【5】竜神姫の信仰

文字数 6,879文字

「何故、殺さないよう加減した?神ならば罰を最後まで与えよ。奴が奪った命の数は計り知れんぞ」
 星や羽が消え、雪の世界に戻った地。そこに天から降りた私に、ゼルエルが放った最初の言葉。私は怯まずに返答する。
「私は、イリオスに育てられた神だから。あなたのエリアの神や天使とは、考えが違うの。私は……誰にだって、生きていて欲しいの」
「甘い。その甘さがこうして再び戦いを起こした。方針を変えろとは言わないが、その戦いにも責任は伴うぞ」
 分かっている。分かっているけど――
「私は昔に慣れてしまったが、普通、目の前の命を自分の手で奪うのも難しいだろう?殺したいなら自分でそうしたらどうだ。四大天使、つまり神直属の将」
 アルンが言葉を挟んだ。私を助けてくれた。
「俺がやろう。誰かがやるより利点は多い」
 ジークがふらっと立ち上がった。それを見たゼルエルは得意顔だった。
「ある程度は直せたつもりだが、調子はどうだ?」
「動けるならそれでいい。――心配させたな」
 ジークはアルンを見ていた。驚く私達の中でも特に表情を変えていたのを見て、倒れていた時の状況を察したのだろうか。
「グゥ、ゥッ……!」
 ヴァラーグが起き上がろうと声を出した。しかし足は伸ばせず、倒れた体制は変わらない。
「待っていろ、楽にしてやる。俺に憑依すれば、今後も戦いが出来るから安心しろ。俺が、既に憑依しているファフニールと上手くやっていく自信があるかは……分からないが」
 イリオスが座って輪に入り、ジークを見た。
「その自信の無さで憑依継承を行うつもりか。最悪おぬしが死ぬかもしれんぞ」
 瞬間、電流が流れる音で会話が中断される。ヴァラーグが倒れながらも懸命に首を上げていた。ジークを見ているようで、どこかその先の遠くを見ている気もする、曖昧な視線だ。
「憑依などせん……貴様の力となってまで生きる気は無い!嗚呼、見える、見えるぞ、竜石碑の光が……!しかしそれに応えることは叶わず……!」
「ひっ……」
 瀕死の邪竜の目が虚ろになり、何かを求めるように喘ぎ始めた。私は恐怖で杖を握って数歩下がる。
「弱者に!敗者に!存在する価値は無い!あの方は、あの方の遣いはそうおっしゃられた!せめてこの命を贄に、糧に!今こそ石碑に捧げ、あの方の望みのためのォォォォ!!」
「くそっ、私が今すぐ斬る!」
「もう遅いわ赤竜の騎士!愉しかったぞ、イリオス、そして騎士共ォォ!!」
 大きな破裂音。雷がヴァラーグを貫いた。視界が一瞬白黒に染まり、思わず目を閉じる。
 目を何度か開き、正常な世界の光に慣れる。
 咄嗟に飛び込み、ヴァラーグの近くにいたアルンは、隣にいたジークと視線を交わしてから、私の方に振り向いた。その目は哀れみのような、悲しい目だった。嫌だ、聞きたくない。
「どうする?瘴気を取り除いて焼けば、食い物になるかもしれないぞ」
 私の膝の力はスッと抜け、崩れ落ちた。

