第10話 ユーリという少年

文字数 1,003文字

「何か食べるかね?」
「いらない」

何回この会話を繰り返しただろう。
銛銃の暴発でスターリン(役の俳優)を撃ってしまったという少年と少女は、チェチェン島で一番大きい缶詰工場の工場長の宿舎物置に入れられていた。
逮捕監禁されている、というほど厳しい状態でもでもなかったが、当局からあとでどんな要求が来るかわからない以上、一応身柄を確保しているという態だ。

「じゃここに果物と水を置いていくから勝手に食べな。あとお前たちは見張られているから、変な真似をするんじゃないぞ」

ガキっつったって男と女なんだからなあ。食べ物を持ってきた若い男の工員は、ニキビ面の口元に卑猥な笑みを浮かべながら、二人がぺたんと座る物置の床に水差しと欠けた皿を置いていった。
皿の上にはクルミと棗、そして硬いパンと干した無花果の実。

「無花果の実って干したのもあるんだ…」

アジア系の丸い小さな目に細長い顔をした、小柄な男の子は、白っぽく縮んだ実をつまみむとしみじみとながめた。

「なによ。無花果は干して、他の果物みたいに冬場の寒い時期に備えて、ジャムなんかにして食べるものでしょ」
「俺のうちでは無花果の木から葉をとって、布袋に入れて風呂に入れたりしたんだよ」
「なにそれ。書いたことも見たこともないわ。どこの田舎の話よ」

少女アーニャは男の子を小馬鹿にしたように、低い鼻を膨らませた。

「ここよりずっと東のほうだよ。寒くて雪が降って、海が凍って熊やオオカミがその氷の上を渡ってくるんだ。猟師のおじいたちがそれを撃って、毛皮に解体して市場に持っていく」
「野蛮なとこね…」

そうでもないよ。
古い歴史のある美しい建物が町の中心部にたくさんあって、港では北の海でとれる魚もたくさん水揚げされていたし…その魚はここよりずっと大きな工場で加工されて、世界中に売り出された。軍港や、基地があって軍人の姿もたくさんあった。

もっとも僕はね、小さい子供の時に、その町を離れることになったけど。

少年は干し無花果をつまんで口に入れた。
硬くて上手く噛みちぎれないその実は、中にぎっしり細かい種が詰まっていた。
ぷちぷちと歯で噛み砕くと、乾草のような日向の匂いと甘い味がした。

ユーリーと呼ばれる極東民族風の顔をした少年は、不思議な訛りのあるロシア語を話した。
それも道理で、彼の故郷はロシアの大陸ではなかった。
ロシアの東の極東管区から海を隔ててすぐの、海上に位置する島、「イポン」のうまれだった。
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