名門の光と影 Ⅴ

文字数 1,721文字

 使用人たちが慌ただしく、調理場と食堂を行き来している。ヴァレリア家では、食事は家族で摂ることが決まりとなっている。特にマヌエルは食事の時間にも厳しいために、使用人たちも調理、盛り付け、配膳を手早く行っている。
 サルマートがセリアに逗留して五日経過した。その間、ベルリネッタは毎夜寝室を共にしていた。夜は激しい交合と暴力の時間が続き、昼間は何も手につかないほどに疲れ切っていた。
 湯浴びを終えたベルリネッタは、自分の部屋で服を着替えた。ゆったりとしたドレスを身に付け、鏡の前に座る。
「お嬢様。痣がまた増えております」
 身支度を手伝うシエンナが、ベルリネッタに化粧を施しながら言う。最近の化粧は、体の痣を隠すためにしているといってもよかった。
「もう少し色味の強いものに変えないとだめみたいね。新しいものを手配してもらえるかしら?」
 ベルリネッタが鏡に映る自分の痣を眺めながら言う。そこでシエンナの手が止まった。
「いえ、そういうことではなくて…」
 眉を下げたシエンナの顔を鏡越しに見たベルリネッタは、思わず吹き出してしまった。
「大丈夫。そう言っているでしょう」
 気丈に振る舞うベルリネッタだが、実際に増え続ける痣に抵抗感もあった。このままの暮らしが続けば、自分の身体は壊れてしまうのではないか。そうした恐怖もまた抱えていた。
 そんなベルリネッタの心中を察しているのだろう。シエンナは常にベルリネッタの身を案ずる言葉を口にしていた。
「サルマート様の今日の動きはわかりますか?」
「はい。今日は朝からお館様とお出掛けになるそうで、お戻りは明後日になるとのことです」
「そう…。それなら、少しゆっくりできるわね」
 わずかな安堵と共に、ベルリネッタが息をつく。たった二夜。それだけでも、ベルリネッタにとっては救いの時間となるのだった。
 ベルリネッタとシエンナは部屋を後にして、一階の食堂に向かった。サルマートと顔を合わせるだけで憂鬱になる。そう思ったベルリネッタは気落ちしていた。それを察したシエンナが、ベルリネッタの背に優しく触れる。
 食堂へと至る角で、ベルリネッタは足を止めた。最初に顔を合わせるだろうと思っていた相手はサルマートではなく、ランスロットであった。最近、慣れた顔である。いつもと違うのは、顔に擦り傷を作っていることくらいだった。
「これはベルリネッタ様。ご機嫌いかがですか?」
 うやうやしく挨拶をするランスロットを、ベルリネッタは睨み付けた。ベルリネッタに対して不遜な態度をとるランスロットであったが、先日サルマートに対してはへりくだる一方の挨拶を行った。それがベルリネッタには気に入らないものだった。
 挨拶を返すことなく、ベルリネッタは食堂に入った。ランスロットは小さく笑うだけで、特に何も言い返すことはなかった。
 食卓の上座に鎮座しているマヌエルに挨拶をする。本来はヒルダが座るべき席は、ずっと空席になっている。それは、妻の快方を願うマヌエルの意思でもあった。
「おはようございます」
 口もとに笑みを浮かべて現れたのは、サルマートだった。ベルリネッタはわずかに顔を背けた。サルマートを見ただけで、昨夜の交合が思い出される。ベルリネッタの体に、痣が疼くような感覚が起こる。
 サルマートはベルリネッタの隣に腰掛けた。ベルリネッタの向かいの席には、ランスロットがいる。
 以前は賑やかな食卓であった。マヌエル、ヒルダ、アーウィン、ウィルバー、チェスター、今は光が消えたように感じるのは、ベルリネッタだけではないはずだ。
「私は昼頃から、サルマート殿とセリアを留守にすることになる。ベル、ここのことは頼んだぞ。役人たちにはよく言ってあるがな」
「はい」
 ベルリネッタは小さく頭を下げた。次にマヌエルが眼を向けたのは、ランスロットであった。
「ランスロット。お前には我が兵の一部を預けておる。日に日に兵も精強となっているとは聞いておるぞ。もしもの際は、身命を賭してセリアとヴァレリアの家を守り抜くのだ」
 ランスロットが顔色ひとつ変えず頭を下げた。
「心得ております」
 頷いたマヌエルの口上を経て、食事がはじまる。和やかさも、賑やかさもない、静かな朝食であった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み