【6】赤い空の下で

文字数 5,386文字

「南と聞いたが、もしや南西や南南東などではないだろうな。あのヘカテーが正確な方向を言ったとは思えん」
「アルンはさっきからずっとヘカテーさんを疑ってるね……それもそうかもだけど、まず私たちが、ちゃんと真っ直ぐ南に行けてるかどうかも怪しいよ……」
 オルプネーさんが食料をくれたのも納得だ。一日でいける距離じゃなかった。さらにガルムの地図に距離などは書かれてないし、景色も大して変わってくれないので、途方もない旅になっている。聖域のある山や、その反対側でアルンと出会った場所は大地の北にあるようで、南は未知の世界だ。見た事の無い建物や集落がたまに見えたりはするので、逆戻りはしていないはずだ。
 アルンの歩みに追いつけなくなってきて、それに気付いたアルンが振り返った。
「レクシア、ふらついてるぞ。ここは一度寝て休んだ方が良いな」
 提案に乗って、近くにあった岩に背を預けて座る。どっと疲れが押し寄せてきて、もう立てそうになかった。
「お前は今日ずっと慣れない大地で戦ったんだ。むしろここまでの道のりで音を上げなかったのが不思議だぞ」
 アルンが隣に座って、剣も岩に立てかける。
「疲れを感じる余裕すら無かっただけだよ」
 頭も岩につけて、空を見上げる。暗い空を赤い光が照らしている。時間が経っても全く変わらない空だ。赤い光は空全体にあるため、夜は白の大地より少し明るいかもしれない。
「ここの空、よく見ると綺麗かも」
「私は白の空を知らないが、そちらの方が綺麗と聞いたぞ?」
「こっちはこっちで綺麗ってことだよ」
 アルンのように、黒の大地だけで過ごしてきた人もいっぱいいるんだろう。正直、勿体ないなと思ってしまう。
「アルンに白の空を見せてあげたいな。あっちでは空が時間によって色を変えて、照らす光も変わるの」
「なるほど。今こうして座っているのは、時間の把握が空で出来なかったからだな」
「そうかもしれないね。現に今、夜のいつ頃なのかこの空じゃ全く分からない」
「そういう時は腹で確かめろ。もう寝た方が良い時間だと思うぞ」
「お腹の虫は正確には教えてくれないよ。アルンだけの特技じゃないかな?」
 二人で笑う。会話が途切れた所を狙って、眠気が私を襲う。アルンは寝る様子が無く、逆に立ち上がって体をほぐそうとしている。
「アルンは……寝ないの……?」
「家じゃないんだぞ。こんな所で寝るんだ、交代で見張りをして安全を確かめないといけない。お前にも後でやってもらうからな?」
「ん……ありがとう。じゃあ、おやすみ……」
「ああ。おやすみ、レクシア」
 少し体を動かして、岩ではなく地面に横になった。確かにここは危険な所、一人だったら毎晩不安だったかもしれない。赤い騎士の尻尾がゆっくり揺れているのを見ていたら、自然と眠りに落ちてしまった。普段あまり尻尾が揺れている感じはしなかったので、この睡眠誘導すら私のためだったとすれば、もう感謝してもしきれない。

