破壊の人格

文字数 3,784文字

 私はある街を歩いていた。

 歩行者天国になっている大通りと並行に走る通りを歩いている。通りの両脇は、居酒屋やコンビニ、ファストフード店といったありふれた店が乱雑に並んでいる。普段から人通りの多い通りだが、今日は休日のためか、一層人でごった返しているように見える。

 皆、思い思いのペースで、通りを闊歩していた。スーツに身を包んだビジネスマンは、足早に、大学生の一団は周囲を憚ることなく大声で会話をしながらのろのろと、子ども連れの夫婦は、こどもの歩くペースに合わせてゆっくりと。たまに老爺や老婆が危なっかしく、よろめきながら歩いていたりもする。

 その中を、私は小走りで駆けていた。一人、また一人と追い抜かす。特に何か理由があったわけではない。ゆっくりと歩くこと自体が、あまり好きではないのだ。他人がのろのろと歩くことも好きではない。特に、横一列に広がって正面から歩いてくる集団は、特に気に食わない。舌打ちをしたくなる。機嫌が悪いときは、すれ違いざまにわざと肩をぶつけてやろうとさえ思う。

 今日も、内心イライラしながら街を歩いていた。歩きなれた街である。どこに何があるかは把握していて、人込みを潜り抜けるのも、それほど難儀しない。するすると人込みを縫うように進んでいく。順調なペースである。それでもやはり、邪魔なものは邪魔だ。もう少し早く歩けないのか。道を開けられないのか。だが、こんなことは日常茶飯事だ。私にとってはいつものことだ。

 その日常が急に破られる。

 自分の前方で、甲高い悲鳴が上がる。一瞬の静寂の後、その声に呼応するように、次々にどよめき、うめき、さけび、とまどいの声があがる。それは間を置かずに一塊の巨大な悲鳴になった。

 何事かと私は前方を見やる。背の低い私の視線は、人だかりに遮られて、その何事かの発生源を確かめることはできない。ただ人々が蜘蛛の子を散らしたように、四方八方にこけつまろびず走り去っていくのが見えるばかりである。

 何か危険があるのだろうか。逃げた方がいいと本能は告げる。しかし、好奇心には勝てなかった。

 人の流れに逆って私は、騒ぎの渦中、その中心へと向かっていく。我を無くした幾人の肩が、私の肩に何度も勢いよくぶつかった。反対方向に押し流されそうになる。が、私はひるむことなく歩いた。

 そして、漸く騒ぎの中心地に至る。すべての騒ぎの大本がここにある。

 私は足元に小さな見慣れぬ物体を発見した。それは、とある若者向けのブティックのショーウインドウの目の前に、造作もなく転がっていた。

 両端が半球となっている筒状の物体である。長さは50センチ、直径は15センチほどぐらいだろうか。両端が半球状に反って行くあたりで灰色の輪がはめられており、厳重にねじのようなもので取り付けられている。表面は黒い塗料で黒光りしている。

 その黒い筒状の胴体のところに、小さな電光板が取り付けられており、右から左へ、なにやら赤い文字を滑らせている。

 私はその文字を見るために、その不思議な物体を目の前にして、中腰となって、電光板を覗き込んだ。1秒に1文字ぐらいの間隔で、赤い文字が流れている。その、1文字1文字を、確認する。文字が明らかになり、また、その文字が構成する文章が明らかになるにつれて、私は事の重大さを思い知り、戦慄した。そこにあらわれたのは、次の文言である。

「こ れ は 、 核 爆 弾 あ と 3 0 分 で 爆 発」

 私は恐怖が背中を走るのを感じた。逃げなければならない。私は思った。しかし、私の身体はまるで凍り付いてしまったかのように硬直していた。私の視線は電光板の上に縫い付けられてしまっている。

 不意に電光板の文字は消え、一瞬の間の後、次の文字を浮かび上がらせた。

「わ た し 、 か わ い い ?」

 その言葉を、私は凝視する。意味が分からなかった。核爆弾が、自分がかわいいかと問うている。その意味するところは一体何か?一度に何千何万もの人の命を奪う、破壊の権化と言ってもよいような存在が、自分をかわいいかと尋ねる。その不可解さに、私は混乱した。

 しかし、その混乱が逆に精神の緊張を解いた。私は自身の四肢が自由に動かせることを知る。中腰の体勢から、直立の体勢となり、改めて核爆弾を標榜する筒型の物体を見つめる。

