第21話 トラブルサム
文字数 3,445文字
「これだけあれば足りるかな?」
元文化祭実行委員長の真中 さんが、3Dゲーム製作の初心者本やアルゴリズムの本など、プログラミング関連の本5冊をデスクの上に置いた。
「ありがと真中。ミイナは初心者だから、このくらいの難易度の本で丁度良いわ」
「真中、さんね。上級生には敬意を払いなさいよ」
ええー。真中さんて3年生だったのか。そうか、9月の文化祭の実行委員長だったんだから当たり前だ。輝羅 が呼び捨てにしてるから2年生かと思ってた。ここ、学年違っても制服は同じだからなぁ。
「敬意を払うべき人間には、さんを付けるわよ。残念ながらこの学校にはその対象がいないけどね」
「まったく、この子は……。ええと、下村さんか。君も大変だな。輝羅は操縦不能だろう」
「大丈夫ですよ。あたし、輝羅のこと大好きなので」
輝羅の顔が燃えたように真っ赤になる。それを見て、真中さんがボブカットを揺らして豪快に笑う。
「なんだ、輝羅にもようやく春が来たみたいだな。じゃあ、お幸せに」
「ちょっと真中、言いふらさないでよ!」
引き戸に手をかけて、真中はちらりと輝羅を見やる。
「心配せずとも、明日には日本中が知っているさ」
ハハハと笑いながら、逃げるように生徒指導室を出て行った。
あー……、そうか。真中さんは輝羅に話を合わせてるんじゃなくて、元々ああいう人だったんだな。
「でも、なんで真中さんがこんな本、持ってるんだろう」
「真中は元、文芸部員だから。文化祭に集中するために部活を辞めたのよ」
ちょ、待って。
元文芸部員だと、プログラミング本を持ってるの? もしかして今、この国の文芸って言葉の定義、変わってるのか。しかも真中さん、前に文芸部のこと何やってんだか分かんない部活って言ってなかったっけ。
ミイナが混乱していると、部室に入ってきた萌絵奈 がミイナの心を読む。
「文芸部はね、……言っていいのかしら?」
「別にいいけど。ミイナは文芸部員なんだから知る権利があるでしょ」
「ミイナちゃん。文芸部っていう名前に意味は無いの。この学校の伝統とか七不思議のひとつみたいなもので、元々、何だか分からない部なのよ」
七不思議。トイレの花子さんとか夜中に走る人体模型と同じレベルってことなのか。
「ちなみに、プロフェッサーも元文芸部員ね。確か1期の顧問は、今の教頭先生じゃなかったかしら。どこかに当時の部活動の記録ノートがあったはずよ」
「何やってるか分かんない部……なんで存続できてるんですか?」
「一応、部員が3人いると廃部にできないの。だからこのままだと、私たちが卒業したら廃部ね」
長い伝統を断ち切ってしまうのか。っていうかこの伝統、要 るのかな。あと、真中さんがプログラミングの本を持っている理由が謎のままなのだが……。
「とにかく、真中からもらった本でレベルアップして。時間は有限よ。私だけじゃ、多分12月までに作り切れないわ」
「……よく分かんないけど、分かった。勉強するから、今日はウチで作業しよう。3Dのこと、もっと教えてよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミイナの部屋の中、輝羅がクッションの上に座り、座卓に置いたノートパソコンで作業をしている。
真中からもらった3Dゲームプログラミングなる本の最序盤を読みながら、ミイナが問いかける。
「どう? フィールドの上を歩けるようになった?」
「もうちょっと……、よしっ。実行してみよう」
ミイナは輝羅の隣に座り、ノートパソコンの画面を覗く。画面の中で、薄い緑色の平面の上を、キーボード操作に反応してブタが移動していく。
「なぜブタ……」
「このツールの公式サイト、無料でダウンロードできる素材が少ないのよ。ちゃんと作るなら、3Dのモデリングをしてくれる人が必要ね」
「あたしはそんなこと出来る人、知らないな。何かアテとかあるの?」
「うーん……。いるにはいるけど、ちょっと面倒くさい奴なのよねぇ」
輝羅が面倒くさいと思う相手……。それはヒトなのか。同じホモサピエンスなのだろうか。
