第17話 僕らのメモリアル

文字数 3,079文字

1953年のイワン、君はレニングラードに無賃乗車で戻る前、駅で妙に自信満々な青年と会ったことを覚えているかい?
彼ミハイルは、自分の赤いマフラーを木の枝に結んで、僕に「弔旗を掲げろイワン」と言ったね。
あれは本当になった。
マフラーの赤い弔いの旗を旗を掲げた約40年後、彼は『ソビエト連邦をばらばらにした男』として、クレムリンから国旗を降ろす羽目になったんだ。
1953年の若者だった僕、君は信じないかもしれないし、緩やかでいい加減で苛烈なソビエトの国と生活が永遠に続くと思っているかもしれない。
新聞が報じるままに、悪の敵対国アメノカの脅威にソビエトが雄々しく羽を広げて、弱々しい東欧の兄弟たちを護り、彼等の賞賛と感謝を浴び続けると思っているかもしれない。
それは嘘だ。

君が中年に差し掛かったころ、書記長になったブレジネフという男がその晩年にアフガニスタンという隣国に侵攻した。
なぜかというのは、何年かたってもよくわからないだろう。
我らソビエトに目立つメリットはない。でも戦争は10年にもわたり、その間に国家の指導者が4人も替わったんだ。
始めの三人はご老人。そして選ばれたのが駅で出会った彼、ミハイル・ゴルバチョフさ。

若い書記長は目の輝きやはっきりとした口調、そして若い体力の塊という印象で先の三人と違っていた。年功序列じゃないって感じさ。
そのぎらつきは君も見ただろう?
そうそう。奥さんはあの駅で話していたプロポーズの後に結婚した、同じ大学の才女ライサ嬢さ。

彼、ミハイルとソビエトの重大な転機になったのは、書記長就任翌年ウクライナで起こったチェルノブイリ原子力発電所の重大事故だ。多くの放射線が大気に放たれ、世界に影響を与えた。
その際の報告や調査の弊害、閉塞した状況に危機感を感じたミハイルたちが進め始めたのが『ペレストロイカ』(再構築)、そして『グラチノスチ』(情報公開)だ。
そうすると、すべて順調にうまくいっているはずの国家の企業、計画、経済。何もかもが嘘の数字と中抜きだらけで、うまくいってなんかいなかったことが分かってきたんだ。
僕らは完璧な国家、正しい社会主義の国に住んでいるんじゃないってことが肌感じゃなく数字や文章で出てきたんだ。
それを一部の新聞やテレビが批判的に報じるようになった。
グラチノスチとやらが機能している証拠かな。
ともあれ、政府や党員の贅沢ぶりや腐敗は一般国民の目に触れるようになった。
やってられないよね。僕もそうだった。
そこからは早かったね。
1990年に東ヨーロッパの弟国たちが次々と民主化という名で、僕たちソビエトの手を振りほどいた。ミハイルは軍を動かさなかったから、彼は平和主義者でこのままいくと思われたんだが、そうじゃなかった。
1991年に君の故郷レニングラードに近いリトアニアで独立運動がおこると戦車の部隊を動員して多くの死傷者を出した。
第二の『血の日曜日事件』と世界から指差されたものだ。
改革も経済も政策が失敗続き、同じ年にはアフガンからの軍の撤退つまりは敗北。外国からの援助や共同事業もうまく進まない。
おまけにアフガンで膨れ上がった軍事費の縮小が急務。
ミハイルは頭が痛かっただろうね。

1992年はジェットコースターみたいだった。
モスクワを仕切っていたボリスという大酒のみの大男が力を伸ばし、ミハイルと手を結んだ矢先、真夏の8月にミハイルの側近たちによる軍を動員してのクーデター。
これは彼にとって大打撃だった。
家族ともども命は助かったけど、完全に求心力を失って政権を立て直すことができず12月25日に辞任。
クレムリンからソビエトの赤い鎌とハンマーの旗が降ろされ、白、赤、青の三色旗が上がった。なんか外国によくある国旗みたいだ。
この日は西側ではクリスマスを祝うんだよね。
とんだクリスマスプレゼントだよ、まったく。

