、生憎どちらも私が生まれる前に死んでしまっていた。
 成人するまで、私は平穏無事に育った。幸運なことに、生まれた村は特に強力な守護があるようだった。畑仕事をするほかは、幼馴染とつるんで遊んだり、数少ない村に残った旧時代の書籍を読み漁ったりなどした。
 しかし、そんな平穏な日々も終わることになる。
 つい先日、私は成人した。それは、大人としての仕事を任されることを意味する。村の集会場に呼び集められた私と、そのほか顔なじみの三名は、簡単な儀式と祝祭を終えて、各個人の家に戻った後、日が沈むのを待って再度呼び戻された。さっそく仕事を任せようというのである。私は驚いた。成人したその日に、仕事が任されることは滅多にないことだったからだ。
 集会所に至ると、村長と村の重役たちが待っていた。暗い家屋の内で、炉に焚いた火が彼らの顔をゆらゆらと照らしている。
 村長は、私たちに仕事を与えた。隣村に、あるものを届けなければいけないらしい。「なんだ、こどものつかいか」などと、緊張を緩めて声を漏らす友人がいた。村長はそれを叱責する。
「何もわかっとらんようだな。これはとても重要な仕事だ。この仕事にこの村の将来がかかっておる。それほどまでに重要と思っていながら、なぜ若輩の、それもついさきほどまで子供だったものに任せるのか。それは、人手が足りないからにほかならん」
 村長は、自身の手前に手を伸ばす。そこには、紫の滑らかな布にくるまれた何かがある。その布の中から何かを取り出そうとする。その動作がひどく緩慢だったので、私は疑問に思った。過剰に恭しい所作だった。
 紫の布から出てきたのは、小さな白い筒のようなものだった。外側の白い石造りのケースの中に、筒の形ぴったりに、ざらざらとした質感の黒い岩のようなものが収まっている。表面は白い斑点が浮かんでいる。その白い斑点の模様が、なにか不吉なもののように感じられた。これは髑髏だ。私はそう直感した。白い斑点が描く模様は明らかに髑髏のそれとは違うのだが、私にはそれ以外の何物にも思えなかった。そこはかとない不安が襲って息をのむ。ちらりと横を見て、顔なじみの様子をうかがうと、彼らも同様に緊張した面持ちで「髑髏」を見つめていた。
 村長はそんな私たちの様子を確かめて、重々しくうなずいた。
「……うむ、察してくれたようだな。これは、太古より伝わる呪術の道具である。遥か古の時代には、人を呪い殺すために使われたとか。今では、守護の結界の強化のための儀式に利用されておる。このあたりの村々が持ち回りで儀式に用いて、各々の守護のために役立てておるのだ。昨年、わが村でその儀式を執り行ったのだが、今度は隣村で近々その儀式が執り行われる。その儀式のために、この呪具を届けてほしいのだ」
 両手に持ったその「髑髏」を、村長は大事そうに再び紫の布に包んだ。
 これは重大な任務なのだ。場の空気が何倍も重くなったように感じられる。凍り付いた時間の中で、炉火だけが妖しく燃えている。
「なぜ、自分達が、という顔をしているな。厄介なことにこの呪具はな、若者でなければ持つことはできないのだ。そして、お前たち以外の若者はみな手が離せぬ状況だ。だから、お前たちに頼まねばならない。よろしく頼むぞ。一つ、注意点がある。この呪具は、手に持つときは、必ず両手で端と端とをもたねばならん。そうせねば、この呪具はたちまちに不敬を感じとり、熱を発してお前たちの手を焼くだろう。くれぐれも気を付けるのだ」
 村長はその呪具を、紫の布にくるんだまま私に渡した。なぜ私に、と私は戸惑いながらも両手で受け取る。手にずっしりとした重みを感じる。想像以上に重い。私はそれを肩にさげたカバンに入れた。入れる直前で一瞬だけ片手になったその瞬間、異様な熱を手に感じた。多少の時間なら耐えられるかもしれないが、確かにとても素手で持つことはできないだろう。
 私たちは村長の家を後にして、各々自分の家に戻り、旅支度を整えた。私は父と母に事の次第を告げた。父は、心配しながらも村の重役を任された私を誇りに思ったらしい。必ずやり遂げて、無事帰ってくるようにと私の肩を叩き、何かあった時の護身用に一振りのナイフを与えた。母は、涙しながらとりとめもなく私を心配し、強く抱きしめた。