「そのうち、会わせてあげる。とりあえず今のところは、無料データで我慢しましょう」
「またそうやってどんな人か隠すんだから。ちゃんと先に教えてよぉー」
輝羅の真似をして、駄々 を捏 ねてみた。輝羅が少し慌てた様子で返す。
「あ、ゴメン。そうね、私の親戚で、星川 史緒里 っていう子。ミイナと違うクラスだけど、彼女も1年ね」
「星川……知らないなぁ。そんな面倒くさい子なの?」
「一言で言うとね。こればっかりは実際に会ってみないと分からないと思うけど」
「ふーん。そうなんだ……」
ミイナは輝羅を抱きしめた。少し甘い匂いがした。
「ちょ、ちょっと、なに何? どうしたの?」
「教えてくれて、ありがと。あと、最近こうしてなかったから」
輝羅が恐る恐る、ミイナの背中に手を添える。しばらくそうして、ミイナは満足すると、離れた。輝羅が顔を真っ赤にして俯 いている。
「あたし、自分勝手なのかな。思いついたことそのまんまやってる気がする」
「……そんなことないよ。私、嬉しいし」
ものすごく遠回りしたが、3Dのテストプレイを続ける。フィールドの端を越えると、コリジョンの相手を失ったブタは、あえなく落ちていった。
「フィールドの上で移動させるくらいは簡単なんだけど。アイテムを拾ったり、目標の場所に入った判定とか別のオブジェクトとの衝突判定とか、諸々 を実装しようとするとデータ管理やらコリジョンの設定やら、ちょいと骨が折れそうね」
「ふぉぉ。聞いてるだけでやる気がなくなるけど、必要なことなんだよね」
「もちろんよ。ミイナが早く戦力になってくれれば、分業できて少しは捗 るでしょうね」
ミイナは溜息を吐 きながら、一応前向きに答える。
「まあ、頑張ってみるよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、ミイナと輝羅は1年の教室を怪しい動きで覗 いていた。
「どれ? 星川さんて」
「あの窓際で外を見てる子。気難しいから誰も話しかけないのよ」
ミイナは輝羅の顔を見る。この口からそんな言葉が出る相手に、今から突撃しようというのか。少し険しい表情で史緒里を凝視する。
短髪で童顔、肌は青白く、痩せている。高島先生の女版のような印象だ。
「ここで見てても時間の無駄よ。行こう」
輝羅が木の床を抉 るような力強さで一歩一歩踏み締め、史緒里の席に向かって行く。背後に隠れるようにして、ミイナが続く。
「史緒里、ちょっといいかしら」
彼女は窓の外に顔を向けたまま、つまらなさそうな表情で視線を輝羅に向けた。
「なに、輝羅。このクラスにも入り浸ることにしたの?」
「違うわよ。今日はあなたに用があって来たの」
「今は放課で、ボクはくだらない授業を終えた疲れを、蒼 い空を眺めて癒していたところなんだけど。その時間を潰すほどの有益な話なのかな」
あ、面倒くさい。ホントだ。
「ゲームに使うデータのモデリングをお願いしたいんだけど」
「ゲームに……」
史緒里は輝羅に顔を向け、しっかりと目を合わせる。
「知ってるだろ、ボクは映像の方のモデラーだよ。まず使うソフトが違うし、ゲーム用のモデリングに興味は無いんだ」
「プロになりたいなら、どっちも知っておいた方が良くなくて?」
彼女は髪をかきあげて、嘲笑を浮かべる。
「必要ないね。職場見学した時に、使用ソフトも確認済みさ」
「もう、職場見学したんですか?」
ミイナの問いかけに、史緒里がキョトンとして返す。
「当たり前じゃない、自分が進みたい道だよ。君は目的地に何があるのかも知らずに歩いているのかい?」
「あたしには目的地がないから……」
史緒里が悲しそうな目でミイナを見る。
「もう高校生だよ。そろそろ将来のことは考えておいた方がいいんじゃないかな」
ミイナの手が震えているのに気付き、輝羅が割って入る。
「そんな話じゃなくて。ゲームのモデリングの話よ! やって欲しいの。あなたしか頼めそうな人がいないの!」
史緒里は冷淡な表情で手を振り教室から出て行くよう促 す。