「さあ、そろそろ私の鱗を離してもらおうか」
「え……?」
 気が付くと、目の前にアルンの竜鱗剣があった。私はこれを抱きしめて寝ていたらしい。
「体を冷やさないように剣を少し温めてそばに置いたらこれだ。その後の寝言を全て報告してやろうか?」
「そ、そんなの報告しなくていいよ!おはよう、えっとごめん、これ返すね――ってこれ重たい!」
「はははっ!それだけ元気になれば十分だな。じゃあ次は私に寝させてもらう。お前の杖は父の製作物であってお前の身体じゃなさそうだし、私の寝るお供には要らんぞ?」
「か、からかわないでよっ!」
「はっはっは!悪い悪い、では頼んだぞ」
「もうっ……しっかり休んでね」
 アルンは岩にもたれるとすぐに寝てしまった。変わらない調子で喋っていたが、きっとこの人もかなり疲れていたんだろう。
 杖を持って立ち上がり、周囲を見渡す。当然だが、寝る前と景色が変わっていない。剣は私がずっと持ってたようだし、平和だったのだろう。
 時間経過。周辺に魔物などがいないので、その警戒もほとんど要らず暇を感じてきた。アルンはぐっすり眠っている。私も温めてあげた方がいいかな、と思って魔法を使おうとしたが、アルンから発せられる熱が十分暖かく、不要を示された。流石は火竜だ。
「寝顔、綺麗だな……」
 黙っていればただただ美人だ。まあ喋っていてもかっこいいのだが、寝顔だけだと戦いに生きる黒の大地の火竜だなんて思えず、赤い角と尻尾だけが竜の証明になっている。少し触ってみたくなるが我慢だ。
 これだけ何もない時間だ。私の寝言も聞いて――本当に何か言っていたらの話だが――剣も取られたとなると、アルンもきっと私の顔見てたよね。と言い訳をして、そのままアルンの顔を座って見つめていた。
 そんな事をしていたので、聞こえて来る足音に反応するのが遅れ、気付いて立ち上がった時にはもうその足音はすぐ近くにあった。二足歩行の――竜人だろうか。竜人というには、アルンに比べるとさらに竜族に近い顔や肌をしているが。
「だ、誰?」
「何奴!?」
 声に反応して腰の刀に手を添えた竜人。警戒して私も杖を構える。
 攻撃はしてこない。こちらの動きを待っているのだろうか。だがその構え、隙が見えないし、逆にこの距離であろうといつでも私を攻撃できる構えな気がした。放つ圧に魔力は無いが、力は感じる。戦うのは愚策と判断し、警戒させないようにそーっと杖を下ろす。
「戦闘の意思は無いです。あなたももしそうなら、構えを解いてもらえませんか?」
「……無礼を詫びよう」
 戦闘終了。正確には開始の阻止。私は安堵のため息をついた。
 青い鞘の長い刀。青の布と赤い革装備。そしてアルンの鎧よりは薄い赤色の竜鱗の身体。私よりも長い髪を伸ばした竜の頭部と顔。曲げていた膝を伸ばして、つま先立ちのまま歩いてきた高身長の竜人。村で見た人間の男性よりも重くたくましそうな体は、私の存在を小さく見せた。こうしてお互いの姿がよく分かるところまで近付いた、その牙の生えた口が開かれる。
「名は牙刀。白の大地、東の国より修業のためここに参った次第だ」
「えっと、あの……わ、私は……!」
「む、これはまた無礼であった」
 上から押されるように膝を曲げて、両手で杖を握って震えそうな私を見て察した牙刀さんは、膝を曲げた状態に戻して身長を合わせてくれた。
「あっ、いえ、私こそすみません……レクシアといいます。私も白の大地の、北の方から修業に来ました」
 杖を握るのはやめられなかったが、体制は戻して話す。
「拙者の他にも白の大地から、しかも東国出身ではない者が一人でいるとは珍しい。何かここに目的があるという事か?」
「い、いえ、今は二人で、もう一人はここで寝ています。最近廃れた村に用事があったんですけど、場所が分からないままここまで……」
「このあたりの廃れた村ならば聞いたことがある。確かあちらの方角、竜に滅ぼされたという話が」
 牙刀さんが指さした方向は北、私たちが通ってきた道だ。牙刀さんの方が詳しそうだし、どこかで見逃したのかもしれない。
「拙者の修業は急ぐ旅ではない。道案内くらいならば――スッ!」
 ガイィン!
「ほう、素晴らしい反応速度だ。いずれお前とは本気で戦ってみたいな」
「アルン!?何してるの!?」
 いつの間に起きていたアルンが側面からの不意打ちを牙刀さんに叩き込んだが、その刀はしなやかな動きで竜鱗剣を受け止めた。アルンはバックステップで距離を取ってから、両手を緩く上げながら戦闘の意思はないと告げて歩いてきた。
「試すようなことをしてすまない、強者の闘気を感じたのでつい血が騒いでしまってな。話はほとんど聞いていた。正直助かるから案内を頼みたい」
 こんなことをしておいてよく頼める。
「フッ、拙者も貴殿とはいずれ戦ってみたいものだ。――では旅に同行させてもらおう。貴殿方と共にいると、良い修業になりそうな気がするのだ……」
 牙刀さんは刀をあらかじめ決めていたような綺麗な動きで納め、口角を上げた。
「え、もしかして白の大地の人もこんな感じなの……?」
 牙刀さんの歩みについていくアルン、その二人の足は速く、困惑する暇も与えらえなかった私は、声を上げながら走って追いついた。

