【3】復活の邪竜

文字数 4,606文字

 さらに数年後、ある雪の降る寒い夜。私は今日も子竜達が被った雪を取り除いていた。ほとんどは子竜の身震いで飛ばせるけど、残った雪を私は見逃さない。
 今の年齢の子竜達は頭以外のほとんどがまだ毛で覆われている。年齢を重ねることで、父のイリオスのように首や尻尾の背面、背中を除いた、首や尻尾の前面、腹や足に綺麗な鱗が見えてくる。翼は沢山の羽が重なって出来ており、子竜はその羽もまだ柔らかくて飛べそうにない。
「あと少し……よし、できた。はい、次の子!こらこら、暴れないのっ」
 イリオスが私のもとまで歩いてきた。表情の変化が分かりにくい顔、でもどこか今日はいつになく真剣な顔をしているように思える。
「どうだレクシア、雪払いは終わりそうか?」
「うん、この子で最後。最近これも慣れてきちゃって、寝る時間まではまだ少しあるね」
「ああ、そうだな。いつの間にか、ここまで立派に育ってしまったな」
「お父さん?」
 最後の子竜の雪を取り除き、イリオスを見上げる。
「儂は、最近気付いたのだ。命を救うために助けた娘が、今や儂がいなくとも生活出来るようになってきたことを」
 イリオスは表情を変えずに座り、話を続けた。
「子竜達より早く目覚め、儂と共に朝食を用意したと思えば、その後の後片付けなどを自分から行い、完遂して見せた。さらに汚物の処理、雪などの環境適応、さらなる利便性のために練習を再開した魔法も見事なものだった。一部の日常的習慣行動はもう一人で行っておる。そして、私は思ったのだ」
 その先は聞きたくない。そう思った。けどそれを口には出せなかった。イリオスの声音からは、相当な覚悟が感じられたから。
「今こそ自立の時ではないかと。この日々を山で過ごす我らの生活の他に、やれること、やりたいこと、やるべきことがあるのではないかと」
 私が口を開かない事を確認したイリオスは、立ち上がって子竜達の待つ寝床の方に体を向け、もう一度私を一瞥した。
「自分の幸せを見つけよ」
「お父さん!」
 歩き出しそうな、離れてしまいそうなイリオスを見て、ようやく声を絞り出した。イリオスはこちらを向かず、動きだけ止めて言う。
「自分の人生だ、選択は全て任せる。この生活を続けると決めるなら尊重するが、お主には他の道がいくらでもあることだけ、心に留めておいてくれ。さあ、そろそろ時間だ。今日も冷えるので儂のもとに来るがよい」
 そしてイリオスは再び歩き始めた。私はその場に立ち尽くした。
 雪の降る日はイリオスが体を丸めて、翼で雪を防ぎ、私を含めた全員を包み込む。私は子竜達に囲まれて寝ることになり、冬でもむしろ暑くて汗をかきそうなくらいだ。子竜の雪を払うのは勿論子竜を冷やさないためだけど、溶けた雪の水が、サイズ以外あまり変えていない私の装備の露出部分にかかると冷たいからというのも大きい。
 遅れてイリオスの翼の中に入る。もうみんなぐっすり眠っていた。
 自分の幸せ?この竜達と一緒に過ごすことで充分幸せを感じているし、他にやりたい事がすぐ浮かぶわけでもない。
 答えはすぐには出なかった。瞼が重くなる。子竜達の温もりは、長時間の思考なんてさせてはくれなかった。