「さ、放課は終わりだよ。自分の教室に戻りな」
史緒里の教室から出て、ミイナがしょんぼりしながら呟 く。
「駄目そうだねぇ。でも、あの子は正論しか言ってなかったし、諦めようか」
「何言ってるのよ。私の辞書に諦めるっていう字は存在しないわ」
その辞書、読みたくないな。きっと金田一先生もびっくりの混沌 な単語集なんだろう。
「奴の弱点は知ってるの。萌絵奈を召喚しなさい。一転攻勢よ!」
「いや、もう次の授業始まってるからね」
ふたりは慌ててそれぞれの教室に散った。
元文化祭実行委員長の
「ありがと真中。ミイナは初心者だから、このくらいの難易度の本で丁度良いわ」
「真中、さんね。上級生には敬意を払いなさいよ」
ええー。真中さんて3年生だったのか。そうか、9月の文化祭の実行委員長だったんだから当たり前だ。
「敬意を払うべき人間には、さんを付けるわよ。残念ながらこの学校にはその対象がいないけどね」
「まったく、この子は……。ええと、下村さんか。君も大変だな。輝羅は操縦不能だろう」
「大丈夫ですよ。あたし、輝羅のこと大好きなので」
輝羅の顔が燃えたように真っ赤になる。それを見て、真中さんがボブカットを揺らして豪快に笑う。
「なんだ、輝羅にもようやく春が来たみたいだな。じゃあ、お幸せに」
「ちょっと真中、言いふらさないでよ!」
引き戸に手をかけて、真中はちらりと輝羅を見やる。
「心配せずとも、明日には日本中が知っているさ」
ハハハと笑いながら、逃げるように生徒指導室を出て行った。
あー……、そうか。真中さんは輝羅に話を合わせてるんじゃなくて、元々ああいう人だったんだな。
「でも、なんで真中さんがこんな本、持ってるんだろう」
「真中は元、文芸部員だから。文化祭に集中するために部活を辞めたのよ」
ちょ、待って。
元文芸部員だと、プログラミング本を持ってるの? もしかして今、この国の文芸って言葉の定義、変わってるのか。しかも真中さん、前に文芸部のこと何やってんだか分かんない部活って言ってなかったっけ。
ミイナが混乱していると、部室に入ってきた
「文芸部はね、……言っていいのかしら?」
「別にいいけど。ミイナは文芸部員なんだから知る権利があるでしょ」
「ミイナちゃん。文芸部っていう名前に意味は無いの。この学校の伝統とか七不思議のひとつみたいなもので、元々、何だか分からない部なのよ」
七不思議。トイレの花子さんとか夜中に走る人体模型と同じレベルってことなのか。
「ちなみに、プロフェッサーも元文芸部員ね。確か1期の顧問は、今の教頭先生じゃなかったかしら。どこかに当時の部活動の記録ノートがあったはずよ」
「何やってるか分かんない部……なんで存続できてるんですか?」
「一応、部員が3人いると廃部にできないの。だからこのままだと、私たちが卒業したら廃部ね」
長い伝統を断ち切ってしまうのか。っていうかこの伝統、
「とにかく、真中からもらった本でレベルアップして。時間は有限よ。私だけじゃ、多分12月までに作り切れないわ」
「……よく分かんないけど、分かった。勉強するから、今日はウチで作業しよう。3Dのこと、もっと教えてよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミイナの部屋の中、輝羅がクッションの上に座り、座卓に置いたノートパソコンで作業をしている。
真中からもらった3Dゲームプログラミングなる本の最序盤を読みながら、ミイナが問いかける。
「どう? フィールドの上を歩けるようになった?」
「もうちょっと……、よしっ。実行してみよう」
ミイナは輝羅の隣に座り、ノートパソコンの画面を覗く。画面の中で、薄い緑色の平面の上を、キーボード操作に反応してブタが移動していく。
「なぜブタ……」
「このツールの公式サイト、無料でダウンロードできる素材が少ないのよ。ちゃんと作るなら、3Dのモデリングをしてくれる人が必要ね」
「あたしはそんなこと出来る人、知らないな。何かアテとかあるの?」
「うーん……。いるにはいるけど、ちょっと面倒くさい奴なのよねぇ」