 私は、わけもなく、心の内に説明しがたい憐憫の情が湧き上がるのを感じた。これを見捨てて私は逃げていいものだろうか。

 とはいえ、自らを危険にさらすわけにはいかない。私にはまだやるべきことがある。ここで死ぬわけにはいかないのだ。

 私は踵を返して、その自称核爆弾から、逃げ出した。反対方向へと身体を向き直ったその瞬間に視界の端に映った自身の容姿を気にする言葉が、嫌に脳裏に残った。無機物にたいして、それも危険極まりない破壊物にたいして、私はなぜこんなにも哀れみを感じるのだろうか。

 そのような思いを抱きつつも、今度は群衆と全く同じ方向に向かって走り去っていく。

 30分で逃げることのできる距離には限界がある。それでもこの危難を乗り越えるためにはどうすればよいか。

 そうだ、地下へと逃げればいいのだ。

 そう思った私は、ちょうど通りかかった百貨店のエントランスへと駆け込んだ。百貨店の地下階へと逃げ込もう。

 エントランスの自動ドアから内部に入る。内部では、慌てふためく客と店員が、フロアを右往左往していた。ただ、外の群衆の必死さと比べると、幾分かその程度が弱いように見える。恐怖というよりも不安を抱いているようだった。

 その様子を見て何を思ったか、私は地下階ではなく、エスカレータを利用して、上へ上へと駆け上がろうとした。

 しかし、そうスムーズにはいかなかった。普一か所に固まっているはずと思われたエスカレータが、てんでばらばらの位置にあるようだ。1階上層へと昇ると、そこには更に上層へのエスカレータはないのだ。1階上がるたびに、広いフロアを駆け巡って次回へと昇るエスカレータを探さなければならない。

 婦人服エリアを越え、紳士服エリアを越え、更に上層へと進んでいく。やけに散らかったおもちゃ売り場をおもちゃをかき分けて進み、逆に不気味なくらいに物のない文具エリアを駆け抜けていく。1階1階と上層に上がる度に、人影は少なくなり、フロアはだんだんと狭くなっていくようだった。フロアが狭くなる分、エスカレータがテンポよく見つかる。そのたびに、駆け上がっていった。

 もう何階層上がったのだろうか。いくら登っても終わりが見えない。疲れ果てて、そろそろ休みたいと思ったところ、ついにさらに上層へと至るエスカレータの無い、小さな小部屋にたどり着いた。4畳ほどの、何もない部屋である。四阿のように四方が外へと開けていて、風がびゅうびゅうと吹いている。ここが何階なのかは分からないが、並び立つほど高いビルはほとんどない、相当な高層にあるのだろう。

 エスカレータの出口の方向にそのまま歩いて、私は建物の柱と柱の間から、外の景色を眺めた。

 改めてずいぶんと高いところにいるらしいことを感じる。眼下には、まるで砂粒ほどに小さくなった建物がびっしりと地上に敷き詰められている。モザイク画を連想した。人が生活する多種多様な建築物は、ここから見ると無個性な点にしか見えない。

 少し視点を右に、東の方へとずらすと、そこには銀色のシルエットをした電波塔が聳えていた。その塔よりも、自分がいるこのビルは高いようだった。そんなビルなどあっただろうかと、私は疑問に思った。

 眼下に広がる景色を風にあおられながら眺めている内に、先ほどの核爆弾のことを思い出した。この場にいては、万一この塔が倒壊した時には、無事では済まないだろう。これほどに細いビルだ。容易く倒壊してしまうに違いない。すぐに地上に降りる必要がある。

 私は、胸のあたりの高さまであった柵を乗り越えて、ビルの外に出た。わずかに突き出したへりに、足を乗せて、後ろ手に今しがた乗り越えたばかりの柵を握る。

 しばらく、横殴りの激しい風に吹かれながら、地上を見下ろした。先ほどまで見ていた景色と何ら変わらない。無機質な光景だった。だんだんと、その砂粒めいた建物の配置が、何か意味を持った抽象に変わるような感じもした。しかし、注視してその意味をくみ取ろうと形をなぞっている内に、その線はほぐれて見えなくなってしまう。いずれにしても、不思議と恐怖は感じなかった。私はここから飛び降りねばならないのだ。それはもう既に決まっていることである。今更何を恐れようか。

 私は両手の力を緩めた。柵から手が離れる。いつの間にか前のめりとなっていた身体は、自重に従って、建物の外へと倒れていった。

 私は頭からビルの外へ落ちた。真っ逆さまに落ちた。天地が逆転し、世界の速度は即座に増した。視界はビルの外壁を映す。が、すぐにそれは視認の範疇を越えた映像の超高速の展開へと変わる。

 灰色の地上と晴天ともはや無意味な映像と化したビルを抱きながら、私は直後に来るであろう衝突に備えて両手を胸に組んだ。そのようにすればたぶん助かるだろうという奇妙な確信があった。

 それにしても頭で空気を割く感触が心地よい。それもつかの間の楽しみなのだろう。それがいささか残念だった。

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