名門の光と影 Ⅰ

文字数 1,654文字

 陽が中天に掛かる。セリアの市場も人通りがなくなり、商人たちも昼の休息を取っている。
 城壁には昼食を終えてあくびをしている兵がいる。セリアの城郭(まち)が襲われることはないと思っているのだろうが、それにしても緊張感がなかった。城外ではランスロットの率いる虎豹隊が激しい教練を行っている。歩哨はその様子を冷めた眼で見ていた。
 突如、歩哨が眼を丸くする。城壁に取りついて、眼を凝らす。原野の彼方から、軍旗を掲げてやってくる部隊があった。城塞と羽根の生えた獅子、マンティコアの軍旗。それはメリアガンス家の子息、サルマート・ピティ・メリアガンスのものだった。
 城壁から伝令が駆け出し、急に城内が緊張に満ちていく。城門と館への通りに兵が居並び、直立する。
 サルマートと、サルマートが率いるメリアガンス兵がセリアの城門に到達する。城壁から管楽器の音が鳴り響き、歓声があがる。それにしては、活気のない歓声であった。
 派手な軍服とマントを身に付け、装飾された葦毛の軍馬に跨っている男が現れた。首まで伸びているゴールドブロンドの髪が風になびくたび、鬱陶しそうに前髪をかきあげる。細く鋭い視線の三白眼は灰色で、人を射抜くようであった。やや面長の輪郭ながら鼻筋はすっきりと通り、唇は少し厚い。この男こそが、ヴァレリア家の令嬢ベルリネッタの婚約者である、サルマート・ピティ・メリアガンスであった。
「出迎えご苦労」
 城門を警固する隊長が一礼すると、サルマートが冷ややかな口調で言い放った。あくまで高圧的な態度を崩さないサルマートに対し、隊長は不快に感ずるでもなく、むしろ顔を強張らせていた。
「城外で騒がしくしている者どもがいるな。あれはなんだ?」
 サルマートが眉をわずかに吊り上げる。機嫌を損ねてしまったのかと、隊長は慌てたように首を横に振った。
「あれは噂の虎豹隊でございます。新しい指揮官が任命されて、それ以来、我らも首を傾げるほどの苛烈な教練を行うようになったのです」
「荒くれ揃いの部隊の指揮官が代わっただと。一体何者だ?」
「はっ、奥方様の遠戚で、最近館に身を寄せている、ランスロット・リンクスという若者でございます。なんでも、マヌエル様が直々に命じられたとか」
 何かを考えるように、サルマートが顎に手を当てた。隊長はサルマートの一挙手一投足に怯えているようだった。
「そういえば、そのような者が来るという報告があったな。すっかり失念していたが…。まあよい」
 一度城外を睨んだサルマートだったが、冷ややかな笑みを浮かべて肩をすくめると、行進の合図を出した。
 通りの端で兵が直立し、民衆は足を止めて一礼する。サルマートの姿は威圧感があり、まるでサルマートがセリアの主のようであった。
 ヴァレリア邸の周辺でもヴァレリア兵が直立し、サルマートを出迎えた。側近の者たちと共に館に着いたサルマートは、馬から下りて門をくぐった。
 門をくぐった先の中庭で、侍女を連れたベルリネッタが待っていた。サルマートを見るなりゆっくりと一礼をする。
「お帰りなさいませ。今回はお戻りになるのが遅かったですね」
 ベルリネッタが問いかける。それに答えることなく、サルマートがベルリネッタに歩み寄る。
 サルマートの右手が伸び、ベルリネッタの顎に触れる。ベルリネッタの体が、びくりと震えた。顎を少し持ち上げたサルマートが、ベルリネッタの顔をじっと見つめる。何故か、ベルリネッタの頬を冷や汗が伝っている。
「私が恋しかったか?」
 サルマートの言葉、ベルリネッタが答えることはなかった。その代わり、ベルリネッタもサルマートにずっと視線を送っている。それを肯定と捉えたのか、サルマートは口もとに薄く笑みを浮かべると、ベルリネッタに口づけをした。
 兵や侍女たちの前で唇を交わしたことが気恥しかったのか、ベルリネッタはわずかに俯いた。満足気に笑うサルマートは、マントを翻して館へと向かう。
 サルマートの後を追って歩き出したベルリネッタの表情は暗く、そして血の気が引いたように青ざめていた。

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