【2】守護神の信仰

文字数 5,393文字

 私がここで育って、およそ10年ほど経った。あれからイリオスに基礎的な魔法は教わったが、それ以降あまり魔法は練習していない。戦いがしたいわけじゃないし、生活を便利にする魔法は基礎的な部分だけで充分覚えられたからだ。
 細い足での二足歩行種族の私は、太い足の四足歩行種族のイリオスの子竜達の身長をようやく超えることができた。幼年期の身体の成長速度も私の方が早く、竜族は姿がなかなか変わらないので、年上として面倒を見てくれた子竜は今となっては同い年のような感覚だ。
 なのでイリオスにそれを報告し、ある許可を貰うことにした。
「お父さん。子竜達よりも背が高くなったよ。だからもう、山を下りてみてもいいかな」
「そうだな、確かにそういう約束であった。儂が遠くから見ておるから、気を付けて行って来ると良い」
「ありがとうお父さん。でも前にも言ったように、本当に少し様子が知りたいだけなの。満足したらすぐに帰ってくるね」
 置いてあった自分の杖を取り、山の麓を目指して岩を下りて行った。多少の身長をイリオスが要求したのは、この岩山が険しく、飛ばないで下りる場合ある程度手足が長くないと危険だったためだろう。かなり軽装の鎧装備は、こういう時に邪魔にならないのに、同時にしっかり身を守ってくれて最適だった。
 岩に囲まれた場所から抜け出し、外の世界が見えてきた。この岩山の先には、普段見ていた植物たちよりずっと多くの緑が広がっていた。さらに遠方、この距離からでも見えてしまうくらい高く大きな塔、きっとあれがイリオスが生まれる前から建っていたといわれる古代建造物、白の塔だろう。
「これが、オセロニアの世界、白の大地……」
 白と黒、二つの異なる地に分かれた世界、オセロニア。太陽と月が存在し、草木が生い茂る白の大地。草木が育ちにくく不毛で、昼夜の区別がほどんどない黒の大地。様々な種族や国が存在し、竜族などはその両方の大地で、環境に合わせて生息しているそうだ。
「おっとと。危ない、ここは岩山だから安全意識で……」
 遠くを見るためについ背伸びをしてしまい、ふらつく。この景色が見たかったのが目的の半分。私はもう一つ、麓の方に住んでいるという人間の村に訪れてみたかった。私は人間ではなく神々の種族のようなので、赤子の私を山に置いたのがそこの人間という予想は外れたけど、それはそれで複雑な感情もなく関わりに行けると思った。
 岩を乗り越え、森に入った。この木々を進むと森の中に小さな村があるのは山の上から確認したので分かっているのだが、大きな木がそこらじゅうに生えているのも私の中では珍しく、ふらふらと観察をしながら歩いた。
「どこも同じ景色……大丈夫、まだ大丈夫」
 そんなことをしていたら道に迷ってしまったが、焦らずに音を頼りに進む。どんな時もなるべく冷静に行動する事。イリオスが言った教えのひとつだ。
 耳を澄ますと、音だけでなく人の放つ圧のようなものも感じた。私が魔法を使う時も、同じような感覚を自分や魔法を使う対象に感じていたから、これは神や天使が持つ感覚なんだろうか。それとも他種族でも、同じように感じられるだろうか。ともかく、おかげで助かった。
 十数人の人々が見えて、私は思わず見つからないように木の後ろに隠れてしまった。竜としか話してなかったし、まず見るのも初めてなので数に圧倒されて近づけなかった。
 あれは何だろう。集団の半数ほどが座って手を合わせてぶつぶつと口を動かしている。他の数人は背が低い、子供だ。子供たちは大人を横目に見ながら、各自自由に動いていた。子供の一人がこっちに近づいてくる。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ひゃあ!な、なに……?」
 気付いているとは思わず、驚きで転びそうになるが手をついて耐え、振り向いて男の子の方を見る。
「そんなに驚くことないでしょ!僕見えてたよねお姉ちゃん!」
 笑われた。その声につられるように他の子供も集まってきた。私は立ち上がって子供を普段と同じ表情で見下ろす、けど両手は杖を強く握っていた。無意識だった。ちょっと怖がっているのかもしれない。
「私自体は見えてなくて、偶然ただ近くに来ただけかなぁって……」
「そんな青だったり白だったりの派手なの着てるのに、見えないわけないって!」
「あ、そうだ……」
 確かに、ここの茶色っぽい布の服を着ている人々の中に、この色は森だとすごく目立つ。さらに頭も黒い角や白い羽などの飾りと、日光を強く浴びれば黄色に見えるくらい鮮やかな茶髪を腰のあたりまで伸ばしているし、覗くために顔を出したらそれだけでバレバレだ。