 翌朝、広場に集まった私たち四人は、村長と重役が取り仕切る旅立ちの儀を受けた。村長が言祝いだ泉の水を、白い器から両手に受け、一礼して飲む。村の守護の外へと出る者に授ける儀式だった。今までも目にすることは多かったが、自分自身がその送られる対象になるのは初めてだった。冷たい水が、喉を通って体にしみる。緊張していた身体が少しだけほぐれるような気がした。
 儀式が終わって、私たちは村を立った。
 普段なら軽口を言い合う仲だったが、お互いに黙ったままである。
 道なりにしばらく歩くと、道端に小さな石像と祠が見えた。これが、村の守護を抜ける境界である。これより先は、いつ何時異形に襲われるかわからない。私たちは祠に手を合わせて旅の無事を祈った。
 幸運にも私たちは順調に旅を進めることができた。そして、さらに歩き正午を回ったころ、私たちはちょうど隣村との中間にある廃村にたどり着いた。名前も忘れられて久しいこの村は、旧時代にそこそこ栄えていた町だと聞いている。黒い油のようなものでコーティングされた砂利道が大通りとなっている。その両端には等間隔に細長い滑らかな石造りの塔が立っており、その塔は細い糸のようなもので接続されていた。本で読んだことがある。これは、電柱と呼ばれるもので、電気を運搬していたのだ。私は本の中でしか知りえなかった旧時代の遺物を目の当たりにして、少なからず興奮した。今となっては決して再現することのできない代物である。
 しかし、一方で悲しさも感じる。その旧時代の繁栄の証は、いまでは無残にも荒れ果てた姿を見せているからだ。電柱はところ電線が切れており、一部は倒れてしまっていた。建物はほとんどすべてが半壊となっており、内部が野ざらしになっている。堅牢そうな石造りの壁はぼろぼろに崩れて、その内部の鉄骨は雨風に晒されて今にも折れてしまいそうなぐらいに錆びてしまっている。
 なぜ旧時代は滅びてしまったのだろう。もちろん、理由は突如湧いた異形のせいだ。しかし、これほどに栄えた文明だ。どうにかして太刀打ちできなかったのだろうか。村の図書館に残された図書はこの疑問に答えてはくれなかった。魑魅魍魎が地から湧き始めた時代の文献は、まったく残されていないのである。文字に文章に残すほどの余力もないままに、滅ぼされてしまったらしいのだ。
 物思いに沈みながら、かつての中央街を抜けた。次第に廃墟がまばらになっていき、一つ一つの敷地が広くなっていく。ここは、住宅地跡のようだった。人の高さほどの石垣が、一つ一つの家屋を囲っている。しかし、その中心にあるべき家屋は朽ち果ててみる姿もない。庭木と雑草ばかりが青々と生い茂っている。
 私たちはその廃墟の一つで休息をとった。ここまで休みも取らずに歩き続けていて疲れが出ていたのだ。各々が携えた食料と水を口にする。
「なんとかなりそうだな」
 友人の一人がそういった。一石が投じられた水面に波紋が広がるように、次々に思い思いの声が上がる。
「散々脅された割に、拍子抜けだぜ」
「まだ気を抜くには早い」
「……もうそろそろ出ようよ、ここはなんだか気味が悪い」
 私は会話に加わらなかった。私の関心は、未だ旧文明に及んでいた。干し肉を口に含みながら、かつての生活に思いをはせていた。旧時代人の生活、技術、そして文化。それらが一体どのようなものであったか。わずかに残された文献は、その断片をバラバラに伝えるに過ぎない。統一した像を結ぶにはあまりにも不十分である。
 だが、そのように思索に沈潜していても、無意識は周囲の警戒を怠らなかったらしい。
 私は、かすかな異変に気付いた。
 断続的に、周期的に、風にそよぐ木々の葉擦れの音に混ざって、わずかな音が聞こえる。
 低く、掠れた、唸るような、呻くような、それは……声。
 私は咄嗟に立ち上がった。何事かと皆が顔を向ける。
「襲撃だ!」
 その一言で、即座に皆立ち上がった。手早く荷物をまとめて、走り出す。
 私が聞き取った異変、異音、それは怨霊の声だった。一言で皆が了解したのは、私の一言とともに、皆がその音を聞き取ったからだ。
 私たちが荷物をまとめるわずかな時間の内に、かすかに聞き取れるほどだった音は、今は身体を震わすほどの大きな圧を伴った。地を這うような恨めしい音声が私たちを心の底から震え上がらせる。遮二無二駆ける。駆ける。
 怨霊。特別な訓練を受けた者でなければその存在を視認することはできず、なにか土埃のような黒い影のようにしか見えない。それがまるで陸地にうねる津波のように、人間を襲うのである。その波にのまれたものは一瞬にしてその身体は蒸発し、精神は怨霊の塊の一部となるのだ。村人も何人も犠牲になっている。学校でなんども伝え聞いたその恐ろしい存在が、今まさに自分たちに襲い掛かろうとしている。
