プロローグ Ⅱ

文字数 2,327文字

 どれくらい駆けたであろうか。
 それもわからないほどに、ランスロットは必死だった。アーテルフォルスの放出が切れ、さすがにレミエを抱えて走ることは出来なくなった。
 ランスロットはレミエを背負い、アルム川を目指していた。ジュネイはどうなっただろうか。そればかりがランスロットの頭を占めていた。
「…う、うん」
 肩越しに聴こえた声に、ランスロットははっとした。
「レミエ、大丈夫か?」
 背中に伝わる鼓動から、まだ息があることは確信していたが、レミエはこれまで呼びかけても無反応だった。
「うん、大丈夫。少し眠ったら良くなったみたい」
 再生治癒(リジェネレート)か。とランスロットは思った。レミエが魔法を学ぶ際に、風の精霊の眷属と契約を結んでいたことを知っている。風が吹いてきて、風のマナの恩恵を受けたレミエは、その力を吸収してわずかに体力を取り戻したのだ。
 それでもレミエの衰弱は悪化していた。魔法やマナの力だけで完治しない状態となっている。それがわかっているからこそ、ランスロットはアルム川へ向けて急いでいた。
「…ごめんね」
 不意に発せられた言葉に、ランスロットの思考が停止した。レミエのごめんの意味がわからず、しばし頭を整理する。
「仲間だろ、当たり前だ」
 レミエが首を横に振る。その気配を感じたランスロットは、ますます混乱した。
「違うの。私、ね。ジュネイに言われたの。この戦いが終わったら、報酬を元手に小さい家を買って、一緒に暮らそうって。私がもともと人買いに売られて、普通の暮らしに憧れてたからだと思う。でも、私、迷ってた」
「どうして?」
 レミエが急に押し黙ってしまう。もう一度ランスロットは問いかけようとしたが、その時、急にレミエが腕の力を強めて、ランスロットの首に手を回してきた。
「私は、ランスロットが好きだから…。だから、迷っちゃった。ごめんね。だから、だからジュネイは…」

 嗚咽が混じるレミエの告白を聞いて、ランスロットはすべてを理解した。ジュネイの想いを。そして、ジュネイの想いも、レミエの想いにも気づいていなかった自分が無性に嫌いになった。
「目標、捕捉」
 後方から聴こえた声に、ランスロットとレミエが振り向く。すると、フードを目深に被った、常世の忍びがひとり立っていた。
 追いつかれた。それは即ち、ジュネイの死を意味する。それを悟ったランスロットの体に、怒りが駆け巡る。
「レミエ、待ってろ」
 背中からレミエを下したランスロットは、両脇の双剣を抜いた。ランスロットが愛用している得物アロンダイトである。
 一足飛びで相手の間合いに飛び込んだランスロットは、即座に剣撃を繰り出した。一撃、二撃、それをいなすように、常世の忍びがショーテルの切っ先を当てる。
「無駄なこと。我ら常世からは逃れられん」
 耳に響く声だが、ランスロットは瞬間的に若い声だと思った。だがそれを気にしている余裕はない。すぐにショーテルの刃がランスロット目掛けて振り下ろされた。
 後ろに跳び退いて躱したランスロットは、大地の反動を利用して突進した。次の瞬間、ランスロットの肩に痛みが走る。左肩にナイフが深く突き刺さっている。
「逃れられんよ」
 十本はあろうかというナイフが、一斉に放たれた。直撃すればひとたまりもない。跳び退いて間一髪躱そうものなら、後ろにいるレミエにすべて命中する。覚悟を決めたランスロットは、眼を閉じた。
 心身を統一する。体内に残るアーテルフォルスをすべて呼び覚まし、ランスロットは雄叫びをあげた。

 飛来するナイフをすべて叩き落したランスロットは、月を背にして上空へ跳躍した。アロンダイトが光を放ち、忍びの眼を眩ませる。着地と同時に、ランスロットはアロンダイトを振り下ろした。
「そ、そんな…」
 忍びのフードが捲れ、顔面が露わになる。ランスロットの思った通り、まだ少年であった。顔面の左から胸にかけてと、右肩にアロンダイトの一撃が命中していた。少年はそのまま仰向けに倒れ、動かなくなった。
「行くぞ、レミエ!」
 常世の忍びの生死を確認している暇はなかった。ランスロットはレミエを背負うと、小走りに駆け出した。
 しばらくすると、ランスロットは川のせせらぎを耳にした。アルム川。その文字がランスロットの頭に浮かんだ。
「レミエ、川だ。もうすぐで逃げられるぞ」
 呼びかけたが、レミエの反応がない。ランスロットの背中を、冷や汗が伝う。すぐにランスロットはレミエを下し、脈を確認した。
「レミエ!」
 脈は弱まっていた。すでに風は止み、レミエが受けていた恩恵もなくなっていたのだ。か細い声で、レミエがランスロットに呼びかける。
「生きて…ね。ランスロットは、私と、ジュネイの分まで」
「なに言ってるんだ! レミエ。死ぬな! ジュネイを悲しませるな‼」
 レミエの脈拍が弱くなっている。首筋を確認しながら、ランスロットは自分の頬に涙が伝っているのに気が付いた。
「”初恋は実らない”って、本で読んだけど、本当になっちゃった。私も、…ジュネイも。ごめん、ね、ジュネイ」
 ランスロットはレミエの体を抱きしめた。自分のぬくもりを伝えることしか、レミエにしてあげられない。そんな自分の無力を呪った。
「大好き、だよ。ランスロット…」
 蒼い月が浮かぶ静かな夜空に向かって、ランスロットは慟哭する。
(祈りなんか、何の役に立つんだ。俺は、また大切なものを守れなかった。エレインも、ジュネイも、レミエも…。俺は…)
 月の光で煌くアルム川。ランスロットは一輪の花を添えてレミエを葬った。
 渡し舟でアルム川を渡るランスロットは、友の眠る地に別れを告げる。そして、決意する。
(力が欲しい。すべてを、守れる力が…)
 少年の双眸に、熱い炎が灯る。
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