「でもあなた達以外には気付かれてないよね。あの大人は、何をやっているの?」
「んー、なんか、祈り?だっけ」
 男の子の回答を隣の女の子が補足する。
「この森や山、村の守護神様に定期的にお祈りしてるんだって。今後も守ってもらえるようにお願いしてるの」
 エリアと呼ばれる、無数の国々で形成する地域があり、その統治者は神々であることがほとんどだと聞いたことがある。ならあの行動も、信仰からなっているものなのだろう。ただここの神の話は聞いたことがない。
「守護神?ここを管理してる神族がいるの?」
「いや、ここの守護神様は神じゃなくて竜族らしくてさ。僕たちもよくわかってないから、これは大人に聞いた方がいいかもね」
「こっちこっち、おいでお姉ちゃん!」
「えっ、ちょっと、待ってっ」
 女の子に手を引っ張られ、村の中に入れられてしまった。まだ心の準備が出来てないのに……と思ったけど、会話をしてくれた二人以外の子供も不安そうな顔をしている。私と同じく、祈る人々を怖がっているのかな。お姉ちゃんなんて言われちゃったし、ここで引いたら格好がつかないので覚悟を決めた。
「おばあちゃん、わたしたちやこの人に守護神様の事を教えて!」
 女の子が駆け寄りながらそう言うと、一人の女性が祈りの手を止め、こちらを向いて目を薄く開いた。何年生きるとこうなるのだろう、神族と竜族の成長速度が違ったので、人間もきっと違うはずだ。きっと私より年上だが、人間も身長は判断材料にはならない事が、この婆様の身長の低さを見て感じた。
「ああ、ええともさ。じゃが、そこの方、ここらじゃ見ない鎧を着とるねぇ。どこから来たので?」
「あっ、私ですか。えっと、私はあの岩山の方から来ました」
 答えると、婆様はカッと目を見開き、おもむろに指で私を指した。
「なんと!守護神様の生息域に!それは無礼な事だわさ、寛大な守護神様だから山の途中なら助かったという事なんじゃろうけど、用も無くその奥の聖域に足を踏み入れようものなら、守護神様のお怒りを買ってしまう故、気を付けるんじゃよ……」
 圧に押されて繰り返し頷いたが、その後疑問が生まれた。生息域?あの山は人里からはかなり遠く高いし、動物もあまり住める環境じゃないから、イリオス達以外には誰も……まさか。
「ひょっとして……守護神様って賢蒼竜イリオスの事だったりしますか?」
「ほう、ご存じだったのですねぇ。いかにもここの守護神様は賢蒼竜イリオス様じゃ」
「ねえ、なんでその竜が守護神なの?」
 驚く私の足元に集まっている子供の一人が、私の足に捕まりながら婆様に質問をする。離して欲しいが、振り払ったら転んでしまいそうな小さい子なので我慢だ。幼少の私に足を掴まれたイリオスも、同じような苦労をしたかもしれない。
 婆様は切り株に腰掛け、再び目を閉じてから口を開いた。
「遥か昔、この白の大地や黒の大地には神々と竜族しか住んでいなかったといわれておる。じゃがある時を境に白には天使が、黒には悪魔や魔族が栄え、長い歴史の中で人間やその他様々な種族が暮らす世界になったのじゃ。なので人間や獣人、竜人などは神々や魔族などの血がその歴史の中で薄まって出来た種族なんじゃよ」
 使う言語や、私の姿が人間と同じなのはそういう事だったんだ。でもこの人たちに天使の翼や竜の角が両方ついてるなんてこともなくて、これといった特徴の無い姿だ。血が薄れた結果劣化した種族?なんて、失礼ながら思ってしまった。
 話が逸れそうになったかの、と婆様が話を続ける。
「そして天使や人間はこの大地で文明を築き、生息域を広げていった。それまでそこにいた竜族や、しばらくして発生した妖精族は、人間との共存か、住処の移動の選択を迫られたわけじゃな」
「可哀想……」
 足元の子供が呟く。私は何も言えなかった。種族が繁栄する以上仕方ない問題だとも思ったし、人間の子供がこの話を聞いて可哀想だと言ったのだ。同じ人間がしたことなのにこの他人事のような感想、この時代で何かを思っても昔の話なのだ。私たちに出来ることなどなかった。
「じゃが、それに抗う竜族も少なくはなかった。特に黒の大地の竜族の中には防衛戦を続けるあまり、戦い自体が生きる目的となった者もいたという。そして、賢蒼竜イリオスもまた、抗い戦った竜の仲間じゃ」
 婆様は山の方を見上げ、手を合わせた。
「イリオス様は自身だけでなくこのエリア全体を守るために周辺の天軍を攻め、今の暮らしを守ってくれたのじゃ」
「あなたたち村人はどうしてここに?」