 私が落ち着いた頃には、天軍との話が進んでいた。どうやら天軍はここを諦めて退いてくれるようだ。イリオスとゼルエルはもうお互いを理解しているような感じだ。私が来る前に、共にヴァラーグと戦っていたからだろう。
「儂はあと数十年でエルダークラスになる。さすれば同じような脅威が現れても撃退できるだろう」
「流石に天軍も、そうなると戦おうと思わなくなるな」
「エルダーじゃないなら――!」
 話に割り込もうとしてやめた。天軍はそういう組織だ。正義の為に戦う姿勢にいちいち物申そうとするとキリがない。
「しかし、争いは続くぞ」
 私が言いかけたのに反応したゼルエルがこちらを見た。私に言っているようなので、言葉を返す。
「私達が遠回しに起こした戦いだから、出来る限り支援するよ。勿論、誰も死なない道のための支援を」
「そう責任を感じるなレクシア。戦いを起こしているのは天軍や冥界だろう」
 アルンの言う事も分かるが、私が背負わないといけないという使命感が勝っていた。
 ゼルエルが構わず話を続ける。
「防衛に限定した話か?こうして攻める戦いはどうする」
「戦わないで!あなたたちは何のために戦うの、黒の軍勢を滅ぼすため!?」
 天軍の将は首を振った。
「野蛮なのは黒だ。黒の魔族共がこちらの地を攻めてきたから戦争が始まった」
「ならやめようよ。今は、天軍も野蛮だよ。私が話した街の人は、その事を話す時、苦しそうだったよ……」
 話す間不動だったゼルエルは、ようやく体を少し動かした。
「……分かった。黒は常に先行、白は後手に回り、こちらはその分戦力増強などの準備を整えるように検討する。それで満足か?」
「うん、考えてくれるだけで嬉しいよ。ありがとう」
 ジークが大勢の天使達を指揮し、隊列を組んだ。
「ゼルエル、被害状況の確認は済み、俺の用は終わった。帰還しても構わないな?俺の国は未だ物騒だ、皆が心配になる」
「そうだな、確かにこのままじっとしてもいられない。私も急ぎ、ミカエル様に報告をしなければ」
 ゼルエルはそう言って歩き出し、ふと気付いたように振り向いた。
「そう言えば、森の集落の民はどうする?天軍で保護するか?」
 イリオスが首を上げ、森全体を見た。
「ここは儂の統治する場だ。勝手に民を奪うでない」
「確かにそうだな。では、さらばだ」
 苦笑したゼルエルが再び歩き出した。別れだ。
「ジーク!」
 アルンがその集団の一人に向けて叫ぶ。ジークは遠かったが、ちゃんと振り向いてくれた。
「次会ったら、私とまた戦ってくれ!お前は強い!私はお前といつまでも、剣を競い合う関係でありたい!」
 ジークは微笑んで頷いた。
「ああ。また。お前との戦いは、なんだかんだ、楽しかったからな」
 集団が見えなくなる。森の中に入ったのだから当然だが、その騒々しい足音も聞こえなくなっていった。
 ――村は、素通りか。
「お父さん。私、天軍はもう大丈夫って、村の人に伝えてくるよ」
 私の呼びかけに、イリオスが再び首を下げる。
「レクシアは小さい頃に一度行ったきり再び訪れようとしなかったが、大丈夫か?その当時の感覚が残って、小さな集落ほどの大きさを未だに村と呼んでおる」
 小さな集落とは把握しているけど、呼び方はあだ名みたいなものだ。
「ならば、私が同行しようか?」
 アルンがそう言ってくれるが、私は首を振った。
「ううん、気持ちは嬉しいけど、私一人で行かせて。アルンと同じように、あそこには、私が乗り越えなきゃいけない壁があるの」
 アルンはフッと笑って、剣を担いだ。
「そうか、分かった。それまで私は、昼飯用に邪竜の肉でも焼いておくとするか」
「……邪竜の最後のあれ、なんだったの?私に、止められたかな……」
 アルンは知っている様子だったので、聞いてみた。
「あれも神――神が如き竜への信仰だ。竜族なら皆が知る遺物、竜蹟碑。それを守る者、造った者を信仰している竜族は多い。まあ他種族にも信仰者はいるだろうがな」
 ヴァラーグでさえ信仰する物があるのだ。この世界に信仰は当たり前に存在するようだ。
「だからアレは、止められなかっただろうな。レクシアが責める事は無いぞ」
「うん、そうだね……」
 信仰の力に恐怖し、それでも私は森へ一歩を踏み出した。

