第12話 同士医師の息子

文字数 2,698文字

「いたずらっ子たちはどこにいる?」
「工場長の宿舎の物置だよ。さっき少しばかりの食べ物をもっていった。
 ふたりきりにしておくわけにもいかないから、俺がこうして見張り番のまねっ子をしているけどさ」
「お疲れさん。代ろうか。そろそろお茶の時間だし」
 そうかい助かるよ。
 そういって若い助監督の補佐か、そんな役職のいつもバタバタ走り回っては叱られている若者は出ていった。
 僕は「ゆっくりしてきたらいいよ」と言い、交代で、開け放したドアの前の椅子に座った。
 中で悪いことをしないように、スターリン役者たちを死に至らしめた二人の『悪ガキ』は、外から丸見えの小部屋に押し込められている。
 映画スタッフも警察も、どういう処遇にしたものか持て余しているようだ。
「君たち、この後どうする気?」
 おでこを突き合わせて何かをささやき、くすくす笑っている男の子と女の子に声をかけた。
「どうもこうも、捕まっているからには警察に引き渡されるだろうね」
「森の奥で銃で撃たれて殺されるかもしれないわね。外国のスパイと一緒で」
「でももう、それでもいいんだ。僕たちはやるべきことをやった」
「そう。満足よ」
「そうはいかないよ」
 僕は意識的に平坦な声で答えた。
「君たちが殺したと思っているのは、身代わりのスターリンだったんだ。もう一人のスターリンが、さっきこの撮影現場に着いたよ」
 ふたりは小部屋の奥で、ふきんを引き裂くような叫び声をあげた。
「嘘だ。嘘をつくな。僕たちは確かに同志指導者を殺した」
「そうよ。でなかったら私たち、ただの馬鹿じゃないのよ」

 そう。愚か者だよ。
 もう一人のスターリン(役者)はさっきここへ着いた。
 僕は見たんだ。はっきりわかる。
 なぜなら彼は僕の父の『患者』だったからさ。
 イワンは青い目を細めてにっこりわらった。
 カスピ海のさざ波に反射した、この世の善意という概念を集めたような日差しがまぶしかったからだ。

 イワン・イワノビッチ・シュワルツマン。それが僕の名前だ。
 今はこの地の祖母の家で暮らしているが、もとは父とモスクワで暮らしていた。
 モスクワの医大で外科の教授をしていた父は外国でも名が売れた医師で、元々は軍医。党の要人の診察もしたことがあるという。
 母は僕が小さいころ、父の助手と『できちゃって』僕らの前から姿を消したが、覚えていないし寂しいと感じたこともない。
 父の愛人だったろう女性助手や学生が、かわるがわる世話をしてくれたからだ。
 僕は取り乱したり、わがままを言ったりして女性たちや学生を困らせはしなかった。
 男と女なんて、気が向くままにくっついたり離れたりするものだし、親が離婚した友人は案外多かったのだ。

 ある夜、突然アパートに青い帽子の『奴ら』一団がやってきて、寝ている父をたたき起こすと寝巻のまま連れて行った。
 後に残された僕は、たちまち周囲から孤立し、ひどい嫌がらせを受け、たまらず遠く離れた祖母の住む街に逃げてきた。
 それがここ、カスピ海に突き出した半島の先っぽにポツンとある小島
 小さいけどチョウザメの加工工場や製塩コルホーズで多くの島民が働く、チェチェン島だった。
 なぜ父が連行されたのか僕にはわからなかったが、祖母はなんとなく察しているようだった。
 けど、それを僕に話してくれるのはずっと後だ。
 僕はおばあちゃんと一緒に住んで、漁業コルホーズに入った。
 ここでも「裏切り者の子」と大人にも子供にもいじめられ、暴行は受けていた。
 3年か4年経ったころ。
 塩と砂にまみれて懸命に労働に励んでいた矢先、この辺鄙な島に映画の撮影隊が来て、僕たちはエキストラとして駆り出された。
 おばあちゃんは日ごろの無理がたたったのか、体調を崩して宿舎に閉じこもっていたが、僕は薄い色の髪の毛を撫でつけ、手と顔を洗って指示された集合場所に向かった。

 撮影が行われるという現場に行くと、みんなの様子が変だった。
 なんでも港で、エキストラのいたずらによる銛銃の暴発事故があって、スターリン役と他の俳優が亡くなってってしまったという。
 で、急遽遠く離れた地から『替えのスターリン』を呼び、撮影を続行するらしい。
 コルホーズの委員を通じて、動揺しないようにとお達しがあった。

「新しいスターリンが着いたぞ」
 新しいスターリン。『役』をつけないととても滑稽に響く。なんというパワーワードだ。
 最初の撮影部隊が来たように、半島からの船に乗って、替えの役者やスタッフたちはやってきた。
 ひときわ大きなロケ車の中から、数人のスタッフに囲まれて降りてきた、白髪交じりの長めの髪に鋭い目つきの男。
「あれが今度の主役だ」
「本当か ? 全然同士スターリンに似ていないぞ」
 漁場から戻ってきた漁師たちが、不満げに言いかわす。
 彼らは毎日、集会所に掲げてある最高指導者の肖像を見ているのだ。
「まだ役作りもしていないからだろう」
 都会に働きに行っていたという若い職人が知った風な口を利く。
「しかも、下働きの小僧が言ってたが、ユダヤ人の元政治犯っていうじゃないか」
「そりゃ本当かよ」
「おい聞いたかイワン」
「お前モスクワにいたんだろう。聞いたことあるか?」
 コムソモールのリーダー格の青年ふたりが、日に焼けた顔を僕の両側から寄せて聞く。
 彼らは日ごろ『スパイの子』と蔑んで暴力をふるうくせに、やたらと都会に憧れ、何かにつけ僕にモスクワの話を聞きたがる。
「知らないよ。僕は演劇とか映画とか、全然興味がなかった」
「ふうん」
 彼らが拍子抜けしたように鼻を鳴らしているうちに、役者たちは監督や技術スタッフが常駐している建物に入っていった。
 するとたちまち、他の子供や若者たちと一緒に、役者たちを見ようと建物の窓に群がっていった。

 そうだ。僕はあの役者を知っている。
 車から降りる、本物の(とはいっても新聞や肖像画で見るだけの)スターリンより若々しく、神経質そうな優男。
 まだメイクもコスチュームもつけていない素顔の役者の元囚人。
 あれは僕の父の患者の一人だ。
 診療所だけでなく。なぜか自宅にまで押しかけて泣きながら父に話を聞いてもらっていた男。
 アレクサンドル・パナーリン。通称サッシャ。

 建物のドアが開いて、バスローブをまとったスターリン役者サッシャの痩せた体が出てきた。
 これからサウナにでも入ろうっていうのか?
 見物の子供たちからくすくす笑いが漏れる。
 鬱陶しそうに声のほうに目をやった彼の、サッシャの視線がぴたりと止まった。
 一点にくぎ付けになると、落ち着きなく細かく泳がせる。
 彼の視線の先にあるのは、自分を睨みつける僕の目だったからだ。
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