「我らは天軍の統治から逃げてきたのじゃよ。全てがそうではないが、天使が属する天軍の政治をよく思わない者もおるでな。その天軍の治める国を、イリオス様はここまで広げないようにしてくれたのじゃ。その強大な聖撃で……!」
 婆様からまた祈りの時のような力の圧を感じた。少し怖いが、放置できない疑問が生まれたのでこの圧に負けないように口を開く。
 「ちょっと待ってください。イリオスは戦いを好まず、極力争いを避けてきたと言っていました。どこでそのような出来事を知ったんですか」
 話の中断により、婆様は目線をこちらに戻した。その目と向かい合うとつい視線を逸らしたくなるけど、ここで逃げることは出来ない。もし真実なら知って受け止めたいし、どこか間違いがあったら否定したい。
「先祖からの言い伝えじゃよ。あんた……イリオス様と会話をした事があるような口ぶりじゃないか」
「あなたこそ、その口ぶりだと実際に見たわけでもない話をしていたんですか。先祖様の話は、どこまでが真実なんでしょう?」
 婆様は私の身体や装備を隅々まで眺め、目を大きく開いた。会話の空気や雰囲気の変化を怖がった子供が少し距離をとった。
「よく見ればその頭の角や羽、蒼や白の鎧……言い伝えにあるイリオス様のものにそっくりじゃ。あんたは一体、何者なんじゃ?」
「捨てられていた神族の私を拾って育ててくれたのがイリオス。私は、そのイリオスの娘です」
「ハァッ!?守護神様の子孫……!守護神様の遣い……!へ、ヘェェェェェ……!」
 婆様が突然跪いて頭を地につけた。祈りの時のように何かぶつぶつと呟いている。
 怖くて見ていられなくなった。周りを見ると、婆様に合わせて跪く子、私を見てどうしたらいいか分からず立ち尽くす子などがいた。私を最初に見つけてくれた男の子が、少しづつ私に近付いてきた。
「なんかごめんな、お姉ちゃん。この村のみんな、こんな感じなんだよ」
「ううん、ありがとう。私に気付いて話しかけてくれて」
 冷静さを装ってお礼を言ったけど、声は震えていた。この会話を別れの言葉として、じりじりと後ずさりし、村の人々に背を向けて走った。最初に感じた圧はここの人間達の畏怖だったんだ。
 森を抜けて岩山へ。下山にかなり時間をかけていたので、もう空は暗くなってきていた。遠くにイリオスの姿が見えた。
「お父さん!」
 呼びかけると、巨体に見合わぬ速度で降下してきた。
「想定の範囲内だが、少し遅かったな。さあ、儂の背に乗るのだ」
 背に乗るとすぐにイリオスは上昇した。蒼い鱗や白い翼が月明かりに照らされ、村人達はその美しい姿を見て言葉を失っていた。この姿を今後も思い出し、実体験を土台とした信仰が始まってくれるだろうかと、私は少し期待した。
「お父さん」
「どうした娘よ」
 イリオスは飛びながら声だけこちらに意識を向けた。今回の話で聞きたいことが沢山できた。
「お父さんはここを守るために、天軍と戦ったの?」
「いや、儂は戦わずに下がった。住処を狭められ、狭められ、最後に本拠であるこの山の地域だけが残った時、これ以上は下がらんと言って少し牽制したに過ぎんよ」
「天軍に恨みは無かったの?」
「我らはここだけで十分だ。他の種族も、自分たちの発展のためにやむを得ずしている事だ。儂に共存するつもりが無い以上、せめて領土くらいは与えてやらねばな」
「そう……じゃあ最後の質問なんだけど、あの村の人たちの事、どう思ってる?」
「気付いたら居た連中だ。聖域に近付こうとはせず、こちらに害はない。さらにレクシアの装備の形状、食べる物などを遠くから眺めて参考にさせてもらった。この恩は、儂がこの地を守る事で返していこうと思っておるぞ 」
 村の婆様の話は疑ってしまったが、攻撃した事を除けば、それほど間違ってもいなかった。イリオスは言い伝えよりもさらに寛大な心を持った、立派な守護神だった。
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登場人物紹介

レクシア

物語の主人公。イリオスに娘として迎えられ、竜と共に育った神族の少女。家族思いの優しい性格だが、竜以外の種族には人見知りな部分がある。

アルン

元は黒の大地の好戦的な竜族。人間に興味があり、自らも人の姿となって交流を求めた。今は自身の竜鱗を加工して作った剣を振るう竜人の騎士となっている。

イリオス

人里離れた険しい岩山に住む、寛大な心と強大な力をあわせ持つ竜族。山の麓の人々からは、賢蒼竜の名で守護神のように崇められている。

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