第11話 造反有理

文字数 2,479文字

 一番古い記憶の中での『家族』の姿は、広い浴場をたわしで擦り、掃除をしている姿だ。
 ウラジオストック、『浦塩』と呼ばれた湾の奥の湊町で、彼の一家は銭湯を経営していた。
 ペキンスカヤ通りだったか、セミョーノフスカ通りだったか、今となっては思いだせないが、祖父母、両親、父の兄弟一家と一つの家に住み、朝から晩まで湯を沸かし、日本式の風呂屋を営んでいた。
 港で働く男たちは、夜通し続く荷役の仕事が終われば、汗と塩を流そうとユーリーの風呂屋になだれ込む。
 時に蒸し風呂目当てにロシア人やウクライナ人の男たちも、屈強な真っ白い肌を浴場の白い湯気にさらした。
 番台には母か祖母、おばが交代で入り、父と祖父、おじは薪を割り、かまどの火の番をした。
 一番小さな子供だった有理(ユーリ)は女たちに連れられて市場に買い物に行ったり、郊外の森に薬草を摘みに行ったりした。
 ウラジオストックには古くから日本人街があり、商社や船会社の支店、貿易会社、洗濯屋や乾物屋、米屋に醤油屋と日本と変わらぬ暮らしができた。
 街にはロシア人、中国人、コサック、朝鮮人など様々な民族がいたが、お互いなんとなく住み分けて、問題なく暮らしていた。
 月に何度か薬湯の日を設けていたため、森にハープや果実、薬草を摘みに行くのが楽しみだったが、同じくキイチゴやスグリ、キノコを採りに来る白人たちとよく出会った。

 市場はそれぞれの民族が暮らす町ごとに立った。
 漬物や煮物、焼き物のおいしそうなにおいが漂う中国人街、朝鮮人街、薪や狩猟で得た動物の毛皮わ並べる店、様々な民族衣装に顔つきの売り子たちがお国の言葉で呼び込みをしている。
 ユーリも何を言っているかはよくわからないなりに、身振り手振りを交えて値切り交渉し、食材や薪を小さな背に負って帰った。
 子供も一人前の働き手として扱われるヨーロッパとアジアの交差点の地で、彼は何不自由なく育ったが、ただ一つ不思議なことがあった。
 市場に店を出す家族が、たまにごっそり消えているのだ。
 大抵の出店は出す場所が決まっているので、何年も同じところにいれば両隣、近くの店同士知り合いにもなるのだが、
「ここのキノコ屋さんのおじさんと子供は来なくなったの?」
 と尋ねても、黙って無視をされるか、目くばせして顔を背けられるかのいずれかだった。

 ある日、風呂屋と家に警察隊が踏み込んできて、父母、祖父母、おじさんおばさんたちが捕まった。
 頭からコートをかぶせられ、両脇を警官に抱えられ、こずかれながら表の車に押し込まれ、連れていかれたのだ。
 裏庭で無花果の実をとっていたユーリは木の下に座り込んでぶるぶる震えていた。

「有理 ! 」

 振り返って叫ぶ母の顔から半分外れて、耳と鼻に引っかかっているずり落ちそうな眼鏡。それが、母を見た最後だった。
 警官隊は木の下で怯える少年を取り囲み、何事か上官の指示を聞くと、そのままほっぽり出して去っていった。
 同じように、日本人街の角々から大人たちが引っ立てられ、連れていかれた。

 それからユーリーはアジア系ロシア人のグループに引き取られ、シベリア鉄道に載せられた。
 何日も代り映えしない窓の外の風景を眺め、寂しさに泣く余裕すらなく、体を縮こませながら大人たちに囲まれ、列車に乗り続けた。
 何度か大きな駅で乗り換え、着いた『モスクワ』という大都市で、厳重な門番のいるホテルに連れていかれた。
 赤の広場から延びるゴーリキー通りに面したホテル・ルックス。
 日本からきて何年にもなるという、痩せた白いひげの老人は『セン』といった。
 党の中枢にもつながっている「偉い人」で、ホテルの最上階に永年住み続けているという。
 長く住んでいるということは、その間当局に目をつけられたり、密告されたりしなかったということで、とてもすごいことなのだ。
 だがまもなく、体調が悪くベッドで寝込むことが多かったセン爺さんは、モスクワ市内の病院に転院し、やがて死んだ。
 ユーリーたちは見舞いに行くこともかなわず、党の秘密警察の監視の下、ホテル・ルクスの小さな住まいに留め置かれた。
 葬儀は盛大で、大勢の偉い人、同志何とかと呼ばれる体格の良い上質な背広を着た人々、そして青やカーキ色の帽子をかぶった軍人たちがやってきて、センおじいさんの骨と皮だけの体を棺に入れ、担いだ。
 ユーリーや二人の娘たちが親しく交わったことなどない党幹部やコミンテルンの指導者…カリーニン、スターリン、ピーク、クン・ベーラ、そして野坂という日本人の共産党員たちが担ぎ、15万人の市民たちがみまもる中モスクワ市内を進んだ。
 盛大な葬儀の後、遺体はクレムリンの壁に埋葬された。

 そのあと、周囲のセンおじさんの娘たちに対する態度は、今までと真逆になった。
 ユーリ少年をかわいがってくれたセンの二人の娘のうちヤスは日本語教師になり、同じくモスクワに来ていた日本人共産党員と結婚した。
 妹のチヨは姉とまるで待遇が違った。
 入国時の手続きがうまくいっていなかったのか、共産党はいきなり不法入国と咎めだし、日本のスパイと決めつけられ、労働収容所に送り込まれた。
 無実を訴えても聞き入れられず、それっきり消息は不明だ。
 同志スターリンがチヨ姉さんを労働キャンプに送った。
 同志スターリンがヤス姉さんの夫マサを逮捕した。
 ヤスに育てられた少年はやがて家出し、ひとり印刷工場で働きだした。
 やがて戦争が終わり、チヨ姉さんが労働キャンプでの重労働と拷問の末錯乱し、モスクワの精神病院で死んだと、『党の人』から聞いた。

 その後、バクーで少年沖給仕として働いていたところ、スターリンが映画のロケにお目見えするという噂を聞いたのだ。

 きつい眼をした少女アーニャと出会ったのはロケ地に搬送されるバスの中だった。
 ぎゅう詰めに押し込まれ、息が詰まる狭い車内で、隣り合ったユーリとアーニャは次第に口を利くようになった。
 ふたりともに『同士スターリン』に深い恨みを抱いていると知り、絶対に殺そうと誓い合ったのは、銛銃で『同志』を撃つ前日だった。
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