策動 Ⅰ

文字数 3,418文字

 セリア近辺の原野では、虎豹隊が今日も早朝から教練を行っている。陽が中天に差し掛かった頃合いで、昼食が指示された。昼は野戦料理を作る。野営の訓練の一環で、これもランスロットの考えだった。
 ランスロットも自分の兵たちと共に食事を摂っていた。ヴァレリア邸で提供される料理と軍の兵糧では比ぶべくもない。しかし孤児や傭兵としての生活が長かったランスロットからすれば、軍の兵糧も悪いものではないと思えるであった。
 今日の教練は主に各隊の連携に費やされた。作戦の内容次第では、ランスロットが指揮する兵を他の小隊に回すこともあり得る。そうした場合でも兵が問題なく動けるように、部隊間の連携を強化した。
 教練後に事務処理を行うのも、ランスロットの仕事であった。武器や甲冑など物資の損耗、兵の様子、怪我の度合いなどを三人の隊長から報告を上げさせる。それらをまとめて本営にあげるのだ。
 マヌエルは堅実な経営を行う領主であった。軍の増強ということはあまり考えていないため、武具の損耗にもうるさいのだ。そのためにランスロットも詳細な報告書を作成していた。
 マヌエルは自領を防衛できる強固な兵がいればいいと思っている。しかし、アスランティア郡の地理は微妙な立ち位置である。攻めに転じなければ、いずれ周辺勢力から滅ぼされるだろう。それほど世相は混沌としてきている。
 昼頃、ランスロットはセリアの本営を訪れた。セリアの留守を預かる守将、アチェロ・シモンのもとに軍馬の増強を要請するためである。しかし、アチェロの姿はない。窓から外に目をやったランスロットは、役人と隊長格の軍人が、庁舎のほうへ駆けていくのを見た。
 何かがあった。そう察したランスロットは、本営を飛び出して庁舎に向かった。庁舎の前には、ベルリネッタが使っているカブリオレが停まっていた。ランスロットが庁舎に入ると、馬面の政務官が対応に当たった。
「これはリンクス殿、でしたかな。どのようなご用件で?」
 ヒルダの遠戚であるというだけで、ヴァレリア家に寄宿しているランスロットを快く思っていない者がいた。この役人もそのひとりである。ランスロットを見るなり、不快そうな面構えを隠そうともしない。
「アチェロ・シモン殿がこちらにいるはずだが、どちらにおられる?」
 首を傾げた役人が、芝居がかった仕草で考え込む。
「はて、おられましたかな…」
 ランスロットに教える気など毛頭ないのだろう。単なる嫌がらせである。それに気づいたランスロットは、深いため息をついた。
「そうか。危急の事態が起きたと耳にしたので、探していたのだがな。マヌエル様には何かあった時にアチェロ殿と連携せよと仰せつかっていた。しかし