 一部折れたり燃えた跡があったりして悲惨だが、それでも全体の雰囲気はそこまで変わっていなかった森。あれから数年経って、身長もある程度伸びているので、木が全て縮んだように見える。
 村――確かに今見れば小さな集落――の目の前で立ち止まって様子を見る。ジークのおかげか、被害はあまり無さそうだ。崩れた家屋などの復興作業も、頑張ればすぐに終わりそうだ。
「天軍よ!天軍よ去れぇぇ!真の悪魔は貴様らだぁぁ!」
 一部、未だ脅威を恐れて木の槍を振り回す人もいた。復興作業の邪魔をしている。
 やっぱりここは怖い。一歩下がろうとする足、しかしそれを空中で止めて戻した。後ろにアルンがいなくても、私は立つ。久々に一人だが、心は強くなっていた。
 あの人たちも怖い思いをしたんだ。早く安心させてあげよう。
「皆さん!邪竜は私達が討伐しました!天軍の統治は拒否出来たので、どうか安心してください!」
 村に入って叫ぶ。変な人に思われるかな。
「お、おい見ろ、あの時の神様だ!」
「確かイリオスの娘さんだよな!?この娘が言うなら間違いないって!平和だ―!」
 若者から騒ぎ出した。良かった。とりあえず信用はあるみたいだ。
「ヘェェ……!賢蒼竜様の遣い……竜神姫……!」
 自分でもできる事を探して復興作業をしていた、あの日の婆様が、手を止めて祈りの姿勢になってしまった。周りを見ると他にも何人か作業の手を止めてしまっている。
 これでは私が迷惑をかけてるみたいだ。過去のトラウマが重なる、祈りの圧を受けて少し怯むが、後ろには下がりたくない。
「そ、そんなことしなくていいです……!どうか顔を上げてください」
 ――だからもっと、前へ。
 勇気を出して人の輪の中に入る。ついに全員の視線が向いた。そわそわしそうになるのをこらえて堂々と歩き、作業をしていた人が運んでいた、木の棒を数本拾って抱えた。
「作業、私にも手伝わせてください」
 最初こそ遠慮されたし拒否もされた。この地を見守ってくれればいいなんて、むしろ大層な事すら頼まれた。しかし気にせずに作業をしていくと、次第に全体の作業は再開されてきた。
 槍を振り回していた人は、申し訳ないが攻撃力低下の魔法で槍を振りにくくした。その後、友人と思しき人が肩を揺すって言葉をかけていたので、次第に落ち着いてくれるだろう。
 見るだけで分かった仕事を終えたので、男の若者達――まあ私より遥かに年上だが――の輪に入っていく。以前は怖くて、私が近付く事も出来なかった人たちだ。
「手伝います、作業の手順を教えてください」
「い、いや流石に女神様にこのような、土に汚れる仕事をさせるわけには――」
「レクシアといいます。今はただのボランティアです。どうか気楽に接してください、お願いします……」
 ほぼ全ての人から同じようなことを言われるので参ってしまう。名乗るだけで感謝する人だっていたのだ。天軍の統治から逃げてきたというこの少人数の集落は、どれほど苦しい重いをして、こんな大地の隅っこの神に祈っているのだろうか。想像は出来ない。
「なるほど……これなら魔法で効率化出来るかも、それっ」
「おお……ありがたい!しかし正直に言うと、神様って効率化どころか、一瞬で全て元に戻しちゃえる存在だと思ってました」
「司る事象によりますけど、私の場合はこの程度ですよ。ちなみに今の人間の技術も、修練を重ねれば高位の天使と同じくらいあります。私よりきっと強いはず」
 イリオスの羽の力を使えば、もう少し大規模な魔法も使える。だけど今は頼らずにいきたかった。
 作業も終盤、村が元の姿を取り戻してきた。常に距離を取られたり、謙遜する言動が目立ったけど――老人達以外は、みんなある程度話をしてくれるようになった。
「レクシア様、ありがとうございました。おかげで一日かかると思われた作業がもう終わり、本来早く戻って手伝いに入る、外の調査担当が遅く感じるようです」
 ちょうど来ましたと言って若者が村の外――森の中を見た。私より年下だろう、身長の低い少年少女達だった。
 みんな質素な服を着ているので特に目立つ、銀鎧の男の子がこちらを見て、短めの赤い片手剣を手から離して落とした。他の子達が落ちた剣の金属音で驚いて跳ねる。
「お姉ちゃ――お姉さん、なのか?」
「え……?」
 私は困惑した。男の子は周りに注意され、剣を拾って鞘に納めてから、こちらに駆け出してきた。他の人が常にとっていた距離間隔が無く、最初から間近で見上げてくる。
「やっぱりそうだ!なぁお姉さん、オレが分かるか?つっても五年前だか六年前の話だから見た目全然違うだろうけど」
 竜と触れ合っていたから時間の感覚が鈍っていたが、もうそんなに経つんだ。あの日、知り合った男の子……最初に私を見つけてくれた子。
「あ、思い出した、あの子だね!大きくなったなぁ」
 身長差で頭がちょうどいい位置にあり、子竜感覚で撫でようと手を伸ばしたが、焦るように手で制された。
「こ、子供扱いはしないでくれ。そのヒール脱いでオレが背伸びしたら身長差ほとんど埋まるだろ。この数年でフレンドリーになったな?……お姉さん」
