第14話 わかもののすべて

文字数 2,904文字

 高島先生が(ひたい)をデスクにくっつけるように項垂(うなだ)れた。

「終わった……ぜ」

 ディスプレイには、フォルダの中にたくさんの画像が並んでいた。プロフェッサー高島の汗(部室のエアコンの調子が悪い)と(ドライアイによる)涙の結晶が今、そこにあるのだ。

「じゃあプロフェッサーはお役御免ね。お疲れ様」
「では、俺は中間のテスト問題の作成に取り掛かるかな……イッヒッヒ」

 あーあ、壊れちゃった……。
 若干キモい声を上げて、高島先生は去って行った。
 先生は、追加依頼した分と、プレイヤーの役目交代用の反転グラフィックを独りで大量に作ってくれた。

萌絵奈(もえな)霧子(きりこ)、塩まいちゃダメ」

 輝羅(きら)が珍しく真面目なことを言う。っていうかそのふたりは何で塩をまいてるんだ。
 ミイナの(いぶか)しげな表情に気付き、輝羅が大きく息を()く。

「まあ、ミイナが部活に入る前に色々あったのよ」

 曖昧(あいまい)ワードが出るということは、きっとくだらないことなんだろうなぁ。

「そんなことないわよ、ミイナちゃん。結構、重大な事件もあったの」

 ……心を読まれた?!

「でも、その回想で1話分潰すのはちょっとね。そのうち教えてあげる」
「萌絵奈さんって、秘めゴト好きですよね」

 うふふ、と笑いながら、萌絵奈はパッチワークの続きをし始めた。霧子も先生がいる間は自重していた、アコースティックベースの練習を始めた。
 まるで先生なんて原初(げんしょ)から存在していなかったかのように、文芸部にいつもの時が流れる。

 ふと、ミイナは(みんな)を見回して発言する。

「そういえば今日、お祭りありますよね。行かないんですか」

 3人の視線がミイナに集まる。

『どこで?!』

 ミイナは(みんな)を先導し生徒指導室から出て、すぐ右にある掲示板を指差す。

「これ、結構前から貼ってありましたよ」
「ああー。これ貼ったの私だ」

 霧子が両手を叩き、口をあんぐりと開けて思い出したように言った。
 花火大会の開催日が大きく描かれていて、それは今日の日付であった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 4人は5駅先まで電車に揺られ、花火会場の最寄駅に下りた。
 夏休み中でも文芸部には制服を着て集まっているため、そのまま全員制服だ。もちろん他に制服の女子は見当たらない。