輝羅が面倒くさいと思う相手……。それはヒトなのか。同じホモサピエンスなのだろうか。
「そのうち、会わせてあげる。とりあえず今のところは、無料データで我慢しましょう」
「またそうやってどんな人か隠すんだから。ちゃんと先に教えてよぉー」
輝羅の真似をして、
「あ、ゴメン。そうね、私の親戚で、
「星川……知らないなぁ。そんな面倒くさい子なの?」
「一言で言うとね。こればっかりは実際に会ってみないと分からないと思うけど」
「ふーん。そうなんだ……」
ミイナは輝羅を抱きしめた。少し甘い匂いがした。
「ちょ、ちょっと、なに何? どうしたの?」
「教えてくれて、ありがと。あと、最近こうしてなかったから」
輝羅が恐る恐る、ミイナの背中に手を添える。しばらくそうして、ミイナは満足すると、離れた。輝羅が顔を真っ赤にして
「あたし、自分勝手なのかな。思いついたことそのまんまやってる気がする」
「……そんなことないよ。私、嬉しいし」
ものすごく遠回りしたが、3Dのテストプレイを続ける。フィールドの端を越えると、コリジョンの相手を失ったブタは、あえなく落ちていった。
「フィールドの上で移動させるくらいは簡単なんだけど。アイテムを拾ったり、目標の場所に入った判定とか別のオブジェクトとの衝突判定とか、
「ふぉぉ。聞いてるだけでやる気がなくなるけど、必要なことなんだよね」
「もちろんよ。ミイナが早く戦力になってくれれば、分業できて少しは
ミイナは溜息を
「まあ、頑張ってみるよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、ミイナと輝羅は1年の教室を怪しい動きで
「どれ? 星川さんて」
「あの窓際で外を見てる子。気難しいから誰も話しかけないのよ」
ミイナは輝羅の顔を見る。この口からそんな言葉が出る相手に、今から突撃しようというのか。少し険しい表情で史緒里を凝視する。
短髪で童顔、肌は青白く、痩せている。高島先生の女版のような印象だ。
「ここで見てても時間の無駄よ。行こう」
輝羅が木の床を
「史緒里、ちょっといいかしら」
彼女は窓の外に顔を向けたまま、つまらなさそうな表情で視線を輝羅に向けた。
「なに、輝羅。このクラスにも入り浸ることにしたの?」
「違うわよ。今日はあなたに用があって来たの」
「今は放課で、ボクはくだらない授業を終えた疲れを、
あ、面倒くさい。ホントだ。
「ゲームに使うデータのモデリングをお願いしたいんだけど」
「ゲームに……」
史緒里は輝羅に顔を向け、しっかりと目を合わせる。
「知ってるだろ、ボクは映像の方のモデラーだよ。まず使うソフトが違うし、ゲーム用のモデリングに興味は無いんだ」
「プロになりたいなら、どっちも知っておいた方が良くなくて?」
彼女は髪をかきあげて、嘲笑を浮かべる。
「必要ないね。職場見学した時に、使用ソフトも確認済みさ」
「もう、職場見学したんですか?」
ミイナの問いかけに、史緒里がキョトンとして返す。
「当たり前じゃない、自分が進みたい道だよ。君は目的地に何があるのかも知らずに歩いているのかい?」
「あたしには目的地がないから……」
史緒里が悲しそうな目でミイナを見る。
「もう高校生だよ。そろそろ将来のことは考えておいた方がいいんじゃないかな」
ミイナの手が震えているのに気付き、輝羅が割って入る。
「そんな話じゃなくて。ゲームのモデリングの話よ! やって欲しいの。あなたしか頼めそうな人がいないの!」
史緒里は冷淡な表情で手を振り教室から出て行くよう
「さ、放課は終わりだよ。自分の教室に戻りな」
史緒里の教室から出て、ミイナがしょんぼりしながら
「駄目そうだねぇ。でも、あの子は正論しか言ってなかったし、諦めようか」
「何言ってるのよ。私の辞書に諦めるっていう字は存在しないわ」
その辞書、読みたくないな。きっと金田一先生もびっくりの
「奴の弱点は知ってるの。萌絵奈を召喚しなさい。一転攻勢よ!」
「いや、もう次の授業始まってるからね」
ふたりは慌ててそれぞれの教室に散った。