第3話 ある映画製作陣のぼやき

文字数 2,646文字

波の音が静かだ
冬とはいえソビエト南部のカスピ海のほとりは風も穏やかで、心地よいまぶしい光が白い砂に映え輝いている。
「モスクワからの追加の役者たちは、まだ来ないのか?」
長身で無内地の厚い男がひっきりなしに膝をさすりながらぼやいている。
スケジュール管理担当のフェージャの脚は、先の大祖国戦争で独軍の爆撃で激しく傷ついた。
それ以来、皮膚表面の傷は治っているのに、時折針で引っかかれるような痛みが襲うのだ。
「もう少しかかるよ。だから今いる役者たちで撮影できる場面から前倒しで撮っていくしかない」
プロデューサーのアリョーシャはひっきりなしにタバコをふかしながら応えた。
そのタバコも根元ぎりぎり、はさんだ二本の指の際まで吸い、殻は砂でもみ消して薬缶に詰めておく。
それを見るたびフェージャは、こいつはこれをどこで捨てているのだろうと疑問に思う。
二人の付き合いは長いが、私的なことにはお互い介入しない主義を通している。このご時世、人と深く関わりあいになるとろくなことがない。
「そうだな。じゃエキストラと子役たちが必要なシーンから撮っていくように、スケジュールを調整しよう」
「工場のシーンは、管轄の党執行委員から話が通っているから、ある程度は融通が利く」
「助かるよ」
プロデューサーとスケジュール管理、そして助監督たちが話し込んでいるのは、海岸の砂浜にすっくと立った大木の下だ。
塩を含んだ海風に耐えた広葉樹の曲がりくねった太い枝には、白い手作りのブランコが下がっていて、地元の子供がかわるがわる乗りに来ては、深刻な顔で話し合う映画製作首脳陣を見上げていく。
ぐんぐん風を切って大きく揺らし、空に飛ぶように高く跳ね上げるブランコに、子供たちは甲高い歓声を上げ、大人の存在など目に入っていないようだ。
「ああうるさいな…」
監督のセルゲイ・イワノヴィッチはこっそりとこめかみを抑えた。
撮影の順番を変えることを映画省の撮影委員会に上申し、許可を得なければならない。
また撮影計画が遅れ、それにつれて気象条件も、工場の使用許可期間もかわってくる。
頭が痛いがこの国ではそれは『しかるべきこと』なのだ。

この国の『映画』は革命の父レーニンが推奨し、国の政策として力を入れている、栄光ある産業分野なのだ。
それにしては管轄先の名前と中身はころころ変わるが、それは西側でもよくあること。
1924年までは『ゴスキノソ連』(оскиноСССР)すなわちソビエト国歌映画撮影委員会(осударственный комитет по кинематографии СССР)、1924年から1930年まで、すなわち同志スターリンが推し進めた『第一次五か年計画』の期間、映画の管轄は『ソユーズキノ」と、ソビエト人民委員会傘下、国家芸術委員会の『映画写真産業局』(GUKF)とに移行された。
革命前後に多数輩出されグループを組んで活動していた、芸術性の高い前衛的な作風のアーティストたちは、この時弾圧され遠ざけられ、海外に発表の場を移した者も多かった。
西側的退廃から国を、思想を、人民を守るためだと言われれば、残った『表現者たち』は従うほかない。
かの偉大なる英雄的映像作家セルゲイ・エイゼンシュテインですら、作品の制作が許可されず、発表もできないケースがあった。
幸い今は1953年。まだ依然と比べればマシな1953年。
約20年前の映画界は恐怖の嵐が渦巻いていた。
外国との交流があったり、訪問経験がある作家や演出家、音楽家などが一斉に姿を消し、その後の消息が不明になっていったのだ。
噂では外国の扇動員の手先としてサボタージュをそそのかしたり、また西側のスパイとしてこっそり活動したりしていたという。
おかげで、レーニンの革命後量産されていた映画の数も、めっきり減った。
だがナチスのドイツ軍と戦った大祖国戦争での勝利後、映画製作の数もまたぼちぼち増えてきた気がする。
戦争から復興するソビエト国民を導いていくためだ。
そう。人々に社会主義体制のすばらしさを教育し、ともに高みを目指す映画こそが素晴らしい。
それで今回、映画の舞台に選ばれたのがこの、ダゲスタン・ソビエト社会主義共和国のチェチェン島だ。
チョウザメ漁とその卵キャビアの採取加工で多大な生産数を誇り、外国への輸出、ひいては外貨獲得に貢献している島である。
港直結の漁業コルホーズの工場は、英雄的組織として国家の表彰も受けた。
たちまち企画され、委員会から撮影の指示が出たのが、『超人的働きを示してあらゆる障害にも屈することなく目標をはるかに超える成績を上げる労働者たち』が主人公の映画だった。

企画は行きつ戻りつしながら進み、ベテランの脚本家の手により、芸術委員会の検閲の末認可の下りた(ともかくこれが大事なのだ)内容の台本が作られ、スタッフと役者たちに配られた。

村の共産党委員の指導の下、村人総出でキャビアの加工、干し魚の生産、そして夜を徹した漁が進められている。
ある日、嵐のカスピ海のただなか、仲間の船が遭難しかけるが、党中央から派遣された正義感あふれる委員と村の模範的な青年の犠牲的な働きによって、嵐に立ち向かった漁師労働者たちは助かる。
喜びの中、青年は工場一番の働き手の清純な少女にプロポーズをする。

そこに登場するのが我々の指導者、偉大なるスターリンだ。
同志スターリンは若き英雄的青年を誉め、彼をたたえるバッジを与える。
仲間や上司、工場長や委員長に祝福され、若い二人とコルホーズの一同は、より一層の目標達成と英雄的働きを誓う。

『本当にこの内容でいいのか?』という問いは、この際愚問である。
この国の表現物にはまず、啓蒙という目的があり、そのために『映画』という芸術は奉仕するのだ。
映画だけではない。
絵画も彫刻も音楽も文学も、都市計画や建築も、すべては『社会主義的な美』の発露こそが素晴らしいのだ。

「で、同志スターリンはもう出発したのか?」
「ああ。モスクワを出てこちらに向かっている。数日後には着くらしい」
「待つしかないよなあ、他のシーンの撮影を進めながら」
「ああ。手際よくちゃっちゃと撮っておきたいんだがなあ」

場面の変更ひとつにしても、担当の映画省役人の認可が要る。
自分たち現場の裁量ではどうにも進められないのがもどかしい。
だが他の国ではどうかなんて知らないし関係ない。みんなそうなのだ。

モスクワからの追加の役者陣を待つ間に場面変更の申請が通り、監督やプロデューサーのぼやきも早々に、撮影は開始された。
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