「人がゴミのようね」
「人混みね。3分だけどうのこうのとか言わないでよ」
「3分……?」
「いや、絶対わざと言ってるでしょ。ノッてあげたんだから喜んでよね」

 ミイナは輝羅と手を繋ぐ。
 ちらっと顔を覗くが、別に赤くなったりしていないようだ。

「ど、どどどどこから回ろうか?」

 呂律が回ってないな。顔が赤くなる以外の症状も出る場合があるのか。

 大きな池に沿って道路が伸びており、道端に屋台が並んでいた。色とりどりの屋根に、煙が上がっていたり、甘い匂いや揚げ物の匂いが立ち込めていたりする。

「とりあえず、生フランクかなぁ」
「なんでいきなりB級グルメに走るのよ。ここはトルネードポテトでしょ」

 萌絵奈がふたりに割り込んでくる。

「最初はやっぱりホルモン焼きじゃない?」

 霧子も加勢する。

「いやいや、冷やしキュウリにしようよ」

 全員の(あいだ)を取って、りんご飴にした。
 飴を舐めながら、花火が観やすそうな場所へ移動する。

 会場のアナウンスで、もうすぐ花火が上がると告げられた。
 土手に、途中の百均で買った小さなレジャーシート4人分を広げる。

「ここならよく観えそうね」

 輝羅がミイナを見てニコニコしながら言った。

「そうだね。たくさん花火が上がるのかな」

 夕暮れから暮夜(ぼや)に変わり始めた空を眺めて、ミイナは目を細める。花火なんてちゃんと観るのは何年ぶりだろうか。
 その期待に満ちた横顔は、輝羅の鼓動を早めた。

「……あのさ、ミイナ」
「え? どうしたの?」

 輝羅の頬が紅潮する。

「この前、泊まりに来た時、私が嫌な夢を見て、嫌な汗かいて起きたら、ぎゅってしててくれたよね」
「あー、あれは……なんか、泣いてたみたいだったから、つい……」

 花火が始まった。
 ふたりの顔が赤、黄、緑に照らされる。
 ミイナは空高く打ち上がる花火を眺め、手を叩いて喜ぶ。

「嬉しかった。ずっとこのまま、ミイナにぎゅってされてたいって思った」

 ミイナは輝羅を見る。潤んだ輝羅の眼に、花火の光が反射して輝く。

「……ミイナは私が病気だから優しくしてくれてるの?」

 輝羅の目からひとすじの涙が頬を伝い、レジャーシートに落ちる。

「多分、萌絵奈か霧子から聞いたんだよね。急に優しくなったもん」
「違うよ。病気だからじゃない。あたしは……」

 ミイナは一度、唇をきゅっと引き締める。今から伝える言葉は、もう取り消しができない。本当の気持ちを伝えなきゃいけないんだ、

「あたしは、ずっと誰からも必要とされてなくて、何もやりたいことが無くて、将来にも未来にも期待なんてしてなかった」

 輝羅が(うなず)く。涙を(たた)えながら、一生懸命、ミイナの言葉を全部受け止めようとしている。

「でも、輝羅が必要だって言ってくれた。あたしの力が必要って。それがすごく嬉しかった。なんか、落ちてたあたしの心を拾い上げてもらえた、そんな気がした」
「……うん、私には、ミイナが必要だった」
「そのあと、変な人だと思った。変なことばかり言うし、駄々捏(だだこ)ねるし、勝手に色んなこと決めちゃうし」

 輝羅は(うつむ)く。手の甲で涙を拭こうとするが、次々に生まれて来る涙を処理しきれない。

「でもね、今は輝羅が、輝羅のことが気になって仕方ないの。あたしの世界には、輝羅がいっぱいいるの。変なこと言う輝羅も、真面目な顔してる輝羅も、疲れた顔してる輝羅も全部、ぜーんぶがあたしの大切なものになってるの」

 大きな花火が上がり、周りが(どよ)めく。ミイナの真剣な表情も、輝羅の泣き顔も、明るく白く照らされている。

「あたしは、輝羅のことが……」

 花火の音で、ミイナの声が上書きされる。
 輝羅はミイナの唇の動きを必死に読み取ろうとする。花火の音の中に、(かす)かに、でも、確かにその音は聴こえてきた。

「大好き」

 ミイナの眼からも涙が(あふ)れる。
 届いたかな、この気持ち……。届いてくれたら、いいな。

 輝羅は何度も(うなず)く。もう涙を止めるのは諦めて、勝手に流れるままにして、笑顔を作ろうとする。下手くそな笑顔で、ミイナの気持ちを受け止めたことを示そうとする。

 ミイナも、輝羅の感情を反射するように笑顔になる。
 カラフルな光が、辺りを包む。その光の中で、ふたりの世界は色を取り戻していく。もう、モノクロだった過去の影は、そこには無かった。

 萌絵奈と霧子が、それぞれハンカチを差し出す。受け取り、ミイナは涙を拭く。輝羅は思い切り鼻をかみ、霧子がそれを絶望の眼差しで眺める。

 ふたりは花火を観る。次々と打ち上げられ、光を放ち、散っていく。
 そして手を繋ぐ。気持ちを込めて、ずっと離れないことを誓うように、しっかりと指を絡ませる。

 世界がこんなにも色鮮やかで美しいものだったなんて知らなかった。
 誰かを大切に想うことがこんなにも幸せだなんて知らなかった。
 誰かに想われることが、こんなにも嬉しいなんて、知らなかった。

 最後の花火が上がった。
 夜空を一瞬照らし、散りゆく光は、ふたりの始まりを映しだしていた。
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