で、政権の覇者はモスクワの大酒のみの大男、ボリス・エリツィンにとってかわった。
西側の資本を導入して経済改革に本腰を入れるはずが、2510パーセントを超えるハイパーインフレ、国内大恐慌さ。
ルーブルなんて紙切れになっちまった。
物がないんだ。食料も衣料品も靴も、何もかも。あっても天文学的に高い。だから国民は並ぶ。並んでもないときは盗む。
犯罪が増えたよ。それも強盗や殺人や…外国から入ってきたいい銃を使ったものも。ギャングやマフィアが次々と結成された。
国有資産、施設の払い下げに目ざとく反応し、安く買いたたいて経営し、富を手に入れたオリガルヒと呼ばれる新興富裕層が生まれた。
抜け目のない奴はどこにもいるのさ。

僕たちはどうしたかって?
アーニャはモスクワの一角の、町の娼婦立ちんぼの元締めとして、マフィアと懇ろにやってる。
細くて小さな女の子の面影はどこにもない。
厚い化粧と外国のハイブランドの服と靴、香水の匂いをぶんぶんとまき散らした大姐御になってるよ。

日本人のユーリは、自分と同じ国から来た宗教の、モスクワ支部に入り浸っている。
なんでもヨガという体を伸ばしたり縮んだりする体操と、瞑想という沈黙の行?で世界を救うんだそうだ。
「オウムАум синрикё』という団体で、白いシャツとズボンの白装束をまとい、同じ集団に中同化している。
彼なりにけっこう幸せそうだ。


僕、イワンはレニングラードに戻り、まあまあ苦労した挙句、大学を出て医師になった。
国営の映画会社『レンフィルム』の撮影所の近くで開業し、まあそこそこ繁盛している。
今はサンクトペテルブルク度呼ばれる街の、ソビエト時代を通じて最大の映画会社の一つだ。
そこにはロシア全土だけでなく、近隣の国からも実に多くの役者や技術陣が集まる。
先日もそうした一人と会った。
高血圧の治療に来た役者は、新作映画でスターリン役を務めることになったという。だが彼の父親は大粛清で行方不明になり、後に国家の敵として処刑されたと宣告を受けた。
彼は『国家の敵の子供』として辛酸をなめたという。
後に名誉回復されたとはいえ父親の逮捕・処刑命令を出したその人物を演じる。
考えれば考えるほど動悸がして頭痛やめまいに襲われる。
僕は話を聞き、自分の経験に重ね合わせて患者に接するようにしている。

そうした埋もれた、国による弾圧・殺人の記録を掘り起こし、研究し記録する団体に、僕は入っている。
『メモリアルМемориал』という、ソビエト時代から続く政権の犯罪を調べている人権団体だ。

午前中の診察を終えて、僕はメモリアルの仲間との打ち合わせを兼ねたランチに出た。
街には少しずつ、西側のブランドや外食チェーンの看板が見られるようになった。
庶民は劇場の前の広場や議会の前に露店街を設け、どこから調達したかわからない日用品や食品を売買している。
僕は一台の白タク…個人が無許可でやっているタクシーを止めて、オクチヤブリスカヤ・ホテルにと頼んだ。
ドライバーは痩せて顔色が悪く、頭蓋骨に貼りついたような金髪の男だった。やたら鋭い目つきで、油断のならない風情。
二・三年前までドイツで働いていたという。
「これからは良い世の中になるのかね」
僕は誰に言うともなくつぶやいた。
「ニェットНет」

運転手は思いがけずはっきりと否定した。
言っておくが、僕は彼に問いかけたわけではないのだ。ただ何となく、たくましく生きる市民を見ながらつぶやいた、いわば薄い願望のようなものだ。
僕は金髪に暗い眼の運転手に話しかけた。
「君、はっきり言うね。名前を聞いていいかな?」
「ウラジーミルといいます。お客さん」
ウラジーミル・プーチン。
彼はそう、薄く笑いながら名乗った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み