 村跡を目指し歩く私と竜二人の計三人。私のかかとを上げた装備、牙刀さんの膝を曲げたままの歩きで、三人の身長はほぼ同じになっていた。
「膝はそのままでいいんですか?」
「拙者は移動や戦闘をする場合、こちらの方が都合がいいのだ。あと、言葉遣いも砕いてもらって構わない」
「そ、そうなんだ。分かった、よろしく、牙刀さん」
「ドラゴロイドの特徴ではなく、本人の技術か。興味深いな」
 アルンが顎に手をやって牙刀さんを見た。
「あ、そう言えば竜人には二種類あるんだよね、それがえっと、ドラゴロイド?」
 私の知識が中途半端なのは、イリオスが、私が幼少期のよく覚えられない時期に教えすぎたというのと、私がちゃんと学べていなかったのがある。欠けた部分はこうやって旅で補っていこうと思っている。
「拙者のような竜の頭や足を持つ者をドラゴロイド、そしてアルン殿のように角と尻尾以外人間と同じ者はドラゴニュートと呼ばれているのだ。翼の生えたドラゴニュートもいると聞く」
 牙刀さんの回答にアルンがはにかむ。
「実は私は例外にあたるな。元は竜で、つい最近この姿になったんだ」
「そのような事が可能なのか!」
「アルンは人に興味があってこうなったらしいけど、竜の時に何か人に興味が湧く事があったの?」
 牙刀さんのおかげでタイミングを見つけた。ずっと聞きたかった事だったのでここで聞いてみる。アルンは驚いたようにハッとした後、何かを考えるように目を閉じた。
「まだ話していなかったな。まあ進んで話すつもりがあったわけでもないが。――以前の火竜としての私は、あの西の方で住処を守りながら竜族や魔物と戦っていた。その周辺の生物も荒くれ者揃いのエリアでな。人が近付くことはなかった」
 方角を目線で伝えたアルン。牙刀さんがううむと唸る。
「その方角の危険なエリアは有名であるな。邪竜も多く生息しているとか」
 アルンは頷き、続ける。
「一般的に魔界と呼ばれているらしいな。――と、まあそんな所で戦っていたある日、一人の人間がこの地を横断するように私の目の前を歩いてな。私はその無視する態度に腹が立って襲いかかろうとしたが、その寸前で奴が立ち止まり、目線だけを私に向けた。私は戦えなかった。奴の放つ闘気は竜の威圧に類似したものを放っていて、その力を恐れた私は下がった。奴は一度も剣を構える事なく、また歩き出したのだ」
 アルンが歯ぎしりをすると、剣が少し燃え、感情を分かりやすく伝えた。
「この剣は皆を守るためにある、ここでお前を斬り捨てる必要は無い。なんて事を言われた。私は戦いを求めて叫んだが、奴は私の身を案じたり、殺さなかった場合の私の未来の可能性について語るばかりだった。私は悔しかった。奴の中で私は既に敗北していて、そして私もそれを感じてしまっていた事が……!」
 歩く先、はるか遠くに光が見えた。火の光だ。
「だが、悔しさと同時に興味も沸いた。戦いを求めない戦士も初めて見たし、自分と関係ない相手を思う気持ちも初めて知った。少なからず私も殺生をしているというのに、それを気にしないのか許したのか。今思えば、人間に興味を持ったというより、私は奴に憧れてここまで来たのかもしれないし、レクシアと共に行きたかったのは、レクシアに奴と同じものを感じたかもしれない。竜の力だけでなく、その思考なども」
 赤竜の騎士は、話は終わりだと言って苦笑した。
「拙者らと同じく、白の大地から来た者の可能性が高い。もし、その者を探したいと思うのならば、白の大地に赴いてみるといいやもしれぬ」
「べ、別に探したいと思ったことは無いからなっ?」
 焦るように指摘するアルン。アルン本人がどう思っているか知らないけれど、私の旅の目的は一つ増えた。
「私が白の大地を目的地にしてるから、この機会にアルンもついてきて欲しいな。人と交流するなら、あっちの方がやりやすいかもだし」
「……分かった。まあ今後も私はレクシアと共に旅をしたいし、いつかあちらに行くのは一応把握していたが」
「うん、ありがとうアルン」
「人もそうだが、赤以外の色をした空だな。それがなかなか楽しみだ」
 話しているうちに、遠くに見えていた光の場所までたどり着いた。牙刀さんが立ち止まったことにより、道案内をされていた私達二人も足を止める。
「廃れたと聞いた村はここであるが……」
「なんだか、賑わってるね……」
「どういう事だ、牙刀の情報も間違っているのか。何も信用できないな?」
 そう言うアルンだが、村で燃える火の光に目を輝かせて、一人で歩きだしてしまった。
「拙者も行こう。謎はこの中で解けるであろう」
 牙刀さんも歩き出したので、私も続く。この村がどうであれ、受けた任務は竜の調査と討伐だし、行く他に選択肢は無いので迷いはなかった。
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登場人物紹介

レクシア

物語の主人公。イリオスに娘として迎えられ、竜と共に育った神族の少女。家族思いの優しい性格だが、竜以外の種族には人見知りな部分がある。

アルン

元は黒の大地の好戦的な竜族。人間に興味があり、自らも人の姿となって交流を求めた。今は自身の竜鱗を加工して作った剣を振るう竜人の騎士となっている。

イリオス

人里離れた険しい岩山に住む、寛大な心と強大な力をあわせ持つ竜族。山の麓の人々からは、賢蒼竜の名で守護神のように崇められている。

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