 あまり眠れなかった。珍しくイリオスより早く起きてしまったので、イリオスがいつもやっている聖域の見回りをすることにした。
 雪は止んでいるが地に積もっており、竜はともかく私は歩きにくかったため、魔法で弱い風を起こして雪を一ヶ所に集めるようにして動いた。種族や人によって得意な魔法は異なるが、小規模な初級魔法なら火でも風でも練習すれば使えるようになる。私が何を得意とするのかは分からないけど、イリオスの羽や杖を持っていると強力な光系統の魔法が使えたことから、イリオスと似たような力であるとは思う。
 杖を向けた雪の下から草の緑が見えてくるのが楽しくて、そのまま聖域全体を歩いていく。だが途中、雪が元々無く、その下の緑が黒い場所を見つけた。
「なに、これ……焦げてる?それに臭い……」
 円形に広がっている黒い地面。これが歩いていくといくつも見つかった。昨日はこんなもの無かった。もし見えていなかったとしても、この特徴的な悪臭で気付くはず……
「自然に出来たものじゃないと思うけど、誰かがやろうにもここは聖域。私やイリオス達以外がここに来るなら、空くらいしか道は……」
 見上げるとそこには、大きな赤い飛竜が一体、こちらを見下ろしていた。私が思わず杖を構えると、それに気付いた飛竜が聖域の地に降り立った。後ろ足だけで立つ二足歩行型で、身長はイリオスの半分くらい――とはいえ私の二倍近くあるが――首には人間の頭蓋のような飾りをかけており不気味だ。
「この聖域にこの焼け跡を付けたのはあなたね?」
「ああそうだ、俺様はグレイル。その見かけや放つ力、神族の娘のようだが、何故ここに入ってこれた?」
 イリオス達と会話が出来るようになっていたのでこの飛竜にも試してみたが、成功した。やはりこの世界の大半の生き物は同じ言語で伝わるのだろう。名乗りまでしてくれたので私もそれにならう。
「私はレクシア。あなたこそ、私がここに来てから初めての侵入者よ。用も無くここに来るだけでなく、ましてやこの地に傷をつけたらイリオスでも黙って見過ごさない。今すぐにでも帰ってくれるなら、私はこの件を無かったことにしてあげるけど」
「へっ、用ならあるぜ。イリオスにある事で礼をしなきゃならん。この炎は、その挨拶代わりだァ!」
 グレイルが私に向かって火球を吐き出す。地面の焼け跡と同じ大きさ、私はここを焼かないために回避ではなく防御を選択した。右手で杖を前方に構え、水の塊を撃ち出す。火と水はぶつかり合って消えた。
「お、反撃はしてこないのかい?」
 グレイルが前足を手のように使って挑発してくる。しかし私は戦闘のための魔法を覚えていない。日常的な魔法の勢いを強めて応用したもので、身を守る事しか出来ない。
「ならまた俺様からいくぜ!ハァ!」
「くっ!」
 連続で放たれる火球を防ぐ。防御として不適当な魔法を無理して使ったため、私はすぐに魔力を使い切ってしまった。再び火球の熱がグレイルの口から発せられる。
「――お父さん――!」
「確かに聞き入れたぞ、娘よ」
 私の後ろからイリオスが勢いよく飛び込み、その大きな足でグレイルの首あたりを叩く。グレイルは衝撃で後退し、火球は不発に終わった。遅れて風圧が私の背中を叩き、消耗していた私は耐えきれずに倒れた。イリオスが心配して見てくれたので、大丈夫と笑って返す。
「ぐおぉっと!ようやくお目覚めか、イリオス!」
「二千年ぶりの再会か。わざわざここに何の用だ」
「ちょっとした報告に来たのさ。お前が倒し損ねた邪竜ヴァラーグが復活し、再び破壊の限りを尽くしているということをな!」
 グレイルはニヤリと笑った。邪竜……?初めて聞く名前だ、どういう事か聞こうとしたけど、雰囲気がそうさせてくれない。
「倒し損ねたという表現をされるとはな。殺すまでしなくても良いと思って儂が逃がしたのだ。もうこのような事はやめろと言ってな……」
 イリオスが俯く。話を聞かず再び暴れているという事実を知って残念に思っているのだろうか。
「まあ、おかげで俺様は助かってるんだがね」
 イリオスが無言で足の爪から蒼い光を発し、その光はやがて刃の形をとった。脅しのつもりか、戦うつもりか、または怒りを覚え、無意識に能力が発動したか。その真意は読めない。
「おっと怖い怖い。お前を相手するほどの力もないし、元よりそのつもりもないからこれにて失礼するぜ。精々自分の寛大な心を悔やみながら足掻きな!――あと、レクシアとかいうそこのお嬢ちゃん、そんな未熟だといつか死ぬぜ!あばよ!」
 グレイルが飛び、いつの間に空中に待機していた数体の仲間と共に彼方へ去っていく。
「待てっ、グレイル!」
 私は咄嗟に追いかけようとして走ったが、飛べない以上無駄な行為だった。
「良いのだ、捨て置け」
 声を聞いて足を止め、イリオスの方へ振り返る。視界には光の刃を消したイリオスと、その周りで黒い煙を出す焼け跡が残っていた。