殿

と、貴公が申すならば仕方がないか」
 マヌエルの名を出した途端、役人は慌てふためいた。額に脂汗が浮かんでいる。アチェロ殿かわからないが、軍人の方は来た、という苦しい言い訳をして、ランスロットを通した。
 庁舎の一室。そこにベルリネッタ、シエンナ、守将のアチェロら数人が集まっていた。皆、一様に暗い表情をしている。ランスロットが部屋に入るなり、弾かれたように顔をあげた。
「ランスロット殿」
 最初に声をあげたのは守将のアチェロである。生真面目で堅実。職務に忠実で融通の利かないところが、マヌエル好みの軍人であった。
 ランスロットが現れたことが意外だったのか、ベルリネッタは驚いた顔をしていた。
「アチェロ殿に話があったのですが、ただ事ではないようですね?」
 アチェロが頷いた。ベルリネッタはランスロットをじっと見つめている。ランスロットはそれに気づいていたが、気づかないふりをして卓に向かった。
「カーディン県から早馬が来たのです。モンフェラート州から侵入した賊軍が街道を占拠したと報告が入りました。賊軍の名はジーテガート軍。ご存知だと思いますが。お館様とメリアガンス卿は、カーディンのファルクルで豪族たちと会合を開いています。このままではセリアに帰還することもできないばかりか、カーディンそのものが危ういのです」
 世情が混乱してきた中で、賊が各地に出没することは珍しくなかった。中には県のひとつを占拠してしまう賊軍もいるほどだが、そうした賊軍は大抵山を要塞化しているために、王国軍も手を付けられずにいた。
「ジーテガートということは、モンフェラート州のグウィス市から、山を越えて来たということですか。マヌエル様も兵を率いておられますが、もともとカーディン県の豪族はヴァレリア家に反抗する意思が強い。ジーテガート軍との戦いに手こずれば、サルマート殿の身に危害が及ぶ可能性もありますし、豪族たちがどのような手を打って来るかわからない。ベルリネッタお嬢様もそう考えておいでですね?」
 わずかに眼を丸くした後、ベルリネッタがゆっくりと頷いた。ランスロットはベルリネッタが聡明であるとすでに察していた。事態を知ってどうするべきか考えたのだろう。だが答えは出なかった。庁舎でアチェロらを集めるのが精一杯だったのだろう。
 ランスロットはこの一件に何かきな臭いものを感じていた。ジーテガート軍はモンフェラート州のスノーデン山を根城にしている。モンフェラート州の太守も討伐に苦慮し、どちらかというとジーテガート軍が優勢に立っている。スノーデン山と周辺域一帯のグウィス市を支配しているので、それだけで勢力としては充分な領地を支配している。それが越境してまでアスランティア郡を攻撃する理由がないのである。
「なにかあれば、ヴァレリア家の支配が揺らいでしまう。それはヴァレリア家の終わりに繋がる可能性もあるのです。戦いとはそれほど恐ろしいものです。特に今はどこの領主も領地拡大を虎視眈々と狙っている情勢ですから」
 俯いたベルリネッタが、ドレスの裾をぎゅっと掴んだ。アーウィンが戦死してから、ヴァレリア家は坂を転げ落ちるようにかつての栄光を失った。マヌエルの悲願を知るベルリネッタには、戦死というものが強い心的外傷として刻まれているのだろう。
 ヴァレリア家に降りかかった不幸を知るシエンナやアチェロも、沈痛な面持ちになっている。
 ここで雁首ならべていても、解決策が見出せる訳ではなかった。となると、ランスロットの取るべき行動はひとつである。
「わかりました。私が出撃しましょう。早急にティーベルド街道へ向かいます」
 はっとしたベルリネッタが顔をあげる。ここでランスロットは、ようやくベルリネッタと眼を合わせた。
「ランスロット殿の兵だけでは少ないのでは? セリアにも兵がいます。それを伴ってはいかがでしょう?」
 アチェロが言うと、ランスロットは首を横に振った。
「やめましょう。セリアの兵は防衛の指揮権を持つ、アチェロ殿の兵です。いかにマヌエル様の危機といえど、セリアを守るための兵は残していかなければなりません。それに、もし勝手にセリアの兵を動かせば、マヌエル様の勘気をこうむる可能性があります。ここは私の部隊だけで出撃すべきでしょう」
 たとえ命を救われようとも、そうした勝手な振る舞いを許さないだろう。マヌエルがそういう人格の持ち主だということを、ランスロットはよく把握していた。
「ごめんなさい、ランスロット」
 ベルリネッタがまた顔を伏せた。ランスロットの心中を察知したのだ。危急の事態といえど、兵すらもまともに動かせない。それはすべてマヌエルの機嫌を損ねないためである。ベルリネッタ自身も歯痒い思いをしていた。
「ベルリネッタ様が謝る必要などございません。私は奥方様の遠戚ということで、ヴァレリア家に寄宿させてもらっている身です。こういう時に体を張るのは当然のことです」
 悲壮な出撃のように思われているが、ランスロット自身はそこまで悲観的になっていなかった。むしろ自分の兵に実戦の経験を積ませることができると考えていた。それは、ランスロット配下のラムサスらと同じ考えである。やはり兵は実戦で力をつけなければ、いくら訓練を積んでも精兵には育たない。実戦で力を試すいい機会が巡ってきたのだ。
「気をつけてくださいね、ランスロット。貴方も」
 気丈に努めるベルリネッタに対して、ランスロットは柔らかい笑みを見せた。
「ありがとうございます。必ずやマヌエル様の危地を救ってみせます」
 ランスロットはラムサスらに伝令を出し、虎豹隊に待機命令を発動した。
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