 私たちは必死に走った。私たちの走力と怨霊の速度は、拮抗していた。このまま全速力で走り切れば、何とか振り切れるだろう。ただ、そこまで体力が持つだろうか。
 そう疑念をもった矢先、旅の仲間の一人が地面の小石に躓いて転んだ。私たちは振り返れなかった。非情に思われるかもしれないが、これが村の教えである。全滅よりは、一人でも多くの人間を生かすことを、徹底的に生存戦略として教え込まれていたのだ。そして、もう一人、体力が持たずに、速度を落とした。私たちは彼も見捨てて走る。ただ無言に走る。
 二人になって、なおも走り続けた。廃村の住宅街を抜け、再び森の中へと入る。怨霊はしつこく私たちを追ってくる。隣村にたどり着かなければ振り切れないだろう。しかし、私たちの体力もそろそろ限界だった。あと1時間は走り続ける必要がある。
 言葉を交わすことなく、相方がその場に踏みとどまった。出立から持参していた守護の呪具で足止めをしようというのである。今回の任務の達成は、私の持つ呪具の運搬である。自らを犠牲にしてでも、私を生かす必要があった。
 背に彼の乾坤一擲の大音声と、それに呼応した翡翠色の光を受ける。まもなくしてその声はぷつりと途絶えた。それと同時に、怨霊の地鳴りがどんどん遠ざかっていくのを感じる。足止めには成功したのだ。しかし、きっと無事ではあるまい。怨霊の一部となってしまったのだろう。有事に情を起こすべからずと身体に叩き込まれたはずなのに、抑えきれない涙が風に散る。
 その足止めも焼け石に水だったのか、わずかな時間をおいて、再び怨霊の声が聞こえるようになった。それでも私は走った。何も考えずに、考えまいと心を鼓舞しながら、必死に走った。ただひたすらに、足と手を動かした。もはや、そこにわたしの意思は介在しなかった。機械的にただ身体を動かす客体になり下がった自己がいた。
 森を抜け、荒れ地に出る。あともう少しだ。あともう少し走れば、隣村の村境に出る。隣村の水田地帯に到達できる。
 もうすでに、意識はもうろうとしていた。明らかに速度が落ちている。それでも何とか怨霊との距離を詰められずに済んだのは、身を挺して怨霊を足止めした友の意志によるものだろう。となるならば、あの怨霊の中で今なお彼らは意思を保っていることになるだろう。地獄の責め苦に屈せず今なお、怨霊に抵抗しているのだ。
 それからさらにしばらく走った。そして、ようやく村境の祠が視界に入った。あともう少し、あともう少しの踏ん張りだ。
 しかし、いままで弱まっていた怨霊の声が、再び盛り返す。三人をようやく屈服させたのだろう。ものすごい勢いで背後に迫ってくるのを感じる。
 もうだめだ。追いつかれる。
 視認した。祠のそばに誰かがいる。私の方を見て、何かを叫びながら手招きしている。必死の形相。
 あともう少し。しかし、もう無理だ。
 私は、懐の鞄から、紫の包み布を取り出した。その中のものを片手に握る。髑髏だ。そいつは即座に熱を発した。右の手の平を焼く。それは、すでに疲労で全身が限界を迎えている身であっても、その手の平を意識しなければいけないほどに、強烈に肌を焼いた。痛くて痛くてたまらない。
 私は走る勢いそのままに、右手に持った髑髏を、大きく振りかぶって、前方に、祠の方に、祠のそばの人物めがけて、投げ放った。髑髏は、放物線を描いて、狙った方角へ飛んでいく。その投擲に全力を尽くした私は、走る力を失って、その場に倒れこんだ。
 もう助かるまい。しかし、任務は達成したのだ。
 地面に倒れて、視界にとらえた髑髏の軌道は、コマ送りされて脳裏に焼き付いた。ゆっくりと、わずかに回転しながら、髑髏の筒は、私たちの希望は、任務は、祠のそばにことんと落着した。そして、守護の境界の内に転がり込んでいく。
 祠のそばの人物は、呆気にとられた表情をして、一瞬私を泣きそうな顔でにらんだが、即座に呪具のもとへと駆け寄っていた。
 一息ついて安心する。おもむろに振り返って見やる。そこには空を覆いつくすほどの黒い波。それが、いままさに私を飲み込もうとしていた。
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