 見た目だけでなく臭いも気になるので、雪を被せて焼け跡を覆う。傍で同じように焼け跡の処理をしているイリオスに、タイミングを計って会話を投げかけた。
「お父さん、二千年前に何があったの?邪竜ってなに?私、お父さんの口から聞いたことないよ」
「話す機会はあったが、まだ小さかったレクシアを怖がらせると思ってな。そのまま話さずにここまで来てしまったのだ」
 イリオスは作業を続けながら話し始めた。
「この聖域は大地の端にあり、ほとんどの飛竜は近付くことも無かった。だが黒の大地から渡ってきたグレイルだけは、二千年前にここを発見し侵入、その火球ブレスで襲撃を行った。グレイルの火球が焼いた場所からは特有の悪臭が発せられ、その臭いに反応して現れるのが雷瘴竜ヴァラーグと呼ばれる邪竜だ」
「じゃあ、グレイルが全ての元凶なの?」
「そうとも言えるが、グレイルの火球が無くとも、ヴァラーグは何処かで好き勝手に暴れる。グレイルは火球で呼び寄せたヴァラーグが暴れ、破壊された場所に残った道具を拾ったり、そこを住処にして生活しているようだ。グレイルは生きるためにヴァラーグを利用しているだけで、自分から大規模な戦闘はしない。主な被害はあくまでもヴァラーグによるものだ」
 つまりグレイルは、イリオスが作った様々な品を狙っている?人間や天使の国と違い、ここは竜だけが住む場なので住処としての環境も良いから、あり得る話だ。
「儂は現れたヴァラーグと戦い、もう暴れられないよう致命傷を負わせて逃がした。その後焼け跡を処理し、二千年の平穏が続いた……グレイルには、ここを再び狙わないように言っておくべきであったな」
 焼き跡を全て覆い、臭いもほとんど消えた。私とイリオスは、徐々に起き始める子竜達を見やった。
「事前にこうやって対処できれば、ヴァラーグは来ないかな」
「どうだろうな。そうであると信じるが、もしもの時は儂は再び、皆を守るために戦おう。だからお主が心配することはないぞ、レクシア」
「う、うん……分かった……」
 イリオスはそう言ってくれたけど、私の心は晴れなかった。

 そして夜。今日は雪は降っていなかったが、寒いことに変わりはなかったので子竜達は今日もイリオスに集まる。私はその様子を少し離れたところで眺めていた。
 昨夜の私は、この子達を守る対象として見ていたが、今日のグレイルの一件で思い知った。私にそんな力はない。この子達を守れるのはイリオスしかいない。イリオス一人に戦わせて、私は何も出来ない。
 立派に成長したと言われたが、まだまだだ。私はこの子竜達を、イリオスを、家族を守れる力が、強さが欲しい。竜だけでなく、自分自身も、麓の村の人々も。そしてイリオスが私を拾い、守ってくれたように、私も守りたいと思った誰かを守れる強さが欲しい。
 イリオスが子竜から視線を少し離し、横目で私を見た。昨夜の言葉が再び脳を巡る。私のやりたいこと、私の幸せ……
「やりたいこと、分かったよ。お父さん」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

レクシア

物語の主人公。イリオスに娘として迎えられ、竜と共に育った神族の少女。家族思いの優しい性格だが、竜以外の種族には人見知りな部分がある。

アルン

元は黒の大地の好戦的な竜族。人間に興味があり、自らも人の姿となって交流を求めた。今は自身の竜鱗を加工して作った剣を振るう竜人の騎士となっている。

イリオス

人里離れた険しい岩山に住む、寛大な心と強大な力をあわせ持つ竜族。山の麓の人々からは、賢蒼竜の名で守護神のように崇められている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み