 それ、身長差あるよね?なんて思って、少し笑った。
「お姉さんは、ちょっと恥ずかしいな……私はレクシア。あなたは?」
「イヴァンだ。オレ、レクシアさんに憧れて、軽装の白色だけど鎧を着たんだ。将来は悪い魔族を狩る仕事をするつもりだぜ」
 男の子――イヴァンくんが輝く目で私を見上げた。
 これも信仰のひとつかもしれないが、他の村人とはその種類が違った。これは幼少の私がイリオスを見ていた時と同じ、憧れる子供の純粋な心だ。
 私はそんな姿に負けない笑顔で見下ろした。膝を曲げて身長を合わせようと思ったが、嫌がりそうなので控えめにした。代わりに少し首を傾ける。長い髪が揺れて、髪の短いイヴァンくんはそれに見とれているようだ。まずこんなに派手な格好をした女の子が村にいないからか、髪に限らずどこでもまじまじと見られる。恥ずかしい。
 婆様が歩いてきて、指をイヴァンくんに指した。その姿は今でもほとんど変わっていない。
「こ、これっ、距離が近いぞ!そして騎士としてだけでなく、神として崇めぬか……!不敬であるぞ……!」
 その発言に賛同して騒ぐ人は、少なかった。今なら、言える。
「あの、婆様。その事でお願いがあるんです。信仰自体は構いませんが、それを周囲に強制したりしないでください。あと……私は皆を含め、あなたとも、平等に接したい」
「そ、そんな事をおっしゃらないでくださいまし……!偉大なる守護神、そしてその娘様とは、次元が、世界が違うのでありますえ……!」
 婆様は目を見開いた。あの日の目だ。トラウマが全身を刺激する。あの日から、何を話していいか分からなくなって、人と話すのが怖くなった。これを乗り越えて、私も次に進もう。
「違いません!能力の効果で差はありますが、個人の力は人相応……種族に違いなんて無いんです……!私は雲の上の存在ではなく、今ここに、目の前にいます!だから、あなた達とも、同じ高さで語り合えるはず……!」
 震えそうな、しかしそれを抑えて声を出した。婆様以外も少し困惑が残っている。まだ、あと一歩足りない。
 腕を組んで唸っていたイヴァンくんが、目を開けて体を動かした。
「婆さん、みんな、あとレクシアさんも。種族とか力とかそういう問題以前に、レクシアさんはまだ、ここのみんなの身長より低い子供じゃないか」
 ハッとした。種族で寿命が違うので触れておらず、その視点は無かった。腰を曲げた老人と、イヴァンくんや少年少女達を除けば、それ以外の人はみんな私を見下ろす身長だ。
「もしマジでやばい神様だったとしても、生きてる時間がまだみんなより短いだろ?そんな子供に、お前ら大人がこのエリア全部の責任押し付けていいのか?小さな体には重すぎるだろ」
「……あんたも小僧だろうに」
 婆様が言うが、イヴァンくんは怯まなかった。
「背伸びすりゃ簡単に縮まるんだよ!あと、レクシアさんは女の子だ。俺の身体方が多分硬いぜ」
 そう言って力こぶを見せてきた。
 作業を一緒に行ったみんなは、最後の抵抗も消えてわいわいと賛同してくれた。
「けっ、不敬な……分かったよ。あくまでイリオス様ではなく、レクシア様の話だしねぇ……言わんとすることも、分からなくもないしのう?」
「婆さんはしばらくかかりそうだな……」
 そう言うイヴァンくんだが、これは大成功と言っていい。
「ありがとう、イヴァンくん。とってもカッコよかった」
「お、おぉぅ……でもレクシアさんに比べりゃまだまだ。オレはもっと修業して、悪い奴を倒すカッコいい戦士になる!」
「うん。いつかその時が来たら、一緒に戦ってみたいな」
「あー言ったな!約束だぞ!その日が来たら言いたい事が……いや、何でもない」
 なあにそれと笑った。そして私は婆様を見て、手を差し出す。
「イリオスも、ここの生活を見て勉強になったと言っていましたよ。これからも私達と一緒に、この地をよろしくお願いします」
「お、畏れ多いィ――」
 私はにっこり笑って、待ち続けた。時間をかけて落ち着いてもらい、反射的な回答ではなく、考えた末の結論を出してもらう。
「――ぇ、ええ。……こちらこそ」
 穏やかな表情になった婆様と握手を交わした。私の記憶に張り付いた怖い顔は、次第に剥がれ落ちていった。
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登場人物紹介

レクシア

物語の主人公。イリオスに娘として迎えられ、竜と共に育った神族の少女。家族思いの優しい性格だが、竜以外の種族には人見知りな部分がある。

アルン

元は黒の大地の好戦的な竜族。人間に興味があり、自らも人の姿となって交流を求めた。今は自身の竜鱗を加工して作った剣を振るう竜人の騎士となっている。

イリオス

人里離れた険しい岩山に住む、寛大な心と強大な力をあわせ持つ竜族。山の麓の人々からは、賢蒼竜の名で守護神のように崇められている。

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